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2011.05.18

「拒否できない日本」を読んで

Sekiokahideyukihon

 図書館で借りて読みました。「拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる」(関岡英之・著・文藝新書・2004年刊)は、その前に、「アメリカの日本改造計画」(イースト.プレス2006年刊のなかで、小林よしのり氏と関岡英之氏との対談があり、筆者の調査力と研究力に感心した事からでした。

 本では北京での建築家の会合から始まります。アメリカの建築学会と中国とが合意し,アメリカの仕様で中国の建築市場が開放されるという画期的な事件に筆者が遭遇するところから著作は始まります。この結果日本は巨大な中国の建築市場からほぼ締め出されることになったからです。

 関岡氏は慶応大学を卒業、東京銀行で証券部や北京視点等で14年間勤務し退職。早稲田大学大学院で建築を学んでいました。その経歴から冒頭の著述になりました。

「アメリカが自国のルールを「グローバル・スタンダード」と称して国際的な統一ルールに仕立て上げ、そのルールに踊らされた結果、日本が国際市場から撤退を余儀なくされる。
 
 どこかで聞いた話だ。銀行業界に長年身をおいた私にはすぐピンときた。

 これは金融でやられたのと同じ手口だ。」(P28)

 「アメリカと言う国は国際標準を制することの戦略的な重要性を知り尽くしている。」(P28)

「はやばやと布石を打っていく先見性、他の国を率いて目的を実現していく」(P32)

 WTOと言えば、日本では「米問題」に特化して語られるようです。しかしアメリカは「金融、情報通信、先端技術などの業界があげて駆け引きしている」のです。

 最近話題の「TPP]などもすべて「アメリカが有利になる通商協定」の公算が強いと思われますね。

 筆者はアメリカの手口に驚嘆し、呆れ、また日本の無為無策さを嘆いています。

「これまでわれわれは、世界第2位の経済大国という看板に慢心し、ただひたすらにアメリカに追随することだけで、大過なく過ごしてくることができたため、アメリカ以外の国々との連携や国際世論の多数派工作によってアメリカを牽制する、などといった発想に乏しかったのではないか」(P96)

 アメリカのあつかましさ、用意周到さはこんなことだけではないようです。

「日本の法改正や制度改革の決定プロセスには、アメリカの介入を許すメカニズムが存在しているのかもしれない。

 建築基準法の改正を提言した答申書を隅から隅まで読んでいても、アメリカ政府が介在していることなども、もちろんひとことも書かれていない。

 法改正のニュースを伝えた新聞報道でもいっさい触れられていない。

 当のアメリカ政府自身が公式文書で堂々と公表しているのだから。」(P50)

 それは「年次改革要望書」というものであります。著者が言うようにアメリカ大使館のホームページ(日本語版)にちゃんと掲載されています。

 アメリカ大使館 「年次改革要望書」 

 呆れる「親切さ」というか「おせっかい」ぶりです。

 2003年の宮沢政権時代にクリントン大統領から突きつけられ、政権が共和党に転換してもずっと日本社会をアメリカ企業が参入しやすいように「構造改革」するためにしてきたようでした。

 日本社会特有の「建設業界の談合」なども、「アメリカの指摘は、族議員、監督官庁、業界団体が三位一体となった不透明で腐敗した日本の構造問題を鋭くえぐりだして日本の消費者や国民の前に明らかにした」(P64)というが、

「アメリカ政府は日本の消費者の為に働くわけがない。」(P649であり、「アメリカ政府井は日本国民の利益を強調するが、実はアメリカの選挙民、スポンサー企業のビジネス。チャンスを拡大するため」(P66)に行っているのです。

「建前としては相互通行の対話という形を取っているものの、本音としては米国(政府だけではなく広義に、議会、産業、報道関係、世論まで含めて、できる限りの変革を(米国ではなく)日本が行うことを期待しているのであると明言している。(P67)

 関岡英之氏は「アメリカによる日本企業の破滅のシナリオ」をこう書いています。

1)時価会計主義導入による企業の破局へ追い込む

2)公正取引委員会による不正摘発(アメリカの支援策)

3)アメリカ型組織の導入(社外取締役など9

4)訴訟社会の推進

 「アングロサクソンの思考回路は、なんでも都合のよいように解釈し、常に自己を正当化しながら、”正義”の名の下に実力行使に及ぶことができる。」

 アフガンやイラク戦争はまさにその理屈で正義を振りかざし戦争を引き起こしました。

「おそらくその根拠には。アメリカ文明こそ、世界に広めるべき普遍的な価値があり、日本その他の非アメリカ文明は当然これを熱烈に学び、ありがたく享受するべきだという、宗教的といえる信念があるのだろう。(P185「厄介な隣人アメリカ」

 日本は独自性にもっと自信をもつべきであると言います。

「日本の法文化には、前近代的なで非合理な否定すべき面も確かにある。その一方で共生や協調といった、これからの地球に生きていくということで不可欠な叡智を先取している。

 アメリカ人はそういう目で日本をみようとしない。」(P186)

