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2011.09.28

「若き友よ」を読んで

Wakakitomoyohon


「若き友よ」(五木寛之・著・玄冬舎刊・1995年刊)を図書館で借りて読みました。随筆集ですが、五木氏が1988年頃から「旅行読売」に連載執筆されていたものを編集し、加筆された本でした。

 昭和7年生まれの五木寛之氏ですので、当時は60代前半の年齢。お元気であった頃ですね。自分より若い人たちへの呼びかけ文章になっています。

「若さとは、元気ハツラツとして、はじけるように快活な姿だとも考えません。
 青春という時期は、ある意味では、どうしようもなくみすぼらしい、残酷な季節ではないかと、昔からひそかに感じていました。ですから、ぼくは<凄春(せいしゅん>という字を勝手に使ったりもします。

 確かにそう言われて見ればそうですね。わたしの場合にもあてはまります。1番元気な高校生の頃は、なんだか精神的に惨めでした。40年前の1971年4月28日に、初めてヘルメットを被りデモ行進しました。その後は仲間内の分裂、と対立。随分ののしられました。結局高校を卒業できなくなり、進路に悩んでいた時に起きたのが、連合赤軍事件。学業を怠り打ち込んでいたことが全否定されましたから・・。

「人間というやつは、かつて1度読んだことのある本を、二度あらためて読み返すことは、なかなかしないものなのです。

 読んだ、という事実があるだけにそうなのです。ですから早熟な中学生が名作といわれる小説を何冊も読破してしまうと、大人になってから特別な機会でもなければ、さらにもう1度じっくり読み返したりしないことが多いんですね。

 しかし、小説も土地も人間も、こちらの成熟度や精神的な幅の変化によって、それぞれにいろんな顔を見せてくれるのです。十代にしか感じられないもの。
 それはたしかにあります。二十代はともかく、四十代、五十代になってしまうと心が震えるような情感やセンチメントを、なかなか味わうことができません。

 しかし失ったぶんだけまた見えてくるものもあるのです。つまり古典を含めて、すべての作品はいくつもの多様な面をもっている。といっていいでしょう。
 そしてうんと若い時期に出会った作品を、中年期に、さらに老年になってもう1度読み返すことは、とても大事なことなんですね。」(P166 「一度読む本は三度読む」)

 最近ドストエススキーの「罪と罰」を図書館で借りて読みました。たいてい青少年時代に読破されているんでしょうが、私は、中高年親父になってようやく読めました。若い頃は社会運動に熱中していて精神的な余裕がまるでありませんでしたから。

 そのほか、五木氏は鈴鹿のF1レースや、オートバイ耐久レース、ロック音楽についても言及し、若い人たちと共通の目線で対話しています。心が若いなと感心しました。

 決して若い時代の自慢をしなくて、若い人からも学ぼうとする貪欲な姿勢に感動しました。さすがだなと感心しました。

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