宗教的な観点からの考察も必要
「連合赤軍と新自由主義の総括」が、私個人の思想的な整理の最大の課題であり、関心ごとであります。今までは社会思想や社会運動の観点からの観察や見解を表明してきました。
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しかし最近は「宗教的な観点」からの見直しも必要ではないかと考えました。
何故かと言いますと連合赤軍に参加していた人達は、当時としては高学歴者(エリート)であり、真摯で禁欲的な人達でした。きちんと卒業すれば大企業や中央官庁へ入れる能力のある人達。それだけ生真面目な人達が何故、仲間殺しをしてしまったのか。そのあたりの倫理観はどうなっているのか。それを解明したいと思います。
また新自由主義についても、昔読んだことのあるキリスト教徒の経済学者である大塚久雄氏がマックス・ウエーバーの著作を翻訳した「プロテスタンティズムと資本主義の精神」がありました。
プロテスタンティズムの信仰が資本主義の発展に作用しましたたが、近代化・現代化とともに信仰が薄れてゆくと、「営利追求自体が自己目的化」するようになりまた。
「内からの動機」であった営利追求が、「外圧的動機」に変貌していったのです。最近の投機ファンドなどの動きは異常です。主食の穀物や生活用品である石油を買占め、値段を吊り上げ人びとの暮らしを苦しめていますが、無頓着に金儲けだけしか考えない下劣な連中です。
仲間を殺してはいけない。という倫理観を何故連合赤軍は喪失してしまったのか。人間の命より大事な革命理論や党があったのでしょうか?それを私たちは近い出来るのでしょうか?
ドストエスキーの「罪と罰」も読んでみたいと思います。
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