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2011.05.13

「米英東亜侵略史」を読んで

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3月11日以来2ヶ月間地震関係と原発災害関連記事を書いてきました。それだけ衝撃がありました。いまだに「対象化」できません。今後は、社会思想問題について、論評をしていきたいと思います。まだまだ立ち直ったわけではありませんが、ライフワークの1つである「連合赤軍と新自由主義の総括」問題があるからです。

 近くの下知市民図書館にはないので、本館から取り寄せていただきました。そしてようやく読みました。「米英東亜侵略史」(大川周明・著・第一書房・1942年)です。今から69年前に発刊された書籍でありました。

 いかにも「昔の本」という装丁。分厚い板紙の貼り合わせの背表紙。なかは紙は変色し黄色くなっています。「歴史」を感じました。

 しかし一読しましたが、内容は大時代がかった壮士風のアジテーションでもなく、古さを感じません。むしろ現代風でもあります。もちろん国際的な関係は69年前と変化はしていますが、現代の日本にも通じるものがあると思いました。
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 参考書として「日米開戦の真実 大川周明著 米英東亜侵略史を読み解く」(佐藤優・著・小学館・2006年刊)がありましたので、一緒に借りて読みました。

 本の構成は「米国東亜侵略史」と「英国東亜侵略史」の2部構成。つまり米英国がいかにして、アジア諸国を狡猾に侵略してきたか。アジア諸国は苦悩に満ちてきたかを書いています。

 米英両国との戦争開戦日から9日後の、1941年12月14日から25日にいたるまで、戦線での戦果に高揚しながら、ラジオ番組の朗読物として、大川周明氏が書き下ろしたようです。ですので実にわかりやすい文章でした。

「今日も引き続きアメリカの横車について申し上げます。 (中略)

 第1は英米一体となって満州の全鉄道を完全に中立化っせること。第2は鉄道中立化が不可能な場合は、英米提携して錦愛鉄道計画を支持し、満州の完全中立化のために、関係を友好的に誘引しようというものであります。」(P45)

 大川氏は日露戦争で多くの日本人の血によって、ロシアの満州・朝鮮侵略を阻止したのに、米英両国は難癖をつけてきて,日本に何かと圧力をかけてくるのはけしからんと言っています。

「我らは心静かにアメリカの国際的行動を観察してみたいと思います。
自ら国際連盟を首唱しながら、その成るに及んで之に加わることをしない。不戦条約を締結して、戦争を国策遂行の道具に用いないということを列強に約束させて置きながら、東洋に対する攻撃的作戦を目的とする世界第1の海軍を保有せんとする。

 大西洋に於いては英米海軍の10対10比率が、何等平和を破ることはないと称しながら、太平洋に於いては日本海軍の7対10比率さえかつ平和を脅威すると力説する。

 ラテンアメリカに対しては門戸閉鎖主義を固執しながら、東亜に対しては門戸開放を強要する。」(P65)

 アメリカの滅茶苦茶な専横ぶり、得手勝手さを大川氏は批判します。ワシントンとロンドンでの軍縮条約締結に置きましても、アメリカの身勝手さは目に余り、どの国もその専横を抑止できないことを嘆いています。

「1928年、父張作霖の後を継いで満州の支配者となれる張学良は、南京政府の多年にわたるアメリカの好意を背景として、東北地方に於ける政治的、経済的勢力の奪回を開始したので、満州における日本の権益に対する支那側の攻撃は年とともに激化し、排日の空気は全満に張らんとするに到りました。

 もと満州に於ける日本の権益は、ポーツマス条約(日露戦争後の講和条約)に基づくものであります。若し当時日本が起ってロシアの野心を挫かなかったならば、満州。朝鮮は必ずロシアの領土となったことであろうし、支那本部もやがて欧米列強にの俎の上で料理されてしまったことと存じます。
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 日露戦争に於ける日本の勝利は、単にロシアの東洋侵略の歩みを阻止したのみならず、白人世界征服の歩みに、最初の打撃を加えた点において、深甚なる世界史的意義を有しております。

