9月最後のはりまや橋サロン
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
自分に少しでも文学的な才能があればいいのになと思います。文章を書くことはいくらでも書けます。精神的に落ち込んでいる上体でなければ文章を書くことは苦痛ではありません。
特にワープロが登場し、それがパソコンに組み込まれ、インターネットの発達で簡単にホームページやブログで文章を公表できるようになったからが、より楽しい人生であると思いますね。知らない人がみていただいているということは、とても緊張感があり、わくわくしますから。
中学時代は謄写版(ガリ版9の時代。鉄筆というのがあり、労を塗りこんだ升目の謄写版原紙に文章を書き、謄写版のローラーで印刷する。中学時代は「平和新聞」という謄写版刷りの新聞を週間で発行していました。
高校時代はサッカーをやりながら、高校生の反戦運動もやっていました。両立が出来ずサッカー部を泣く泣く退部。社会運動に打ち込みました。ビラを刷り校門前で配布していました。新聞部にも入りましたが、わたしが編集長時代は1回も発刊できませんでした。実に情けない時代でした。
大学時代も新聞サークルに入りましたが、大学当局により非団体扱いに。サークル費用がなくなり廃刊になりました。社会人時代は仕事が面白く文章はあまり書きませんでした。それから「子育ても終り、中高年になったからブログと出会い日々の出来事や、感想を書きまくっています。
自分を相対化するためにも文章を書くことは面白いと思います。いつか本でも出版が出来るようならしてみたい。それも夢のまた夢ですね。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
9月29日は窪川ー中村方面の秋の四国巡業が始まりました。中村の帰りに窪川へ来た時にランチタイムに。昼飯をコンビニのおにぎりにし(1個105円)倹約しました。おむすびをかじりながら、昼休みの時間帯に、打井川にある海洋堂ホビー館へ行きました。
窪川から20キロ程度。国道381号線。昔に比べると格段に道路改良されています。早く移動できます。
途中打井川という表示が出て曲がり橋をわたります。そこへあと5キロという看板がでています。途中狭い道もあり、「さすが高知」と思う道路が出てきます。
そして到着しました。かつての小学校の廃校跡を改造し、活用して海洋堂ホビー館はあります。全景です。
建物を外からみた風景です。
異空間の出現ですね。これはいい施設です。気に入りました。
なんとも懐かしい取り合わせです。山の中、森林のなかにいます。子供の頃林間学校がありました。そこへ来たような雰囲気でした。40年ぐらい前でした。その頃は小学校があったぐらいですので、地方の暮らしがあったんですね。山が豊かな時代でした、どんな山奥にも学校があったので、日本はなかなかたいした国ですよ。
正直驚きました。生活の痕跡がありますから。
創立100周年の記念碑もありました。屋外にもフィギアの作品があり見ているだけで楽しいです。
入館料は800円。高いと思いません、なんせ展示してある「作品」の数が物凄い。ガラスケースのなかに入っている小さな作品もあれば、大きなものまで展示されています。見ていて飽きません。
入るとまずケンシローが出迎えてくれます。
平日でしたが20人ぐらいが館内をうろうろしているようでした。
仕事の合間でしたので、30分程度しか見れませんでした。じつくり見れば1日はかかりますね。いい施設ができました。自分らは「プラモデル世代」だから、戦闘機や戦車も懐かしい。
しかしホビー館の恐竜たちは、森林風景にもなじみますね。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
福島第1原子力発電所の事態の収拾はできるのでしょうか?とりあえずは小康状態ではありますが、どうなることでしょう。事故の原因も十分に調査されているとは言えない状態で、休止していた他の地域の原子力発電所を再稼動させようとしています。本当に大丈夫なのでしょうか?
原子力安全保安院も原子力安全委員会も全然信用できませんね。テレビでよく見る原子力学者も言うことは全然信用できません。福島の現場へも駆けつけない原子力学者は偽者でしょう。安全であるというのなら福島で住まないといけないでしょうに。だれも実行しませんね。おかしい。
原子力関係の専門官庁や学者の権威が失墜し、国民はだれも信用しません。だから岩手の松を京都の大文字焼きに使用しようとしたら「放射能が心配だ」と使用ができませんでした。福岡の市民グループが福島の産物展をしようとしたらこれも「放射能が心配」との声でやむなく中止になりました。はなはだしいのは福島の花火というだけで、打ち上げが出来ませんでした。
事実を隠匿し、虚偽の弁明ばかりしてきたからこうなってんです。原発が立地している自治体だけが賛同し、原子力発電は推進されるのでしょうか?このままでは国論が分裂するので、慎重な対応が必要ですね。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
「若き友よ」(五木寛之・著・玄冬舎刊・1995年刊)を図書館で借りて読みました。随筆集ですが、五木氏が1988年頃から「旅行読売」に連載執筆されていたものを編集し、加筆された本でした。
昭和7年生まれの五木寛之氏ですので、当時は60代前半の年齢。お元気であった頃ですね。自分より若い人たちへの呼びかけ文章になっています。
「若さとは、元気ハツラツとして、はじけるように快活な姿だとも考えません。
青春という時期は、ある意味では、どうしようもなくみすぼらしい、残酷な季節ではないかと、昔からひそかに感じていました。ですから、ぼくは<凄春(せいしゅん>という字を勝手に使ったりもします。
確かにそう言われて見ればそうですね。わたしの場合にもあてはまります。1番元気な高校生の頃は、なんだか精神的に惨めでした。40年前の1971年4月28日に、初めてヘルメットを被りデモ行進しました。その後は仲間内の分裂、と対立。随分ののしられました。結局高校を卒業できなくなり、進路に悩んでいた時に起きたのが、連合赤軍事件。学業を怠り打ち込んでいたことが全否定されましたから・・。
「人間というやつは、かつて1度読んだことのある本を、二度あらためて読み返すことは、なかなかしないものなのです。
読んだ、という事実があるだけにそうなのです。ですから早熟な中学生が名作といわれる小説を何冊も読破してしまうと、大人になってから特別な機会でもなければ、さらにもう1度じっくり読み返したりしないことが多いんですね。
しかし、小説も土地も人間も、こちらの成熟度や精神的な幅の変化によって、それぞれにいろんな顔を見せてくれるのです。十代にしか感じられないもの。
それはたしかにあります。二十代はともかく、四十代、五十代になってしまうと心が震えるような情感やセンチメントを、なかなか味わうことができません。
しかし失ったぶんだけまた見えてくるものもあるのです。つまり古典を含めて、すべての作品はいくつもの多様な面をもっている。といっていいでしょう。
そしてうんと若い時期に出会った作品を、中年期に、さらに老年になってもう1度読み返すことは、とても大事なことなんですね。」(P166 「一度読む本は三度読む」)
最近ドストエススキーの「罪と罰」を図書館で借りて読みました。たいてい青少年時代に読破されているんでしょうが、私は、中高年親父になってようやく読めました。若い頃は社会運動に熱中していて精神的な余裕がまるでありませんでしたから。
そのほか、五木氏は鈴鹿のF1レースや、オートバイ耐久レース、ロック音楽についても言及し、若い人たちと共通の目線で対話しています。心が若いなと感心しました。
決して若い時代の自慢をしなくて、若い人からも学ぼうとする貪欲な姿勢に感動しました。さすがだなと感心しました。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
残念ながら週刊現代10月8日号は読むに値する記事はありませんでした。父が愛読している週刊現代。クイズを解いて募集するのが頭の体操。それが目的で今朝も早朝散歩がてらコンビニへ買出しに行きました。
彼岸も過ぎて涼しくなっているのに、たいした記事は皆無。「野良犬メディア」らしくはない。面白い記事がないのです。ひろころの原発利権共同体を告発する記事は皆無ではないか。父の要望がなければ、わざわざ買いませんねこれでは。
記事内容一覧も面白くない記事ばかり。いよいよこれでは「野良犬メデァ」も終わりですね。
全国民必読】〈新聞・テレビはビビッて報じない〉どじょう野田を操る「本当の総理」勝栄二郎の正体
〈あっという間に、どじょう鍋にされたノダ〉「霞が関の大魔王」勝栄二郎 危険極まりなし
金はまだ買い、投信はすぐ売れ
大王製紙ボンボン「80億円豪遊」そして出てきた「創価学会」
【スーパーワイド】それぞれの思秋期
・ついに登場!「野田夫人」って、どーよ
・「ダルビッシュと和田」がいなくなるなんて
・橋下は勝てるのか 吉本より面白い「大阪市長選」
・哀愁の「新小岩駅」に血の雨が降るのだ
・小向美奈子「初めてのAV」鑑賞会
・クレディ・スイス証券元部長「巨額脱税事件」の真相
【徹底追及第4弾 ぶち抜き14ページ】「なんでも暴力団」島田紳助
主な記事の内容を並べてみましたが、論評に値する記事は皆無でした。「野良犬メディア」は衰弱したのではないでしょうか。この先々が心配ですね。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
突然ある日管理職から呼ばれ「解雇する」といわれた人がたくさんいるようです。それも何の前触れもなく、管理者から素行を注意されたり、勤務態度を注意されたりせずに、いきなり解雇という事例を最近よく聞きます。
それがいわゆる札付きの「ブラック企業」ではありません。名前を聞けば、よく名前を知っている企業です。驚きました。そして腹は立ちました。なぜそのような不当労働行為がまかり通るのか。なぜ労働舎の生活をいきなり奪うのか?経営者は経営責任を感じないのか。そう思います。
解雇する側に何の罪の意識も躊躇もないことが問題です。解雇される側は寝耳に水。本当に驚くばかりです。解雇されたら、たちまち生活に困窮します。多くの人たちは生活に追われ戦う意欲もありません。酷いものです。最近こういう事例が多く聞こえてきます。
残業代を何年間も支払っていない企業も多いようです。一時に「名ばかり管理職」が問題になりました。有名フードサービス会社や有名コンビニでありました。社員なら残業手当てが必要ですが、管理職になれば残業代がいらないからです。それで過剰な労働が強いられ、なかには過労死する人も出てきます。実際に急逝された人もおられました。
せちがらい世の中です。ただいえることは「ブラック企業」には将来はないと言えます。簡単に労働者の人生と人格を傷つけ、奪う経営者に未来ありません。酷い事例をいくつか聞きますと、本当にそう思います。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
作家五木寛之氏のエッセイ「若き友よ」(幻冬舎・1995年刊)を図書館で借りて読みました。
そのなかで五木氏はこう述べています。
「神社はむかしもいまも、ずっとカワラを使っていません。
寺でも。日野の法界寺の阿弥陀堂はカワラではなく、檜皮ぶきです。ぼくはあの阿弥陀堂のゆるやかに先のほうに反り返った屋根の曲線が大好きです。直線を組み合わせた裳階(もこし)と呼ぶひさしも美しい。
日本人には、石やカワラよりも、植物を使った建築のほうに心を惹かれる傾向があるでしょ
うか。」(P64)とあります。
靖国神社は屋根に瓦を使用しています。神社が瓦屋根を全然使っていないということではないとは思います。でも全体的には瓦を使っていない傾向であることは確かですね。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
今回の行事名は「第2回ACCESS DINGHY ハンドINハンド高知大会」と言います。高知県香南市夜須町のYASU海の駅クラブ・ビーチと沖合いの海面で開催されました。障害者・健常者・小学生から高齢者まで40人が参加しました。
13人の障害を持たれた皆さんもそれぞれ。知的障害、統合失調症、脳性まひ、発達障害、左半身麻痺、高次脳機能障害、精神障害の皆さん方がヨットレースに参加されました。
アクセス・ディンギーというヨットですが、オーストラリアで開発され、全くヨットの操船経験がなくても、障害をお持ちでも、座った状態で、片手でヨットがコントロール出来まして、安全に操船ができます。優れものです。ユニバーサル・デザインのヨットです。
それは重たいセンターボードがノウハウです。私などが乗っているディンギー(シーホッパー2ですが。センターボードは丈夫に出来ていますが、10㎏もありません。片手で持ち上げられます。(沈した場合はセンターボートの上に乗ってヨットを起こすからです。
アクセス・ディンギーの場合は、1人乗りでセンターボード20kg、2人乗りタイプでは30㎏もあります。
だから沈しないのです。普通のディンギーはバランスを自分の身体でしないといけません。バランスが悪くなるとすぐに沈(転覆)します。アクセス・ディンギーは沈をしないので誰でも安全に安心してセーリングが楽しめるのです。
今朝は7時に出発。8時前には夜須へ着いていました。
サポート・メンバーにてアクセス・ディンギーのぎ装をしています。普通のヨットより遥かに簡単です。
開会式です。40人が参加しました。岡山からの参加者もありました。
開会式が終わりますと、参加者はライフジャケットを着用します。サポート・メンバーも手伝います。
なにが大変かと言いますと、桟橋スタートではなく、ビーチスタートなのでアクセス・ディンギーの出艇と着艇が大変なんです。特に障害をもたれている人の場合は、ご本人をヨットに乗せ、大勢で担ぎ、海へ出ます。海ではセンターボートが重い(20㎏~30kg)ですのでその出入りも大変なんです。
海ではレースが行なわれました。今日は私がセーリングした23日http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-d757.htmlとは異なり、風が弱く参加者は苦労していました。
