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2011年10月

2011.10.31

11月3日は「昭和秋の感謝祭」へ集合

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 11月3日(水曜・祝日・文化の日)は、「第1回昭和秋の感謝祭」が、午前11時から16時迄で、高知市立昭和小学校で開催されます。地域の住民同士の「絆」をより確認するために実施されます。

 11月2日地域の昭和校区4500世帯に投函されるチラシが出来たようです。それを見ることで、イベントの概要が理解できるものであると思います。

 二葉町と二葉町自主防災会は「二葉町・仁淀川町交流サロン」として出店いたします。今年4月以来交流をしてまいりました。6月5日には仁淀川町を二葉町側が訪問し交流を深めました。今回は仁淀川町のまちおこしグループが下知地域の「昭和秋の感謝祭」に来ていただきます。ご参集の市民の皆様は仁淀川町の物産を買い付けるようにお願い申し上げます。

 11月23日は今度は二葉町ほか下知地域の市民が仁淀川町をお訪ねして交流を深めます。現在参加者を募集しています。
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10月も終わりなのにこの暑さはなんだ!

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 やはり雨上がりで、晴天ないなり気温が上がると、大嫌いな蚊がさっそく出てきます。早速蚊取り線香を炊きました。こうなることに毎年なるので、買いだめをして良かったと思いますね。スーパーは10月の声を聞いたら、機械的に蚊取り線香売り場を撤去し、そのスペースに、「使いきりカイロ」を並べますから。でも暦どうりに季節は進展しません。

 そのあたりスーパーも臨機応変さが必要ですね。対応がこう超過しすぎています。本当に暑いので半袖を着用し、自転車で月末の集金に廻りました。

 雨上がりの晴天は風が強く吹きます。休日のセーリングの日にとっておいていただきたかったです。風が強くて自転車での走行には、やや苦戦しました。
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 堀川水門。多くのマスコミ関係者は、東北規模の津波がくれば、この水門を超えてくるでしょうと。そういえばNHKスペシャルでもこの水門を背景にカメラに向かって話しをしましたね。
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 五台山も鏡川沿岸部の中ノ島も晴天ですと綺麗に見えますね。鏡川大橋歩道部は、土佐国道工事事務所の許可を得て、「災害時要援護者一時退避場所」と二葉町防災マップ(2007年作成)には記述しています。

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 スシローという全国資本のハガタカ外食産業は相変わらず繁盛している。既に高知市に3店舗あり、南国市にも1店舗建設中であるとか。うちは流行にとろいのでまだ行った事はありません。
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 歩道部を自転車道路と歩行者とにわけています。もっと物理的にわけたほうが安全でしょう。幹線道路は自転車専用道路はこしらえていただきたいですね。
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 特徴のある建築物のタイヤ店でしたが、移転したのでしょうか?売りの表示が出ていました。
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 土佐道路と電車道が交差する桟橋3丁目付近も海抜0・5メートルですね。

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11月3日は昭和秋の感謝祭に二葉町も参加します

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 11月3日(文化の日・祝日・木曜日)は、昭和小学校運動場にて「第1回昭和秋の感謝祭」(国見俊介・代表・二葉町在住)が開催されます。昭和小学校校区ゆかりの町内会や団体やグループ、企業が出店します。

 「昭和校区住民同士の絆を深めていこうという試み」です。

 今回二葉町自主防災会と二葉町町内会では出店することにしました。 「二葉町&仁淀川町コラボ」(二葉町仁淀川町交流広場)として、当日共同販売する予定です。

 今回仁淀川町からは、地域の産物を11月3日当日持ってきていただくことになりました。
お茶スーツ。プリン、いりもち、池川こんにゃく、いたどりキムチ、池川一番茶、神楽みそ、勝頼君せんべいなどです。(販売品目は別紙チラシ参考)

 二葉町からもおむすび(森食料品店)やお米(西森酒店)を販売します。

 南海地震が起きた時に地域が地盤沈下で水没ー長期浸水した場合に、仁淀川町に「一時疎開」できないだろうか。ということで、4月以降仁淀川町の関係者や役場と協議をしてまいりました。

 具体的に来年以降に、高知市、仁淀川町、高知県という行政機関も含めた協議も検討されています。低地の沿岸部の都市市街地地域と、中山間部の仁淀川町との交流を今後も継続して行ないます。

 当日は皆様仁淀川町との絆を深めるためにも、会場へ来訪され、仁淀川町と二葉町のテントへ立ち寄られ、産物をご購入ください。

11月23日(水曜・祝日)は仁淀川町を訪問交流します。

 二葉町住民側が、仁淀川町現地を訪問し、仁淀川町の住民避難施設施設の見学や、防災対策など、他現地での交流事業を予定しています。参加費は1000円です。下知図書館前からバスが出ます。

 仁淀川町役場が調整していただきました。当日は池川神楽も見学します。仁淀川町のまちおこしグループとの交流も予定しています。仁淀川町の景勝地も見学予定です。

 6月5日の仁淀川町・田村地域での交流会に続いて、2回目の訪問です。仁淀川町役場企画課との協議で決まりました。

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2011.10.30

放射線測定器のレンタルの商売が登場

 なんだか物騒ぎな時代になりました。放射線測定器が商売になるようですから。これは深刻な時代になったということです。

 あるところから来た「売り込み」メールです。考え込みますね。

【レンタル開始】 放射線測定機(ガイガーカウンター)」

この度、「放射線測定機(ガイガーカウンター)」の
レンタルを開始しましたので、ご案内致します。

原発事故で、放射能汚染に対する関心が高まる中、
多数のご要望を頂きましたので、
「放射線測定器」のレンタルをスタートしました。

同時に以前よりご好評を頂いておりました
「ソーラー充電器」も販売だけでなく、レンタルも開始しました。

合わせてご利用くださいませ。

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 ● 放射線測定機(ガイガーカウンター)
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■ECOTEST ガイガーカウンター 放射能測定機 TERRA

http://www.ecoenecharger.com/#geiger

1泊2日レンタル 7,000円(*送料800円)
3日間レンタル 9,800円
1週間レンタル 17,000円
1カ月レンタル 40,000円

*保証金:36,000円(返却確認後お客様に返金)
*延長:1日3,500円

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 チェルノブイリ原子力発電所があったウクライナ共和国製だそうです。それだけに間違いない製品であると恩ぉいます。

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2011.10.29

10月29日の夜須の海

 4月以来、お手伝いの時は晴れ上がり、プライベートでセーリングしようと思えば、台風の高波や悪天候でなかなか今年はヨットに乗れませんでした。今日は今年はお手伝いは終ったので、さあヨットの季節だと意気込んだ者の、空はどん曇。曇りのち雨の予報。

 まず先々週にセーリングをしてへし折ったブームを差し込むピンの修理から。部品を取り寄せ修理をします。それが終るとぎ装をして、あんばいをたしかめませんと。
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YASU海の駅クラブのヨット艇庫で修理作業しました。
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 ブームを差し込むグースネックのピンのみかと思いましたが、井土事務局員に聞きますとそのカバーを外さないといけないとか。自分ではっできないので、やっていただきました。
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 そしてようやく完成。ローマストにブームを差し込んだらヨットのぎ装が出来ます。
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 芝藤・野中艇なので、許可を得て試乗することにしました。ぎ装をしてみました。
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 あまりにヨットを覆うカバーも破れていましたので、ビニールテープで応急措置をしました。

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 今日は「シニア・ヨットクラブ」のTさんとKさんが来られました。どん曇かと思いましたが、日差しがありました。日差しがあれば、ウエットではなく、簡易ウエットスーツです。風はそれほど吹かないだろうと思いましたので、デジカメをヨットに積み込みヨットの上から撮影しました。
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 自分らの前に高知大学ヨット部の470が出艇しました。そしてその後海へ出ました。デジカメは以前にWさんにいただきました「防水ケース」に入れました。ヨットは揺れるし、傾くしなかなかよい写真は撮れません。
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 v高知大学ヨット部は、マークを打ち回航する練習をしていました。私らはそれとは別に自由にセーリングをしました。
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 はやく防水デジカメが欲しいですね。
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 お昼は訪でおむすび3個と玉子焼きとお茶を購入。YASU海の駅クラブのデッキで食べました。
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 デッキからの見晴らしも良いものです。昼からも出艇しました。赤岡沖まで行きました。

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 今日は1日海で遊びました。曇りのち雨という予報でしたが、お天気で「得しました」風はもう少しあれば良かったのですが、贅沢はいえませんね。
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 ハーバーでは高校生たちがディスカッションしていました。


 4月から休日は、ヨットやカヌーの教室や体験やレースのお手伝いが多かったです。お手伝いの日は晴れ、プライベート・セーリングは悪天候や高波が多かったですね。今年は。でも今後はお天気も安定するので、思い切りプライベートセーリングができます。ヨットの季節の開幕です。

 心も体もすっきりしました。

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フェイスブックについて


ブログネタ: Facebookデビューした? 参加数

 ある知人の誘いもあり、3月頃からフェイスブックを始めています。しゃかりきになって、「友人」を増やすつもりは全然ありません。あくまで自分はこの個人ブログが「主体」であり、「自己表現の場」であると思っています。年配者になっていることもあり、そこそこの人脈やネットワークは既にあるからです。

 ただ学生時代の友人や、青年会議所時代の知り合いにフェイスブックで、「再開」し交流が始まるなんてことはありました。それはいいことでしょう。

 それと意見の違う人たちのコメントや書き込みを見るのが楽しい。発想が違う人と田舎におれば会うことは殆どないですから。
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 開発者の映画も確かありましたので、見に行きました。「のぞき趣味」の女性にもてないパソコン・オタクが開発したソーシャル・ネットワーク。なにが社会性があるのか映画ではわかりませんでした。 

 その後もフェイスブックは変容しています。それほど「入れ込んで」はしていません。実験サイトとしては面白いとは思います。今のところそれ以上でも、それ以下でもありません。

 

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2011.10.28

10月最後のはりまや橋サロン

 今日は10月最後のはりまや橋サロンです。北海道の叔母と従兄弟に、高知のモノを送ろうと思い、大丸百貨店の地下の食品売り場に先に行きました。それでいつもと逆のアングルで写真を撮影をしています。
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 明日は「100円商店街」になるそうです。前回開催したところ大人気で6000人が来店したそうですから。今日の金曜露店市は、秋もの主体になっていますね。
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 島本茂雄さんも人生相談をされております。
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 今日の活き活き100歳体操は10人の参加者で行なわれていました。

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表へも出ることなく、注目されずに終る人生

 私も含め大多数の市民は、人生において「表舞台」にたつ事のなく、「注目されることもなく」人生を終えます。でもそれが普通であると思います。

 社会の中で上層部、とくに政治や経済のリーダーは、「名もなき人たち」の代弁者であることを忘れないで欲しい。「リーダーには想像力が必要」であると思うからです。

 しかるに最近の政治や経済のリーダーの身勝手さには呆れる。市井の市民の生活には関心がなく、自分の特権にしがみついているだけ。これではリーダーの資格はありません。

 そんな手合いが多い用です。原子力発電の大事故はそうした連中の不作為が招いたことでしたから。

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2011.10.27

開発途上国に貢献する仕事

  学生時代の友人は、長らく印刷業界の国際部門にいました。英語力を生かして世界の得意先に新規の印刷機械を販売されてきました。欧州も米国もアアジアも南米も各地へ出かけセールスをしてきました。

 最近は独立して中古の日本の機械を開発途上国へ輸出する仕事をしています。モンゴル人のパートナーと一緒に商談を見学しました。
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 ある中古機械を手入れされている修理屋へ。いわば中古の自動車のようなものか。それをアジアの開発途上国へ販売するとか。昨年は10数台の商談をまとめたとか。
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 「この機械はこれこれで、こういう機能があってと聞いても、門外漢にはさっぱりわからない。機械とてスクラップになるよりは、求めている国へ行って稼動すればいいのです。

 そういう世界があるとは。勉強になりました。
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2011.10.26