 引用が長くなりますが、大変大事なことを関岡英之氏は「あとがき」のなかで言われています。

「もし、「この国のかたち」を「法」という観点からあらためてみたらどうなるだろうか。その場合、「継承法と固有法」という法制史の考え方が参考になる。そのヒントを与えてくれたのは、山本七平の「日本的革命の哲学」(PHP研究所)という本である。

「ちなみに継承法とは外国から継承接受した法体系であるのに対し、固有法とは自国独自の倫理や慣習に則って編み出されたものをいう。

これを日本の歴史にあてはめてみると、古代の飛鳥・奈良・平安約600年間は、主として当時のグローバル・スタンダードであった中国の律令制度を導入した継承法の時代であった。

 一方、明治維新から現在に到るまでの百数十年間は連続して「欧米継承法の時代」とみることができる。そしてこのふたつの継承法の時代のはざまに、約700年の「固有法の時代」があった。」

「西暦1232年に鎌倉幕府の執権北条泰時は寛永式目(関東御成敗式目)を制定した。その頃、京の公家社会は中国から継承した律令体系で運営されていたが、貞永式目はそれをことさら参照することなく、当時辺境だった東国の武家社会の慣習を成文化したものだ。

 いわば日本固有の価値観に基づいて創られたものであった。そしてその後、鎌倉、室町から、安土・桃山、まで実に約400年間この国の基本法とした。」

「江戸時代は新たな国法として「武家諸法度」を制定したが、貞永式目はその後も徳川300年を通じて寺小屋の教本として命脈を保ち,庶民の心の秘奥に深く沈着した。」

「一方貞永式目の制定とほぼ同じ頃、日本の仏教界では大陸から招来した」旧仏教に飽き足らない想いを抱いていた法然、親鸞、道元などが独自の思想を模索して、やがて日本固有の鎌倉新仏教を誕生させた。

 当時の日本は決して世界から孤立していたわかではなかった。北条一族には、元に圧迫された宋の禅僧を三顧の礼をもって迎え入れる見識と開明性があった。」

「しかしこの時代の日本人は当時のグローバル・スタンダードを鵜呑みにせず、法にせよ、思想にせよ、自らにふさわしいものはなんなのかと、お自らにづさわしいものはなんなのかと、おのれの頭で必死で悩み考え抜いて、ついには他国に例のない独自の境地を切り開いたのだ。」

「この精神革命は日本人全体の創意にも大いなる刺激を与えた。自己の内面世界をひたすら凝視し続け、精神的探求を深め続けていった結果、やがて日本的個性が充満した、まごうかたなき固有の文化が開花した。

 世阿弥の能、利休や織部の茶、待庵や桂離宮などの建築、夢窓疎石や男小堀遠州の庭、光悦や光琳の書画工芸・・・。」


「中世から近世にかけての武家文化の時代は、左翼的進歩史観やも右翼的皇国史観からも否定的に評価されてきた。しかしこんにち海外の人々がその独自性に驚愕し、かけがえのない世界の至宝として賛辞を惜しまない「日本的なもの」がうみだされたのは、なべてこの固有法の時代に集中している。」

「ひろがえって、近代以降に日本が生み出したもので、世界遺産に匹敵しうるものを果たして幾つ挙げることができよう。現代に生きるわたしたちは、明治以降今日まで百数十年も続く欧米継受法の時代によって、かの輝ける時代から切り離されているのだ。かかる歴史の断層は、なにがゆえに生じたのか。」(P228)

そして関岡英之氏はこう最後に宣言します。

「欧米継受法の時代は近代化の方便として確かに一時期必要だった。しかしいまや右肩上がりの成長は終わり、わたしたちに富をもたらせた近代産業は、生産コストの安いアジアの国々に次々ととってかわられている。

 経済神話が色褪せてもなお、わたしたちが国際社会で生き残り、なおかつ敬意を払われる存在であるには、日本人にしか生み出せないものとは何か、日本のオリジナリティとユニークネスとは何なのかがますます問われるだろう。」

「これからのわたしたちに必要なのは、真の個性と創造力だ。そのために「内にこもれ」ということではない。

 「日本的なもの」を開花せしめる土壌となった日本固有の「法」を復興せせよ、あるいは武家文化の原理に回帰せよ、などと短絡するつもりはない。

 だからといってわたしたちを真の創造性に開眼せしめて源泉が、固有法の時代の日本人の精神、すなわち他者に囚われず、徹底的に自己と向き合い、内発的な価値に導かれながら、おのれの頭で考え続ける精神の営みであったという、わたしたち自身の歴史的経験をもっと思い出そうではないか。

 日本人自身の未来の為に、日本人自身の頭で考え、日本人同士で意見をぶつけ合う。その千載一遇の機会が、ついにいまめぐってきているのだ。」(P229「固有法時代の日本的なるもの」)

 わたしよりも8歳も年下の筆者に教わりました。その博識と知恵には敬意を表します。

 あらためて2004年当時MAD・アマノ氏が、当時の首相小泉純一郎を「アメリカの手先・売国奴」と茶化した本当の理由を始めて知ることができました。

 日本人はアメリカの洗脳が解けたときには、苦しい「禁断症状」が出るでしょう。でもその「毒素」を体のなかから抜け出せないと、独自の日本の文化も独自の日本の発展もありえないからです。
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