昼食は夜須と香我美町の人たちがこしらええていただきました。焼きそば、おむすび、トン汁などを食べました。
午後からもレースがありヨットを陸揚げし、水洗して片付けました。
そして表彰式が行なわれました。参加者には地元の産物を中心とした景品が供与されました。
日本でアクセス・ディンギーの普及活動をされている西さんが挨拶されました。
また偶然ですが、高知県知事の尾崎正直さんがカヌーへ乗っていました。記念撮影とか。YASU海の駅クラブ会員でもあります。
10月2日から山口県で開催される国体へ参加される選手のヨットの点検と積み込みが行なわれていました。
今日はヨットの出入りのサポートでしたので、1日海のなかにいました。結構ハードでした。ええ運動しました。
本当に海はバリヤフリーです。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (1)
今日は父を連れて主治医のところへ。「随分症状は改善されました。来週から週に2回の通院でいいですよ。」と言われました。ひところは毎日通院し、それが1日おきに成り、週3日になっていましたから。改善してきたのです。
主治医の診断は良好でしたので、父の趣味のゴルフ打ち放し場へ行きました。
なんと今までなかった「女性・高齢者専用打席」があるではないか。シルバー・シートなのか。安心して撃つことができます。」父は92歳で立派な高齢者ですので。
帰りに県庁前の電気ビル。解体工事をするので、ビル全体をパネルで覆い尽くしていました。
カメラのキタムラ・高知堺町店。「スマート・フォン販売中」とか。カメラ屋が携帯電話まで売る時代なんですね。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
一体いつから自分のヨットに乗っていないのだろう。台風15号が夏を連れて行ったので、秋の雰囲気ではありませんか。自分の艇を出したのは7月16日以来です。1ヵ月半のご無沙汰ですよ。こんなにヨットへ乗らなかったのも最近は記憶にない。どうりで調子が悪かったはずです。
今日は快晴。8時には夜須のハーバーに着いていました。用事を済ませてから、ぎ装開始です。
北西の風が結構強い。冬の風のようです。
今日は学生のヨットは1艇も出ていません。そのかわり社会人セーラーがぼちぼち現れました。
シニア・ヨットクラブのWさんが来ました。一緒にセーリングをしました。
予想以上に風が強かったので、海上のセーリング中の写真はありません。
セーリングは午前中の2時間でおしまい。常時フルハイク状態であったので、腕と、腹筋と背筋がぱんぱんに。ランチは訪のおむずびと玉子焼きにしました。
カヌーをしていた子供たちが片づけをしていました。
ランチのあとはヨットの片付けです。丹念に水洗いをして乾燥させます。海水漬かった備品は水洗しないと次回は使えないかもしれないからです。
セールもきちんとたたんで片付けます。
コンクリートのスロープは台風15号で打ち上げられた小石が散乱。日曜日には障害者の人も参加される、アクセス・ディンギー大会があるので、掃除をしました。
ご夫婦でシーマーチンで優雅にセーリングされています。いいですね。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
「科学者寺田虎彦」(宇田道隆 編・著・NHKブックス)を読みました。昭和50年(1975年)の出版ですので36年前の著作本です。
科学者であり文学者であった寺田虎彦氏。夏目漱石の門下であり、物理を東京大学で教えていたらしいという程度の知識。あるいは@災害は忘れた頃にやってくる、」でしたか、そんな格言に出てくる人。そんな印象でした。
主に、寺田虎彦氏に授業を受けて影響を受けた科学者や研究室で指導を受けた科学者、弟子である教授からの指導から見る寺田虎彦像が多くの学者から語られるいる本でした。
物理学にはまったく無縁ですので、ほとんど理解はできない私ですが、防災問題に対してだけは関心があります。地震が物理学の範疇であったことも初めて知りました。
ここで「防災科学について」という項目の中で、こう書かれた記述がありました。
「先生の論文そして随筆において、台風や地震などの災害について書かれたものはかなりある。災害が起こったとき自身調査に行かれた所見などを含め、それぞれにその時代に適応した防災対策と防災科学の推進を述べておられるが、そのうちで昭和9年9月に関西地方に大風水害を起こした室戸台風の直後に書かれた「天災と国防」は、この方面の代表的と見られる一文と思われる。
この報文においては先生は、日本は古来台風や豪雨や地震に見まわれ、そのたびに大きな被害を受けて来た国であるが、近年に文化が進むに従って、その災害が増加にあること。そして平成からそれに対する防御策が一向にはかどっていない原因は”そういう天災が極めて稀にしか起こらないので、丁度人間が前車の顛覆を忘れた頃。後者を引き出すようになるからであろう”と延べ、更に"被災者の状況を見ると古い村家が存外平気なのに、新開地の新式家屋がひどく破壊されている”ことに注意を向けられ、終わりに”日本のような国では、科学的国防の常備軍とおうべきものを設け,天然の敵から国を護るべきである”と書いておられる・」(P23 「防災科学について」)
77年前に寺田虎彦氏の指摘した現実が、全く今の防災対策に活用されていないと、いまさらながらに思いました。なんとも嘆かわしい現実であります。
南海地震が襲来すれば、海の底に沈む高知市二葉町。役所関係者の意識の低さ、「危機感のなさ」「他人事の発言」に腹を立てながらも、なんかと事態を打開するために粘り強く各方面に働きかけて行きたいと思います。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
以前に「都市開発を考える」(大野輝之・レイコ・ハベ・エバンス・著・岩波新書)を読みました。193ページに「住民参加の梯子8段階」という図式が表示されています。
米国の社会学者シュリーアーンスティンが考案したそうです。「住民の参加とは住民に目標を達成することのできる権力を与えることだという。
「最上段の住民権力が最強で、住民がコントロールを握って果たし得る状態である。反対に、最下段は都市づくりに対する彼らの目標を果たす権力は何一つ与えられていない状態である。
権力者たちが世論操作の1部として、意味を曲解したまま「住民参加」という言葉を利用している状態がこれである。ここで使われる「住民参加」とは、たとえば、すでに権力側が決定した事項を黙認するだけの役割しかない形ばかりの諮問委員会に、住民を任命することである。」(P194)
最下段の「市民参加」といえば、全国各地の原子力発電関係の公開ヒアリングなど。「やらせ」が暴露されています。
先日も元役所のOBの人と話す機会がありました。そしたら、「お前さんは言いたいことを言うので高知県庁にも高知市役所にも嫌われているらしいな。」とのこと。
その人が言うには「1市民に役人は正論を言ってもらいたくないからだ。正論は東京の学識経験者が言うのであって市民ごときが言うべきものではないという意識が役人にはあるからよ。」と。極論でしょうが当たらずとも遠からずでしょう。
自分は名乗らずにあれこれ個人情報を聞き出そうとして、責任をとろうとしない役人は大嫌いです。私は役人と応対する場合は必ず部署とフルネームを聞き出します。そうしませんと後で大変な目に会います。それをいちいち「組織の人間」に対してするから組織からは嫌われるのでしょう。
でもそれは当たり前のこと。市民の人のよさにつけこんで「組織」の人たちは不作為を繰り返して来たのです。だから高知は低迷しているのですから。市民の皆さんも「お人よし」は市民同士ですべきであって、役人(市町村はまだましだが、県庁や国の職員に対しては)には警戒が必要であると思いますね。
行政職員は安直に「市民との協働」と言う言葉を使用しますが、市民参加の意味が全然理解できていません。また「形式的な」ワークショップを多用する態度も見られます。
代議民主制度の代表である地方議会議員も無関心な人が多い。「直接民主主義」が自分たちの権益を犯されていると勘違いする議員もなかにはいました。「市民参加」の本質を理解することなく、行政改革だけを叫んでみたところで無意味です。
今後も言うべきことはどんどん言います。卑屈に生きても仕方がありません。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
よく「お金のかからない政治」を標榜する人たちがいます。でも政治活動をするためには、お金はかかります。それを全否定することはできません。
以前知り合いの市会議員がこう嘆いていました。
「毎年忘年会が100回、新年会が50回あります。1日3度くらいかさなることも。支援していただいた団体や、組合、町内会なので欠席はできない。」
「少しの時間だけしか出れなくても招待を受ければ会費は支払います。それ以外に冠婚葬祭があります。それらの出費を考えますととても議員採否では足りません。」
「選挙は銀行から借金してやります。」と聞いたことがあります。その議員は保守系無所属。労組や宗教団体まるがかえの政党公認候補は「楽でいい」「きれい事を言えるから」と言っておりましたね。
でもそれは「組織の奴隷」「組織の使い走り」にすぎません。支援する組織の力で当選すれば、組織への奉仕活動が第一となり、市民全体への貢献は何も出来ません。
また中選挙区時代でしたが、ある知り合いの衆議院議員が宴席でこう話されていました。
「田舎の人たちは、良い話や講演会をただで来てくれることはありません。必ず宴会をセットしないといけません。それも選挙が近づくと、自分たちで宴席を設け、タクシーを使いその請求を後援会事務所へ送りつけて来ます。その支払いは莫大なものです。」
「選挙運動中も畑で作業をされている人に握手作戦をします。必ずお札を握っています。あるとき帰り際に怒っている人もいます。それは対立候補者より金額が少ないと言っているのです。」
「選挙も終盤戦になると裏事務所に、50人は票は確実だから50万円よこせといってくる人たちがいます。ブラックな関係の人たちが多いのですが、確実な票なのでたまに利用しました。」
えぐい話の連続でした。その衆議院議員はそこそこ活躍していましたが、選挙で2回連続で落選し、最後は自殺されました。痛ましいことです。
明治時代の制限選挙時代には、買収供応はなかったと聞いています。当時は多額納税者にしか投票権も被選挙権もありませんでした。地主や大商人しか選挙に参加できませんでした。最初からお金持ちですから、買収する必要がなくクリーンだったのです。
普通選挙の時代になると、お金持ちでも、貧乏人でも1票です。自分の票をお金で売っても良いという人が現れますし、売買が成立するでしょう。税金を支払っていない成人でも日本人で住所が確定しておれば投票権がありますから。
「 選挙活動は、生徒会や大学自治会選挙とは違います。」
生徒会や自治会の選挙には立候補し、当選したり、落選したりしました。でもそれには資金は要りませんでした。当時政策があったかどうか記憶にありませんが、何らかの提案をし、多数決で支持されるか、されないかでしたから。
実際の日本の選挙は異なります。「地盤」「看板」「かばん(資金)のない候補者は、国政でも地方議会選挙でも泡沫候補です。法定得票数に達せず、供託金は没収されます。
選挙制度が改正され、供託金を支払えば、選挙管理委員会が掲示板にすべて候補者のポスターを貼ってくれるとか。供託金の枠内でしか選挙運動をしてはいけないとか、厳密にやればいいのに実際はそうではありません。
政党の候補者は、政党のポスターに候補者の顔写真と名前入の掲示が公然とできるからです。無所属候補はまずそれはできません。
ブログやホームページでの選挙運動も現状では禁止されています。でも政党のWEB歳とは野放状態です無名の。無所属候補が当選できる環境ではありません。
考えてもみてください。個人で何枚毎年年賀状を書きますか。多くて200枚程度でしょうか。その出した200人が、自分が選挙に出たとして全員が入れてくれるわけではありません。
高知市議会議員でも当選するのには、2500票が必要です。高知市選挙区の県会議員になると5000票は必要です。高知市長なら7万票。高知県知事なら20万票は必要。小選挙区の衆議院議員では4万票くらいは必要です。
その票数の人たちに候補者の名前を投票日に書いていただかないと当選できません。物凄く大変でエネルギーがかかります。知名度のない市井の市民の当選は市議会議員でもほぼ不可能です。
結局家族や友人以外の人たちにお世話にならないといけません。事務所を借ります。電話を引きます。事務員を雇用します。体裁と整えるのにお金がどんどん出て行きます。
印刷物をつくります。それを郵送します。電話をかけます。想像しただけで物凄くお金がかかります。
ではだれがそのお金を負担しますか?。大企業や労働組合の支援する候補者は、支援者が休暇をとって、交代で事務所へ出向してきて、スタッフを「ボランティア」でやってくれます。ポスター貼りも組織を使えば地区割りしてすぐに出来ます。
組織のない無所属候補者は自分や友人家族で手分けして貼るか、運送業者に委託契約して貼ってもらいます。ここでもコストがかります。
結局金権腐敗選挙が撲滅できないのは、現行制度では選挙にコストがかかりすぎるし、費用を大企業や労働組合や政党組織が支払っているので、その意向を受けた議員が大変ですので、国民の意向とはことなる政治を行なうのです。
ではどうすればいいのか?国民が出資し、政治家を育てることでしょう。スポーツクラブでも毎月5000円、年間6万円の年会費は払います。
1人年間6万円の会費を集めれば、100人で600万円。1000人で6000万円です。1000人の出資者を集めることに成功すれば、市議会議員選挙には出馬できるでしょう。政治活動はできて、選挙活動も可能でしょう。
その個人献金だけで選挙はすべきであり、一切の企業献金、団体献金、外国人からの献金は禁止すべきでしょう。1人が1口が限度。複数口の献金は違反とします。政党交付金が必要かどうかは議論すべきでしょう。