防災人づくり塾へ参加しました

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 高知市の危機管理室主催の「平成23年度防災人づくり塾」。二葉町自主防災会からも森会長、荒木副会長以下6人が参加しました。平成12年から「防災ひとづくり塾」は開催されていまして、今までに783人の受講生がありました。今年は今回だけで、250人が参加しています。会場の高知市安心センター3階大会議室は満杯状態でした。

 最初に高知市南海地震対策担当理事の下元敏彦氏が開講の挨拶をされました。高知市は地域の災害時の防災知識のある市民の育成に力をいれているとのことでした。防災関係では権威ある人たちが講師なので休まずに受講をお願いしたいとのことでした。

 そして早速講義に。1回目前半の講師は、高知市消防局総務課主幹である本山和平氏。現地へ支援に行かれた人ならではの話でした。岩手県大船渡市へ支援に行かれました。
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「1995年当時の阪神大震災直後の支援と異なり、今回は国の支援も行き届き、支援者の寝泊りするテントやキャンピングカーなど住居の支援は行き届いていました。ただ津波の罹災地の被害は想像を超えていました。。」ということで、自ら撮影されたビデオを見せていただきました。

 ただただ受講者たちは声もなく見るだけでした。TVのニュース映像と違い、防災担当者用の映像でしたので迫力が違いました。
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 本山氏は「とにかく自分が助かることが大事。そのためには自宅の家具の転倒防止対策、家屋の耐震補強が必要です。高知市では津波による火災を防ぐためにタナスカや中ノ島の石油タンクの防災対策が必要と知事にも提言しました。」と言われました。

 続いて講演された高知市健康福祉部健康推進担当理事の堀川俊一氏は宮城県南三陸町への医療・保健支援で行かれたそうです。

 役場や医療施設は壊滅状態。住民の医療や保健にデータも喪失していて大変であったとのことでした。ただ南三陸町では地域コミュニティがしっかりしていまして、共同で医療・保健支援活動ができて効率的であったとのことでした。災害時にこそ地域コミュニティが大事であると堀川氏は言われました。

「とにかくつぶれない、流されない市役所が必要である。コミュニティが何より大事である」といわれました。
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 講義終了後堀川氏と少し話ました。こういわれました。

「東北の人は実に我慢強い。支援の皆様へと自家製のまんじゅうを差し入れていただいたご婦人がいました。その方は津波でご主人を亡くされたかたでした。でもあとで悲しみがどっときて鬱になる可能性が高いですね。

 その点高知県人は我慢しないでしょう。行政はなにしよら。と声を大にする人がおおいでしょうね。」と。

「それはメンタル・ヘルスではいいんでしょう」と聞きました。

「我慢しないからいいとは思いますね」といわれました。

 8回の講演会がこれから来年1月にかけてあります。

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長寿には体のケアが必要です

  つきに1度体のケアをしていただいている老師(整体師)がおられます。人生125歳が持論の人。現在は85歳の現役整体師。とにかく凄い。

 「体のケアをしないといけないね。日野原繁明さは100歳になられた、もともと丈夫な人なんでしょう。あんなに背筋が曲がっても100歳ですからね。もっと体のケアをすれば、若々しいのに」と残念がります。

 老師は呼吸法と運動が大事。それと体のゆがみを正すことが大事と言われます。

 月に一度整体を受けているときは、自覚していますが、普段は忘れる。今思い出したので老師の言葉の「受け売り」ですが、書いています。

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2011.10.25

プレミアム茶畑プリンは美味かった

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 通販でとりよせてみました。仁淀川町の池川茶園の「プレミアム茶畑プリン」を早速家族で食べてみました。

「お茶の味が出ていて素朴な味だ、」(息子)

「プリンも美味しい。上品な味だ、」(母)

「高級感があっていいね」(家内)と家族には大好評でした。

 11月3日の「昭和秋の感謝祭」には、予約注文をいれなければいけない。もってきてもらおう。

 池川茶園ホームページ http://ikegawachaen.shop-pro.jp/?pid=32765024

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今週の"野良犬メディア"は駄作

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 週刊現代11月5日号を購入しました。父のクイズのためです。記事はいろいろとありますが、面白い記事は今週は1つもありませんでした。

 それゆえ評論に値しません。記事の数は多いのですが、「うならす」記事は残念ながら皆無でした。これはフリーの貴社も含め、編集者などの取材姿勢が落ちているということなんでしょう。

 野良犬メディアに期待しているのは、「記者クラブ所属の」テレビや大新聞社の報道が正しいか、正しくないかの査定であり、独自取材なのです。そのあたり今週号にいたっては皆無でしたから。

 見出しを貼り付けてみましたが、「これは」という記事はありませんでした。

【大反響第5弾】〈われらの年金を返せ!〉厚生省年金局元数理課長「年金大崩壊、本当のことを話しましょう」


【特別対談】石川知裕×田崎史郎 田中角栄にあって小沢一郎にないもの

【世界同時発売】〈初めて明かされるカリスマの真実〉『スティーブ・ジョブズ』独占掲載


【スーパーワイド】「秋の夜長に」


・消えた105億円 大王製紙御曹司の大ピンチ!

・山崎武司42歳の抵抗


・「勉強不足」の記者たち 小沢一郎に答える


・柳ジョージ享年63「糖尿病」との苦闘


・オリンパス「社長解任劇」の全内幕


・誰が出るのか「大阪ダブル」選挙


・朝青龍 寝坊で「日馬富士の結婚披露宴」を欠席

・「世界大恐慌」はいつ来るのか ヘッジファンドの考え方


・「反省したって、予知はできない」


・これからは「親前原」か「反前原」なんだぜ


落合博満だけに見えるものがある


【徹底追及第8弾】「なんでも暴力団」島田紳助とその仲間たち

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言いたいことがあれば直接言いに来て欲しい

 わたしのこの個人ブログは、批判的な記事を書く場合は、背景を可能な限り調べ、慎重に批判記事を書きます。決して「感情的になり」相手を罵倒するなんていうことはしません。もはや「若造」ではありませんから。

 ある記事に、怒っている人がいるということを聞きました。その人はわたしのブログでの記事をコピーし、知り合いに「こんなこと言われた。誹謗中傷された。」といいふらしているようです。

 わたしは自分が書いたことには責任があります。その人に申し上げたい。言いたいことがあれば連絡ください。可能な限り話をしましょう。

 ちゃんとこちらへ直接言って欲しい。廻りくどいことはしないでほしい。こちらもそれほど暇ではないのですから。

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2011.10.24

安岡正博さんのご逝去を悼む

「アメリカのクリーブランドと言う市は倒産した。税金がべらぼうに高くなり、医療保険サービスも市民はろくに受けられない。日本もそういう自治体が出るだろう。」→その言葉の20年後の2007年に夕張市が財政破綻しました。

「高速道路が無料になれば地方の人間は、金曜日の晩から東京へ行って買い物をする。地方都市はすべてつぶれるだろう。」

「やるのか、やらないのか。やるならやる。やらないのならやらない。」「そうしないと出来ることもできない。」と「言われていた安岡正博さん。ご逝去されました。


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 はりまや橋商店街周辺情報を掲載されている「はりまやSTORY](企画制作発行*アトリエよくばり子リス)に、24年前にアメリカ研修で大変お世話になった安岡正博さんのご逝去の記述が「編集後記」に掲載されていました。(画像参照)

 編集者の松田雅子さんの許可を得て個人ブログへも掲載させていただきました。

 安岡正博さんとの出会いは、1987年に、当時所属していた高知青年会議所の事業で、夜須町で展開されていたまちづくり「マリンタウン計画・海辺のまちづくり」を取り上げ「海洋連続セミナー」を委員会事業でしていました。

 そのとき講師で来て頂いたのが安岡正博さんでした。当時の社団法人日本フードサービス協会の米国現地調査員をされており、現地事情も知り尽くした高知出身のビジネスマンでした。

 安岡正博さん

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夜須町での「マリンタウン計画」で、海洋リゾート構想や海辺のまちづくり構想が提唱されていました。そうであれば、安岡正博さんは「アメリカのリゾート地を高知の田舎者が実際に訪問し、見るべきだ。そしてアメリカがなぜその再開発や計画を思いついたのかその背景を考えないといけない。上っ面ではなく本質を見ないといけない。」

 ということで、1987年にはアメリカ西海岸。1988年にはアメリカ東海岸を訪問しました。その後高知県建築士会青年部などの研修旅行も何度か安岡正博さんは実施されていました。

 安岡正博さんの存在がなければ、香南市夜須町のヤ・シィパークは現在の形にはならなかったと思います。安岡正博さんと一緒に研修に参加された夜須町の丸岡克典さんらの頑張りで現在のヤッシー・パークは出来上がったのです。

 
 ヤ・シーパークの原点はアメリカ西海岸

 土佐弁と英語が達者であった安岡正博さん。「おまんらもっとしっかりせんといかんぜよ!」との叱責が聞こえるようです。20年前の安岡正博さんの予言どうりに日本社会も進展しています。その先見性に改めて驚いています。

 安岡正博さん番組こぼれ話

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(ヤッシー・パークのモデルの1つ米国西海岸。ラグナ・ビーチ)
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 NYのサウス・ストリート・シーポートを闊歩する当時の夜須町”青年”層のリーダーたち。
(1988年NYの世界貿易センター前。安岡正博さんのコネクションで最上階のレストランへ行きました。)
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 高知が好きで、時に「いられ」ていた安岡正博さん。高知を「なんとかしたい」という志はアメリカ研修旅行に参加した参加者それぞれは、私も含め皆継承していると思います。
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 ご冥福をこころからお祈り申し上げます。

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ブログは毎日更新しています


ブログネタ: ブログ、どのくらい更新してる?参加数

 最近ではフェイスブックなんかも登場してきました。時折書き込みをしたりします。でもやはり本命はブログです。なにかと管理者の都合で制約がある道具(字数制限など)があると、やる気を失います。

 そんなにだらだら書いて、だれも読まないぞと言われましても、気にしません。なぜなら1番のブログの読者は自分だからです。備忘録の役目がブログにありますので、活用しています。

 以前は思いついたらノートに書いていました。その習慣は今でも継続していますが、ブログは広く告知できることと、相手に簡単に事例紹介できますので、今でも活用しています。

 たぶん管理会社がなくならない限り、やり続けると思います。

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2011.10.23

ヤ・シィカヤックマラソン2011

 2011年度のYASU海の駅クラブ主催の「ヤ・シィカヤックマラソン2001」ですが、今回で8回目になり、出場者数も100艇を越えました。

 1人乗りシーカヤック、2人乗りシーカヤック、マイカヤック、パドルボートなどが参加していました。親子連れの組。県外からの遠征組みなどが参加していました。
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 わたしは海上組でした。モーターボートに便乗し、マークの移動や、レースの監視、レスキューなどを行ないました。
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 昨日の大雨とうってかわってお天気ではありました。しかしうねりが残っていました。リタイヤされる参加者もいました。快調に漕いでいるカヌーも見られます。
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 モーターボートから見る風景は、ヨットの上からとはまた違いますね。
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 片づけして上陸してお昼のランチタイムへ行きました。会場はヤッシーパークです。
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 表彰式もほのぼのとしていました。
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 完漕所と参加賞(手結の餅)をお渡しして行事は終わりました。
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 後の片づけをしています。
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 正直うねられて、結構肉体労働(アンカーの上げ下ろしなど)で疲れました。

 今年の行事は終わりました。これからはヨットに乗れます。シーズンが開幕しました。

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高知市歴史散歩を読んで

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 高知市歴史散歩」(広谷喜十郎・著・高知市文化事業団・2003年刊)を図書館で読みました。広谷氏は郷土史家として高知では著名な人です。

 記述は多くの分野にわたっています。わたしの最近の関心事は津波対策です。P32に「津波の碑」という題目がありました。

「夜須町では安政大地震の時には数百人が観音山に直ちに避難して命拾いをしているので、この山を命山と呼び、あわせて記念碑を建てている。

 その末尾に、家財道具などを取りに家に帰るなと強い警告を与えて結んでいる。なお、南国市日章地区にも命山があった。」

 またわたしはセーリングを趣味としています。P58に「日和山」という題目があります。

「江戸時代に天気予報をする「日和見」という人々がいた。彼らは朝早く日和山に登り、天気の前兆である雲がどんな状態にあるか、風の方向や強弱、あるいは空気の湿り具合などを見て天気の状態を予見したと言われている。

