「信長を撃(はじ)いた男」を読んで
「信長をは撃(はじ)いた男」(南原幹雄・著・実業之日本社刊)を図書館で借りて読みました。7月24日にアナログTVが見れなくなったので、読書時間が増えました。それで歴史小説を読んでみました。
時代は織田信長が機内一円に勢力を伸ばし、近江の浅井氏、六角氏などを駆逐していた時代。近江の甲賀地域は六角氏の勢力下でありましたが、織田信長に攻められ、甲賀一族も分裂し、かつての「」栄華はない。
そのなかの鉄砲の名手が善住坊という僧侶。甲賀の再興を夢見て、織田信長を銃撃します。1度目は朝倉攻めで浅井の裏切りがあり、信長必死の逃亡劇で山中の間道での狙撃。惜しくも外れる。
2度目は至近距離尾でしたが、銃撃直線に顔に蜂がとまり、弾道が外れてしまう。3度目の銃撃も外れてしまう。それで善住坊はお尋ね者に。ある甲賀の城の天井裏に忍んで信長銃撃の機会を待っていました。
時代は、信長包囲網が完成。浅井ー朝倉、一向門徒ー本願寺、六角、最大の脅威は武田信玄。ついに甲斐から動き出し、駿河に侵入。三方原で徳川家康を打ち破り脅威は尾張に迫ってくるはずでした。
善住坊はその混乱に乗じて、潜伏先から甲賀再興のために画策しようとします。しかし武田信玄は、野田城で、織田信長が手配した鉄砲の名手に足を撃たれます。それで武田信玄は無念の撤退。
息を吹き返した信長は、宿敵の浅井・朝倉を攻め滅ぼし、六角も駆逐しました。それで善住坊に懸賞金1000両を出し、領内いたるところに高札をたてます。
ついには仲間の裏切りで捕らえられた善住坊。信長に謁見後処刑されました。
独裁者に抵抗しテロリストの末路でした。でも「信長を撃(はじ)いた男」として歴史に名前を残しました。
| 固定リンク
コメント