当然貴重な身銭を出すのですから、報告集会や、地域としての要求や、質問があり、それにたいして政治家は真摯に回答しないと個人の献金者が減少します。とりあえずこんなことが可能かどうかはわかりませんが、自分の金を出して、政治家を育てるきもちがなければ、本当の政治改革はできないでしょう。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
のろのろ台風15号です。沖縄付近で1回転したりして停滞していました。ずっと975HPでたいしたことはないとも首って印したが、今しがた気象庁の台風情報を見ると950HPに発達していました。これは大変と急遽倉庫の台風対策をしました。
鉢の植木を倉庫へいれました。倉庫のシャッターも飛ばないように、ブロックで押さえ込みました。
台風第15号 (ロウキー)
平成23年09月20日15時45分 発表
<20日15時の実況>
大きさ -
強さ 強い
存在地域 種子島の南東約190km
中心位置 北緯 29度20分(29.3度)
東経 132度20分(132.3度)
進行方向、速さ 北東 15km/h(7kt)
中心気圧 950hPa
中心付近の最大風速 40m/s(80kt)
最大瞬間風速 60m/s(115kt)
25m/s以上の暴風域 全域 110km(60NM)
15m/s以上の強風域 南東側 520km(280NM)
北西側 370km(200NM)
暴風雨警報が出れば、仕事は休止状態にします。15メートル以上の風が吹けば自動車の走行も危ないですから。
しかし明日は産業振興センターで朝の9時からITセミナーがあります。たぶんそのころまでには通り抜けるとは思いますが・・・、
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
家内が8月に沖縄の実家に10日間行っておりました。それは誰も住まない実家を売却することになり、義母の遺品の整理などもありました。
義母の家から遺品である人形をいくつかもらってきました
1997年に亡くなった義母。1987年に亡くなった父の供養をする傍ら、サークルで人形をこしらえていたようです。人形は紙粘土。着色も自分でして、洋服もこしらえていたそうです。
狭いうちの自宅ではすべてが展示できないのがとても残念。私も家内も全くこうしたアートナ部分には才覚がありません。隔世遺伝で娘に伝わったかもしれません。
義母が生前に、まだ小さな娘と一緒に紙粘土で人形を共同制作してましたから。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
高知市の下知市民図書館が、9月から建て替えのためにすぐ前の民間施設へ移転します。そのため9月1日から20までが休館に。8月の終わりに借り入れ限度の10冊の本を借りてきました。
ジャンルもばらばら。思いつくままです。「若き友よ」(五木寛之・著)「ぼくの血となり肉となった500冊 そして血にも肉にもならなかった100冊」(立花隆・著)「科学者 寺田虎彦」(宇田道隆・編著)「ワールドカップ伝説2010 日本代表編」(ベースボールマガジン・刊)「とっさの機転」(逢沢明・著)「知識ゼロからの現代史入門」(青木裕司・著)「南海の翼」(天野純希・著)「戦国を終らせた女たち」(童門冬二.著)「山内容堂」(平尾道雄・著)「山内容堂のすべて」(山本大・編)でした。
歴史関係が5冊、随筆集が3冊、ハウツー本が1冊、スポーツ関係が1冊です。全体的に「軽い」本ばかりです。わたしの知的水準はその程度です。
なんせ8月は台風と雨と家内の長期旅行で海でのセーリングが出来ず、9月も台風の影響で全くセーリングが出来ません。2ヶ月間も海で遊んでいません。異常な事態です。
それで図書館で借りてきた本をすべて読破しました。「晴耕雨読」で「雨読」ばかりでしたから。テレビを見なくなった影響も大きいですね。
「若き友よ」(五木寛之・著)は、作家五木寛之氏が、若い人たちに書かれた手紙集ですね。音楽、オートバイレース、仕事など若い人たちとの対話を懸命にしている姿勢に好感が持てます。「上から目線」ではありませんでしたから。
「ぼくの血となり肉となった500冊 そして血にも肉にもならなかった100冊」(立花隆・著)は、評論家立花隆氏の知的な背景を知る手がかりの読書遍歴書です。人文科学に留まらず、社会科学や自然科学書、警察や裁判所の記録の収集など徹底した調査の証です。かつて作家の司馬遼太郎氏も、徹底した歴史書や郷土史の調査をされて、蔵書も凄いと思いました。立花氏の知的領域(守備範囲)の広さには驚嘆です。
「科学者 寺田虎彦」(宇田道隆・編著)は、寺田虎彦の研究室の弟子や孫弟子たちが思い出を語るという編集本。皆物理学者なので、文科系の私には理解不能な内容がありましたが、地震や災害に対する記述には共感を覚えたものでした。
「ワールドカップ伝説2010 日本代表編」(ベースボールマガジン・刊)は、昨年のワールドカップ南アフリカ大会の記録写真集です。わずか1年前の出来事ですが、見ていて選手も変わったので、遠い昔の出来事のようにも思います。
「とっさの機転」(逢沢明・著)はハウツー本。社会生活でよくある追い込まれた時の「とっさの一言集」。あまり参考にはなりませんでした。
「知識ゼロからの現代史入門」(青木裕司・著)は予備校の講師の人の著作です。現代史がわからないと時事問題がわからないから、金融や経済、情報系の会社へ就職を目指す若者には必見本とか。現代史ではやはり池上彰さんのほうがわかりやすいですね。
「南海の翼」(天野純希・著)は、戦国時代末期の四国の覇者となった長宗我部元親の栄光と挫折の物語。隠密活動をしていた部下の観点から描いている視点が特異でした。
「戦国を終らせた女たち」(童門冬二.著)は、今年の大河ドラマ「江」と重なっているので読みやすい歴史小説でした。織田信長が提唱した「あゆちの風」を皆が意識するという設定はある程度説得力をもっていました。
「山内容堂」(平尾道雄・著)「山内容堂のすべて」(山本大・編)の2冊は、江戸時代末期の土佐藩藩主山内豊信(謹慎中に容堂と名乗る)の物語。一地方の田舎の藩主でありながら幕政に口出しし、大政奉還を提案した政治家でもありました。複雑な思想は、藩士の武市半平太にも理解されず、武市の独断から血で血を洗う政争になり、多くの有能な土佐藩士が志半ばで倒れました。ええ加減さと凄さが共存していた人物でした。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
知り合いの政治に関心がある年配の人からいただいた資料です。「議員報酬・期末手当および費用弁償」とあります。最近の高知県議会議員の報酬と手当てであるということです。
最近の情勢により多少減額されています。「行政改革は議員報酬の減額から」というのが流行していますので、減らしたのでしょう。でもしっかちと「期末手当」というのをもらっております。この金額が意外に大きい。
議員報酬の額については「高い。低い」の議論はあろうかと思います。算出根拠は何なのかということも。
県民の代表である県議会議員がそれに見合う働きをしていただければそれは文句はございません。4年に一度選挙という洗礼も受けているわけですから。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
沖縄付近の台風15号の影響で、昨日の高知は大雨、今朝も雨の予報でしたが、どん曇で暑いこと。午後3時で外気温30度、湿度90%。雨ではないので、長靴履いて歩いて高知街方面へ行きました。
海がすぐ近くの高知市二葉町。海抜0メートル地帯です。南海地震で津波がくればひとたまりもない。
長靴を履き、傘を持ち、大雨の場合は合羽もリックへ入れて行きました。高知の雨はひとたび降り出せば、傘で防げるものではなく、斜めから大粒の雨がシャワーのように来るからです。それだけ完全防御体制をしてからいkないと駄目なんです。
雨雲は南から北へ流れています。かと思えば薄日か差しています。太陽がでるとこれまた暑いこと。残暑は厳しいです。
途中はりまや橋商店街でラララ音楽祭のステージに遭遇しました。街頭ライブです。
それから献血センターへ行きました。今日は献血するとアイスクリームがもらえる日だそうです。
今年は3回目の献血。ことしはこれで終わりだそうです。次回の献血可能日は来年の2月27日以降です。今年は2月27日、6月11日。9月18日の3回だけ。現在82回献血しています。これが100回になるには、今のペー図では、年間3回しかできないので、6年かかりますね。献血は69歳までしかできないので、100回献血はかのうでしょうが、200回は無理ですね。
それで看板に書いているとうりに、アイスクリームをいただきました。
その後、おびさんマルシェとラララ音楽祭が合同開催されているので、おびさんロード方面へ歩いて行きました。
おびさんマルシェのセンスのある店舗と音楽の相性はいいですね。最後まで雨が降らないでいただきたいものです。
おびさんマルシェ実行委員会委員長の大西みちるさんによりますと、「雨の関係もあり出店予定者の半数が直前にキャンセルになりました。とても残念です。県外出身者の人たちの関心が高いようです。京都ご出身の方も今回出店いただきました。」とのこと。
おびさんマルシェとラララ音楽祭。どちらも質の高いイベントです。なにより税金を使わず市民本位で開催されているところが素晴らしい。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
9月から20日まで近くの下知図書館が、建て替えのため閉館。仮図書館が21日から開館。それまで長期間本が借れます。それで歴史本である「山内容堂」(平尾道雄・著・吉川弘文館)を借りて読みました。
以前に「吉田東洋」も読みました。郷土史家である平尾道雄氏の著作は、時代考証が詳しく、ぞの人物の背景や時代がよくわかります。今回の山内容堂についてもそうでした。
幕末・維新期に土佐藩主であった山内容堂。大酒飲みで知られています。年表で見ますと46歳で明治5年に死去されています。
参与の吉田東洋を暗殺した土佐勤王党党首武市半平太に切腹を命じた藩主。あるいは幕府に大政奉還を進言した藩主としてしか知りませんでした。
山内容堂が生きた時代は、幕末期であり、ペリーが日本へ来訪。対応をめぐり国論が沸騰していた時期でした。田舎にいながら山内容堂は、国際情勢にも明るく、しばしば中央政界にも進出し、提言をしていたようでした。
仲良しが薩摩藩主の島津斉彬、福井藩主松平春獄、宇和島藩主伊達宗成城などと幕政のありかたに提言することもしていました。参与である吉田東洋の活躍に負うところもありました。また水戸の尊皇攘夷を唱える儒学者藤田東湖とも知り合い交流をしていました。
ただ平尾氏によれば、山内容堂は勤皇思想の持ち主であり、4つの藩で協力して勤皇の考えがある一橋慶喜を次期将軍に推挙したり、日本の海防のありかたにも言及していました。
しかし大老井伊直弼の台頭で、4賢侯と呼ばれていた藩主はすべて引退ー謹慎させられておりました。また山内氏自体、徳川家恩顧の外様大名であるという事情もありました。勤皇家であるが、徳川家にも忠誠を尽くしたい。公武合体論者でもありました。
このあたりの二重性は1本気質の武市半平太も読み違えていたのでしょう。一藩勤王という政治体制を夢見、ついには阻害しているとしていた参与の吉田東洋を暗殺してしまいましたから。
1867年に山内容堂が、後藤象二郎の要請により大政奉還建白書を起草しようとしていた前後、長崎にて英国人水兵の殺害事件が起こり、嫌疑が土佐藩出身者が多い海援隊ではないかと英国公使パークスは疑い、土佐藩まで調査に乗り込んできたことがあったそうです。
パークスの通訳者であるアーネスト・サトウは山内容堂の印象を記述しているようです。
「容堂は身の丈高く、少し痘痕面で,歯が悪く早口であった。彼はたしかにひどく身体の調子が悪いようだたが、これは全く大酒のせいであろう。
予が彼の語った意見から判断してみるに、かれは偏見にとらわれておらず、またその政治思想もおよそ保守的なものとは縁がなかった。
しかし薩摩や長州に伍して、どこまでも改革の方向へ進んでいく覚悟が出来ているかどうかは疑問であった。」(維新日本外交秘録))181
平尾道雄氏はこうも記述されています。
「容堂が薩長と行動をともにして、倒幕挙兵に参加することを希望していなかったことは事実だろう。サトウの観察は非常にするどいもので、別項には容堂や後藤が特に、憲法や国会の機能、選挙制度等についてさかんに質問をあびせて来た。
彼らの心底にはすでに明らかに英国憲法に模したものを制定しようという考えが深く根を下ろしていたのだ。実際其の後、ミットフォードであったか予であったかは忘れたが、ミカドにお仕えして日本人のために国会開設に尽力してもらいたいという申し出をうけたことがあったのである。とも書かれている。」
翌日坂本龍馬も同乗して藩船夕顔丸で、長崎にサトーとパークス公使は向かいました。真相調査の結果、土佐の海援隊の嫌疑は晴れ、福岡藩士が真犯人であったことがわかりました。後藤象二郎も坂本龍馬も大政奉還建白書提出直前の、外交問題を上手く乗り切ったようでした。
平尾道雄氏は山内容堂についてこう書いていました。
「公武合体から王政復古の運動に挺身し、明治親政に立憲議会制を提唱した容堂にとっては(中略)封建大名としてその伝統に生き、封建制の矛盾や伝統になやみながら新しい時代を志向した容堂であった。
その国事功労についてはすでに従一位を追贈せされ、別格の官幣社bに祀られたほどであるが、その生き方についてはさまざまな批判をうけている。その批判のあるところに明治維新という過渡期を大名として生きた人間容堂の姿をながめたいにおである。」(P250)
確か司馬遼太郎氏の本でしたが、「島津久光は廃藩置県に激怒し、西郷お前は安禄山だ。」といったそうです。維新後もちょんまげ和装で押し通したそうです。明治維新の意義を全く認めなかった藩主でした。
それから言えば山内容堂は開明藩主といえるでしょう。
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)
ブログネタ: サッカーでいえば、自分はどのタイプ?
