「絵で見る十字軍物語」を読んで
「絵で見る十字軍物語」(塩野七生・著・新潮社・2010年)を市民図書館で借りて読みました。税別で2200円もするので、購入は出来ないので、図書館の存在はありがたいものです。
「ローマ人の物語」を書き終えた歴史作家の塩野七生氏の書き下ろし。挿絵がギュースターブ・ドレ。実に詳細な絵です。戦闘の場面や行軍や虐殺の場面が克明に描かれています。
「イスラム教徒にとっての聖典であるコーランでは、生涯に少なくても一度のメッカへの巡礼を、信徒にとっての重要な義務としていている。
ゆえに、もともとからにしてイスラム教徒は、キリスト教徒のイェルサレム巡礼に理解ある態度で接していたのだった。
しかし、キリスト教も、イスラム教も、じぶんたちの信じる神以外の神は認めないとする一線は、絶対に譲らない一神教同士である。ひとたびこの一線が強調されすぎると・・・・・・・。
十字軍とは、1神教同士でなければ起こりえなかった。宗教を旗印にかかげた戦争なのであった。」(p8)
当時キリスト教徒の聖地とされたイェルサレムはイスラム教徒の支配下にあり、キリスト教徒の巡礼者へのときどき横暴をイスラム側が働いていたということらしい。しかし命まで奪うということもなく比較的寛容で黙認していたのでしょう。でもイスラム支配下ですので、聖地は荒れていたかもしれません。
欧州へ戻った巡礼者たちは、聖地でのイスラム教徒のキリスト教徒への迫害をやめさせるためには、聖地そのものを征服するしかないとキャンペーンをしてまわったそうです。
「キリスト教の影響力を高めるのに熱心だったローマ教会は、100%巡礼者を活用した。「神がそれをのぞんでおられる」を旗印にかかげた。十字軍のはじまりである。」(p12)
いわばこれはキリスト教徒による侵略戦争。しかも異教徒はいくら殺してもかまわない。それには神のご加護がある。戦闘で死ねば、天国へいけるのだと聖職者は説いて回ったそうです。
最初は不意をつかれたイスラム教徒側も反撃に転じ、イスラム側も異教徒の侵略者から故郷を守れとの「聖戦」(ジハード)となり、戦闘は激しくなり双方の死傷者が多くなりました。
イェルサレムはキリスト教徒の聖地でもありますが、イスラム教徒にしても「予言者マホネットがここから天に昇ったとされる聖都なのだ。当選キリスト教徒に対する防衛に立つ・」(p48)
当時この地に多く住んでいたのはイスラム教徒。キリスト教徒の侵略戦争に対して当然反撃します。
戦闘では容赦なく敗れると殺害されたようです。ただそのあたりはイスラム教徒側のほうが寛大。イスラム教に改宗すれば命は助けたそうですので。キリスト教側は捕虜は容赦なく殺害した事例が多いとか。
200年続いたのでしょうか。十字軍は。兵站線を確保するという考え方もなく、現地で略奪しながらの行軍でした。地の利のあるイスラム教徒側が反撃して、すべて最後は撃退されます。
そして今度は逆にイスラム強国では強大ななったトルコが欧州へ攻め込むようになり、欧州でキリスト教徒vsイスラム教徒の戦いが長らく続きます。
時代は下り陸路のシルクロードをイスラム教徒に抑えられているので、欧州のキリスト教徒は海のほうからアジアへやってくるようになったのです。
他の神を認めないキリスト教、イスラム教。ユダヤ教。中東は混濁しています。双方は1000年以上も戦争し、今も続いています。
エジプトの騒乱の背景にも宗教的な対立があるので、相当解決は難しいといえます。
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