政治と金の問題は市民側に問題がある
よく「お金のかからない政治」を標榜する人たちがいます。でも政治活動をするためには、お金はかかります。それを全否定することはできません。
以前知り合いの市会議員がこう嘆いていました。
「毎年忘年会が100回、新年会が50回あります。1日3度くらいかさなることも。支援していただいた団体や、組合、町内会なので欠席はできない。」
「少しの時間だけしか出れなくても招待を受ければ会費は支払います。それ以外に冠婚葬祭があります。それらの出費を考えますととても議員採否では足りません。」
「選挙は銀行から借金してやります。」と聞いたことがあります。その議員は保守系無所属。労組や宗教団体まるがかえの政党公認候補は「楽でいい」「きれい事を言えるから」と言っておりましたね。
でもそれは「組織の奴隷」「組織の使い走り」にすぎません。支援する組織の力で当選すれば、組織への奉仕活動が第一となり、市民全体への貢献は何も出来ません。
また中選挙区時代でしたが、ある知り合いの衆議院議員が宴席でこう話されていました。
「田舎の人たちは、良い話や講演会をただで来てくれることはありません。必ず宴会をセットしないといけません。それも選挙が近づくと、自分たちで宴席を設け、タクシーを使いその請求を後援会事務所へ送りつけて来ます。その支払いは莫大なものです。」
「選挙運動中も畑で作業をされている人に握手作戦をします。必ずお札を握っています。あるとき帰り際に怒っている人もいます。それは対立候補者より金額が少ないと言っているのです。」
「選挙も終盤戦になると裏事務所に、50人は票は確実だから50万円よこせといってくる人たちがいます。ブラックな関係の人たちが多いのですが、確実な票なのでたまに利用しました。」
えぐい話の連続でした。その衆議院議員はそこそこ活躍していましたが、選挙で2回連続で落選し、最後は自殺されました。痛ましいことです。
明治時代の制限選挙時代には、買収供応はなかったと聞いています。当時は多額納税者にしか投票権も被選挙権もありませんでした。地主や大商人しか選挙に参加できませんでした。最初からお金持ちですから、買収する必要がなくクリーンだったのです。
普通選挙の時代になると、お金持ちでも、貧乏人でも1票です。自分の票をお金で売っても良いという人が現れますし、売買が成立するでしょう。税金を支払っていない成人でも日本人で住所が確定しておれば投票権がありますから。
「 選挙活動は、生徒会や大学自治会選挙とは違います。」
生徒会や自治会の選挙には立候補し、当選したり、落選したりしました。でもそれには資金は要りませんでした。当時政策があったかどうか記憶にありませんが、何らかの提案をし、多数決で支持されるか、されないかでしたから。
実際の日本の選挙は異なります。「地盤」「看板」「かばん(資金)のない候補者は、国政でも地方議会選挙でも泡沫候補です。法定得票数に達せず、供託金は没収されます。
選挙制度が改正され、供託金を支払えば、選挙管理委員会が掲示板にすべて候補者のポスターを貼ってくれるとか。供託金の枠内でしか選挙運動をしてはいけないとか、厳密にやればいいのに実際はそうではありません。
政党の候補者は、政党のポスターに候補者の顔写真と名前入の掲示が公然とできるからです。無所属候補はまずそれはできません。
ブログやホームページでの選挙運動も現状では禁止されています。でも政党のWEB歳とは野放状態です無名の。無所属候補が当選できる環境ではありません。
考えてもみてください。個人で何枚毎年年賀状を書きますか。多くて200枚程度でしょうか。その出した200人が、自分が選挙に出たとして全員が入れてくれるわけではありません。
高知市議会議員でも当選するのには、2500票が必要です。高知市選挙区の県会議員になると5000票は必要です。高知市長なら7万票。高知県知事なら20万票は必要。小選挙区の衆議院議員では4万票くらいは必要です。
その票数の人たちに候補者の名前を投票日に書いていただかないと当選できません。物凄く大変でエネルギーがかかります。知名度のない市井の市民の当選は市議会議員でもほぼ不可能です。
結局家族や友人以外の人たちにお世話にならないといけません。事務所を借ります。電話を引きます。事務員を雇用します。体裁と整えるのにお金がどんどん出て行きます。
印刷物をつくります。それを郵送します。電話をかけます。想像しただけで物凄くお金がかかります。
ではだれがそのお金を負担しますか?。大企業や労働組合の支援する候補者は、支援者が休暇をとって、交代で事務所へ出向してきて、スタッフを「ボランティア」でやってくれます。ポスター貼りも組織を使えば地区割りしてすぐに出来ます。
組織のない無所属候補者は自分や友人家族で手分けして貼るか、運送業者に委託契約して貼ってもらいます。ここでもコストがかります。
結局金権腐敗選挙が撲滅できないのは、現行制度では選挙にコストがかかりすぎるし、費用を大企業や労働組合や政党組織が支払っているので、その意向を受けた議員が大変ですので、国民の意向とはことなる政治を行なうのです。
ではどうすればいいのか?国民が出資し、政治家を育てることでしょう。スポーツクラブでも毎月5000円、年間6万円の年会費は払います。
1人年間6万円の会費を集めれば、100人で600万円。1000人で6000万円です。1000人の出資者を集めることに成功すれば、市議会議員選挙には出馬できるでしょう。政治活動はできて、選挙活動も可能でしょう。
その個人献金だけで選挙はすべきであり、一切の企業献金、団体献金、外国人からの献金は禁止すべきでしょう。1人が1口が限度。複数口の献金は違反とします。政党交付金が必要かどうかは議論すべきでしょう。
当然貴重な身銭を出すのですから、報告集会や、地域としての要求や、質問があり、それにたいして政治家は真摯に回答しないと個人の献金者が減少します。とりあえずこんなことが可能かどうかはわかりませんが、自分の金を出して、政治家を育てるきもちがなければ、本当の政治改革はできないでしょう。
| 固定リンク
コメント