ブログのねたに「自分はサッカーで言えばそのタイプ」と言われたら、迷わずDFタイプですね。中学・高校とさっかー、を一時期していました。ポジションはDFでした。筋力と体幹の強さがありました。腕立て伏せは高校時代は100回ぐらいはできましたから。
でも上手くはなかったし、足も早くはない。それでDFでした。テクニックでかわそうとする相手FWが嫌いで、ボールをとるのが面白かったです。強烈なスライディング・タックルが得意でしたが、反則行為はしませんでした。
攻撃もコーナーキックからのヘッティング・シュートやダイビング・ヘッド。ボレーシュートにオーバー・ヘットキックを連取していましたから。流れの課かでも今風のサッカーではありませんでした。DFは専守防衛。セットプレーでは相手ゴール前に詰める。終れば全力で守備位置へ戻る。そういう対応ですね。
代表選手で言えば昔いたDFの秋田選手や、現役では岩政選手のようなタイプでしょうか。どちらにしても無骨な不器用なタイプですね。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
9月1日のNHKスペシャルで、15分間程度高知県庁の南海地震対策の様子が詳細に紹介されていました。多くの高知県庁の職員が、罹災地の自治体を訪れ、被害状況の確認や支援活動をされてきたよぷです。大変貴重な体験をされたと思います。公費で仕事で行かれたのですから、ぜひともその経験を県民に還元していただきたい。
番組の中で1番不思議に思ったのは、「大地震時の県職員の出勤率が40%。そのなかで可能な業務だけを遂行する。」とか言っていたところです。BCP88(事業再構築計画)を導入した民間企業並みですね。
でも高知県の危機管理の元締めならそれでは駄目でしょう。
1)現在耐震補強している高知県庁の周辺は津波と地盤沈下で水没している可能性が高い。孤立した浮き城状態で何が出来るだろうか?
2)水没した地域での電気・ガス・水道などが使用できるとは思えない。非常電源などはどうなっているのでしょうか・
3)危機管理部署であるならば(市町村も統括する)。浮城状態の県庁では指揮や支援は到底できない。
ではどうすればいいかといいますと、
1)高速道路近くの固い地盤の高台に危機管理センターをこしらえ、危機管理部所属の職員と消防や医療の関係者も常駐させる。職員住宅も近くにこしらえる。
2)山間部の交通の便がいいところであり、大豊町付近を本部。サブ本部は仁淀川町へこしらえる。
3)非常時担当の職員は100%出勤しなければならないから当然であると思います。
(高知市水没予想図。青色は水没が予想されている地域です。市街地の大半は水没します。)
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
遥か沖縄付近にある台風15号の影響で、今朝から高知市は雨模様。時折スコールのような土砂降りになることもあります。そうかと思えば、降り止みもありますね。
今週と来週も活き活き100歳体操は休みです。別の用事があったので、はりまや橋金曜露天市へ来ていました。
この青柳の建物。解体と建築工事中に大きな騒音を出していました。商店街や今日の金曜市の通行人や露天の人たちに、客寄せでお菓子を配るような昔風なことは全然しないようでした。これでは高知の人には支持されないでしょうね。
口からはいる食べ物の商売は、「口コミが有力でしょう。でもこのお菓子屋さんは逆に悪口を言われそうな気がします。コンサルなんかが県外でしたら、気が付かないでしょう。人の気持ちには。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2011年もゴーヤさんにはお世話になりました。5月の連休明けに種蒔きをし。今年は高知市役所の節電もにたーにもなりました。ゴーヤさんの苗と土とプランターをいただいていました。それで例年より高い位置につるを伸ばすことにし、ロープでネットを吊り下げていました。
涼しくなると、蒸しむし、じえmじめの大お好きな熱帯性植物のゴーヤさんは弱ってきます。小さなゴーヤさんの実にも虫がはいりこみ食い荒らされていました。
9月15日に撤去作業をしました。ロープにネットを吊り下げていましたので、ロープを外しました。
ネットとゴーヤさんを撤去した後は、柵の撤去です。
柵は細い金の紐で結んでありますので、1つ1つ外していきます。来年もまた使用しますので。
なんとか柵は撤去しました。
ゴーヤさんの種は来年い向けて実から取り出しています。そして袋に入れて冷蔵庫で保存しています。
ネットと柵、紐をそれぞれまとめて、来年に供え収納するようにしています。
2011年もゴーヤさんにはお世話になりました。ありがとうございました。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
わたしは別にサッカーのシビアな選手経験者でもない。またヘビーなサッカー・ファンと言うことでもない。単なる市井の1サッカーファンにすぎません。自分が休日にするスポーツは、下手な横好きのディンギー・ヨットですからね。
9月は男女の代表の試合が多く、観戦を楽しみました。最近でこそサッカーが盛り上がっている日本ですが、まだJリーグというプロサッカー・リーグが発足して18年ぐらいの歴史しかありません。欧州や南米には100年を超える地域のプロチームがあるのですからまだまだです。
子供の時代からきちんとサッカー指導が受けられる。芝の上で試合ができるなんぞ、私が中学生時代に始めた草サッカー時代には全く考えられませんでした。
代表の課題はいろいろあるでしょう。FWが育っていないとか。足の速いDFが必要であるとか。センターアックには高さが必要であるとか。高のぞみをすればきりがありません。
やはり課題はJ1であれ,J2であれ、しっかり地域に根を張っているかどうかでしょう。それが1番大事であるとおもいますね。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
所用があり高知市内を自転車で巡回しました。車では気が付かないことまで見えます。ただコンクリートとアスファルトで被覆された道路面、歩道面は残暑厳しい折には暑くてかなわないです。
高知市中心街であるはりまや橋付近の雑居ビル。金融センターと言っても良いビルです。大手・中小の大衆記入業者がひしめいていたビルですが、今や空き室が目立ちますね。
高知市での場所は「一等地」であるはずですが、ビルには空室が目立つ。行灯式看板も表示なしが目立つ風景です。
高知城近くのJA経営の2階建て鉄骨駐車場が解体しています。北隣の四国財務局跡も高知県が買収して、歴史博物館を建築するようです。隣に白い建物の民間マンションがあります。お城への眺望が妨げたれるとか言ってマンション住民が不平を言っているらしいが、このマンション自体が今まで眺望を妨げていたという事実を忘れてはなるまいに。
JR高知駅前の「3志士像」(坂本龍馬・中岡慎太郎・武市半平太)。鳴り物入りで駅前に設置はされたものの、今や誰も関心がなく、イベント広場にも今日は誰もいませんでした。
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)
「原発抜き・地域再生の温暖化対策へ」(吉井英勝・著・新日本出版社刊)を読みました。8月1日に高知での吉井英勝氏の講演会がありました。そのときに会場で購入していました。
「これまでは、エネルギー供給といえば、一部の大企業がこれを担い、環境問題となると家庭で省エネに努力したり、エコポイントで電気を買うことや補助金で太陽光パネルを設置することのようになってきました。
実際、電力などもこれまで「地域独占」といわれる巨大な電力会社が、ほとんど一手に引き受けて発電所建設から発電、送電、売電を行なってきましたから、一般国民はただの電力消費者の1人であって一部の人を別にして、自らの環境やエネルギー問題に関わることはありませんでした。」
「しかしはたしてそれでいいのでしょうか。本当はエネルギー供給と環境と地域経済は深く結びついたものではないでしょうか。いま地球温暖化防止がいわれるようになり、政府が「環境対策には原発推進だ」と叫び、財界からは。厳しい二酸化炭素排出削減目標を決めると「日本から逃げ出さなければならない産業も出てくるかもしれない」(2009年9月8日、三村和夫新日本製鉄会長)などと脅かしています。これは財界の主張する範囲に環境対策を押さえ込むことで、地球環境より企業の利益を第一に考えているということです。」
「その一方で「環境対策」を奇貨として「原発推進」が強められています。原発は1基つくれば約5000億円くらいの仕事になりますから、原発メーカーや鉄鋼、セメントなどの素材メーカー、そしてゼネコンなどが大きな利益を狙っています。
地球温暖化対策に名を借りて、放射能汚染などの危険をはらむ原発を、大企業のやり方で、増設していってもいいのかが問われているのです。」(P13)
(地域のエネルギー自給率。地方が高く、大都市部ほど低いことがわかります。吉井氏の資料より)
筆者の懸念がまさに現れたのが福島第1原子力発電の大事故でした。「120%安全だ」と吉井氏の指摘する安全対策を行なわなかった東京電力と原子力安全保安院。福島県の県土の半分が失われる危険を彼らの怠慢と思い上がりで引き起こしたのです。
では吉井氏はどうすればエネルギー問題を解決すればよいと考えているのでしょうか?
