南海地震に関する講演会に行きました
高知駅前の「奇妙な施設」見学の後、会場の小津高校まで歩いて行きました。途中高知県警本部の巨大な建物がありました。高知城より大きな建物です。いくら自分たちの敷地であるといいましても周辺環境と調和しない建物を建築してはいけないですね。
県立小津高校。古い建物の保存運動が昔ありました。それでごく1部が残され新しい建物と合体してtくられています。
県立小津高校教室へ移動し「南海地震に関する講演会」へ行きました。主催は「南海地震を訊く(きく)会」です。司会は元RKCアナウンサーの渡辺護氏です。会場は満席状態でした。200人は来ていたと思います。
最初の講演は岡村真.高知大学教授は「東日本大震災の教訓と南海地震」です。
「わたしは陸上にある淡水池の底を掘削し、地質調査をしてきました。本来そこにあるはずのない海の砂が体積してあり、その厚さを測定すれば津波の規模がわかります。」
「その埋設物と古文書から津波の履歴と規模を想定できました。そして次に来る南海地震を予想することができます。間違いないのは100年周期の地震と300年周期の地震があることがわかりました。」
「1つの池でも調査は5年くらいかかります。そのなかでわかってきたことは1000年に1度の地震も想定外にしないことです。そのなかでも南海地震は規則正しく100年周期で起きています。
(高知市の市街地の標高は全域で海抜5メートル以下です。)
1605年の慶長、1707年の宝永、1854年の安政、1946年の昭和です。そして21世紀の前半に必ず南海地震は起きることでしょう。」
「南海地震が東海。東南海と連動して起きたら巨大地震になると地震学者が考えていた矢先に、東日本大震災が起こりました。M-9の巨大地震は想定できませんでした。地震学の敗北です。福島県はここ1000年では大きな地震はありませんでした。ノーマークでした。同じことは日向灘でも起きるかもしれません。それも想定した地震対策が今後は必要です。」
「今回の地震の犠牲者の95%は津波の被害。家の倒壊で亡くなった人は少数。
経験者であれば経験に縛られることが怖い。津波は家が立っている標高で生死が分かれます。」
「また今の時代は下水管などで排水しているので、地盤が沈下し、長期浸水している地域は復旧が難しい。高知であれば地盤沈下が2メートルになるのでより一層難しいだろう、」
「高知には3400年の間に14回津波が来ているのです。それなりの対策をしないといけません。古い歴史の出来事にも関心を持ってください」とのことでした。大変わかりやすい解説でした。いかに高知市市街地は危険であるのかを改めて感じました。
続いて、元高知地方気象台防災業務課長であられた間城龍男さんの講演を聴きました。
間城氏は今年90歳の高齢の人ですが、理路整然として地震の説明をしていただきました。現場の気象台の観測者の立場からの地震研究だけに迫力がありました。
「昭和の南海地震は高知県の主たる震度は5になっている。それは当時は地震計の数が少なく、しかも高知市では地盤の固い高知城二の丸に設置してあったからです。
現在の高知県下の沿岸部の市街地は、田畑や沼地を埋め立てた軟弱地盤である。ですので震度は7であることを皆覚悟しておく必要があります。」
「震度7といえば。地面が山となって揺れ、大海が波が打つように揺れる。よつんばでなんかにすがりつかないとおれない強い揺れ」のようです。」
「さらに大きな地割れが起こり、それが5メートル四方ぐらい、これではどんな耐震構造の家でも耐えられない。
間城氏の説明では、宝永地震(1707年)は安政地震(1854年)の南海地震は、昭和南海地震(1946年)よりはるかに規模が大きく、津波の被害も甚大であったといいます。
宝永地震では高知市の現在の市街地にあたるところはすべて津波で浸水しています。
夜須や香南市、南国市、安芸市、奈半利町でも沿岸部は大きな罹災しています。
著書「南海地震」のあとがきにこう書かれています。
「宝永や安政南海地震は、大地震とともに大音響(大きな地鳴りや家屋の倒壊、山崩れ)があったために、多くの人々は恐怖に震え茫然自失の状態、現代のいう頭の中が真っ白になったという有様で思考力を失っていた。」
その状態の中での避難誘導を落ち着いてしないといけないと間城氏は言います。何が起きても対応できるように過去の大地震を知り頭に入れておかないといけないと。
「初動の震度が3や4のやや強い地震を感じると南海地震の発生と考え素早く行動を起こせば、緊急地震速報と同様の効果が得られるだろう」と。
気象庁退職後も30年間南海地震の研究をされてこられました。大変参考になりました
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