 この日和見をする人が集まり、その的中率の正確さを競うために「日和入札」という制度もあった。港の入り口の小高い丘が日和山としてよく利用されているが、県下でも数箇所の日和山を確認している、」

 「観天望気」ということなんでしょう。ローカル気象予報ですね。漁師にとっては死活問題ですから必死に研究しますね、空や風、湿り気などで総合的に判断します。いまなら気圧配置なども読みますね。でも大事なのはその地方の天気の特色。

 これから先冬に向かうセーリングでは特に注意が必要です。

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2011.10.22

シニア層のゴルフ人口は分厚い

  今日は午前中は父(92歳)のゴルフ打ち放し場へのお付き合いです。主治医の先生によれば「奇跡的な回復」であるそうです。そのせいなのか張り切っていました。
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 8時過ぎに行きましたが、「高齢者・女性専用打席」はなかなかの人気になっています。シニアの人たちでゴルフ愛好者は多いようですね。
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 調子よく打っていたようでした。わたしは仕事の残りがあるので、思案していました。

 戻ると酷い大雨に。大雨洪水警報まで出ていましたから。

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災害のあと始末を読んで

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「災害のあと始末 被災後3日目からの対処マニュアル(林春男・著・エスナレッジ刊・2006年)を図書館で借りてよみました。新書版サイズで、「防災袋に1冊」と書かれています。

 実に内容は実務的。罹災証明書の申請のしかたや、どこの窓口にどう申請するかとか。地震などで壊れた家具や家電製品などをどうするのか。家族が亡くなったり怪我した場合の処置をそうするのか。といったことがきちんと書かれてあります。

 トイレの確保や健康管理の身体問題の解決から、社会生活への復帰のための手続きなど、1家に1冊必要な冊子でした。よく出来ています。手元に置きたい本なので、購入しようかなと思います。

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2011.10.21

ひさしぶりのはりまや橋サロン

 9月の31日以来のはりまや橋サロンです。10月7日は、北海道から叔母と従兄弟が来高しましたので、迎えに行っておりました。14日は東京で会合があり、来ていません。それで3週間ぶりでした。

 しかし生憎の雨でした。母はまず最初にパン屋でドーナツを購入していました。
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 それから夕食のコロッケを購入。10年まんじゅうも買っています。
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 すっかり秋の産物を販売しているはりまや橋金曜露店市です。
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 街の詩人であるはまじさんと、吉本芸人の淀屋満月さんです。
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 生憎の雨の中、活き活き100歳体操には、10人の熱心な高齢者が参加していました。
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電車道路走行のほうが早いように思う

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 写真は高知市知寄町1丁目付近の電車通り。国道32号線です。9月17日過ぎてから、この電車通り走行の速度規制が、40キロから50キロになりました。旭町3丁目までが50キロ走行が可能になったので,とても早く移動できるように思います。

 いの町へ行く場合、土佐道路(56号線)を通るよりもこちらが早くなりました。車がスムーズに流れます。走行中の電車道はほとんど信号は青で停車することがすこないこともあるからでしょう。

 土佐道路を今まで走行していましたが、いの町へいくにはことらが早いしストレスも少なめです。観光バスの運転手に教えていただきました。それは本当のようですね。

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2011.10.20

「SPのお仕事」を読んで

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 「SPのお仕事」(チームSP著・産経新聞出版・2010年刊)を図書館で借りてきて読みました。実務的な仕事でありながら、よくわからないSPという警察の要人警護の仕事に従事する人たちの生態や心得がレポートされています。実務的な書籍といえます。

 SPは身長173センチ以上、柔道3段以上の有段者が選定の条件だそうです。要人警護の仕事は不規則で、緊張が強いられる。要人と長時間一緒にいることが多いので、明るく、前向きな性格であることが必要であるとの事。なにより要人と要人の事務所との意思疎通が大事であり、よき関係をなれなれにならない状態で構築することであるそうです。「付かず離れず」の関係といったところでしょうか。

 家庭生活が壊れないようにする工夫も大事。あまりに勤務シフトが不規則で家庭崩壊の状態で、私生活でストレスが溜まりすぎると、肝心の要人警護でミスを犯したりするからであるといいます。そこのさじ加減が難しいしごとでもありますね。

 もともとはアメリカの大統領や「要人警護の「シークレット・サービス」から「輸入」された警備システムのようです。1988年に高知へ元米国大統領ジミー・カーター氏が来たことがありました。(日本青年会議所全国大会のゲストとして)。そのときもアメリカから2名のシークレット・サービスが同行していました。警備の体制にいろいろアドバイスやクレームをつけていました。それはシビアであったようです。常にサングラスをかけていました。

 格闘して要人を守るやり方もイラストで表示されていました。なかなか大変なお仕事であると思いました。映画「ボディーガード」のような格好よいだけではない大変な仕事であることがよく理解できました。
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2011.10.19

まあまあの今週の野良犬メディア

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  昨日からディスプレーがぶっ壊れ、今日はパソコンの電源が入らず仕事にならない1日でした。夕方パソコンに詳しい知人のレスキューでなんとか回復。持つべき者は若い友人です。ありがたい存在でした。

 今週の週刊現代はまあまあの出来です。長らく「低迷」していた野良犬メディア誌。島田紳助関連記事など関係ないし、読む気もしません。芸能界の「内輪」の話にすぎないからです。あいかわらずその関係の記事は多いですが無視します。

 ギリシャを引き金にした欧州危機はどうやら本物のようですし、「リーマン」以来の経済ききになるのではと野良犬メディアは煽り立てている。本当なのか。ポルトガル、スペイン、イタリアも危ないらしい。いずれも「サッカー大国」どうなっているのだろうか?

 米国の不況も深刻で「格差是正デモ」がウォール街へ殺到する有様ですから。
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緊急特集】〈ヨーロッパ発「世界大恐慌」の可能性高まる〉「株・国債・投信・外貨預金」史上最悪のクラッシュに備えよ 世界経済「第2のリーマンショック」 P36

 煽り記事の典型。不安を煽り立てるのは週刊現代のいつもの手口です。粉飾まみれのユーロがたちいかかなくなれば、世界経済は破綻するだろうと。アメリカにも支援する余裕はない。日本も同じ。ではどうなるのか、先行きはわからないという結論。


・ギリシャ、この腐り切った国の実態 P40

 働かない、税金は払わない、払えない公務員天国のギリシャ。この国がユーロ経済の「アキレス腱」になるだろうとの予測は当然。ではどう後始末をするのか?

 「現代史解説」の池上彰氏のTV番組でもそのあたりはわかりませんでした。だれもわからず破局がちかづいているのでしょうか?
 というわけで論評が遅れました。週刊現代では今週号では年金が70歳からもらえたところで、毎月5万円程度。リタイヤして悠々自適なんぞありえないとの警鐘。これはわかりますね。
・「支給は70歳から」なら、年金制度はやめろ! P43

 年金なんて期待できないと言う記事。生活においても自助努力は必要であるということですね。これは間違いはありません。
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 立花隆氏の小沢一郎批判は独自の見解。師匠の田中角栄には口の堅い側近がいたが、小沢氏にはいないのだ。と立花氏はきめつけます。

 あとは世界恐慌が来るぞとの「狼少年」記事と、どうでも良い紳助関連記事。
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  一方今週は週刊ポストがましでした。アップルの創業者スティーブ・ジョブス氏への追悼記事かと思いきや「奇人変人悪人伝説」とまあ、どうでも良い与太話を延々と書いている。どうでも良い大金持ちのお話ですので、気楽に読みました。相当に変わり者。

 禅に凝り、意外な日本びいき。しかし日本の政府や企業家とはほとんどうまが合わない人だったんでしょうね。彼の死によってアップル社の業績が格段によくなり、空前の利益を生み出しています。今の経営者は得しました。
 いろいろ言われているカリスマ経営者。しかしわたしはPCには思いいれもないし、アップル・ブランドの信仰者でもない。「人生は1度きり。後悔するより好きなことを成功するまでやり続けろ」という言葉はいい。しかしそれにとどまらない「破格」の人物だったらしい。

 マッキントッシュの開発スタッフは「週80時間労働うれしい」というTシャツを着用して、頑張って働いていた。「部下の才能とノウハウを吸い尽くし、社員をポイ捨て」する経営者だとも言われている。

 プレゼンの天才であり「マイクロソフトは趣味が悪く、IBMは暗黒時代だ」と競合相手をこき下ろすのが上手であったようです。

 評論家は「周囲の99%が敵対しても、突破できるのが真のリーダー。ジョブズはまさに天性のリーダーでした」と。


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〈怒号飛び交う〉小沢一郎記者会見「150年遅れの国家の恥」 P42

 小沢一郎氏擁護記事をポストは掲載されています。悪いぞ悪いぞ悪者扱いはしていません。そこは他のメディアとは違った観点があり面白いです。

 

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高知県庁と高知市役所を高台へ移転すればいいのだ

 熊本県出身の知人が言いました。

「熊本県庁は昔はお城の近くにありました。手狭で改築も満足にできない。耐震性も問題。駐車場のもんだいもある。何年か前に田舎へ移転した。そしたら県庁の周りがだんだんと街になっていっている。

 高知県庁も市役所も安全な高台へ移転すべきでしょう。そうすれば市民県民の意識も変わるでしょうし。」

 それもいいアイデアであると思います。県庁市役所が水没することが確実な高知市街地に居座ることは、市民に変な安心感を与えることになる。それよりも高台へ移転すべきです。それをすれば南海地震対策は飛躍的にすすむことでしょうから。

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2011.10.18

やはり道路の投げ捨てごみの大半はタバコの吸殻

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 ご近所の1区画の道路のごみ拾いを先日しました。ただ散歩するだけではなく、ついでにごみ拾いをすればまちも、地域も綺麗になるだろうという軽い気持ちです。

 気軽にごみ拾いを始めると、結構ありますね。やはり1番多いのは、タバコの吸殻です。道路のいたるところに落ちています。2週間前にも同様のごみ拾いをしましたが、それ以上に今回は落ちています。

 自分の吸ったタバコの吸殻ぐらい自分で始末ぐらいしろよ。と言いたいですね。

 喫煙者が皆道路に吸殻を捨てるわけではないでしょうが、一部の心無い人たちの仕業で「喫煙者は悪者」になるのです。たばこの吸殻は見つけ次第に拾います。拾わないと子供たちが真似をして、お菓子の外袋や、ジュースの缶などを道路に捨てるからです。

 道路が汚れていると、余計にごみ増えますから。

 喫煙者に値上げの話があっても同情されないのは、1部の「心無い喫煙者の道路への吸殻の投げ捨て行為がやまらないからですね。

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2011.10.17

やはり浜岡原発は廃炉にすべき

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 静岡県御前崎市にある中部電力浜岡原子力発電所。菅首相の決断で現在運転中止中。隣の牧の原市議会が「浜岡原発の永久停止を」と決議しました。とてもいいことです。

 それはNewton別冊「原発のしくみと放射能」(2011年8月 株ニュートンプレス刊)にある下の画像をみれば一目瞭然でありませんか。花岡原子力発電所は、東海地震の震源域にあるのですから。

 福島第一原子力発電所もまだ終息していません。放射能は未だに漏れ続けています。この上、浜岡原子力発電に「もしも」のことがあれば、日本は終わりです。誰も日本に住むことができなくなります。

 目先の利益に財界も執着せず国家100年の計、日本民族の未来を真剣に考えるべきでしょうに。
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2011.10.16

そこそこの強風でした

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 父のゴルフ打ち放し後であったので、遅くなりました。それで今日は芝藤さんのヨットを借りてセーリングすることにしました。理由はとてもぎ装が簡単であるからです。
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 上は半そでの襟付きのシャツ。下はアンダータイツを履いて、合羽をつけた「簡易ウエット・スーツ」です。それでも暑いような気がしました。

  しかも今日は風が南西もしくは、南からの風。それも意外に強い。ですので風波がたつ海面でした。セーリングしにくいことこの上ない。波が堤防で反射するのか三角な波がおき、それにヨットがぶつかってスピードが出ない。
 
