ウォーター・フロントの恐怖
ウォーター・フロント再開発の「モデル」とされていたアメリカのボルティモア市のイナハーバー。下の写真はニューヨーク。ウォーターフロントは綺麗なスカイラインをビルがつくります。今は亡き世界貿易センタービルもありました。
1988年のバブル経済前後は都市再開発の手法として、湾岸地域、「ウォーターフロント」という海仁隣接した都市開発が注目されていました。
米国のサンフランシスコやサンジェイゴの西海岸地域や、ニューヨークやボストン、ボルティモアなどの東海岸地域の都市再開発手法として盛んに紹介され、事例研究がされていました。
日本にもほどなくその手法が輸入され、福岡県福岡市のシーサードや、神戸市の六甲アイランド、大阪市ベイエリア、千葉市の湾岸開発、横浜市のみなと未来21、東京お台場の再開発など、海近い低地の再開発が盛んになりました。
しかし「3・11」の東日本大震災による大津波と液状化の大被害により、海に近い湾岸地区は「危険である」ということになりました。
湾岸地域の地価が下落しています。しかし日本の人口の7割は海の近くに居住しています。東日本大震災は他人事ではありません。
高知市のウォーター.フロントである二葉町。今度の南海地震では水没するでしょう。(写真は1946年の昭和南海地震)
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