「わたしは環境問題とエネルギー問題は一体のものと考えています。そしてその解決は、大企業への二酸化炭素排出削減などの」帰省措置とともに。日本各地のそれぞれの自然の条件にあったエネルギーの産出にあると考えています。
しかもそれは、中小企業の仕事起こし、地域の雇用の拡大で住民、青年に働く場所をうみだすことにも結びつきます。そのことによって地域経済が回るようになり、自治体財政も回復して住民への公共サービスもすすむ、「当たり前の自治体のあり方」を取り戻すことになります。すなわち、環境と原発とエネルギーそして地域経済再生はバラバラのものとして考えていてはだめだということです。」(P13)
高知県梼原町の事例も紹介しています。梼原町は町域の92%が森林です。人里離れた山間地に大型風力発電機を設置しています。売電収入を元に、町民の家屋への太陽光発電パネルを設置する場合の町独自の補助金制度があります。
間伐剤助成制度をこしらえ間伐を推進しています。建築材の生産、加工、とそのくずを木質ペレットを生産し木質ペレット燃料生産をしています。少水力発電も実施しています。人口4000人の梼原町ですが、こうした努力で現在はエネルギー自給率が30%になっていて、更にその比率を高めようとしています。
日本の原子力発電は軽水炉型をアメリカの指導ですすめました。そのため再処理済みを含めて大量のプルトニウムを蓄積しています。長崎型原爆500発分の核開発能力を有しています。
使用済みの核燃料を再処理して、残ったウランと分離抽出したプルトニウムの混合酸化物燃料を使って高速増殖炉を多額の費用(3兆円)をかけて関連施設を建設しましたが、漏洩火災事項亜爆発事故が相次ぎ、成功するめどはありません。
高速増殖炉が駄目なので、従来の軽水炉型原子炉でプルトニウムとウランの混合酸化物(MOX)燃料を燃やそうとするプルサーマル使用が各地の原子力発電所で始まっています。プルサーマルを実施すればするほど、高レベル放射性廃棄物が増加してしまいます。この最終処分方法が日本では確定していません。
「原発の安全性はストレステストをおこないう。」と菅前首相は言いました。しかし吉井英勝氏は「香川県多度津町に300億円出してこしらえた大型振動台がありましたが、小泉構造改革時代に3億円で造船会社に売却されました。したがって老朽化した原発の地震時の挙動を調べる受験装置は日本にはありません。」(P177)というお粗末さです。
「老朽化した原発の安全性をすることもなく、既存原発を当初の30年を越えて長寿命化させ、60年に運転期間を延長しようなどという計画は許されません。
地震国である日本の全国の原発で、老朽化による深刻な事態が広がっています。いま緊急に取り組まなければならないのは、全国にある、運転開始から20年を経過したものはもとより、すべての原発についての徹底的な総点検を行い、老朽化に伴う材料の劣化や装置内部の生じているキズの進行状況などを明らかにして、その結果に基づいて、運転停止や廃炉を含めた抜本的な措置をとることです。」(P178)
福島第1原子力発電所の原発災害は、吉井英勝氏の指摘どうりでした。原子力発電の事故は、想定外の災害や津波ではなく、原子力関係者の怠慢と手抜きによる完全な人災であることがよくわかりました。
地震列島日本では、原子力発電所との共存は無理でしょう。今ある原子力発電所を老朽化した原子炉、活断層近くや、津波の危険性にある原子炉は運転を停止させるべきでしょう。静岡県にあるち中部電力浜岡原子力発電所の運転停止要請は、菅前首相がしたものでした。東海地震の震源域エリアにある浜岡原子力発電所はやはり廃炉にすべきでしょう。
(世界の活断層分布と原子力発電所の位置図。米国も中国も欧州も地震地域には立地しておりません。)
(愛媛県伊方原子力発電所△付近の活断層。中央構造線が程近い)
*資料は吉井英勝氏提供。8月1日の講演会でいただきました。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
今週号の"野良犬メディア”である週刊現代を朝の散歩時にコンビニで購入しました。9月24日。10月1日の合併号。それにしても内容が貧弱。2週連続で夏ばてと論評しましたが、今週号はそれにも値しない酷い内容でした。
見出しだけを見て記事を読んでも印象の残るものはない。主な記事も「政界裏話」的な噂話。それと引退した芸能人島田紳助の黒い交際についての記事。全く読む気がしません。どうでもいい記事ばかりではないか。
いい加減「談合記者クラブ・マスコミ」の報道にうんざりして、原発被害記事には見るべきものがあった野良犬メディア。最近は政界裏話と芸能ねたばかりになり堕落しました。実につまらない。目次だけなぞっても今週は見るべき記事は皆無です。
角栄の「晩年」にそっくり〉悲哀! 小沢一郎の落日 P36
怪しい「どじょうの美談」 P42
年金支給「68歳から」「大幅減額」に備えよ P58
【大反響】〈こんなに当たっていいのか〉また的中! 次の地震、教えます P62
【学校別】私が見た大秀才たち P170
【大研究シリーズ】〈「肩書」なんて、当てになりません〉ひと目で分かる「いい医者」「ダメな医者」 P180
【徹底追及第3弾】〈ぶち抜き20ページ!〉島田紳助と暴力団 P46
・〈警察は本気でっせ!〉「紳助逮捕」を狙う 警視庁・大阪府警の全情報
・〈「行列のできる」暴力団関係者〉森功×今西憲之 紳助がまだ隠していること P50
・〈紳助切れば、それでよし? ほかにも汚れた芸人いるやんけ〉ヤバくない? 吉本興業とテレビ局 P54
【モノクログラビア】〈出てきた!〉紳助と山口組最高幹部 親密写真の衝撃 P25
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
政府広報の「生活再建ハンドブック」という印刷物がありました。どこでもらってきたのかは忘れました。5月2日に成立した補正予算(4兆円超)のご案内とあります。
「東日本大震災の被害にあわれたみなさまを支援するための補正予算が成立しました。」(平成3年5月21日発行)とあります。
補正予算の規模は総合計が4兆153億円です。内訳は災害復旧活動の継続に、2593億円。公共施設などの復旧1兆2019億円。地方交付税増額1200億円などとなっていました。
金額は大きいようですが、罹災者1人1人にとりましては、微々たる額です。とても生活再建などできません。
災害弔慰金は、生計維持者が死亡された場合は500万円。その他の人は250万円。被災者生活再建支援金は1世代最高100万円。加算支援金(住宅の再建方法に応じて200万円)。災害障害見舞金は生計維持者は250万円。その他は125万円。
災害援護資金の貸付は、150万円から350万円を無利子で貸付ます。償還期間は13年。
冷静に考えましても、自宅の家屋が全壊し、仕事場も失った場合、はたしてこの程度の「見舞金」で生活再建できるのでしょうか?全く無理ですね。金額が少なすぎますね。
もし明日南海地震が起きて、津波で会社の事務所も倉庫も自宅もすべて流され何もかにもなくしてしまったら、再建は不可能です。借金して働く見込みはありません。
この「生活再建ハンドブック」を見て暗澹たる気分になりました。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
なでしこさんたちの活躍には、励まされるものがありました。7月の女子ワールド・カップドイツ大会の優勝は物凄い快挙。その後マスコミなどに追い回され、国民栄誉賞までいただく騒ぎになりました。でもその受賞の価値はありました。
そして今回の中国でのロンドン五輪アジア予選。大変厳しい試合日程。全体的になでしこさんたちは体の切れがなく、疲労が蓄積されているようでした。でも負けない。押し込まれる場面もありましたが、踏みとどまりました。
4戦目の北朝鮮戦では、ロスタイムに追いつかれました。あれはベンチ・ワークのミス。ノリオ監督の采配ミスです。大会を通じて選手も監督もアジア予選の厳しさを味わいました。来年はアジアの代表として、ロンドン五輪を制覇していただだきたいですね。
女子サッカーが日本に根付くことを期待します。今後はママさんサッカー選手も出てきていただきたい。ママさんバレーならぬママさんサッカーも盛んになっていただきたい。それこそサッカー人口の拡大と底辺の拡大になるからです。
男子がワールドカップで優勝するには女子サッカーの広がりと社会的認知は是非必要であるからです。
夜須中学ヨット部は今年全国中学校ヨット選手権(千葉)で団体優勝しました。それはご父兄の皆さんの支援と協力があればこそのことでした。校長が「千葉は危ないから団体参加はさせない。」という奇妙な見解をだしたため、個人参加で個人負担で参加しました。その中での見事な成績でした。ご父兄のお母様がたの団結が子供たちに良い結果をもたらせました。
わたしは自分はしませんが、ゴルフ好きの父のお供で、女子ゴルフを観戦したことがありました。今年の3月11日は東日本大震災の日.その日も土佐C・Cでの女子プロゴルフを見ていました。
女性の大会は華やかであり、服装や立ち振る舞いが優雅でありました。女子のサッカーも男子とは異なる魅力がありました。悪質なプレーは少ないし、倒されても気丈に起き上がります。インタビューにもきちんと前を向いて真摯に答えています。全体的になでしこさんたちは好印象を日本国民に与えました。サッカーの普及には多大な影響があったと思います。
本当に恵まれない状況下で栄冠を勝ち得たなでしこさん。日本サッカーの全体の押し上げになる活動を今後も展開しえちただきたいと思いました。そして日本でママさんサッカー大会が各地で開催されるようになればいいなと思いました。
女性のサッカー愛好者が増加することは、日本のサッカーの底辺を拡大することになり、サッカーのレベルの底上げになるからです。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
(高知市菜園場町の横堀公園にある武市半平太邸跡の石碑。実際には道路をまたいで北側の桜井町にありました。)
幕末の土佐勤王党党首であった武市半平太。自宅は高知市仁井田にあります。さすがに自宅から高知城下まで通うのは遠いというので、新堀川近くの田淵(現在の桜井町)に自宅と剣術道場を建て居住していました。しかし1855年に安政南海地震に遭遇します。
「大地震が起きたのは、道場を開いた年のうちの11月4日(12月24日)だった。地震のあとを、おきまりの火災と津波が襲った。半平太は祖母を背負い、妻とともに城下北方の比島山に避難し、そのあと本町5丁目の久万八平方に奇遇する。久万家は祖母の生家である。
翌年、焼け跡に2部屋ばかりの小さな家を新築し、さらに翌安政2年正月には道場も新築した。この年の夏から半平太は藩命による剣術教導のため、安芸郡田野や香美郡赤岡に出張するようになった。そのおり得た知己門弟が、のちに勤王党の勢力拡大に役立っている。」(「土佐勤王党始末 嶋岡しん・著 P32)
高知の南海地震研究家間城龍男氏の著作「南海地震」によりますと、地盤の弱い下町地域の家屋は全半壊。ご飯の時間帯であったこともあり、ほどなく進入してきた津波の被害と火災で、高知城下の東側の町人街は壊滅的な被害を受けています。
しかし記述にあるように、翌年には同じところへ武市半平太は戻り自宅と道場を再建しています。プレハブというのか、バラックのような建物であったようですね。
これが上士階級の武家屋敷のような家屋なら、罹災後2月後に再建などできません。
(地図は、間城龍彦氏の著書「南海地震」から引用。P66です。)
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最後の中国戦。過酷な日程にもかかわらず見事な勝利です。控え選手主体の布陣でしたが、気を抜くことなく懸命に試合をする姿はただただ感動します。
なでしこさんたちが何が凄いかといえば、年頃の女の子ばかりなのに、ストイックなサッカー漬けの毎日ですから。それもプロ契約の選手はわずかで、仕事が終えた後にサッカーをされている選手が大変であるというではありませんか。偉いです。
得点はコーナーキックからDF岩清水のヘッドがバーで跳ね返ったところをMFの田中が押し込んで先取点。中国も猛反撃してきましたが、DFが跳ね返しました。
貴重な1点を守りきりました。若い選手にとっては貴重な経験でした。澤選手も安堵していました。
偉いと思いましたのは、特にSBの鮫島選手。1戦目からフル出場です。大変です。左サイドといえば男子で言えば長友の位置ですから。全試合フル出場ですからね。3・11までは福島原発で勤務していたといいます。そのど根性には頭がさがります。
押し込まれる場面もありましたが、安心して見れました。来年のロンドン五輪で優勝するには、控え選手の底上げも必要であるし、北朝鮮戦でしくじった監督采配もレベルアップしないといけません。
女子サッカーが日本に根付くことを期待します。ママさんサッカー選手も出てきていただきたい。ママさんバレーならぬママさんサッカーも盛んになっていただきたい。それこそサッカー人口の拡大と底辺の拡大になるからです。
男子がワールドカップで優勝するには女子サッカーの広がりと社会的認知は是非必要であるからです。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近父(92歳)の体調が良いようです。金曜日の主治医の診察も「いいですね。数字はすべて良くなっています。驚きました・」と蝶高齢をものともしない健康を維持している、ありがたいことです。
今朝も7時20分には茶の間に下りて来て、朝食の準備をしていました。トイレを済ませ、8時半には出発。ゴルフ打ち放し場へ行きました。125発打ち込みました。
会社の経理用のパソコンが調子が悪く起動しません。戻ってきてエレパに修理を依頼しました。このパソコンは今まで調子が良く、全くトラブルがありませんでした。
「ハードディスクの取替えと、DVDも壊れてますね。取替えの必要がありますね。リカバリーできるかどうかわかりません。」とのことでした。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
上の写真は1988年の米国・ニューヨーク。観光船の上からの写真です。美しい景観のスカイラインを形成していた世界貿易センタービル。2001年にハイジャックされた旅客機の突入という衝撃的な攻撃で崩れ落ちました。そしてそれから10年が経過しました。アメリカと世界はその後どう変わったのでしょうか?