 でも爽やかな日でしたので、セーリングは気持ちが良かったです。シートを目一杯に引き込み足を踏ん張り俳句アウト。しかし波で安定しないから、結構乗りづらいこと。

 ヤッシー・パークの中へ入り、タックとジャイブの練習をしました。そしたら見慣れぬシーカヤックがいました。着艇して近くへいき話をしました。
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 なんと持ち主に話を聞きますと福岡の人でした。名刺をいただきました。「海面クラブ シーカヤック・クラブ会員池上亮介さんでした。お話では大分から八幡浜までカヌーで渡り、車で高知へ来られ、今日は桂浜から2時間半かかって、夜須へ来られたとか。いやはや参りました。タフな方です。尊敬します。
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 ヤ・シィパークは特別なイベントもないのに満車状態。坂本龍馬像も喜んでいたようでした。

 ところで意外な強風でした。何回目かのジャイブをしていたところ、ローマストとブームをつなぐ金属製の棒が折れてしまいました。またまた修理をしないといけないです。

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父も元気にゴルフ打ち放し

  昨日の晩東京から戻り増した。雨にたたられた出張でした。旅先の天気は良いほうがいいですね。

 打って変わって今日は上天気でした。父はゴルフ打ち放し場へ行きたがっていましたので、連れていきました。
高齢者専用打席があるので、快適に打てるようです。
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 父が球を売っている間、旧式の携帯のワンセグで「サンデーモーニング」を見ながら読書をしていました。
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駆け足で、横浜ー東京見学へ

 取引メーカーの会合があったので、横浜へ行きました。羽田へ到着してお天気でしたのでバスで横浜駅西口へ。それからみなと未来線で日本大通りへ。

 横浜市は県庁・市役所付近は港町の雰囲気を活かした景観整備がされています。
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 ビルはセットバックされていて、街路整備がされ、樹木が植えられ散策しやすい道です。
 横浜市には「新聞記念館」があるので、見学しました。
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 江戸時代の瓦版から、明治時代の日本の近代新聞の創世記。自由民権新聞時代の新聞。大正デモクラッシー時代の新聞。昭和の戦時体制の翼賛新聞。戦後の新聞。現代の新聞などがありました。

 東日本大震災の報道体制や、現代の新聞がどのように取材され、編集され、また印刷され、宅配されているのかをわかりやすく展示されていました。残念ながら写真撮影ができませんので、紹介はこれだけです。
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 メーカーの会合へ出席しました。休憩時間に横浜の風景を写しました。天気が悪いのが残念でした。
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 会合が集合して簡単な立食の懇親会があり、それで終り。田舎者を呼びつけたにしてはお粗末でした。
せっかく横浜へ来たので、同じ地方からやってきた人と横浜中華街へ行きました。しかし生憎も雨。しかも雨足が強い。

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 中華街の路地裏にある店で腹ごしらえをして早々にホテルへ戻りました。翌朝は4時半始発の電車で東京の子供のろころへ行かないと行けないからです。
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 深夜もTVが延々と縫製されています。NHKもなにやらわからん番組でした。他の民放局もバラエティ番組かTV市シュッピング、音楽番組です。気が付いたのは、この時間帯にでている人たちは20代の男女ばかり。中高年も老人もどのチャンネルをまわしても出演していません。不思議でした。
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 電車はそこそこ混んでいました。やはり20代の男女が多い。テレビででていた年齢層です。うちの20代の子供へのお土産は高知の野根まんじゅうとミレーです。
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 その後友人と合流。彼のビジネスパートナーのモンゴル出身のガンボルト・バトムウフ氏に同行して、埼玉にある中古の印刷機械保管所へいきました。20年。30年使用した中古の印刷機械を発展途上国に売るビジネスです。友人は昨年は12台売ったとか。まさに社会に貢献する国際ビジネスですね。
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 昼食を食べた後、東京国際空港まで送ってもらいました。国際空港ラウンジにある江戸村へ行きました。
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 偶然県観光部副部長の久保博道さんに会いました。よさこいのPRの陣頭指揮をされていました。友人との撮影です。

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 ところでいつも不思議に思っていたことがありました。高知では主に中高年や高齢者の女性が多い。父の通院している病院などで、かばんや袋を複数持ち歩いている人たちがいました。どうしてそうなるのか不思議でした。都会でも若い情勢たちが同じように複数のかばんや、大き目の袋を持ち歩いていました。


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「証券業界の動向とカラクリが よーくわかる本」を読んで

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 「証券業界の動向とカラクリが よーくわかる本」(秋山謙一郎.著・秀和システム・2011年刊)を図書館で借りて読みました。

 「金融危機後の業界の最新事情とトレンドを解説」とありました。情けないことに証券業界にほとんど関心がなく、一読しても内容が理解できません。大学は経済学専攻でありましたが、肝心の経済の核心部分の1つである証券業界に関心がないのです。

 やはり自分が貧乏人ですから、株式取引や投資信託に関心がないのでしょう。「その日」の暮らしに追われている庶民ですから。「富裕層を対象としたリテール活動」をしえちるのが証券会社であるとこの本でも定義していました。

 この本で知りえたのは「あのリーマン・ブラザーズ社」は、日露戦勝の時に戦費調達の会社であったこと。ホリエモンが、日本放送株買収のバックアップをしていて、2008年に破綻し「リーマン・ショック」を引き起こした会社であるということでした。

 経済に大きな影響を与えている証券会社。リアルにわからないのは正直問題ですね。少しは金持ちにならないといけないかなと思いました。

 そういえば、以前東京で勤務していた時に、工場勤務の先輩が株式投資に関心があり、アパートに招待されたことがありました。ある会社の株価を詳細にグラフにし、記録していました。パソコンのなかった時代でしたが、先輩は個人投資家として頑張っていたのです。

 そこまでやらないと「会得」できない世界なのかもしれませんね。わたしには全然「経済のからくり」はわかりませんでした。やっぱ貧乏人は世の中の半分も生きていないんだと思いましたね。人生をもっと楽しまないといけないですね。

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2011.10.15

野田内閣の評価は?

 「どじょう内閣」が発足して1ヶ月が過ぎました。民主党が政権を奪取して3年目。鳩山ー菅内閣とは一味違うようです。「無難な」印象を受けます。
 
 しかし内実はというと「空中分解」の危険もはらんでいます。それは閣僚や党幹部や国会の重要ポストに、個性があり「問題発言」を繰り返す御仁が多く配置されているからです。

 まず前原政調会長。アメリカへ渡米。「米軍と協調して国際貢献を行なうなどと、憲法改正が必要な「集団的自衛権」発言を繰り返しました。生憎小沢一郎氏の秘書3人の有罪判決の報道に消されました。

 山岡消費者大臣・国家公安委員長も危ない人。「マルチ商法の山岡」で有名人であり、マルチ業界から政治献金も受けていました。警察の元締めの国家公安委員長というのも適役とは思えませんね。

 後防衛大審と財務大伸も大丈夫かなと思います。

 国会では外務委員長にめだたく就任された田中真紀子氏の爆弾はどうなることでしょう。外務官僚は嫌でしょうね。かつて鈴木宗男氏もこのポスト歴任していましたから。

 来年度予算を無事に乗り切れば、民主党政権はなんだかんだといいながら、任期満了まで。2013年まで延命するでしょう。なんだかそんな気もするので、不思議ですね。

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2011.10.14

「あなたはもっと怒っていい」を読んで

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「あなたはもっと怒っていい」(和田秀樹・著・新講社2011年刊)。筆者は東大医学部を卒業した精神科の医師・いわゆるメンタルヘルスの専門家です。

 怒りをストレートに「表現」していくことが大事であると筆者は述べています。不満があるならごまかしてはいけないとも言っています。

「怒りや不満はたしかにネガティブな感情ですが、ごまかそうとするからネガティブになります。「わたしはもっと怒っていいんだ」と気が付いたときに、怒りの方向性さえ間違えなければ、きっと生きる力にプラスになります。」(P29)

 筆者はこうも言っています。「世の中には他人の痛みに鈍感な人がいます・(P165)「想像力のない人間が、人の上に立ってはいけません。」(P167)とも言っています。とくに国政のリーダー層の「想像力の欠如」が大問題ですね。

 著者はブログでも吠えておりますね。

 和田秀樹オフィシャルブログ http://ameblo.jp/wadahideki/

 「怒らないから人間が出来ている」というのは大嘘。我慢をせずに言いたいことを言えばいい。わたしも過去言いたいことを言ってきた。ブログの題名も「けんちゃんの吠えるウッチング」ですからね。吠えている。

 それでいいんです。大物なんかにならなくてもいい。自分の言いたいことやりたいことをして人生を楽しく過ごしたいだけですから。

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2011.10.13

高知の観光の問題点

 10月7日から11日まで5日間北海道から叔母と従兄弟がやってきました。車椅子状態の叔母でしたが、行動的で原則どこへでも行きたいところへ行きました。それで叔母と従兄弟から聞き取った「高知観光の今後の課題」をご報告します。
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(ひろめ市場前。安心できる休憩所。喫茶店でもいい。車椅子利用可能な飲食店が高知市内は実に少ない。)
(良かったところ」

 日曜市は最高だった。店の対応が良かったとか。ほぼ3時間車椅子で往復し、全部の店を廻ったらしい。

モネの庭は良かった。花が咲いていた。庭園内がバリヤフリーでゆったりと散策できた。
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(叔母と従兄弟の満足度は高かった観光施設でした。)

高知の居酒屋や屋台は面白い。食べ物も美味しかった。(従兄弟・談)

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(良くないところ)

オリエントホテルの部屋でお風呂とトイレが利用できなかった。トイレはダンボールをまるめてなんとか利用させた。風呂も踏み台を購入し、なんとか入浴させた。

酷いのは、「なんとからならないか」と従兄弟がフロントに相談しても、にべなく「なりません」と言われたこと。4泊しているのに部屋に見に来ることもなく、なんら改善されることなく5日間の滞在が終った。
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(総括)

 高齢者・障害者に対する対応がきちんとできている施設は、今回廻った範囲では、高知空港ビルと、モネの庭だけ。特にホテルは酷い。対応する気持ちが全くないのには正直驚きました。「観光」ホテルと呼んでいいのだろうか。疑問です。

 ただハード面で改造するのにはコストがかかります。それを行政側が補助するべきでしょう。

 ソフト面で言えば、部屋の中のユニットバスと、トイレであれば、取っ手をつけるとか、移動式の踏み台や、シャワー台を設置するだけで違う。高齢者も障害者も1人では宿泊しない、必ず家族か介助者がいるはず。その人たちで出来るように改造すればいいでしょう。介護保険での住宅改造が参考になるはずです。

 またホテルの従業員に「ホームヘルパー」の資格を取得させることも必要で、場合によっては行政側が支援すべきでしょう。

 今回の足の悪い叔母でも、身体介護ができるホームヘルパーの資格を持った女性従業員が居れば、安全に叔母はホテルで入浴できました。入浴介助サービスがあってもいい。
 
 ホテル単独で対応できなければ、身体介護ができる入浴施設をこしらえるべきでしょう。定住者に「デイ・サービス」のがあるのですので、ビジター[旅行者]用の「デイサービス」があってもいいんです。 

 「みんなのおでかけマップ」[県障害福祉課・刊)は、定住県民向けの書籍。旅行者用ではないため。検索がわずらわしい。またホームページでの対応は全くされていません。

 世界のリゾート地、保養地のホテルや観光施設はどうなっているのか、真剣に調査していただきたいです。フロリダやハワイ、ラスベガスやニースなどはどうなっているのか?

