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2011.02.08

永田洋子死刑囚の死去について

  元連合赤軍幹部であった永田洋子死刑囚が、2月5日に死去しました。65歳だったそうです。

 1971年に山岳アジトで、武装訓練中に、「総括」と称して、多数の同伴同士をリンチ・殺害したリーダーの1人でした。14人の赤軍派に参加したメンバーが殺害されました。

 1972年にはあさま山荘事件を引き起こし、たてこもった坂口弘らも逮捕され、連合赤軍は壊滅しました。

 革命運動には真剣で真摯で生真面目な人達でした。それゆえなぜ仲間殺しを平然と次々に行ったのか。

 当時毛沢東思想に影響を受けていた田舎の高校生であった私も、タイミングがずれていたら参加していたのかもしれなかっただけに、他人事とは思えない事件でした。

 高校を卒業できず、進路も未定な時期に、自宅で母と2人で浅間山荘事件をずっと見ていた記憶があります。自分の信じた革命思想が稚拙で間違っていた。勉強もせずに打ち込んだ社会運動がすべて間違っていた。そういう陰惨な思いをさせる事件でした。

 浅間山荘事件前後に、仲間をリンチ殺害した事件が次々に発覚しました。独善的な左翼の社会運動、レーニンの考案した「民主集中制」という独裁主義の行き着く先の末路がまさに連合赤軍事件でした。

 30人に満たない仲間内のリンチ殺人が、国家レベルの殺人と抹殺社会になっていたのは、スターリン時代のロシアであり、文化大革命時代の中国でした。

 リンチで殺された人達も、殺した人達も真摯に日本を良くしよう、革命しようとしていた人達でした。それだけに誤った考えで簡単に同士を殺害したこの事件は今でも大きく影響を与えています。

 「連合赤軍と新自由主義の総括」もきちんとしないといけないと思いました。

 わけ知りの「インチキ・ゲンジャ」(談合記者クラブマスコミの御用コメンターの人達)が、「連合赤軍事件は永田洋子の死で幕引きだ」とか、「暗い時代の呪縛からやっと解放された。」などと言っていますが全然違うでしょうに。

 菅ー仙石内閣の無能ぶりを「連合赤軍内閣」「極左内閣」などと無茶ふりする野良犬メディアの見識とも違うでしょう。それほど連合赤軍事件は矮小なものではありません。社会運動のありかたを極限までつきつめたものであったからです。

 昨年映画「キャタピラー」で各賞を受賞された若松孝二監督がこだわっているのも「連合赤軍」。かれの作品「実録連合赤軍 あさま山荘への道程」はとても重たい映画でしたから。

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