3・11の物凄い影響ーその後
2011年3月11日は、個人的にも大きな影響を受けました。その日以来気分が晴れず、継続的に精神的な重圧を常に感じるようになったからです。
当日私は会社を休み、ゴルフ好きの父を連れ、香南市の土佐カントリークラブに行っていました。当地で開催されていた女子プロゴルフ大会を観戦するためです。父は91歳になっていますが、ゴルフ好きで、横峰さくら選手のファンということで、朝早く自宅を出て観戦に行きました。
午後2時過ぎに父は疲れたので帰ると言うので、戻りました。自宅へ着いたのが午後3時半頃でした。そのとき東日本大震災の惨状を見ました。それ以来どのTV局も3日3晩震災関連報道でした。(後で聞いたら津波警報が出て、午後3時半過ぎにゴルフ場周辺道路が閉鎖され、4時間動けなかったとか。そうならず早めに退出して良かったです。)
TVで見ましたが想像を超える大津波の被害。そして福島第1原子力発電所の原発災害の発生。地震や津波はその後余震はあれど収まりましたが、原子力発電所は制御が利かず、益々被害は拡大していきました。
政府。原子力保安員、東京電力の記者会見に、真実性を感じず、「なにか隠しているのではないか」という苛立ちが高まる一方でした。
東日本大震災と同時期に、父の持病の慢性腎不全も悪くなるばかりで、毎日腎臓専門医院に通院し、利尿剤の注射をしていましたが、腫れがますます酷くなるばかり。手足がぱんぱんに腫れ、歩行も困難になりました。
そして遂に4月12日に高知医療センターに父は入院しました。1日3回の利尿剤注射を受けました。効果は劇的に現れ、入院時70キロあった体重が、1日1キロ減ったようになり、2週間後に退院できましたが、55キロになっていました。
父のような超高齢者は、慢性腎不全でも透析療法は負担がかるためできません。利尿剤投与で、弱っている腎臓をなんとか動かしてむくみを徐々にとっていく治療法が上手く行き無事退院できました。身内としてはほっとしています。
父は医療関係者の連携と自分の身体能力で危機を脱することが出来ました。しかし同時期深刻な事態になった福島第1原子力発電所は、2ヶ月経過した今も深刻な事態は依然として改善されていません。
東京に住んでいる娘の動向も気になります。本当に放射能汚染は大丈夫なのでしょうか?
高知市二葉町は「長期浸水地域」に指定されている。
今回の東日本大震災でも、地盤沈下し海岸堤防が津波で破壊されたため、浸水状態が改善されない地域が広範囲で出ました。でも東北の地域は75センチの地盤沈下と聞いています。それで全く復旧作業が何も出来ないのですから。影響は甚大です。
高知市二葉町の南海地震時の地盤沈下は1・95メートルと予想されています。排水ポンプ場は水没して稼働しないでしょう。そうなれば1年以上水没し、職場も自宅も水没し、一切の生活も経済活動もできなくなります。
そのことが今回の東日本大震災で判明したので、その予測が重くのしかかり、自分を押しつぶそうとしています。
仁淀川町を中心に間伐ボランティアや木材の有効利用を促進している中嶋健造さんが、仁淀川町と二葉町との交流事業を提案してくれました。第1回目の打ち合わせ会が、4月15日に開催されました。
そして6月5日に。仁淀川町に二葉町が訪問して交流をしようということになりました。でもそのことを告知し、町民各位に参加を呼びかけるチラシふくりを依頼されてはいますが、うまく作成できていません。
「スランプ」というよりは、モデルがないのでどう表現していいのかとまどいだらけです。
とにかく「明日はわが身である」と思うからです。
そうこうしているうちに菅首相が、中部電力浜岡原子力発電所の全面停止を中部電力側に要請しました。理由は「87%の確立で東海地震がM8規模で起きる可能性がある。浜岡原子力発電所はm東海地震の震源域のなかにあるので、安心安全の対策をすべきであるからです。」と発言しました。
とてもよいことです。早速「リアクション」が各方面からありました。いろいろ議論はありますが、日本国首相がまず「脱原発!」を世界に向けて発信する。
それをどうやったら実現するか。日本人みんなで考えます。皆で考え行動すれば必ず解決策は出ます。それが日本人の強みです。今までもそうやって北からこそ、日本は経済大国になったんです。これからだってできますよ。絶対にできます。
そう考えると、なんとなく不安が払拭されそうな気分になりました。
大きな目標、大きな風呂敷を広げて、実行してみることです。
会社の事業も、家族の健康も、地域同士の交流も、自分の思想的総括ももなにもかにも解決できそうに思えるようになりました。
連休中に考え、なんとかしようと思っていましたが、結局なにも考え付かず終わりました。でもどよんとした絶望感から、「なんとかなるさ」の楽天的な考えにこの間に自分が変化しました。
ですので「なんとかなるでしょうよ」そう思います。
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