「閉ざされた言語空間」を読んで
市民図書館本館から取り寄せて下知市民図書館で借りました。「閉ざされた言語空間 占領軍の検閲と戦後日本」(江藤淳.著・文藝春秋・1989年刊)を読みました。この3年ぐらい私は「連合赤軍と新自由主義の総括」を個人的には検証しています。
社会運動面、社会思想史の観点ばかりでなく、最近は「宗教的な観点」や、私たちの思想回路に「アメリカの毒素」が知らず知らずのうちに刷り込まれているのではないか?そう思うようになったからです。
この観点は最近ブログを通じて交流しているしばやんさんの影響です。しばやんさんは歴史を詳しく調べておられます。最近のブログの記事では「豊臣秀吉は何故キリスト教を禁教したのか」という連載を続けておられました。
しばやんさんブログ http://blog.zaq.ne.jp/shibayan/
そのなかで当時のキリスト教の宣教師たちは、異教を認めず、仏像や寺を破壊させるという乱暴な改宗手段をしていました。また戦国乱世時代には、多くの日本人が奴隷として西欧諸国の貿易商人に売られ、アジア各地にいたとのこと。
秀吉は侵略的なキリスト教を禁教し、奴隷売買を日本では辞めさせた。貿易は続けたかったが、キリスト教が排他的で独善的であったので、禁教せざるを得なかった。と説明されておられました。
まさに「目から鱗」でありました。私などもキリスト教国は民主的で文明的。人権思想も発達している。と無意識に良い印象を抱いていました。どうやら実態は「さにあらず」のようでした。
中学ー高校時代に大好きだった日本史でもそういう歴史観でキリスト教が日本で近世に禁教されたということは習いませんでした。それはなぜか?
しばやんさんからの助言は、「GHQの検閲が物凄く、日本古来の歴史を正しく見ることや検証することが困難な状況を、日本人に植えつけるものだったから」とのことでした。
なるほどそうなんだ。以前私は「アメリカの手のひらで日本は踊っている」との文章を書きました。敗戦後の日本は特にそうなのではないか。右翼も左翼もアメリカの手のひらで踊っているのではないかと思いました。
「閉ざされた言語空間」もしばやんさんの推薦図書の1冊でした。江藤淳といえば夏目漱石の評論が印象に残っていました。小林秀雄の後を継ぐ鋭い文芸評論家の印象。でもファシストの印象もありました。自殺されたことも印象に残っています。
前置きが長くなりました。この本の感想ですが、素直に読みました。江藤氏がアメリカのメリーランドに滞在し、GHQの検閲の様子を懸命に調査されていたからです。
敗戦後の日本の言論機関、出版社に対するGHQの検閲は大がかりで組織的なものでしたが、広報する組織ではないために実態が殆どわからぬままだったのです。
二次大戦の敗北は、当時の多くの日本人は「一時的なもの一過性なもの」と思っていました。米国占領軍の意図はそうではなく、戦争で「悪いのはすべて日本軍国主義なのだ」と思い込ますために、ありとあらゆる方策で検閲をしたとのことでした。
本では検閲で不可とされた句が例として上げられていました。
「焼跡の菜園雨に打たれをり」
「1円と20銭なる竹槍で みいくさせしも夢のまた夢」
ひそやかに、人目につかぬようにいま日本で検閲がおこなわれている。この検閲の質がどのようなものを知るかは次の(上の俳句が)良い目安になるだろう。
俳句は17シラブルからなる日本の詩だが、この俳句は事前検閲のため米軍当局に提出され、米国の利益に反する題材を含むという理由で没になったものである。」(P216)
敗戦直後には、当時の日本人の歴史観や戦争観が米軍により全否定されます。
「つまり、昭和20年暮れの、8日から15日にいたる僅か1週間の間に、日本人が戦った戦争、「大東亜戦争」はその存在と意義を抹殺され、その欠落の跡に米国人の戦った戦争、「太平洋戦争」が嵌め込まれた。
これはもとより、単なる用語の入れ替えにとどまらない。戦争の呼称が入れ替えられると同時に、その戦争に託された一切の意味と価値観もまた、その総入れ替えられずにはいないからである。
すなわち用語の入れ替えは、必然的に歴史的記述のパラダイムの組み替えられずには措かない。
しかしこのパラダイムの組み替えは、決して日本人の自発的な意志によって成就したものではなく、外国占領軍権力と禁止によって強行されたものだったのである。」(P231)
「つまり、極東国際軍事裁判は、それ自体が大仕掛な「ウォー.ギルド・インフォメーション・プログラム」であったのみならず、日本人から自己の歴史と歴史への信頼を、将来とともに根こそぎ「奪い」去ろうとする組織的かつ執拗な意図を潜ませていたのである。」(P267{アメリカは日本での検閲をいかに実行したか」)
高校生時代わたしは新聞部の部長をしていました。私が部長をしている間は、1号も発刊できませんでした。すべて教師が検閲し、発行禁止処分にしたからです。私は教師と話し合い部長を引くと、新聞は再発行が許されましたから。
身体で「検閲」に嫌悪があります。「民主主義」を日本に敗戦後に、教えてくれた米国が、日本文化の破壊と思考の破壊を徹底するために、大がかりな執拗な検閲をしていました事実には唖然としました。
江藤氏はGHQの検閲は一時的なものであるが、執拗な検閲の効果で「日本の言論機関と教育体制に定着され、維持されるようになれば、CCP(占領軍検閲局)が消滅し、占領が終了したのちになっても、日本人のアイデンティティと歴史への信頼は、いつまでも内部崩壊を続け、また同時にいつでも国際的検閲の脅威に曝され得る。」(P298)と述べています。
最近の日本政治指導者の迷走ぶりは、民主党,自民党を問わない。きちんとした歴史観や国家観がないゆえにひきおこされたのではないかと思いました。
「即ち人が言葉によって考えるほかはない以上、人は自ら思惟を拘束し、条件付けている言語空間の性質を知ることなしに到底自由にものを考えることができない、という至極簡単明瞭な原則がそれである。」(P316 あとがき)
江藤淳氏は、たんなる復古主義のファシストではないと思いました。
アメリカ占領軍による「日本人の思考を停止させる仕掛け」の一部が少しだけわかりました。
また占領軍は日本文化の伝統を破壊し、大量に「焚書」をしたとの指摘もあるようです。それは本当なのか?調査の必要性があると思いました。
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