 其の時以来日本は、朝鮮、満州、支那を含む東亜全般の治安と保全とに対する重大なる責任を荷い、且つ其の責任を見事に果たしてきたのであります。」(P73)

 アジアへの欧米の侵略の歯止めに日本は盾となってきたのであると説明しています。

 大川氏はアメリカ人は鬼畜でどうしようない敵としては描いてはいません。江戸時代の末期に開国を強要しに来た、ペリー提督に対して以下のように記述しています。

「ぺリーは日本へ来る前に、実に丹念に日本および支那の事情を研究しております。従って日本に対しても相当に正しき認識を有して居りました。

 彼は日本人が高尚なる国民であること,之に対するには我らも礼儀を守り、対等の国民として交渉せねばならぬことを知っていたのであります。

 即ち日本に対しては、オランダの如き卑屈な態度を取ってはならぬし、またイギリスやロシアの如き乱暴な態度を取ってもならぬ。

 何処までも礼儀を持って交渉し、止むを得ない場合にのみ武力を行使するという覚悟で参ったのであります。但し日本を相手に戦争を開く意図はなく従って開港の目的を遂げ得るや否やを疑問として居ります。

 其のことは1852年12月14日付けでマデイラ島から海軍長官に宛てた手紙の中に明記しておりますが、但し其の場合は、日本の南方に横たわる島、即ち小笠原諸島か琉球を占領すべしと建策しております。」(P20)

 ちゃんと冷静な目で歴史を見ています。その上でこう述べています。

「ペリーは中々立派な人物であり、かかる人物が艦隊司令官として日本へ参ったことは、日米両国のために幸福であったと申さねばなりせね。

 其の上アメリカ合衆国も当時は決して今日の如き堕落した国家ではなかったのであります。アメリカ建国の理想は尚ほ未だ地を払わず、ワシントンの精神が国民の指導階級を支配して居たときであります。

しかし今日の米国大統領ルーズベルト及び海軍長官ノックスが、ペリーの如き魂を有って居るならば、若し彼らが道理と精神とを尊ぶことを知って居るならば、若しアメリカが唯だ黄金と物質を尊ぶ国に堕落して居なかったならば、日本に対して今度の如き暴慢無体の態度に出て、遂に至って自ら墓穴を掘る如き愚を敢えてしなかったろうと存じます。」(P21)

また大川周明は、米国本土での日本人市民への許しがたき差別待遇にも言及し、アメリカの姿勢を厳しく批判しています。現実に米国は二次大戦中に日系人市民を居住地から拉致し、財産を没収し強制収用所に終戦まで収容するという差別政策をしたのです。最近になりようやく大戦中の過ちを大統領が日系市民に謝罪したようです。

 一方イギリス帝国主義の歴史での考察も正確に行っております。その精神構造の正確な描写には関心しました。

「単にイギリスと言わず、総て北方に国を建てる民は、陰悪なる風土と戦って自己の生存を維持し発展させねばなりませぬ。そのためには栄養に富む食物、温暖なる着物、堅牢なる家屋が必要であります。

 従って営々として利を営むことが、一個の美徳と考へられるようになるのであります。ピューリタンも其の通りで、其の宗教は其の名の如く一面にはイギリス人に克己制欲の生活を要求すると同時に,他面には勤勉と営利の精神を鼓吹したのであります。

 それゆえにイギリス人は、道徳的義務を遂行する心持で金儲けに身を委ねることが出来ました。

 キリストは、神と黄金を兼ね仕えることが出来ないと申しましたが、イギリス人は安んじて神と黄金とに兼ね仕えることが出来たのであります。かようにしてイギリスは国を挙げて営利に没頭し、其の経済的勢力を海外に扶植して行ったのであります。

 其の勢力圏の驚くべき拡大に伴い、民族としての自尊心と自信も次第に高まり、限りなき膨張的本能と、之に相応する発展的性質を養い上げて、ついに古代ローマ帝国以来、いまだ嘗て見ざる支配民族となったのであります。」(P88)