そのあたりの施設を詳細に高知の観光関係者の皆さんは、調査してください。

 70歳以上の高齢者の人口は2100万人を越えているそうです。個人所得の80%は高齢者が所有しています。経済的には豊かですが、身体的機能が衰え、車椅子状態であれば、今の高知県の観光ホテルの状態が改善されなければ、「巨大な顧客層」を獲得することは未来永劫できないでしょう。
 

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海沿いの国道56号線は津波で壊滅か

  先日仕事で中村まで行きました。途中大方や佐賀の海岸線を国道56号線は通っている。車の運転手には海が見えて癒される区間です。
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 しかし、集落も道路の両側に張り付いています。しかも高い建物は見当たりません。
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2011.10.12

車椅子で突っ走った叔母・従兄弟の5日間の高知

 10月7日から、11日まで4泊5日の日程で、北海道札幌市から叔母と従兄弟が高知へやってきました。7日のお昼過ぎに高知空港へ降り立って来た叔母は、航空会社の係員に付き添われ、車椅子で到着。ロビーでこちらが用意した車椅子に乗り換える。

 エレベーターで2階へ上がり、空港ビルの飲食店で昼ごはんを母と4人で食べました。
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 ホテルへ送っていく前に、うちへ来てもらいしばし懇談。
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 それから宿泊先のオリエントホテルへ行きました。駐車場で停車し、車椅子を出して叔母を載せる。エレベーターは狭いがなんとか乗り込める。鏡がないので、方向がわからない不便さ。

 部屋は2人部屋だが、従兄弟が「風呂とトイレが不便。母さんは足が悪いから風呂桶をまたげない。洋式トイレの便座も高すぎて使用しづらい」とのこと。フロントに早速電話をし、要望を伝えたが、4泊の間なにも改善されず。ホテル側は部屋を見に来ることもありませんでした。「心のバリヤーがあるオリエントホテル」の対応。駄目ですねこれでは。
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 到着した日はうちの家族と叔母と従兄弟で7人で会食しました。高知新阪急ホテルへ行き和食を食べました。

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 新阪急ホテルはバリヤフリーですが、皆がテーブルを囲む「掘りごたつ方式:の部屋では叔母の移動には苦労しましたね。

 10月8日〔土曜日)は叔母と従兄弟は別行動。車椅子をそのまま貸したので、タクシーで親戚まわりをしたそうです。晩は従兄弟と高知の街へ飲みに行きました。葉牡丹とポアラーというショットバーへ行きました。
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 〔当日葉牡丹は凄い人。従兄弟はその雰囲気に大満足でした。)

 9日は叔母の「願望」の日曜市へ行ったようです。従兄弟が叔母の乗った車椅子を押し、グランド通りのオリエントホテルから高知城前から追手筋南側道路東西2キロの街路市である日曜市を散策していました。端から端まで2時間半にわたり散策。

 文旦を3箱購入し,宅配便で送付。うるめやら干物をしこたま買い込み、車椅子の後ろに袋をたくさんぶら下げていたようでした。11時にひろめ市場前で合流。日曜市は大変な人出でした。でも大変喜んでいました。
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 アーケード商店街は、通路がフラット。母〔86歳〕が、叔母〔90歳)の車椅子を押して歩いています。超高齢者姉妹です。
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 10日は、叔母と従兄弟と母と4人で、北川村の「モネの庭」と、室戸市の「ジオパーク」へ行きました。「モネの庭」は素晴らしいと喜んでいただきました。あそこはバリヤフリーの施設も観光地としては充実しています。申し分ありません。ギャラリーの建物にエレベーターがないことだけが残念でした。
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 昼食もゆっくりとれました。
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 室戸ジオパークもおおむねバリヤフリー対応はしています。ただし駐車場の1台1台のスペースが狭い。車椅子用の駐車場も見当たりませんでした。探せばあっかかもしれませんが、わかりません。車椅子用トイレは利用できましたが、清潔ではありませんでした。
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 私たちが廻った限りで高知県の観光地で、満足できるバリヤフリー施設〔合格点)は、高知空港施設と、北川村モネの庭でした。田野町の道の駅はかろうじて合格ですね。

 不合格は日曜市周辺の環境。車椅子利用者トイレはありますが、清潔感がありません。いかにも臭い公衆トイレであります。アーケード商店街も散策しましたが、アーケード内にはトイレがありません。観光高知が泣きますね。

 ホテルの対応も「最低」でした。北海道からの高知ツアーで連泊できるのが、今回叔母と従兄弟が5日間宿泊したオリエントホテルと、高知新阪急ホテルとパレスホテルであったそうです。オリエントホテルは不合格でした。後2つはどうなのか?

 観光ホテルのバリヤフリー対応が極めて遅れています。ハード面というより、従業員教育も含めた、「思いやり」のある対応が今後望まれますね。今のままならハンディのある人は、高知県へ観光へは来ないでしょうから。

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「吉本隆明の声と言葉」を読んで

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 「吉本隆明の声と言葉」(編集構成・糸井重里・ほぼ日刊糸井新聞・2008年刊)を購入して読みました。1500円もしました。吉本隆明氏の29の講演がCDになかに入っています。必ずしも音源は良くはありませんでした。

「猫は「移動する耳」という役割をしながら、自分の家の主人公の部屋とか、台所とか、そういうところに忍び込んだり、人の家の庭で聞き耳を立てる。そういう形で作品が展開していくわけです。」(1990年「渦巻ける漱石」)

「この主人公を描く裏には、かなり陰惨とした漱石の精神状態の危ない時期が潜んでいると考えたほうがよろしいと思います。

  中略

 明治時代中期に書かれた小説が、今でもなんとなく悪童小説して通用しちゃうという、それだけの永続性というのは、その場限りの言葉のあやみたいなことでは、たぶんダメなわけです。」(1993年「青春としての漱石)

 糸井重里氏と吉本隆明氏の対談も面白い。
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糸井「企業のほうはどんどん速くすることがサービスだと思うし、効率もいいから回転が速くなったいますね。

 本はインターネットで注文したらすぐに手に入ります。古い本だって、たやすく手に入ります。おかげでどんどん買っちゃうんです。そうするとインプットの材料だけが家の中に溜まります。自分が読めっこないもんだから、これもまたすごくストレスになっていくんですね。」

吉本「そうそう、そういうことです。古い本を自分でいちいち歩いて探したら大変ですが、今は、遅れても数日間でなんとかなります。」

糸井「その速度にあわせて仕事しなきゃならないんですね。」

吉本「自分は溜まりに溜まっていらつく。仕事が遅れるから人にもいらつかれます。自分で自分にあたってしまう場合には、極端になっていけば病院行きでた、ということになりますね。」(速度が統制するもの)

 「町の循環速度と自分の精神的な速度とが合わなければ,人はいらだちます。
 それが凶悪と言われるような犯罪が起きる真の理由です。」

 本のCDには、1968年から1996年に録音されています。1980年代後半から」90年代が多い。

 吉本隆明氏は、1924年生まれ(大正13年)なので、今年87歳。母より1つ年上です。糖尿病で足が悪く歩けないようです。介護度は2か3ですね。年齢が年齢だけに「もしも」のことがあるだろうと思い1500円出して購入しました。音源で聞く吉本隆明氏は「あいかわらず」何を言っているのかわからない部分もあります。文学論はいいんだですが、社会論はわかりません。

 1976年の品川公会堂での「ブント叛旗派解体集会」で目撃したことがありました。三上治氏と神津陽氏がなにやら対立していたようで、その後叛旗派は消滅してしまいました。変な武力闘争もなく分裂し消滅してしまいました。そのあたりは従来の「陰湿な」新旧左翼とは一風変わっていました。

 それから35年。日本の行く末、社会論、世界観をきちんと語る政党も、党派も社会運動も現れませんね。
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2011.10.11

「山内容堂のすべて」を読んで

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 近くの図書館で「山内容堂のすべて」(山本大・編・新人物往来社.1994年刊)を読みました。山内容堂に関しましては、以前「山内容堂」(平尾道雄・著)も一緒に借りて来ていましたので、あわせてよんでみました。

 多くの郷土史家の人たちも加筆されていました。講演を聴いたことのある広谷喜十郎氏や、谷是氏なども執筆されています。多様な山内容堂の人物像が描かれていました・

 思想的には勤王の持ち主。教養があり詩人としての才能もあるようです。たかだか24万石の外様の大名にすぎないのに、幕末期に福井の松平、島津、宇和島、水戸藩らと結託し、将軍跡継ぎ問題に介入、ペリー来航以来の政局にも提言を繰り返し,存在感があったようです。

 しかし井伊直弼が大老になり、政治的にその勢力が敗退。容堂も謹慎の身の上。蟄居生活は3年に及んだとか。

 なかなかユニークな人物であったようです。

「容堂という人を考えると、土佐人にある典型と思うが、言語明解にして、言い出したら聞かず、理屈の上に理屈を重ねて強情さをみせ、ある種の正義感を有して一歩も引かず、付和雷同することを極端に嫌う。その政治的手腕といえば、井伊直弼や岩倉具視の権謀術数にはとてもかなわず、時にはドンキホーテのようなユーモアを見せる。」(P182)

 大酒飲みであり、自ら「鯨海酔侯」とか称し、常にお酒を飲んでいたそうです。今で言うアルコール依存症になっていたのかもしれません。

 勤王思想の持ち主でしたが、公武合体論者。尊皇攘夷という考え方には傾かず、開国による富国強兵策を土佐藩でも実行しようとしていました。土佐勤王党の弾圧粛清など土佐は多くの無益な血を流しました。

 山内容堂の最大の功績は大政奉還建白書を将軍に提出し、戦火を最小限にとどめたことに尽きます。そのあたりのバランス感覚は絶妙であり、薩長の倒幕勢力のそのまま戦争をしておれば、外国に必ず付け入られてた事でしょうから。

 維新後は中央政界にも顔出しせずに、東京の私邸で豪遊し、浪費の限りを尽くして明治5年46歳で逝去されました。藩財政を担当していた後藤象二郎と板垣退助がほっとしたというのも本音でしょう。

 幕末維新期に土佐は多くの人材がいました。吉田東洋や坂本龍馬、武市半平太など。多くは対立し、志半ばで倒れました。絶対権力者の山内容堂が、対立解消にもう少し汗をかいておれば、維新後土佐は薩長に出遅れることはなかっただろうにと思われます。

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2011.10.10

モネの庭と室戸ジオパークを車椅子で叔母は制覇

 北海道から来た叔母と従兄弟。今日は北川村のモネの庭と室戸ジオパークへ行きました。

朝は8時半にオリエントホテルを出発しました。途中田野町の道の駅で、お菓子や珍品を買っていました。

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 北側村「モネの庭」を散策しました。
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まあまあの今週の「野良犬メディア」

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 父の愛読書の週刊現代を朝の散歩がてらコンビニにて購入。10月22号は、外れがこのところ連続していただけに、「まあまあ」のないようでした。

 相変わらず「小沢一郎」氏への誹謗中傷記事で「あげ底」をしています。後は芸能界と暴力団関係者との「どうでもいい」上げ底記事のオンパレード。このあたりは正直読む気はしませんね。

 巻末には「細川ふみえ」さんのヌードが頑張っていました。先週号の秋吉久美子さんに続いての中高年女性の頑張り、体型意地は対したもの。女優根性、プロ根性というもんでしょうね。これは確かに「見るに値する」とは思います。

「断末魔の初公判」全内幕】〈検察批判の前に自己批判を〉ああ、小沢一郎「落ち目の三度笠」 P36

 これは「政界噂話」の域を出ない記事。正直面白くありません。
もっと「突っ込み」がないとおかしい。確かに小沢一郎氏は「落ち目」しかしながら未だに70人の国会議員の支持者がいるのはどうしてなのか?金だけではないでしょうね。なにか「魅力」が小沢氏にあるからではないのか?そのあたりの突込みが記事には見られませんね。迎合記事ですね。

年金「一律5万円」時代に P42
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 年金支給年齢が70歳に引き上げられ、しかも支給額は月額5万円。大騒ぎしていますが、ありえない話ではありませんね。いまでも国民年金は月額6万円程度。そのなかから高齢者医療費を負担し、介護保険料を差し引かれたら手元に残るのは僅かです。

 「悠々自適のリタイヤ生活」というのは、「1%の大金持ち階級」だけでしょうね。うちの祖父も80歳まで、父も89歳まで現役で仕事をしていました。わたしも元気なうちは働きますよ。

