”埋め殺され道路」になった新堀川
現在県道「はりまや橋ー一宮線」の工事が新堀川を埋め立てる形でおこなわれています。画像は完成後の姿です。歴史資源が周りに多い新堀川。全く「ないがしろ」にされています。
高知の観光は坂本龍馬にまつわるものでなければならない!と「土佐の歴史」を題材に観光客誘致を企てる。なるほど趣旨は良いとは思います。
JR高知駅前では昨年NHKの大河ドラマ「龍馬伝」で使用された衣装や小道具を展示していた木製の小屋(わたしは見世物小屋と呼んでいたが、解体撤去され、今年7月に「坂本龍馬の生家の復元」をするために多額の税金を費やして建設工事が行われていました。
その概要だそうです。「志国龍馬ふるさと博」というそうです。
その一連の行事のなかで、高知市桂浜に、坂本龍馬像と併設して、同じ土佐勤皇党の仲間であった武市半平太と中岡慎太郎の巨大な(5メートル大)を県民の税金500万円で作成し、並立設置するという計画だそうです。
県内外の龍馬ファンで賛否両論があり、主催者側としては「話題になって良かった」ということかもしれませんが、逆にそれは主催者側の歴史に対する「底の浅さ」を感じ、肝心の熱烈な坂本龍馬ファンの反発と反感を呼び起こしてしまったマイナス面もありました。
主催者は「公金を使用している」という意識をもっていただきたい。「俺達が十分な議論を尽くして決めたことだ。後から文句を言うな!」という高圧的な姿勢を感じるから、多くの市民は反発しているのですから。
高知県庁にしろ、高知市にしろ「志国龍馬ふるさと博」を推進されている人達は、「歴史を活用して観光開発を」と声高に主張していますが、わたしは「歴史を大事にしていない」のではないかと思います。
高知市の中心商店街に程近い地域に、新堀川があります。この川は人工の運河です。江戸時代の初期に、北側の江ノ口川と南側の堀川を繋ぐ運河として、藩主の許可を得て町民が自ら工事を行い完成させたものです。
野中兼山が建設した人工運河の船入川を下って、物部川流域の山間部から材木を切り出し、いかだにして新堀川地域まで運び、引き上げて木材加工して家屋の柱などをこしらえていました。「材木町」という地名も残っていました。
この地域は武家地域と町民地域の境目であり、水運の要所だったので、様々な人が集まっておりました。岩崎弥太郎の姉婿が、弟子が1000人いたという幕末の土佐南学の儒学者岡本寧浦の学び舎跡が新堀川流域にあります。
今回巨大なスチロール像が作られる武市半平太ですが、その新堀川のすぐ近くで道場をしていました。その碑は横堀公園に設置されています。
この場所などを再検証し、歴史施設のぶらぶら歩きルートをこしらえればいいのですが、高知県庁も高知市役所も「志国龍馬ふるさと博」関係者も無関心であるようです。
自由民権運動の思想家中江兆民の生家跡もこの新堀川近くにあります。
しかし高知県庁は、道路特定財源を使用して、史跡をすべてないがしろにし、川を「埋め殺して」道路にしてしまいました。
韓国ソウル市は、李大統領がソウル市長時代に、王政時代からゆかりのある清渓川を復元しました。高速道路を撤去し、河川をこしらえたのです。
清渓川復元事業というホームページ (リンクが切れていますが、たどれば様子はわかるでしょう。)
http://japanese.seoul.go.kr/chungaehome/seoul/main.htm
30年ほど前の事業計画の見直しもせず、ただ自動車交通渋滞の緩和だけで歴史資源を大事にせず道路をこしらえました。周辺の歴史資源を全く大事にしていません。
大事にしない人達が「土佐勤皇党結成150年を記念して」と称してススチロール像をこしらえるとう事業自体、到底理解できるものではありません。
高知県民は足元の地域資源を大事にしないといけないと思います。すぐに税金で箱物(見世物小屋)やスチロール像をこしらえる安易な発想では、多くの歴史愛好者の共感を得ることは出来ないことでしょう。
今時川を埋めて自動車道路をこしらえる時代ではあるまいと思います。地球温暖化問題にも「逆行」しています。
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