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2011.06.11

東日本大震災から3ヶ月が過ぎましたが・・

 2011年3月11日に巨大地震の東日本大震災が起きました。今日で3ヶ月目になりました。早いものです。しかし家屋や仕事場を失われた罹災者が何10万人と居られ、未だに数万員は収容所で生活されておられます。

 地震の当日はゴルフ好きの父のために会社を休んで、高知の土佐カントリークラブで開催されていました女子プロゴルフ選手権を観戦していました。観戦の1週間ぐらい前から、父は慢性腎不全が酷くなり、満足に歩けない状態でしたが、どうしても観戦したいという要望でしたので、観戦用の折たたみ椅子やら、OS1の脱水防止飲料水。着替えと父用の弁当も持参するので大きなリックを背負い行きました。

 当日前後から父の体調が悪くなりつつあり、慢性心不全が進行しつつありました。午後2時過ぎには「もうしんどい」というので、帰宅しました。それでよかったんです。午後3時半東日本大震災が発生。津波警報が直後に出て道路は封鎖されました。それより前に帰宅したから無事でした。

 それからテレビは連日連夜地震と津波の衝撃的な映像が流れました。同時進行するように父の病状も悪くなり、まともに歩けなくなりました。そして担当主治医の進めもあり、1ヵ月後の4月12日に高知医療センターへ父は入院しました。

 入院時はまともに歩くことも難しいほど、父の体はむくんでいました。車椅子で移動しました。91歳の年齢と慢性腎不全という病状から退院は無理かと思いました。毎日3回利尿剤の注射を打ち、痛ましいほどでした。

 それが1週間ほどすると、むくみが少しずつ取れだしてきました。食事もきちんと食べているのに、1日に1キロ体重が減りだしました。そして2週間ほどで、むくみがすべて取れて無事に退院できました。同時期おかしくなった原子力発電はいまだになんともなりません。

 父は原子力発電所に勝ちました。見事に生還しました。人間の体はたいしたものです。自然治癒力があるのです。
Fukusimagenoatuhigai

しかし大震災から3ヶ月経過しましたが、未だに9万人の人たちが避難所におられます。長期心酔地域は水が引きません。液状化の地域は復旧のめどもこれからです。深刻などは福島第1原子力発電所の原発災害は一向に収拾のめどは立っていません。

 海抜0メートルの海の近い地域に事務所も自宅もある生活。「3・11」以来不安はぬぐえない。津波と長期浸水の心配は他人事と思えないからです。でもいろんな偶然と幸運から、中山間部仁淀川町との交流事業がスタートし、6月5日に第1回目の「モニター疎開IN仁淀川町」が実施され、成功裏に行事は終了しました。でもなんの解決にもなってはいませんが、暗闇に一筋の光が差し込みました。

 この一筋の光をどう地域に手繰り寄せるのか。今後の課題です。最近でこそ「3・11」でつきつけられた課題の半分ぐらいは、なんとかなりそうだと思いました。くるべき南海地震への準備を少しづつ出来そうな気がしました。
Shimozishinsui1


1946年の昭和南海地震で、今居住している高知市二葉町地域は地盤が沈下。3ヶ月間は浸水した。今度来る地震の規模は大きいので、1年以上の長期浸水は避けられない。

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