原発作業員の皆様の健康と安否が心配
福島原子力発電所が東北・関東大震災で罹災し、放射能漏れを起し、今尚周辺に脅威を与え続けています。自衛隊や消防、警察、東電関連企業の作業員の皆様の決死の努力で、沈静化の方向に向かっているように思われます。そうなっていただきたい。
気になるのは大地震当時2400人を越える人たちが、点検作業、修理作業に福島原子力発電所におられたことです。この人たちの動静についてはマスコミは殆ど伝えません。
先日もテレビへ登場した元作業員の人は、顔を出さず声も変えておられました。なぜ堂々と登場できないのか。このあたり原子力発電所の労働現場の複雑さがあるのではないでしょうか。
「環境破壊の衝撃 1966-2007」(樋口健二・著・新風舎・2007年刊)を読みました。その著作では原子力発電所で働く労働者の驚くべき労働環境が語られています。
「労働者は日常的に被曝しているが、特に事故・故障時や、ほぼ年1回行われる定期検査中が最も被曝量が多い。かつては3~4ヶ月かけていた点検も最近は短縮され、わずか40~60日で原発内をすべて点検、補修するわけだから被曝は絶対に避けられない。」
「古い原発も半数近くあるわけで内部は暗く、しかも高温多湿(30~50度)である。わたしが77年7月に入った鶴賀原発1号炉の出力35万7000キロワットでさえ、1日に1500人近い労働者が働いていた。
原発が多数の被曝労働者を生むという現状は現在も変わっていない。まして今の100万キロワット級の超巨大原発では、2000人を超す労働者による人海戦術という前近代的労働が要求されるのは必然的である。(P183)」
(樋口健二氏自ら原発労働を体験され撮影した鶴賀原発内部。1977年。定期点検の様子です)
「差別の上に成り立ってきた原発労働の世界では、人権が完全に無視されていることを労働形態が如実に示している。
原発→元請け(財閥系)→下請け→孫請け→ひ孫請け→親方(暴力団含む)→日雇い労働者(農漁民、被差別部落民、元炭鉱マン、大都市寄せ場、都市労働者)。この重構造が複雑に絡み合い、二重の差別構造を形成している。つまり社会的弱者を徹底的に使役するというのが原発なのだ。」(P187[原発安全神話」)
著者の樋口健二氏(写真家)には2010年9月4日に、高知市愛宕劇場という映画館でお会いし、著作を購入しました。
そのとき上映されていた映画が「生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言」(森崎東監督.・キノシタ映画)でした。
その映画では、原発の危険な労働で放射能を浴びて死亡した労務者はドラム缶に入れられ,ヘリコプターでどこかへ運ばれるという不気味なシーンが頻繁に出てきます。
福島原子力発電所の事故現場では、懸命の放水作業をされている自衛隊員や消防士たちの英雄的な活動はテレビに登場します。また隊長の悲壮な決意はテレビを見ていて涙を誘います。
実際に福島原子力発電所に、地震時まで点検作業をされていた作業員の人もテレビに何人か登場しました。でも多くの人は、声を替え、顔も隠して話されています。やはり過酷な原発現場の労働があるのでしょうか。そのあたりはマスコミはなぜか報道しませんね。
(東海村JCO臨海事故での住民への放射線検査の様子。樋口健二氏撮影。P170)
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