その当時はアメリカの事情に詳しい安岡正博さんに連れて行っていただきました。安岡さんのコネクションで世界貿易センタービルの再上階のスカイラウンジでコーヒーを飲んだ思い出があります。
(世界貿易センターに入館する前の様子です。サングラスが安岡正博さんです。)
「9・11」後アメリカは、アフガニスタンとイラクに相次いで「テロとの戦い」という名目で軍事侵攻しました。しかしはかばかしい成果が上がったかどうかはわかりません。
首謀者とされたビン・ラディンをパキスタンで米軍特殊部隊が襲撃し殺害しました。でもアフガニスタンが平穏化したとは言い難いようです。
あと3年ぐらいすれば再建されるでしょう。記念公園も整備されることでしょう。でもアメリカと世界は、その前までの世界とアメリカではなくなりました。今後の10年がどうなるのか。注視していかないといけないです。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
8月は1回もセーリングできませんでした。台風のおかげと家内の帰省の影響。先週も台風のおかげで海は大荒れ。そうすると海の駅クラブからサポート依頼の連絡。手伝わないわけにはいかないでしょう。
今日は高知大学ヨット部は休みですが、シニア・ヨットクラブの皆さんは、私を除く6人が皆勤でセーリングをしていました。うらやましい。今日はいい風が珍しく吹いておるから。夜須中学ヨット部もOBの高校生も含め、浜松から小池コーチが来られて洋上練習があるようです。ハーバーはなかなかにぎわっていました。
今日は高知県障害者スポーツセンターの主催の「ヨット体験」です。挨拶の後は、ライフジャケットを着用しています。その後ビーチへ移動し、ヨットの体験に移ります。
ビーチスタートは過酷です。体の麻痺がある人たちでも、片手でセーリングできるアクセス・ディンギーという優れもののヨットです。センターボードが1人乗りは20キログラム、2人乗りは30キログラムあります。しかし波打ち際は波がありますと、ヨットを押さえないといけません。それが大変です。
石に大きな貝殻がついていました。珍しい。
出艇した後は一段落です。
中学・高校生たちも海へ出て行く準備をしています。
今日は朝7時半に自宅を出ました。準備し、サポートし、片づけを終え、自宅へ戻ると午後5時になっていました。1日ビーチにいました。来週は自分のヨットでセーリングしたいと思いますね。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
「土佐勤王党始末」武市半平太と山内容堂」(嶋岡しん・著・新人物往来社)を図書館で借りて読みました。先日土佐勤王党と政治的に対立していた「吉田東洋」(平尾道雄・著)を読んでいましたので、こちらのほうも読みたくなり一読しました。
なかなかきっちり著者の嶋岡氏は、調査してあり、土佐勤王党党首の武市半平太の実像に迫る記述をされていました。必要以上に英雄視せず、弱さや独りよがりや、思い上がりなども描いています。それだけに武市半平太の実像をよく描いています。
今年(2011年)は土佐勤王党が結成(1861年)から150年ということです。それを記念してか、高知駅前にはスチロール製の巨大な武市半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎像が並んでいる、「3志士像」だそうです。でも坂本龍馬と中岡慎太郎は土佐勤王党を脱会し、独自に活動していました。一緒に「顕彰」するのはどうかなとも思います。
土佐勤王党の活動期間は実質は2年半程度でした。そして土佐に戻った武市半平太は逮捕され、1年9ヶ月拘留後切腹しました。
尊皇攘夷思想の土佐勤王党ですが、剣術道場を開いて勤皇思想を説く武市半平太に、当時土佐では身分の低い、下士や足軽などの下級武士たちが多く参集したようです。また思想的には一種の「一君万民主義」で、「天皇を百姓が君主としていただくもの。藩主や幕府は天皇の権力を仮にいただいているにすぎない。間違っておれば打倒すべし」という一種の革命思想でもあり、庄屋身分である中岡慎太郎や吉村虎太郎にも影響を与えたようでした。
ただ武市半平太は「一藩勤王」こだわりすぎ、立場上「二重思想」を持たざるを得ない山内容堂に対する幻想の上に生きてきた、思想的な限界もありました。長州の久坂久坂玄瑞らは「藩などどうでも良い。志士たちで決起して倒幕すればいいのだ」という草莽決起の考えではありません。
山内容堂に対する幻想や、煮え切らない態度に坂本龍馬や吉村虎太郎、中岡慎太郎などは、土佐藩にも、土佐勤王党にも見切りをつけ脱藩してしまいます。追い込まれた武市半平太は、部下に命じて、改革派の参与である吉田東洋を暗殺します。その後京都で岡田似蔵らに天誅と称して人切りを命じたり冷酷非常な面も見せています。
結果的に集めた土佐勤王党のなかでは1番身分が高い立場にあり、腹心の平井収二郎らの朝廷工作が上手くいったおりには、容堂から上士身分に格上げされ、薩摩・長州らとともに土佐藩が公家らを伴い江戸幕府に「攘夷実行」の圧力をかけるところまでに政治的な成功を収めます。
しかし公武合体派」の巻き返しで攘夷公家は追放、長州へ落ち延びます。やがて蛤御門の戦いで長州は惨敗。幕府により長州征伐が行われる時勢になり、土佐勤王党は弾圧され、右腕の平井収二郎は切腹させられます。
土佐勤王党のメンバーは次々に捕らえられ、凄惨な拷問の末に処刑されていきました。そしてついに武市半平太も切腹させられました。
筆者はこうも書いています。
「わたしが指摘した半平太の弱点、恥部といえるもの、出世主義的要素、政治的功利主義、「天誅」にみる非情性、「一藩勤王」の単純性と頑固さ、倫理的偏狭、急進性と保守性の自家撞着・・・・それらも半平太個人のものというより、大きな視野で見れば、土佐藩の頑迷な体質が、さらには幕藩体制の圧力が、下士層代表たる武市半平太のなかに典型的に培養し招致したもので、個人の運命的なものより歴史的必然として見る事ができる・」(P200)
土佐藩独特の武士階級のなかでの厳格な身分差別があり、上士の支配は未来永劫続くものと思われたのですが、」半平太が上士として処遇されたことはまれな事であり、尊皇攘夷の倒幕思想と最後まで山内容堂をたてまつるという自己矛盾のなかの人でもありました。
土佐勤王党は維新の前夜に壊滅しました。それは「時勢が飲み込んだというより、半平太と同氏たちの内なる裂け目が、彼らを飲み込んだといえるだろう。それは、しかし、新しい時勢の懐妊を意味していた。死滅は次代の生誕であり、彼らはその貴重な犠牲であった。」(P202)
筆者が言うように、後日武市半平太が夢見た薩摩・長州・土佐の握手は、その遺志を継承した坂本龍馬や中岡慎太郎や、半平太を尋問し、追及した後藤象二郎や板垣退助によって実現しました。
「大政奉還」も「その根は半平太や同志たちの血盟が語る勤王精神にあった。半平太を審問し切腹せあしめた後藤象二郎を突き動かし、後藤をとおして容堂を揺さぶり,大政奉還の建白を土佐藩になさしめたのは龍馬だが、その龍馬の胸中には、悲運に斃れた半平太や勤王党同志のひたすらな願いが生きていたはずである。」(P202)
後の自由民権運動のエネルギーの原点も思想的な違いはあろうが、下層階級の反乱の発露であったことには変わりはない。
思想的に稚拙で、頓挫する必然性を含有していた土佐勤王党。私たち後世の土佐人は、単なる「観光資源」としてのみで捉えるのではなく、社会思想としてその限界と到達点を分析すべきであると思いました。
高知市帯屋町(高知城ほど近い。四国銀行帯屋町支店脇にあります)
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)
9月に入り朝晩はめっきり涼しくなりました。セミの声は聞こえなくなり、秋の虫たちが鳴いています。熱帯性のゴーヤさんも弱ってきたのでしょうか、枯れ葉が目立つようになりました。
九州に近づいている台風14号の影響なのか、高知はじめじめ、むしむしのゴーヤさんが大好きな気象条件になっています。事務所の温度計ですが、午後5時20分で30度、湿度85%です。蒸し暑いはず。
ゴーヤさんの小さい実がありました。大きくこれから成長するのでしょうか?