 そのなかでも公務員は別格名優遇措置をしているので、国民年金や厚生年金と共済年金を統合したら、一律5万円70歳支給になることでしょう。

 とにかく生活習慣を正して病気をしないことでしょうね。


【スクープ】〈なんてひどい国、恥ずかしい〉この5月に福島第一原発で死んだ作業員に「たったの50万円」 P46
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 溶接工の勤労者の男性が福島第1原子力発電所の現場で倒れ、逝去されました。立場は4次下請け労働者ということですが、見舞金は50万円とか。奥さんは拒否し労災申請しているそうです。

 命がけで復旧のための働いた人への見舞金がこれでは。ほど過ぎますね。

新大関・琴奨菊「誰が見ても疑惑の一番」 P50

 横綱白鳳戦はおかしいとの指摘。しろうとの私が見てもなんかおかしかった。白鳳は負けるが、最後は20回目の優勝になりましたから。全部「人情相撲」のようにも思えました。


【完全保存版】〈著名人たちが明かす「私の名医」〉いい医者に会えてよかった! P164


【徹底追及第6弾】「なんでも暴力団」島田紳助とその仲間たち P173

【スクープ!】警視庁が追う「TUBE前田の交遊関係」 P174

【大物フィクサーが明かす】「清原ほか 私が見た有名人と極道 その絆」 P177


吉本とヤクザ まだあるこんな「密接関係」 P180


【独占スクープ】清水アキラの告白「芸能人はヤクザから逃げられない」 P183

 芸能業界と暴力団関係者との交流は根深いことでしょう。わからないことだらけです。

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長寿な家系なのかもしれない

  うちの家系を考えてみた。父は92歳。慢性腎不全で要介護度1.でも生活全般は、すべて1人でできる。解除は不要です。母も同じ介護度1ですが、こちらも生活能力があります。今年で86歳になります。

 父の兄弟は8人でしたが、3人が逝去しています。30代と、60歳台で2人亡くなりました。父の姉が95歳、父が92歳、弟が90歳、妹が86歳と80歳。生存している兄弟姉妹は皆80歳を超え、90歳代が3人になっている。その両親(祖父母)も2人とも80歳を超えたところで亡くなりましたから。

 母方も4人ですが、90歳の叔母と、母が86歳で健在。姉が20歳代で亡くなり、実弟の叔父が77歳で亡くなりました。こちらは生存率50%。

 そう考えると長寿な家族なのかもしれませんね。どうせ誰も人生1回きりですので、大いに楽しんで人生を尾侵したい。健康で長寿であれば楽しいと思うからです。

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2011.10.09

叔母と従兄弟は日曜市を散策 しかし凄い人

 北海道から4泊5日の予定で高知へ来ている叔母と従兄弟。今日は朝8時半にホテルを出て、従兄弟が車椅子に叔母を乗せ、日曜市へ出かけたらしい。西から東まで散策したそうです。

 2時間ぐらい散策し、果物などを購入、宅配便で送ったとか。叔母はうるめが好きなので干物がある露店で買っていました。ショッピング・モールとは違う露天市にはまっているようでした。

 10時半頃に従兄弟から電話がありました。「ひろめ市場前にいて休憩中」とのこと母を連れて車で出発。しかし今日は高知市内の駐車場はどこも満車状態に。外れの駐車場にようやく入れておばたちと合流しました。
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 日曜市は最近見たこともない人で溢れかえっていました。
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 ひろめ前から商店街のアーケード方面へ移動しました。
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 母はただ歩くより叔母の車椅子を押して歩いたほうが楽だとの事です。
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 食事は商店街に面したホテル1階でしました。ゆったり空間でしたので良かったです。車椅子対応のレストランでしたから。食事する問題がクリヤーできて良かったです。

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ユニバーサルな社会への道は遠い

 「ユニバーサルな社会へ」ということがよく言われますが、なかなか実現はしてはいませんね。

 以前にもとりあげましたが、父(92歳)がよく行くゴルフ打ち放し場。クレッセントという名称ですが、ここは、「女性・65歳以上の方専用打席」が設けられています。1階と2階の打席が40席ぐらい(全部で110打席)設けられています。
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 高齢者用専用打席のおかげで、父はのびのびとゴルフ打ち放しを楽しんでいます。
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 一方10月7日から11日まで、4泊する予定の叔母と従兄弟の宿泊するオリエントホテル。入り口と廊下と部屋やレストランは車椅子利用ができました。
  しかし残念ながら風呂場は湯船を叔母が足が悪くてまたげないために、利用ができません。従兄弟が踏み台を買ってきていましたが、これで入浴なり、シャワーができればいいのですが・・。
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 オリエントホテルのホームページですが、バリヤフリー対策は「道半ば」でありました。

 オリエントホテル ホームページ バリヤフリー情報

 高知新阪急ホテルに「バリヤフリー・ルーム」があります。数はおおくはありません。

 昨日アクセス・ディンギーを活用した「障害者ヨット教室」のサポートに行きました。県障害者スポーツセンターの人に聞きましても、高知県内はホテルで「ハンディ・キャップ対応」しているところはほとんどない。とのことでした。

 官公庁の施設や空港などは対応はしていますが、宿泊施設の対応はこれからであるということですね。わたしも正直この問題に関心がありませんでした。身内や親戚がハンディ・キャップを持っている立場になると現実の厳しさに驚くばかりです。

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「原発・正力・CIA」を読んで

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 「原発・正力・CIA」(有馬哲夫・著・新潮新書・2008年刊)を読みました。新聞の書評でこの本について書かれたものを読んでいました。題名も気になっていましたので、高知市の片桐書店にて購入(756円)しました。

 本の帯にこう書かれています。「原潜ノーチラス号、第5福竜丸事件、日本テレビ、保守大合同、讀賣新聞,吉田茂、アイゼンハワー、原子力発電所、ディズニー、CIA・・・・・。連鎖の中心には正力松太郎がいた、」(帯の説明文)

 現在日本には原子力発電所が54基もあります。電力の原発の依存度は30%を超えていました。しかし3月11日の東日本大震災で状況は一変しました。福島第一原子力発電所の大事故は、今まで無関心であった日本の原子力発電所問題を考えるきっかけになりました。

 日本は1945年に何の通告もなく原子爆弾を広島と長崎に投下され、30万近くの市民が亡くなりました。後遺症で苦しみ亡くなった被爆した市民も多数いました。その9年後のp1954年に米国の水爆実験で操業中の第5福竜丸が被爆し、当時3000万人の国民が核兵器廃絶の書名をしたとのことでした。

 強固な原水爆禁止運動が展開されるなかにあって「平和利用」という名目で日本原子力発電がなぜ導入されたのか。それに讀賣新聞社主の正力松太郎氏と米国諜報機関であるCIAがどのように絡んでいたのか?表題にも興味がありました。

 転機が1954年であったそうです。この年の1月21日に原子力潜水艦ノーチラス号の進水式が行なわれました。これが日本の原子力発電導入の「連鎖のはじまり」であると筆者は述べていました。少し長い引用ですが、大事なところなので記述します。

「このニュースの1ヶ月ほど後、原子力の負の部分を示す決定的な事件が起こった。3月1日、アメリカが南太平洋のビキニ環礁で水爆実験を行なったところ、近くでマグロ漁をしていた第5福竜丸の乗組員がこの実験の死の灰を被ってしまった。第5福竜丸事件である。これによって広島、長崎への原爆投下で最初の被爆国になった日本は、水爆でも最初の被爆国になってしまった。

 やがて日本全国に原水爆反対平和運動が巻き起こり、原水爆禁止の署名をした人々の数は3000万人を超えた。これは日本で戦後最大の反米運動に発展し、駐日アメリカ大使館、極東軍司令部(CINCFE),合衆国情報局(USIA),CIAを震撼させた。

 これら4者は、なんとかしてこの反米運動を沈静化させようと必死になった。彼らは終戦後、日本のマスコミをコントロールし対日外交に有利な状況を作り出すために「心理戦」を担当していた当事者だったからだ。

 反米世論の高まりも深刻な問題だが、実はそれだけではなかった。この頃国防総省は日本への核配備を急いでいた。ソ連と中国を核で威嚇し、これ以上共産主義勢力が東アジアで拡大することを阻止するためだ。

 そのためには彼らが熱い視線を向けたのが讀賣新聞と日本テレビ放送網という巨大複合メディアのトップである正力松太郎だった。

 ノーチラス号の進水から始まった連鎖は、第5福竜丸事件を経て、日本への原子力導入、ディズニーの科学映画「わが友原子力(原題 Our Friend the Atom)」の放映、そして東京ディズニーランドの建設へと続いていく、その連鎖の主役が正力であり、もう一方の主役がCIAを代表とするアメリカの情報機関、そしてアメリカ政府であった。」(P10)

 筆者は丹念にアメリカの公文書館などの資料を調査し、「正力松太郎ファイル」を読み込んでいくうちにいろんな事実を再確認していたようです。

 反共プロパガンダ機関として、巨大メディアを持っている正力松太郎とCIAの利害が一致したのでしょう。日本人の核アレルギーを沈静化するために「原子力発電は平和の証。資源のない日本伊は必要なエネルギー源」という執拗な宣伝を徹底的にした形跡がありました。

 驚いたのはウォルト・ディスニー社がアメリカ海軍ご用達であったこと。ディズニー社は「わが友原子力」の科学映画の製作だけでなく、ディズニーランドのアトラクションの船の名前は、すべて米海軍の原子力潜水艦と同名であったということです。

 最初正力氏の野心はマイクロ波通信網建設を一気に進め、TV業界を傘下に入れることでした。そのため反共宣伝で貢献したということで、アメリカ当局者に近づきます。しかしその思惑は頓挫し、かわって原子力発電の日本への導入にやっきになり取り組みました。

 原子力発電の平和利用促進の博覧会まで正力氏は主催。傘下の新聞、TVを最大活用して宣伝しました。正力氏は「原子力の父」になりました。

 時代は1955年の保守合同。60年の安保闘争。高度成長時代へ突入。テレビ文化全盛時代へ突入していきました。私が子供時代には、プロレス中継と、ディズニーの世界のTV,プロ野球が人気でした。食い入るように見ていました。政治には無関心で、面白おかしい娯楽番組。スポーツ番組にかじりつき、1983年に開業した東京ディズニーランドに熱狂する市民大衆に多くの日本人はなりました。原子力発電は「120%安全。電気の30%は原子力です。原子力発電は二酸化炭素を出しません」と言う大宣伝にすっかり「洗脳」されていたのです、

 福島原子力発電所の大事故は、日本人がこの50年間全く考えてこなかった原子力発電所の問題を突きつけられました。学者や政府や専門家の意見は嘘が多く信用できない。放射能は見えないし怖う。不安が渦巻いています。

 今日の原子力発電所の問題を検討する場合の「推薦図書」です。ぜひ皆さんも一読をお薦めします。
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福島第1原子力発電所の事故は未だに終息する見込みはたっていないようです。

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2011.10.08

障害者ヨット教室のサポート

 昨日北海道の叔母と従兄弟にたくさんお土産をいただきました。そのなかに北海層限定のマルちゃんの焼きソバがありました。朝はカレーと焼きそばを食べました。
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 それから父のゴルフ打ち放し場へお付き合いしました。すこぶる調子が良いとの事です。
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 それから車を飛ばして夜須へ。障害者ヨット教室 アクセス・ディンギー体験セーリングをやっていました。スタッフが皆海に居ました。しばらく地上で待機していました。高知大学ヨット部の470が出艇しようとしていました。
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 ようやくスタッフが気が付いて、指導用のゴムボートへ乗せてもらいました。船上から撮影しました。皆良い表意上でセーリングを楽しんでいました。障害のあるなしは関係ありません。
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本当に皆表情をしていました。

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共産党の「脱原発」ポスター

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ご近所のブロック塀に日本共産党のポスターは貼り付けてありました。「原発から撤退 今こそ決断を 日本共産党」とのことです。国会で議席の少ない泡沫政党とはいえ。公然と国策で推進されている原子力政策に反対する政党が存在しているということは社会的な意義はあります。