 マックス・ウェーバーにも勝る正確な英国社会の分析です。

 イギリスの狡猾なインド統治政策についても分析をしています。

「決して武力にのみ頼ってインドを征服したのではありません。辛辣なる権謀を用いて、インドをその単純なる人民から奪い取ったものであります。

 イギリスは回教徒とヒンズー教徒を反目させ、艦首と藩主と敵対させ、シャッツ人とラジープト人を戦わしめ、反目させました。彼らが無益な争闘に疲れ果てるに及んで、漁夫の利を占めてきたのであります。」’P139)

 中国に対する侵略も悪行の限りを行っていました。

「アヘン戦争はマルクスの言葉を借りて言えば「それを誘発した密輸入者どもの貪欲に適はしき残忍を以ってイギリス人が行えるもの」であります。

 大川周明は正確に米英帝国主義の「化けの皮」をはがしています。しかしなぜかアジアの国々は日本の味方になってはくれませんでした。

 米英帝国主義からのアジア諸国の解放。五族協和を掲げた戦争にあったにもかかわらずです。世界大戦を行う日本の戦争目的を以下のように定義しています。

「日本の掲げる東亜新秩序とは、決してスローガンではありませんね。それは東亜のすべての民族に取りて、その上なく真剣なる生活の問題と、切実なる課題とを表現せるものであります。

 其の問題または、課題は実に東洋最高の文化財に関するものであります。それゆえにわれらの大東亜戦は、単に資源獲得のための戦ではなく、経済的利益のための戦ではなく、実に東洋の最高なる精神的価値及び文化的価値のための戦であります。」(P160)

 という思いがありながら中国とは敵対していまうことを残念がっています。

「日本は自国の文化と支那に於いて脅かされるつつある東洋文化をすくうために、あらゆる努力を続けて戦っているにも拘らず、支那は起ってわれらとともに東洋を護り、亜細亜を滅ぼす勢力と戦わんとはせず、却って刃を我等に向け来たのであります。

 そして東洋の敵たる英米と手を握り、今尚ほ東洋をすくいつつある日本と戦い続けんとするのであります。」(P159)

「支那国民の多数は其の心のそこに於いて尚蒋政権を指導者と仰ぎ、日本の真意をわかろうともせず、却って日本に反抗しつつあることは、悲痛無限に存じます。」と嘆きました。

 敗戦までその状態は続き、敗戦後、戦後66年目の今日に於いても、中国政府は日本を敵視する政策をしております。

 やはり亜細亜の解放であるというのであれば、インドや中国、朝鮮などの指導者や学者との対話と議論、連携が必要であったと思います。

 ひるがえって今日の日本でも同じです。アメリカ以外にも亜細亜各国との真剣ね対話と共存が日本が生きるうえでも必要です。


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コメント

 しばやんさんコメントありがとうございます。わたしが大川周明の著作を読もうと思いましたのは、しばやんさんのブログにて、敗戦後GHQによって、大川の著作は焚書されたと知ったからです。

 それほどの危険人物なのかと個人的には興味がありました。感想文にも書きましたが、実に冷静な人物で、英語も堪能。しかも欧米事情に精通していた当時の第1級の日本の知識人でした。

 青少年の講話向きに書かれている著作で、表現こそ平易ですが、とても内容のある文章でした。

 彼から見ると白州次郎氏などは「ちんぴら」のようにしか思えません。

投稿: けんちゃん | 2011.05.14 14:45

私はまだこの本を読んでいませんが、随分しっかり読まれたのに驚きました。

この書物は終戦直後GHQで焚書処分にされ、個人や図書館の蔵書以外はその時にすべて没収されたたそうですが、よく図書館に残っていましたね。

当時のアメリカは、日本がどう出ようとも、日本と衝突して潰そうとしていたような気がしています。

アメリカが抑制力の乏しい国で、好んで戦争を仕掛けるのは昔も今も同じだと思います。

太平洋戦争は、日本が勝ち目のない戦争を自ら突き進んだのか、アメリカが日本の選択肢を狭めて戦争への道を選ばせたのか、その点の検証が必要だと思っています。

投稿: しばやん | 2011.05.13 22:15

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