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2011.09.12

武市半平太も安政地震の罹災者でした

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(高知市菜園場町の横堀公園にある武市半平太邸跡の石碑。実際には道路をまたいで北側の桜井町にありました。)


幕末の土佐勤王党党首であった武市半平太。自宅は高知市仁井田にあります。さすがに自宅から高知城下まで通うのは遠いというので、新堀川近くの田淵(現在の桜井町)に自宅と剣術道場を建て居住していました。しかし1855年に安政南海地震に遭遇します。

 「大地震が起きたのは、道場を開いた年のうちの11月4日(12月24日)だった。地震のあとを、おきまりの火災と津波が襲った。半平太は祖母を背負い、妻とともに城下北方の比島山に避難し、そのあと本町5丁目の久万八平方に奇遇する。久万家は祖母の生家である。

 翌年、焼け跡に2部屋ばかりの小さな家を新築し、さらに翌安政2年正月には道場も新築した。この年の夏から半平太は藩命による剣術教導のため、安芸郡田野や香美郡赤岡に出張するようになった。そのおり得た知己門弟が、のちに勤王党の勢力拡大に役立っている。」(「土佐勤王党始末 嶋岡しん・著 P32)

 高知の南海地震研究家間城龍男氏の著作「南海地震」によりますと、地盤の弱い下町地域の家屋は全半壊。ご飯の時間帯であったこともあり、ほどなく進入してきた津波の被害と火災で、高知城下の東側の町人街は壊滅的な被害を受けています。

 しかし記述にあるように、翌年には同じところへ武市半平太は戻り自宅と道場を再建しています。プレハブというのか、バラックのような建物であったようですね。

 これが上士階級の武家屋敷のような家屋なら、罹災後2月後に再建などできません。
Anseizishinkazi

(地図は、間城龍彦氏の著書「南海地震」から引用。P66です。)
Rekisitizu


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