 しかし実は日本共産党は過去には、当時のソ連や中国の核実験には賛成し、超党派での原水爆禁止運動を分裂。停滞させてきた歴史があるのです。「アメリカの核は帝国主義の侵略の道具。社会主義国の核は帝国主義侵略に対抗する良い核である」と主張し、「あらゆる国の核兵器保有に反対」という原水爆禁止運動を分裂させて弱らせた負の歴史がありました。

 そのことの総括も何もなしに「脱原発」を唱えても国民は信用しません。確かに吉井英勝参議院議員の高知での講演会もよかったですし、著作もなかなかよいことを言われています。・

 しかし過去の誤りを自己批判なしに「脱原発」を唱えられても、「はい そうですか。」とは言えませんね。どこまで本気なのかがわかりませんから。

 今国会で明確に「脱原発」を主張しているのは、共産党と社民党の少数野党だけです。残念ながら国政に影響力はありません。どこまで本気でやるつもりなのか、しばらくこの政党を観察してみないといけないでしょう。

 市民運動のなかから「緑の党」なるグループが現れ、反原発運動を展開しようとしています。また政党色関係なしに、9月に東京で反原発集会が6万人の参加者を集めて開催されています。こうした市民運動と連携が出来るのか極めてこの2つの泡沫正当に関しては疑問です。泡沫政党でありましてもプライドだけは物凄く高く、過去の誤りを自己批判しないし、上から目線で市民運動を蔑視する体質があるからです。

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2011.10.07

北海道の叔母と従兄弟との夕食会

  うちの家族と北海道から来高しました叔母と従兄弟を交えて夕食会をしました。叔母が足が不自由で車椅子状態なので、食事の場所も限定されます。新阪急ホテルで日本食にしました。
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 やはり姉妹なので、叔母と母はよく似ています。
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 父も上機嫌で従兄弟とお酒を飲み懇談しました。
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 楽しく懇談しました。

 叔母と従兄弟はオリエントホテル高知へ宿泊しています。駐車場から、部屋までは車椅子でなんとかたどり着けました。しかし風呂に段差があり、足の悪いおばは踏み台がないと入浴できません。そのあたりの対応ができていなくてとても残念でした。

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 ホテルへ宅配便でお土産を送付していたようです。たくさん北海道の土産をいただきました。

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北海道から叔母と従兄弟が来高

 北海道の叔母と従兄弟が、6年ぶりに高知へやってきました。高知へ来るのはもう最後と、叔母(90歳)は言います。随分前に高知直行便がなくなり、羽田経由になったので、朝は6時に自宅を出たとか。北海道はストーブを焚いているそうです。

 車椅子で叔母は降りてきましたが「エスコートを皆がしてくれるので、とても楽だった。とのことでした。結構の長旅でしたが、叔母は元気そうでした。
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 昼食は空港ビルの飲食店で食べました。母と迎えに行きました。さすがに姉妹で言いたいことを延々と言い合っていました。
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 うちの父にも会いました。事務所へ来てもらいました。長距離歩行は車椅子なので、車椅子をレンタルし、叔母たちを宿泊ホテルまで送りました。

 11日まで高知に滞在する予定です。

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10月23日はシーカヤックマラソン

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今年は香南市夜須町ヤッシー・パークで開催します。

香南市夜須町ヤッシー・パークと沖合いの海上で、「ヤ・シィカヤックマラソン2011」を開催いたします。カヌーの経験のある人も、初心者の人も、是非参加ください。2人乗りのカヌークラスもあります。親子での参加も可能です。

 参加費は3500円程度。詳しくはYASU海の駅クラブまで

 電話0887-57-1855

 FAX0887-50-4095

写真は過去の大会の様子です。
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献血と健康について考えました

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 9月16日に今年で3回目の400CC献血をしました。血液センターの職員の方が言われるのは「今年合計1200CCの献血をいただきました。今年は献血はできません。来年の2月27日にお願いします。」ということになりました。

 結局1年間で3回しか400CCの献血はできないということです。現在82回ですから100回献血ということになりますと、あと18回の献血が必要。1年間に3階ということは、あと6年間かかるということです。

 献血は病気治療で服薬をしておればできません。また貧血状態でもできません。献血が出来るということは「とりあえず健康である」という証の1つでありますね。それはとても大事なことです。

 今後の目標。とにかく6年間は病気をしない。薬を飲むようなことにならないようにします。
とにかく献血の上限の年齢が69歳とか。それまで薬のやっかいにはなりたくない。健康を維持し、社会に役立つ仕事で生活しながら、海でよく遊び、健康であり続けたいと思います。そう決意いたしました。

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2011.10.06

県庁・市役所・歴史博物館建設予定地

  今日は昼休みを中心に高知市役所と高知県庁を巡回しました。福祉関係の資料集めをしました。
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 高知市役所本庁舎。平成27年度に現在地で建て替えの予定であるとか。水没地域で市民の避難誘導や、対策が満足にできるのでしょうか?
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 高知県庁本庁舎。現在地で2年がかりで耐震補強工事をしています。津波で水没する地域の庁舎におなるでしょう。電源確保などはできるのでしょういか?心配ですね。
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 高知城東側、追手門と対角の位置にある、四国財務局跡の建物。これと手前のJAの駐車場跡を整備して、歴史博物館をこしらえるとか。これまた津波水没地域へこしらえることに。なんとも無駄な施設です。

 耐震補強した建物でしょうから、公共の津波避難ビルにはなるでしょう。


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みんなでおでかけマップ 高知

  10月7日から11日まで、北海道在住の叔母(90歳)が高知へ来る事になりました。従兄弟が札幌から連れてきます。先祖の墓参りと、妹である母に会うのも目的です。体調が良ければ、日曜市へ行きたいとか。観光は二の次ですが、叔母は足が悪く長くは歩けないようです。

 レンタルシュップで、折りたたみ式の車椅子を借ることにしました。それで疲れると移動する。後は車椅子対応の施設が行く予定地にあるのかないのか。ネットで検索してもわかりません。

 それで高知市役所へ行き、高知県庁の障害保健福祉課を訪ねました。そこで「みんなのおでかけマップ」(2010年2月高知県障害保険課刊)をいただいてきました。
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 公共施設や病院やホテルの車椅子対応有無がでている。
日曜市へ行くとなると、車椅子対応のトイレは大橋通りのひろめ市場しかないようですね。
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 叔母が元気なら北川村のモネの庭も行こうかなと思っています。
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 観光施設に特化した情報ではないので、検索するのに時間がかかります。でも一応便利な手引きではありますね。

 今日昼休みに、日曜市が開催される追手筋南側道路、歩道をチェックし、車椅子でも利用できるトイレの調査をしました。西端は高知城追手門付近と、藤並公園、ひろめ市場内ですね。ひろめは混雑しているでしょうから無理かもしれません、
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 追手前小学校北側歩道沿いの角地に公衆トイレがありました。一応車椅子仕様です。
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 東よりの追手前公園の攻守トイレ。こちらも車椅子での使用は可能です。
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 中央公園のトイレも車椅子仕様になっています。
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 はりまや橋商店街に隣接した電鉄ターミナルビル地下にも車椅子仕様のトイレがありました。
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 飲食店では司本店がバリヤフリー対応でした。他にはデパートやホテル以外は見当たりませんでした。

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血液占いなんておかしいぞ

 「A型の人間は慎重だ」「O型は豪快」「AB型は神経質」だとか言う血液型占いによる「はめこみ」「思い込み」があいかわず蔓延しているようです。本気で「自分はB型人間です」とか自己紹介される人に会うと、どういう会話をすればいいのか正直困ります。

 「血液占い」が盛んな国は、どうやら日本だけのようですね、なぜ盛んになったのかという理由はよくわかりません。

 わたしが血液占いというのに疑問を持つ理由は、私自身の血液型が「A型のRHマイナス型」という血液型であるからです。「RHマイナス型」は日本人にはとても少ない血液型です。白人には30%はいるそうですが、アジア人種に特に少ないのです。
 
 血液占いから排除されているんですから、気分が良いはずはありません。血液占いで盛り上がる人たちの会話には入れませんので。その人たちに言いたい「RHマイナス型」は占いではどうなんですか?と。

 なんせ200人に1人ということは心細い。家内は同じA型ですが、+です。2人の子供もO型とA型でいずれも+です。身内や家族から献血が出来ません。私の場合人類全体のことを自分の血液型から考えてしまいます。献血には可能な限り協力しよう。いつまでも健康で献血できる身体でいるようにしよう。

 献血は私の唯一の社会貢献です。ですので、余計に「血液占いなんておかしい」と思います。

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2011.10.05

「南海の翼」を読んで

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 「南海の翼 長宗我部元親正伝」(天野純希・著・集英社・2010年)を図書館で借りて読みました。このところ雨が多いので休日に読むことができました。

 長宗我部元親が今静かなブームであると言われている。信長・秀吉・家康の同時代に登場した四国の田舎大名に過ぎませんが、ゲームになったり漫画になったりしています。
 初陣までは書物ばかり読み、軟弱者とののしられ、「姫若君」と言われていました。本山氏との合戦で獅子奮迅の働きをして「鬼若君」と言われるようになりました。

 本山氏、安芸氏、一条氏との対決を制し、土佐を統一、阿波と伊予から一気に四国統一へ向かう姿はわくわくする。しかし中央の覇者である織田信長と豊臣秀吉が行く手を阻まれ、土佐1国に押し込められる。

 この物語は久武親信という長宗我部元親家臣の語りにより構成されている。久武親信は、謀略活動も裏でしていた元締め。元親時代を後継者盛親に対して語る形式になっている。

 強敵安芸国虎との合戦時にも、謀略活動と相手方城に忍び込み毒を入れて城から追い出し討ち取った話。

 推論であるとことわりながら、織田信長殺しを秀吉が明智光秀をそそのかし、実行させたが、あまりに早い秀吉の反転行動。最初から秀吉が仕組んでいたのではないか。長宗我部元親も、四国を護るために明智光秀に謀反を起こすように工作をしていた。そのおりは、海を越え四国から援軍に行く予定。ただ思いも早く秀吉が反転して光秀を破った。これは光秀をそそのかし、天下をわがものにするための秀吉も謀略であったと。

 四国を秀吉に攻められ、元親は降伏します。阿波保有は認められず、阿波には秀吉の子飼いの蜂須賀氏が入国します。降伏して1年もたたないのに、長宗我部元親、嫡男の信親やそろって九州攻めを秀吉に命令されます。

 部隊は劣勢になり、嫡男の信親は戦死してしまいます。それも秀吉の謀略であったと久武親信は語ります。四国内の外様勢力を弱らせ、子飼いの蜂須賀に統治させるつもりであったからだと。

嫡男の死後、元親はめっきり弱り、覇気がなくなった。自分の後継に強引に4男の盛親を指名。反対派を忙殺していまいます。そのあたりも久武親信が関わっていました。

 物語は久武が関が原の戦で盛親が、なぜか西軍つき、満足な戦もできず土佐に戻ったものの領地は没収され、京都の片隅で寺小屋を開き、浪人暮らしをしている。そこへ元親時代の老臣の久武親信が現れ、長宗我部家の真相を語ります。

 このまま朽ち果てるより大阪城の攻防戦に参加し、長宗我部の名前を挙げてそこを死に場所にしようということに物語りは展開していきます。

 読んでいて長宗我部元親の明るさと暗さ。四国を統一したと思いきや、頓挫する無念さ。嫡男を失った喪失感。光と影を描いている。四国の後進性の象徴である屯田兵である一領具足を長宗我部軍の中核にすえていた兵制の強みと弱みが端的にあらわれた時代でした。

 四国に雄飛した長宗我部元親の物語としては面白かったです。

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2011.10.04

つまらない"野良犬メディア”

Sg1015


 週刊現代10月15日号。父の愛読書(といってもクイズに募集するだけのこと)で早朝に散歩がてらコンビニに買いに行きました。

 しかし内容は極めて平板で「つまらない」。「野良犬メディア」らしく権力に噛み付く取材も記事も今週号は皆無です。もうだめかもしれませんね。野良犬メディアは。全然つまらないですから。