ゴーヤさんの葉っぱを根城にくもが巣をしています。ゴーやさんには蜂や蝶、蛾などの虫たちもよく来ていますから。キャッチしようと蜘蛛が待ち構えているようですね。人の往来が多いところに小売店舗が出来るというのと同じ理屈ではありますね。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
「吉田東洋」(平尾道雄・著・吉川弘文館)を読みました。以前も読んで書評を書いているのかもしれませんが、
昨年の大河ドラマ「龍馬伝」で、土佐勤皇党党首武市半平太が、善人の真摯ある人に描かれていたため、土佐藩参与の吉田東洋は「悪役」になっておりました。
郷土史家である平尾道雄氏は、丹念な調査を元に、吉田東洋像を描いています。
極悪非道な封建時代の弾圧者ではなく、土佐藩改革に命を賭けた改革者であったと描かれていました。
「新おこぜ組の巨頭として東洋は参政の座についたが、その第1期は寛嘉永6年(1850年)11月から翌年6月までの7ヶ月に過ぎず、第2期は安政5年(1858年)正月から文久2年(1862年)4月までの4ヵ年の長期にわたっている。
野中兼山の執政27年(寛永13年~寛文3年)にくらべるとその7分の1のすぎないが、近世封建制がいちおう安定しようという時期と、それが崩壊しようとする時期との相違があり、めまぐるしく転回する幕末の政局にあって確保した東洋の参政4年は、兼山の執政27年にも匹敵するものではなかったか。」(P110 東洋と人材)
吉田東洋は「藩政改革派」であり、水戸の藤田東湖らとも交流があり、内外の事情にも精通した現実派の政治家でありました。ジョン万次郎からも海外の情報を得ています。
また東洋の弟子では後藤象二郎や板垣退助、福岡孝弟や岩崎弥太郎がいました。幕末維新期の動乱を超えて活躍した人物を輩出させています。
ただ「瞬間湯沸かし器」的に短期であったらしく、江戸屋敷での宴席で酒乱の上司の振る舞いに腹を立て、殴りつけたことにより謹慎処分にしばらくなっておりました。
土佐勤王党の武市半平太との議論はかみ合わず、「全藩勤皇」をかかげる武市の論を「書生論」として却下したことで、恨みを買いついには、武市は以下の土佐勤王等隊士により暗殺されてしまいました。全く惜しい人物を土佐は失いました。
当時の先進国薩摩に人を派遣し、工業技術を研修させ、海岸の防衛にも近代軍備と海軍力が必要ととき、そのために殖産興業をしなければならないという考えで、のちの土佐商会なども設立する準備もしていたようです。
歴史に「もしも」はありませんが、吉田東洋と武市半平太が、身分と思想の違いを乗り越え、1つになっておれば、幕末・維新期に土佐藩は主導権をとって時代を先導していたと思います。残念な内部対立で貴重な人材が殺し合いをし、薩摩や長州に出遅れてしまいました。
吉田東洋は、評価されるべき人物であると確信しました。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
先日東京在住の以前お世話になっていた会社の先輩から突然電話がありました。高知にある会社と取引をするので、情報を知らないかという内容のメールが事前来ていました。わかる範囲での情報提供をしました。
すぐに先輩から電話がありました。
「藪から棒にの話で悪かったね。」とか言われました。「藪から棒に」といわれた事もないし、東京方言だなと思いなんだか新鮮な気分になりました。
語源は「藪は草木が群がり中がわからず、急に棒を突き出すと驚くことから意表をつく行動をすることの喩えとして使われるようになった。」(語源由来辞典より)
似たような言葉で「やぶへび(藪蛇)」という言葉もあります。
こちらも語源はわざわざ藪をつついて蛇を追い出し、それに噛まれるような愚かなことをすることをする。 余計なことをして災いを求めることと意味はあります。
普段高知の生活の中で使用しない言葉に遭遇しましたので、印象に残りました。
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)
ロンドン五輪アジア予選。なでしこさん達は王手をかけている。今度の相手は北朝鮮。厄介な相手です。3戦全勝でなでしこさんが優位ではありますが、もし負けたり、引き分けたりすると最終戦が開催国中国であり、完全アウエーでの勝負はキツイからです。
北朝鮮も次回のW杯は参加が駄目なので五輪出場はなんとしても出たいところです。国家の威信がかかっている。韓国戦を見ましたが、最後は足がつろうがどうであろうが、動いていて韓国の反撃を跳ね返しました。彼女たちは軍隊かなんかの所属でしょうね。
なでしこさん達もハングリーさでは負けてはいませんよ。ワールドカップでこそ優勝したから注目されましたが、それまではバイトして好きなサッカーの練習をしていましたから、公務員待遇の北朝鮮の選手以上にハングリーなんですよ。ですので8日の試合は何があろうときちんと北朝鮮になでしこさんは勝っていただきたい。
今晩の日本男子のW杯3次予選のウズベキスタン戦。ピッチは大荒れで、アウエー。日本のパスサッカーはできない。柏木が状況に応じた切り替えが出来るのか。パワーゲームになれば長身194センチのハーフナー・マイクは使えますね。簡単には勝てる相手ではありません。
どちらも日本が1-0で勝つと思います。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
父の愛読書の週刊現代。毎週のクイズをやるために購読している。朝の散歩がてらコンビニで購入しました。随分涼しくなりました。400円を出して購入しました。
しかし内容的には見るべきものはない。夏ばて、夏負けと弁護したくてもしようのない内容のなさ。民主党代表選挙の裏での「噂話」や、引退した芸能人島田紳助についての記事など、どうでもよくて読む気はしません。
大手新聞社やテレビ局の「談合記者クラブマスコミ」が報道できないゲリラ記事に期待している読者にすれば、3週連続で空振り。三振してしまいました。
ぶち抜き大特集】〈「遺恨と怨念」愚かなる民主党政権の最終章〉連戦連敗「王様は裸かもしれない」 小沢一郎はこれで終わったのか P36
これなんぞも民主党議員か秘書を適当に取材して、噂話を記事にしたような「適当な記事」の実例。実につまらない。真偽の確かめようもないし、独自の取材した形跡が感じられない。
・どじょうに総理が務まるのか P42
・ああ民主党 どこまでも学級会 P46
・大新聞が「野田歓迎」の理由 P48
増税論者の野田総理。異様に大新聞が「よいしょ」しているのは、消費税値上げの中で新聞購読料にかかる消費税だけは軽減化してほしいとの、己の利権のためであるといいます。さもありなんとは思う噂話です。
【徹底研究】がん保険 損か得か P50
【独占インタビュー)「わが父 原田芳雄の生と死」 P54
男女別 治りにくいがんランキング P166
【徹底追及第2弾】島田紳助と暴力団「これですべての謎が解けた!」 P172
引退した芸能人の行状を、いまさら誌面を費やしてやるべきことだろうか。その熱心さはいまひとつわかりません。
・紳助 暴力団とズブズブ 新証言ぞくぞく
・吉本興業、なに考えてんねん! PP176
【爆弾スクープインタビュー】山口組元幹部が実名ですべて明かす「紳助に頼まれて処理したこと、紳助邸でのバーベキューパーティ、そして浜田のこと」 P180
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
このところの日本のマスメディアの無礼な表現には腹が立つ。
まずは9月1日のなでしこさんたちのロンドン五輪アジア予選初戦のタイ戦。「世界女王のなでしこ。沢選手ら主力選手7人を温存。控え選手主体で試合をするも、前半はFIFAランク28位の挌下のタイにてこずり、無得点に終る」という表現。
タイが守備主体の布陣を組み、自陣に全員でがちがちに守っていました。スペースがなければ得点機会はそうそうつくれません。タイはボール扱いが上手く、前線のFWはスピードもありました。
ブラジル大会のアジア弟3次予選である9月2日の「日本VS北朝鮮」戦。これまたマスコミ各社の表現は「本田,長友が怪我で欠場とはいえ、挌下の北朝鮮に苦戦し、ホームで引き分け寸前まで追い込まれていました。」とかい表現。対戦相手には失礼な表現ではないか。
むしろタイにしても北朝鮮にしても、挌上の日本に対して、守備的に行き、隙あればカウンター攻撃を仕掛ける攻撃的な守備をしていましたから。両試合とも日本はスペースがなく、苦戦していました。
圧倒的にゲームを支配しようが、ボール占有率が多かろうが、サッカーには柔道やレスリング、ボクシングのような「判定による優勢勝ち」はありません。ゴールを上げなけば勝てないし、最後まで両リームがゴールがなければ引き分けになります。
自陣に引いて守って、日本のパスの受け手に攻撃的な守備で囲い込み、自由にさせない。しかも反則せずに守備をするやりかたは、女子のタイも北朝鮮も見事でした。
サッカーはラグビーと異なり、「まぐれ」でゴールが決まることもあります。ふらふらと上がったボールが風に流され、GKの頭を超えて入ってしまうこともあります。
これがラグビーの場合はありません。必ず実力どうりの結果が出ます。守って、守って唯一のチャンスでゴールを上げることもサッカーではあります。
FIFAのライキングは、国際試合の多い代表国ほど上位になります。北朝鮮は国際的に孤立しているので、国際試合経験が少ないと思います。しかし若手の有力選手は出てきています。後は監督コーチが、国際経験豊富な外国人指導者であれば、間違いなくサッカーは強くなるでしょう。
北朝鮮の独裁体制の弊害がサッカーのサッカーの発展を阻害しているのです。在日の李忠成選手は日本に帰化してくれました。チョン・テセ選手は北朝鮮国籍を選択しました。
日本は有力な北朝鮮籍の在日選手を日本に帰化させる働きかけをするべきでしょう。せっかくの逸材を北朝鮮の独裁体制では育てることができないからです。
話がそれましたが、マスコミの報道はフェアに相手国に敬意を払い伝えるべきです。スポーツ報道のありかたを考えてみました。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
以前にも取り上げたことがあります。テレビ局が大騒ぎしてデジタル化を7月24日にしました。しかし「高品質」の番組は全く見当たらず。韓国ドラマとテレビ・ショッピングだらけ。見るべきテレビ番組はほとんどありません。
2006年の資料だそうですが、テレビ局は「電波使用料」をほとんど払っていませんね。フジテレビなどは3778億円も営業収益をあげていますのに、電波使用料は3・18億円のみ。営業収益の0・1%です、ただ同然。
それに対して携帯電話各社は、テレビ放送局の何倍も「電波使用料金」が加算されています。そのあたりも釈然としませんね。本当にくだらない番組と、肝心の情報(放射能情報などを正確に伝えないテレビ局はいくつかなくなったほうが、エアコンを消すよりはるかに節電になるでしょうから。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
今日は仕事を終えて午後5時半からの後半から、ロンドン五輪アジア予選女子の日本VSオーストラリア戦を観戦しました。前半もTVによるとかなりゲームを支配し決定機もあったが得点できなかったとか。
見ているとオーストラリアは朝鮮不足七日動きが日本より悪い。日本のパスが後半はどんどんつながるようになる。後半の14分頃に、前線の永里がためて、川澄にパス、うまく相手DFをかわして先取点をとりました!
後半の途中、川澄は丸山と交代しましたが、暑い中頑張りました。
そしてなんとか守りきり、1-0で勝ちました。これで3連勝。トップキープです。
これで中2日で北朝鮮と対戦です。
その北朝鮮ですが、韓国とは激闘で点の取り合いで、3-2で韓国に勝ちました。なでしこさんと堂時間帯に、こちらはパソコンで韓国TVの場面で見ていました。
最初は試合開始早々に韓国が先制しましたが、すぐに北朝鮮が得点しました。そして激しい攻防をしたようです。
なでしこさんの試合が終っても、まだやっていました。痛んでいる選手が多かったせいかロスタイムが10分ありました。ロスタイムに韓国が必死の反撃をしますが、北朝鮮も必死のクリア。そしてついにタイムアップ。3-2で北朝鮮が韓国に勝ちました。
今日の時点で日本は3連勝で勝ち点が9.北朝鮮が2位で勝ち点が7.中国は今晩試合でおそらくタイに勝つでしょうから勝ち点が5になります。北朝鮮は最終戦にタイとの対戦があるので、北朝鮮には、日本は勝たないといけない。
地元中国との対戦前に、日本は五輪出場を決めたい。なでしこさんたちは、きっとやってくれるでしょう。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
「信長をは撃(はじ)いた男」(南原幹雄・著・実業之日本社刊)を図書館で借りて読みました。7月24日にアナログTVが見れなくなったので、読書時間が増えました。それで歴史小説を読んでみました。
時代は織田信長が機内一円に勢力を伸ばし、近江の浅井氏、六角氏などを駆逐していた時代。近江の甲賀地域は六角氏の勢力下でありましたが、織田信長に攻められ、甲賀一族も分裂し、かつての「」栄華はない。
そのなかの鉄砲の名手が善住坊という僧侶。甲賀の再興を夢見て、織田信長を銃撃します。1度目は朝倉攻めで浅井の裏切りがあり、信長必死の逃亡劇で山中の間道での狙撃。惜しくも外れる。
2度目は至近距離尾でしたが、銃撃直線に顔に蜂がとまり、弾道が外れてしまう。3度目の銃撃も外れてしまう。それで善住坊はお尋ね者に。ある甲賀の城の天井裏に忍んで信長銃撃の機会を待っていました。
時代は、信長包囲網が完成。浅井ー朝倉、一向門徒ー本願寺、六角、最大の脅威は武田信玄。ついに甲斐から動き出し、駿河に侵入。三方原で徳川家康を打ち破り脅威は尾張に迫ってくるはずでした。
善住坊はその混乱に乗じて、潜伏先から甲賀再興のために画策しようとします。しかし武田信玄は、野田城で、織田信長が手配した鉄砲の名手に足を撃たれます。それで武田信玄は無念の撤退。
息を吹き返した信長は、宿敵の浅井・朝倉を攻め滅ぼし、六角も駆逐しました。それで善住坊に懸賞金1000両を出し、領内いたるところに高札をたてます。
