
ついにというか政府も福島第1原子力発電所の大事故を「チェルノブイリと同規模の事故ーれべる7」と最近認めたようです。しかしチェルノブイリは1基の原子炉でしたが、福島第1は6つも同型の原子炉が狭い敷地内に並んでいるから、その危険性はそれ以上。
一体いままで「原子力発電は環境に優しく、二酸化炭素は出さない。120%安全だ」ということはなんだったんでしょう。発言の責任追及は、じっくり過去の発言履歴などを検索して時間をかけてゆっくり国民はやらなくてはならないでしょう。
今週の”野良犬メディア”も原発災害特集であります。週刊現代4月23日号。仰々しい見出しが。「まるごと101ページ。東日本大震災「終わらない現実」福島第1原発人類への挑戦 水と空気と土がやられてこの被曝があと1年続いても安全だと言えるのか」と。

週刊現代は「これでもか」との記事。「放射能列島20年後の発病その危険性」(P38)「福島第1原発もはや限界に近い」(P409「この国に世界はキレている」(P44)「東京の身代わりなのか福島が殺される」(P52)「原子力発電所でわたしが見たこと」(P160)など。
そのなかでも「迫害され続けた京都大学の原発研究者たち」(P48)の記事は優れもの。記事によると日本の原子力研究は「原発推進派」が主流。
「原発研究者の世界は原発ムラとなどと呼ばれ、基本的に原発推進者ばかりである。電力会社は研究者たちに共同研究や寄附講座といった名目で資金援助する。その見返りに電力会社の意を汲んで原発の安全性を吹聴する。」(P49)
「原発を所管する経済産業省と文部科学省は、電力会社に許可を与える代わりに電力会社や数ある原発。電力関連の財団法人などに天下りを送り込む。さらに、研究者たちは国の原子力関係委員を務め、官僚たちとともに原子力政策を推進していく。」(P49)
だから「この程度の被曝量ではただちに人体に影響はありません」との無意味で。無責任な発言を繰り返す結果になっているのでしょう。
京都大学の6人の原発研究の学者は、原発の安全性に疑問を唱えたため、監視、尾行されたり、研究費を削られたり、出世が遅れたり散々な目に遇って来たようです。しかもマスコミにも登場することがありませんでした。
今こうした良心的な京都大学の学者の人たちの意見を傾聴しないといけないでしょう。今中哲二氏、小出裕章氏、海老澤徹氏、小林圭二氏、川野真治氏、瀬尾健氏(1994年逝去)でしょう。

週刊ポスト4月22日号もこちらも原発震災特集。ただ少し現代とはトーンが違うようだ。
「嘘がデマを生む。そのデマがまた嘘を生む。という憂慮すべき「ニセ情報の臨界状態が起きている。政府、東京電力は、いまだに「できるだけ不都合な情報は隠したい」という態度だから、国民は「なにかまずいことが起きているのではないか」と疑いたくなる。
そこに付けこむ「煽り報道」が不安と放射能差別を広げているという、"重大事故”はこのままでは収束不能になってしまう。」P24)
全国紙や一部雑誌などの記者の「レベルの低さ」「報道姿勢」を問題にしているようです。それはメディア・リテラシーの立場からすれば両論があってしかるべきなので、それはよしとします。

"煽り報道”がライバル週刊誌「週刊現代」を示しているのは明らか。ただポストも「背景」を揶揄するだけでは、デマと同じである。そこらは取材力のなさであり、偏見に満ちた報道と論調では産経新聞と変わりがないではないのだろうか。
「チャイナシンドロームとは起きもしない問題を大袈裟に騒ぐことを,揶揄するジョークの表現だが、わかって書いているのだろうか・・」(P27)
週刊ポストでは週刊現代が評価している京都大学の6人学者の学説に疑問を投げかけている。しかしその論法は「言行録 原発危機を訴える人々のバックグランドを公開する」(P30)。
「原子力資料情報室」は、三里塚闘争の活動家が設立した反原発団体であったとか、「バックグラウンド」を執拗に書いています。これもどうだろう?バックがなんであれ。正しいものはただしいし、おかしいものはおかしいのですから。
野良犬メデァアも最近では注目されているのです。きちんとした調査と裏づけをとって記事にしていただきたい。「あいつは昔は興だったから・こうだ」的な決め付け記事は、今のこの状況ではNGであることを編集者も理解しないといけない。
最近のコメント