皆が立場をはっきりさせないといけなくなる
わたしは従来原子力発電諸問題に関心が薄かったです。日本の発電総数の30%がすでに原子力発電によってまかなわれ、54もの原子力発電所が存在しています。
日本は資源がない国。石油や石炭というエネルギー資源も海外から調達しています。原子力もウラン鉱石も輸入ですが、輸入量は少なくて済むだろう。電力資源という社会インフラの1つで、順調に言っている間は関心がありませんでした。
ただ4年前、原子力発電所で発電し、使用済み核燃料を更に濃縮し、そばにいるだけで人間は3分で即死するという毒性と放射能の強い「高レベル放射性廃棄物最終処分場」を高知県東洋町に建設するという構想には、反対しました。微力ながら街頭署名活動に参加し、「海を守れ」ということでサーファーとも連携し、ヨット関係者で反対署名を集めたりしていました。
4年前の東洋町長選挙の結果で、高レベル放射性廃棄物最終処分場は正式に断念されました。東洋町民の英断で高知県の海と土は守られたのです。
その後は原子力問題には無関心でした。今回の東北関東大震災で、福島第1原子力発所が大きな被害を受け、制御不能になり、高い濃度の放射能を拡散し続けています。まさに国難になりました。一体この先どうなるのか不安です。
福島の事故受けて全世界で反原発の動きが活発になりました。しかしどの国も原子力発電に依存していることも事実です。ドイツなどもフランスの原発で発電した電気を購入しているのですから、自己矛盾もいいところです。
欧州や韓国などでは地震の心配のないところですので、危険性は日本よりははるかに少ないので、原子力発電所との共存は可能であるかもしれません。人為的なミス以外には、テロ行為というリスクしかありません。もちろん核廃棄物処理という解決不能な問題はあるとしてもです。
つまりは「結論を先に伸ばすことができる国」なのです。日本もそうかといつのまにか思い込んでいましたが、今回の原発事故でそうではないことを日本国民は思い知らされました。つまりは究極の2者択一なのです。
「原子力発電所と危険覚悟で共存する道」を選ぶか、「原子力発電を廃止し、電力不足の耐乏生活をしていくのか。」究極の2者択一が日本人各位にまもなく迫られるでしょう。でもそれは今回の原子力事故が完全に終息して後のことです。今は終息しそうにありません。
今回の東北関東大震災で、より震源地に近い、宮城県女川原子力発電所は地震で安全に運転が休止し、高台に立地していたので、大津波の被害を免れました。
原子力関係者はこういうでしょう。「女川は大地震のとき、安全に運転手停止した、福島第一は、想定外の大津波が来て施設が破損し、予備電力までやられました。津波対策をして高台に立地すれば原子力発電は大丈夫なことは女川原子力発電所で実証されたのです。」
しかし未だに福島第1原子力発電所の脅威から首都圏3000万人は解放されていません。日本国総力を挙げた沈静化対策が成功しなければ、それこそ「日本沈没」になります。
「勇気をもって原子力発電を廃棄することを日本国として決意する。」のか、「地震の脅威を承知の上で原子力発電と共存する」道を選ぶのか、2者択一なのです。
どちらにしても原子力発電に関しては情報公開がされなければ、冷静な議論もできません。今までは原子力発電を稼働推進してきた政府側、企業側が殆ど国民に情報開示をしませんでした。今その不信感が一気に吹き出ました。国民を馬鹿にしてきたことで、(今も馬鹿にし続けていることで)原子力発電に対する不信感が国民各位には蓄電されています。
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