大地震関係の書籍を読みました
3月12日に発生した東北・関東大震災(まだ名前は確定していません)。地震発生以来テレビはすべて罹災情報の提供。新聞もそうです。正式に東日本大震災となりました。
図書館で大地震関係の書籍を2冊借りてきました。
まず「歴史探訪 南海地震の碑を訪ねて 石碑・古文書に残る津波の恐怖」(毎日新聞高知支局・2002年・刊)です。
これは徳島県と高知県に残る津波の石碑や、古文書で将来必ず起きるであろう南海大地震の被害予想を想定できるのではないかと、高知大学の岡村眞教授は述べられています。
「1つ前の地震が小さければ次の地震はすぐ起きる。モデルは宝永地震(1707年),安政地震(1854年)の観測記録が碑でわかるといいます。
津波後に立てられた碑は、津波の恐ろしさと避難の大事さの教訓を後世に残すためにこしらえています。
香南市夜須町の碑は、夜須町坪井の観音山にありました。1度地元のヤッシーさんと行ったことがありました。「・・・・宝物家に残すも再我家に帰るべからず必ず・・」と、。大地震後に必ず津波が来るので、家財は置いて逃げるように。と書かれているようです。
昭和の南海地震の記録写真も掲載されています。徳島県と高知県の様子がありました。現在の東北・関東大地震と同じような津波の凄さ、地震の凄さがわかります。
またもう1冊「そのときは確実にやってくる 連動して発生する巨大地震(newyon press・2008年・刊)も読みました。巨大地震の様子が図解されています。
この本でも1番危険なのは西日本地域の南海・東南海・東海の連動した巨大地震であると記述されています。その根拠は古文書や昔の宝永や安政の大地震の記録により想定しているのです。
「100年に1度、大地震は起こる」という予測が南海地震対象地域(四国南部。和歌山)に宣告されているのです。特に前回東海地震が起きていないので、40年ほど前から静岡県を中心に対策がされてきました。
新潟県中越沖地震(2007年)では、新潟柏崎刈羽原子力発電所の敷地内にも大きな亀裂ができました。そのときに予知できていない活断層が動いて地震が発生したのです。
このときは、使用済み核燃料を保管するプールから放射性物質を含む水が大きな揺れで流れ出し、原子炉建屋内の屋内天井クレーンが破損し、屋外変圧器から火災が発生しました。
今回も福島原子力発電所1号機の原子炉内の燃料棒が露出し、高熱で炉心溶融まで行きました。結局海水を大量に注入し、1号機を廃棄する措置をとるしかありませんでした。
原子炉を覆う建物は「通常のビルに使う鉄筋の2倍の直径の鉄筋が使われ、場所によってはコンクリートの厚さは2メートルにもなったいる。
このように、通常の建築物の基準より3倍大きな力がかかっても耐えられるように原子力発電所は設計・建設されている。」(P86)
それが原子炉に溜まった空気(水素)を抜く作業をしている最中に爆発し、建物の外壁は吹っ飛んでしましました。
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