3・11以降に日本人の意識は変るでしょう
先日パキスタンで、テロ組織アルカイダ首謀者であるビン・ラディンを米軍が秘密裏に殺害したと米国大統領は公表しました。多くの米国市民は街頭に繰り出し「USA!]と叫んでいました。いかに「9・11」が米国民に衝撃を与えていた証でしょうか。
「3・11東日本大震災と福島第一原子力発電所による大災害」は、日本人の意識に大きな変化を促すことであると思います。それは悪いほうにではなく。いい方向にです。
1)日本人は「人のつながり」「ご近所のつながり」をより意識するようになった。
2)電力資源について、考えなかった問題を皆が意識し、考え始めた。
3)都市づくり、まちづくりのありかたに、少しは関心が向いてきた。
4)政治のありかたを少しは考えるようになりました。
ただ私達市民大衆は知識人ではないので、生活に追われ忙しい。せっかく考え始めても、生活の忙しさに流されていく傾向はあります。そこが難しいところです。
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コメント
意思は、相手の理解により効果を発揮する。
恣意は、相手の察しにより効果を発揮する。
意思は本人の内容である。
恣意は本人の内容ではない。
恣意は、恥ずかしくてまともには公言できない。
恣意は、社会に受け入れられない。ここは、甘えさせてもらうしかない。
その内容はあいまいで、相手の勝手な解釈とも考えられる。
俺の目をみろ 何んにもいうな 男同志の 腹のうち。
お前らに、俺の腹の底が読めてたまるか。
だから、腹を割って話さなければならない。談合が必要である。
英米人の社会には、意思を通す権力の序列がある。これにより声明を発表する。
日本人の社会には、恣意を通す権力の序列がある。これにより天の声を使う。
東条英機は、昭和天皇の意思に従って、太平洋戦争を始めたか。
それとも、昭和天皇の意思に背いて、太平洋戦争を始めたのか。
意思がなければ、社会に対する責任がない。
日本人は、意思の存在を認めることができない。
犯意の存在も証拠不十分で不起訴となる可能性が高い。
だから、日本人の社会では、とかくこの世は無責任となる。
肥田喜左衛門の著した には、責任に関する下のような事柄が記されています。
徳川5代将軍の治世、佐土原藩の御手船・日向丸は、江戸城西本丸の普請用として献上の栂 (つが) 材を積んで江戸に向かった。遠州灘で台風のため遭難、家臣の宰領達は自ら責を負って船と船員達を助けようと決意し、やむをえず御用材を海に投げ捨て、危うく船は転覆を免れ、下田港に漂着した。島津家の宰領河越太兵衛、河越久兵衛、成田小左衛は荷打ちの責を負い切腹する。これを知って船頭の権三郎も追腹を切り、ついで乗員の一同も、生きて帰るわけにはいかないと全員腹をかき切って果てた。この中には僅か15歳の見習い乗子も加わっている。鮮血に染まった真紅の遺体がつぎつぎに陸揚げされたときは、町の人々も顔色を失ったという。16人の遺体は、下田奉行所によって大安寺裏山で火葬され、同寺に手厚く葬られた。遺族の人たちにはこの切腹に免じて咎めはなかったが、切腹した乗組員の死後の帰葬は許されなかった。(引用終り)
昔の日本人は、15歳の見習い乗子の責任は考えられたが、5代将軍と佐土原藩主の責任については考えられなかったようである。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812
投稿: noga | 2011.05.11 21:19