ついには仲間の裏切りで捕らえられた善住坊。信長に謁見後処刑されました。
独裁者に抵抗しテロリストの末路でした。でも「信長を撃(はじ)いた男」として歴史に名前を残しました。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
「人類を幸せにする国・日本」(井沢元彦・著・祥伝社)を読みました。筆者は日本がいかに世界に貢献してきたか。世界に誇る製品を提供してきたかを実例をあげて力説しています。
ホーム・ビデオが家庭を映画館にした。軽自動車がマイカーを庶民に普及させた。オートバイが庶民の足となった。事故率が低い日本の新幹線。乾電池は日本人の発明。カラオケとインスタント・ラーメンは偉大な発明。
更にアニメや漫画のソフトコンテンツや寿司文化が世界を変えたとあります。
ただこの著者は日本の原子力発電の技術も凄いと手放しで絶賛。「日本がここで踏ん張らないと中国では100を超える原子力発電所ができる。管理がずさんであろうから、爆発すれば風下の日本は人が住めなくなる。だから日本は技術貢献しないといけない」との発言。
東日本大震災による未曾有の原発災害は著者は想定していません。今風本の弱さと、著者の問題意識の低さを露呈しましたね。現実のほうがシビアであった実例本となりました。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
なでしこさんの主力選手が登場。前半からどんどんパスがまわる。飛ばしている。韓国DFはついていけない。10分にコーナーキックから坂口が得点しました。
それでどんどん攻めますが、前半の30分パスを中盤でまわしていたところ、DF熊谷がすべる。すかさず韓国に拾われつながれ、エースのチ・ソヨンに決められ、1-1に。其の後は韓国ペースに。しかし沢がボールをカットし、前半終了間際のロスタイムにFWの大野が流し込み2-1とリードして前半を終えました。
後半開始早々から韓国は守備ラインを上げ、攻撃的に。なでしこのクリアボールがほとんど韓国に拾われ、波状攻撃される。危ない場面の連続ですが、最後の決定力のなさに救われました。
終了間際は両チーム疲れでよれよれに。でもなでしこさんたちはリードを守りきり2-1で韓国に勝ちました。
華麗なパス回しが後半は出ないピンチでしたが、なんとかしのぎきりました。立派でした。
他の試合は、オーストラリアが5-1でタイに勝ちました。中国ー北朝鮮は、0-0のドローです。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
このところの日本のマスメディアの無礼な表現には腹が立つ。
まずは9月1日のなでしこさんたちのロンドン五輪アジア予選初戦のタイ戦。「世界女王のなでしこ。沢選手ら主力選手7人を温存。控え選手主体で試合をするも、前半はFIFAランク28位の挌下のタイにてこずり、無得点に終る」という表現。
タイが守備主体の布陣を組み、自陣に全員でがちがちに守っていました。スペースがなければ得点機会はそうそうつくれません。タイはボール扱いが上手く、前線のFWはスピードもありました。
ブラジル大会のアジア弟3次予選である9月2日の「日本VS北朝鮮」戦。これまたマスコミ各社の表現は「本田,長友が怪我で欠場とはいえ、挌下の北朝鮮に苦戦し、ホームで引き分け寸前まで追い込まれていました。」とかい表現。対戦相手には失礼な表現ではないか。
むしろタイにしても北朝鮮にしても、挌上の日本に対して、守備的に行き、隙あればカウンター攻撃を仕掛ける攻撃的な守備をしていましたから。両試合とも日本はスペースがなく、苦戦していました。
圧倒的にゲームを支配しようが、ボール占有率が多かろうが、サッカーには柔道やレスリング、ボクシングのような「判定による優勢勝ち」はありません。ゴールを上げなけば勝てないし、最後まで両リームがゴールがなければ引き分けになります。
自陣に引いて守って、日本のパスの受け手に攻撃的な守備で囲い込み、自由にさせない。しかも反則せずに守備をするやりかたは、女子のタイも北朝鮮も見事でした。
サッカーはラグビーと異なり、「まぐれ」でゴールが決まることもあります。ふらふらと上がったボールが風に流され、GKの頭を超えて入ってしまうこともあります。
これがラグビーの場合はありません。必ず実力どうりの結果が出ます。守って、守って唯一のチャンスでゴールを上げることもサッカーではあります。
FIFAのライキングは、国際試合の多い代表国ほど上位になります。北朝鮮は国際的に孤立しているので、国際試合経験が少ないと思います。しかし若手の有力選手は出てきています。後は監督コーチが、国際経験豊富な外国人指導者であれば、間違いなくサッカーは強くなるでしょう。
北朝鮮の独裁体制の弊害がサッカーのサッカーの発展を阻害しているのです。在日の李忠成選手は日本に帰化してくれました。チョン・テセ選手は北朝鮮国籍を選択しました。
日本は有力な北朝鮮籍の在日選手を日本に帰化させる働きかけをするべきでしょう。せっかくの逸材を北朝鮮の独裁体制では育てることができないからです。
話がそれましたが、マスコミの報道はフェアに相手国に敬意を払い伝えるべきです。スポーツ報道のありかたを考えてみました。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近の韓国は少しおかしいのではないでしょうか。やたら日本を挑発し、日本国民の感情を悪くすることを平気で政治的に行い続けている。
1)日本がGHQに占領されている間に韓国の独裁者李相伴は、竹島を不法に占領。李ラインを引き、日本漁船を拿捕するという暴挙に出た。1965年の日韓条約締結後李ラインは廃止。しかし竹島に居座り実効支配を続けている。
2(竹島は日本固有の領土である。韓国は直ちに施設を撤去し軍身ひきあげるべきである。
3)竹島の問題と日韓併合問題は無関係。不当な言いがかりを韓国はやめるべきである。
4)歴史的まいしょうである「日本海」を韓国の都合で「東海」とのすべきという主張は暴論。地名に自国の政治的な配慮を入れるべきではない。国際的にも非常識。
5)北朝鮮は完全に中国の属国となった。韓国も中国に脅かされることになる、背後地である日本とことさら対立することは韓国の独立すら怪しくなる。日本との善隣友好関係があればこその韓国自由社会ではないのか。
6)それとも韓国は中国の属国の道を選択したのかもしれない。だから竹島不法占拠し、強気の発言をする。そうであればわかりやすい。
7)元寇の時のように、中国の先兵となり日本を侵略する意図があるのであれば、日本国民は侵略者と断固として戦う。
極端なシュミレーションを考えてみました。しかし韓国の発言は、背後地である日本を離反させるようにもっていっているとしか思えない。となると北朝鮮を通じて韓国は中国の属国となったんですね。そうとしか思えません。
韓国の左翼勢力はゆがんだ歴史館を持ち、歴史を捏造しています。日韓両国が対立することで誰が喜ぶのか冷静に考えていただきたい。おのずから韓国の主張が度が外れていることがわかるはずだ。
きちんと歴史を勉強し、冷静になって日韓友好を推し進めることが両国民にとって利益が上がることです。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
昨日はなでしこさんの女子サッカーでしたが、今日は男子。W杯アジア予選の対北朝鮮戦。会場の埼玉浦和スタジアムは大雨のなかでも満員。独特の雰囲気です。
北朝鮮も力任せのパワーサッカーではなく、パスをつなぐモダンなサッカーの変身しつつあるようです。前半は日本がボールを6割支配し、ゴール前の惜しい場面もありました。しかし最後の場面では北朝鮮の必死の守りがあり得点が奪えない。日本も強引さがないといけないと思う。
本田の怪我でも欠場で代替の柏木ですが、肝心なところでシュートが浮く。やはり体幹が弱いのでしょう。枠に行かないと得点できないですからな。北朝鮮は引き分けでもOKなんですよ、日本は工夫と強引さがひつようでしょうね。
後半このまま引き分けかというムードに。ホームでの引き分けは負けに等しい。ザック監督が動きました。まず柏木に代わり若い清武を投入。これでリズムが変わり相手ゴール前に迫る。次に追加召集したばかりの194センチのハーフナー.マイクを投入。ヘッドで勝つがゴールは遠い。
相手の遠藤への悪質なタックルがあり、1発退場に。しかしもうロスタイム、このまま引き分けかとおもわれました。
何度も何度もコーナーキックがありました。こぼれ球を拾った清武がクロス。それをDF吉田が見事にゴール!ついに日本は勝ち越しました。
試合後のザック監督のインタビュー。きびしい戦いの後の顔です。
解説の都波氏と北沢氏が「ロスタイムでの得点ぅて、ドーハの悲劇の逆になったんだ。日本は強くなった!」と叫んだところで民放地上波は打ち切り。NHK衛星第1なら後の解説も見られるだろうが、家内が別番組を見ているので見れません。でも日本が勝利したからいいですよ。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2004年1月1日から、このココログのブログを始めました。7年目を過ぎました。
書いた記事の数は、7300を超えました。1万を超えるのもそう遠い未来ではありません。
最近フェイスブックなども登場してきました。でもフェイス・ブックはブログとしては使い勝手が悪い。コメント欄は450字程度しか書けない。字数宣言があるなんてナンセンスです。画像や動画の投稿が出来るのに、「重たくない」テキストでの字数を制限するのはFBはおかしい。本当の意味のコミュニケーションができ辛い。
その点ブログはいいですね。字数制限はない。最近では動画もリンクが貼れるようになりましたし。
「よくブログ見てますよ」と最近複数の人から言われました。ブログ業界では「有名」ではありませんが、高知市の1市民の「吠える」ブログの内容が面白いらしく、決してその過激で独断的な論調には賛同はしないものの、眺めているのであると。
「高知の市民の生活を知るため」であるとか、「なんだかトーンが違う変人」だとか、「面白そうな活動をしているらしい」とかいう理由で視聴いただいているようです。またその人たちはコメントを入れるわけでもなく、無言で読者になられています。
実際に複数の人から言われたので、知り合いだけが見てるわけではないと思うと、身が引き締まる想いでした。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
(1946年昭和南海地震。当時の高知市二葉町地域も地盤が沈下し長期浸水しました。)
今日は「防災の日」。1923年9月1日に起きた関東大震災の教訓を忘れない日です。なでしこさんたちの大事なアジア予選の初戦です。結果はスポーツニュースで見ましょう。
そして午後10時からはNHKスペシャル「巨大津波が都市を襲う~東海 東南海 南海地震~ 」を見てください。自分の地域にひきつけて考え行動してください。
http://www.nhk.or.jp/special/onair/110901.html
今朝の日本経済新聞社会面42面の多重被災ー防災力を高めるという連載記事。「長期避難を覚悟」とある見出しの後にこう書かれてありました。
「東南海、南海自身の危機と向き合う高知市二葉町地区の住民は、長期浸水した際の集団疎開を念頭に、備えの強化に動く。東海地震も加えた3地震が連動した場合、地区全体が役メートル沈下し,約1ヶ月間は水に漬かると高知県が予測したためだ。
地区の自主防災会は震災意向、山間部の同県仁淀川町との交流を本格化。手始めに同町で栽培する野菜を地区内で販売する計画を進める。同会会長の森宏さん(77)は「長期避難も覚悟し、支えあいを備えにつなげたい」と話している。」(日本経済新聞 2011年9月16日社会面42面)
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
(1995年1月17日の阪神・淡路大震災)
9月1日は「防災の日」。1923年(大正12年)9月1日(土曜日)の午前11時58分に発生した関東大震災。M7・9の巨大地震でした。家屋の倒壊と発生した火事で10万人を超える死者と30万の家屋が倒壊・消失したそうです。
国は「防災の日」と定め、総理大臣、知事や市町村長や消防、自衛隊、自治体職員などが参加する1大公式行事になっています。
市井の1市民である私は、地元の自主防災会に参加し、町内会レベルの「小さな社会」から南海地震と2006年の防災会結成からまじめにむきあってきました。
それなりの取り組みもしてきましたが、2011年の3月11日の東日本大震災の大被害とそれに続く福島第1原子力発電所の原発災害事故の惨状を映像で見まして、他人事ではない重さを感じました。明日はわが身です。
ではわたしになにがでるるのか。またなにをしなけばならないのか。それを必死で考え行動してきました。またこれからは実行していかないといけないと思います。
今年後半から来年にかけて取り巻く状況も変化します。さてどうなることか。
(二葉町自主防災会が独自に設定した津波避難ビル。オーナーは西森俊一二葉町町内会長です。こちらで撮影した場面も番組で登場するやもしれません)
7月8日放映のNHK四国エリアの「四国羅針盤」に続いて、今度はNHK総合の全国ネットのドキュメンタリー番組「NHKスペシャル」に、二葉町自主防災会の活動が少しだけ紹介されるようです。
(放映日時) 2011年9月1日(木曜日)午後10時~10時49分
(番組内容)
「巨大津波が都市を襲う~東海 東南海 南海地震~」
ということです。
番組ホームページ
http://www.nhk.or.jp/special/onair/110901.html
高知県庁危機管理部の想定によれば、「南海地震発生時における本県の避難者は約26万人(高知市で焼く1万人)に達する。」とか。
「防災時に指定している避難所の多くは、浸水区域内にあります。浸水区域の避難者の受け入れ体制は早急に取りくまなければならない課題です、市町村の枠組みを超えた避難については二葉町が取り組んでいる平時からの交流が大変重要になると考えています。」(高知県危機管理部南海地震地震対策課長 北川尚)
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近のコメント