 見出し以上の内容はなく読みたい記事は皆無の今週号。かつての原子力利権共同体を告発していた渾身のレポートはどこへ行ったのだろうか?なんだか随分昔のような気がする。

 所詮は商業雑誌の限界なんだろうか。とはいえ、「オーマイ・ニュース」や「JANJAN]のネット市民メディアも経営が成り立たない日本の社会風土です。なかなかこれはという面白いメディアはありませんね。なければ自分でこしらえてみたいとは思いますね。

特別リポート】〈いまひとつの時代が終わろうとしている〉「淋しき陸山会の帝王」小沢一郎 かげりゆく権力


〈どじょうがさ、逃げてばかりじゃ ダメなんだよなあ〉ああ、情けない ビビリ野田とその一味たち

〈ギリシャ破綻 世界同時株安 ユーロ・ドル大暴落〉いまそこにある「世界恐慌」


【全国民必読】〈60過ぎたら、この世は地獄〉まやかしの再雇用 いつわりの年金


【大反響連載】〈グリコ森永事件の真実 最終回〉スクープ直撃! あなたが「21面相」だ


【徹底追及第5弾】〈ぶち抜き大特集17ページ〉切っても切れない「島田紳助と暴力団」


・〈決定的スクープ! 紳助、あんたはヤクザだ〉紳助と極心連合会幹部が同席した「不動産取引」


・紳助「カネ、カネ、カネの楽屋」


・〈芸能界は冷たいよ〉紳助は3日で捨てられた


・テレビ局が「紳助問題」を報道できない事情


・〈知れば知るほど怖くなる〉「吉本興業と暴力団」


【LOOK!】赤い幹事長が養成している「輿石チルドレン」/石川知裕被告の選挙区に目をつけた山岡賢次/醜い罵り合い 福島瑞穂と辻元清美/「引退」が噂されるプロ野球選手/孫正義が「沈黙」する理由


〈いつかあなたも直面する〉「末期がん」の大研究


阪神・金本知憲 独占直撃! 「監禁・恐喝はやっていないし、カネにも困っていない」

名門中高「授業についていけない子供たち」に退場勧告


〈二宮清純レポート〉西武・中村剛也「今日も本塁打に意味を求めて」

 テレビや新聞報道には当の昔に「見切りを」つけています。「話半分やな」と思います。その分「野良犬メディア」に期待していましたが、たいして面白くないのでがっかりです。

 強いて今週号の週刊現代で面白かったのは巻末グラビアでの女優秋吉久美子のヌード。57歳なのに「見せる肉体」を誇示し頑張っていますね。おば様の星ですね。それだけでした。

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室戸ジオパーク決定について

  室戸市が9月18日にユネスコが認定する世界ジオパークに指定されました。日本では5例目であるそうです。室戸市周辺の海岸付近は南海地震のたびに隆起しています。その地質学的に貴重な地形が世界じおぱーくになfりました。

 今年は小笠原諸島と平泉が「世界遺産」になりました。あちらは大騒ぎになりましたが、こちらは「ローカル」レベルのお話・全国紙もあまり報道しません。地味な扱いです。

 でもそれでいいんです。変な観光資源はつくらないほゆがいい。天然の地学の標本なので、修学旅行生や大学の地学の関係者を招く活動を地道にすべきでしょう。

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2011.10.03

「ぼくの血となり肉になった500冊 そして血にも肉にもならなかった100冊」を読んで

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 図書館で借りてきました。題名は「[ぼくの血となり肉になった500冊 そして血にも肉にもならなかった100冊」(立花隆・著・文言春秋・2007年刊)という長いこと。凄まじい読者量の立花隆氏でありますが、一読してその凄さがよくわかりました。

 前半は編集者との対談でしょうか。作品をこしらえるに当たり、調査する場合に関連図書を読み込んでいく様子が淡々と語られていました。読書の領域も実に広範囲。政治に経済、文学に歴史、哲学、宗教、科学、医学、物理、数学、など人文科学、社会科学、自然科学分野まで。まるで総合系大学のようです。

 そのなかで特に興味をひいたところ以下のの箇所でした。

「しかし、質問を受ける側になると、質問内容が確定していないと答えようがない.文科系の人は、政治家なんか特にそうですが、なにか質問しても、その質問を自分で勝手に変えてしまって、中身は違う問いに饒舌に答えてみせるなどということが日常茶飯事です。
 
 しかし理系の人は一般に質問にちゃんと答えようとします。質問に曖昧なところがあったら、まずそこをはっきりさせようとする。だから曖昧でいい加減な質問にはすぐ反問がくる。

 (中略)

 インタビューというのは、質問を受ける側の知性が試されると同時に、質問する側の知性が試されることになるという側面があります。」(P144)

 立花隆氏といえば「日本共産党の研究」のときも調査の徹底性が発揮されておりました。

「立花 木島隆明というのは,リンチ事件当時、中央委員のワンランク下の中央委員候補として宮本らのリンチ殺人に全面協力してリンチにも手を貸して逮捕された党員です。それが逮捕されてからリンチ殺人事件の全プロセスを全面自供した。その調書(木島隆明調書)がこれなんです。

                   
 すごい資料ですね、警察調書から、検察取調調書、予備調書、それに裁判の過程まで全部ある。リンチ殺人事件の全貌ですね。これは。

立花 これがあったから、共産党がどんなに攻撃してきても。びくともしなかった。」(P156)

 立花隆氏も現在はガンになり闘病生活も経験されたようですが、知的生産力は果てしないなとただただ凡庸な市井の1市民は感嘆するばかりです。

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2011.10.02

秋本番ー下知図書館の建て替え(解体)工事始まる

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 ご近所の空き地に、白い彼岸花が咲いていました。自然に咲いたものでしょう。秋を感じますね。
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 高知市下知図書館の解体工事が始まりました。壊すと結構広いですね。
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 正面に仮図書館が開設されています。以前の図書館スペースの3分の1程度です。
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父も絶好調です。秋を迎えました

  先週の主治医の診断で、慢性腎不全の父(92歳)ですが、腎機能がかなり回復し、正常値まであと1歩の所間d回復しました。「年齢的には奇跡としか言いようはありまsねん。お父さんをほめてあげてください・」とのこと。正直凄いと息子の立場でも思います。

 今朝は朝食(減たんぱくのパントお餅)を食べて、ゴルフ打ち放し場へ出発したのは8時15分。高齢者・女性専用打席があるので、のびのびと打っていました。
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 その間は読書タイム。「証券業界の動向とカラクリがよーくわかる本」を読んでいました。よくわかりません。
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 携帯のワンセグで「サンデー・モーニング」を見ながら読書しました。
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 ところでこのゴルフ打ち放し場。打席は階段下にあり、高齢者・女性専用打席は遠い。でも終ったあとの父の足ドリは軽い。さっさと歩き階段を登っても息切れをしません。人間の生命力はたいした者です。感心しました。

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「フェイスブック」のビジネスでの活用

経営コンサルタントの藤村正宏氏。メールマガジンの「儲けを生み出す「発想」の仕組み」にフェすブックのビジネスでの活用という文章がありました。引用自由ということなので囲繞してみます。

  実は、8月のお盆に同窓会で北海道に行っていたんですけど、
  ボクのお客さまのホテル『鶴雅』に泊まったんですね。

  その時、鶴雅グループの大西社長から
  「社内でフェイスブックのセミナーをやってほしい」

   そう言われたので、8月の終わりに、
   阿寒湖と支笏湖で2回セミナーしたんです。
   企業としての活用方法、そのコツなんかをお話してきました。


  「フェイスブック」って活用していますか?


  ボクは1年くらい前から、登録して、なんとなくやっていたのですが
  ここにきて、

 「これって、すごいビジネスツールになるんじゃないかな」って思いだしていたんです。
 その矢先、大西社長から、依頼されたのでちょっと2時間くらいのセミナーにまとめて
お話ししたんです。
  


  そのときに、思ったんです。

  もしかすると、今まで登場してきたさまざまなインターネットのメディアの中で
  一番ビジネスに合うのではないだろうか。

  そういうこと。

  まだまだ日本での登録者数が少ないから
   なんとも言えないというのが正直なところです。

  フェイスブックは現在日本では約360万人くらいが登録されています。


 これから登録する人が増えるでしょうから
   その時には、とってもすごいツールになる。


  そんな感じがします。


  (もちろん「うまく使うと」という注釈つきですが)

  どうしてそう思うかと言うと

   1:実名登録 リアルとの垣根がほとんどない
   2:商用利用できる
   3:スマートフォンとの親和性がある
   4:効果的な広告がカンタンにできる
   5:イベント告知機能がある
   6:クチコミしやすい機能が多い  
   7:「フェイスブックページ」は検索エンジンにヒットする
   8:画像・動画の保存容量が無制限
  


  まだまだあるけど、代表的なのはこんなところ。
  
  1:実名登録 リアルとの垣根がない


   これはとっても重要な概念ですよね。
   だって、実名じゃなかったら、安心感がありませんから。
   だから法律違反のコンテンツなんかはありません。
   とってもクリーンな感じがビジネスに活用できる。


  2:商用利用できる


   商用利用してもまったく問題がない。
   どんなに商売しても無料です。(基本的に)

  3:スマートフォンとの親和性がある


   スマートフォンで見ることを考えた作っているんじゃないの?
   そんなことを思わせるほど、スマートフォンから見やすい。
   さらに更新もスマートフォンでラクラク。


   GPS機能を使ったサービスなど(スポット)もある。
   スポット機能っていうのは、
   今自分がいるところ、たとえば「大阪城〇〇居酒屋」という店に
   フェイスブックで「チェックインしました」と投稿したら。

   周辺にいる、友達登録している人に自動的にお知らせするんです。
   そうすると、お友達からメッセージがきたりするわけです。


   現在日本のスマートフォンユーザーは
   17%くらいですが、
    すぐに60%くらいにはなると予想されている。
   そうなるとフェイスブックの登録者も増える。
   フェイスブックは力を発揮します。

  4:効果的な広告がカンタンにできる


   これもすごい機能です。

   インターネット上では一般的な
   1クリックの単価で出せる広告なんですけど(PPC広告)
   ターゲットのセグメントがカンタンにできるんです。


  5:イベント告知機能がある


   何かイベントをするときに、それを広く告知することができる。
   たとえば「インターネットセミナーやります。あそびにきてね」というように
   お誘いできるんです。
   これは上手につかうと、強力な道具になります。    

  6:クチコミしやすい機能が多い 
 

   「いいね!」や「コメント」。
   「グループページ」などの

   クチコミしやすい機能がたくさんあります。

  7:フェイスブックページは検索エンジンにヒットする


   企業や個人事業主のフェイスブックページといわれている
   フェイスブック上のホームページみたいなものがあるんですけど

   これは、グーグルにヒットします。
   SEO的にもフェイスブックページは効果があるんです。

   アメリカなんかだと、検索エンジンである会社の名前を入れたら
   本家本元のホームページよりも、
   その会社のフェイスブックページが上位表示されることも珍しくない。

   だから検索エンジンからの集客も可能性が高いんです。

  8:画像・動画の保存容量が無制限


   どんなにアップロードしても大丈夫。
   これもビジネスに強い味方ですよね。


  他にも詳細に説明していたらきりがないほど、
  いろいろなサービスや機能があります。

  その中でも今日は、
  
  6の「クチコミしやすい機能が多い」のことを解説します。


  「いいね!」という機能があります。


  読んでいる人がそれをいいと思ったら
  いいねボタンがあって、そこをクリックする。


  そうすると、広がっていく。

  
  あなたが書いた記事を、
  誰か見ている人が「いいね!」ボタンを押したとします。


  そうすると、その人のお友達にも
   あなたの記事が広がる可能性があるということ。


  その人の友達が800人いたとしたら、
  あなたが発信した記事が800人に広がる可能性がある。

  あなたが100人の友達がいて、
  その100人がまた100人の友達がいて
  されにその100人がまた100人に友達がいて・・・


  ね、そういうふうに考えると、
  「いいね!」がどれだけ大事かがわかります。


  クチコミです。


  だから、クチコミを起こしたかったら、
  なるべく「いいね!」ボタンを押してもらえる記事を書くことです。

 
  「いいね!」を押してもらえるには、


   どういう文章を書くか?
   どういうタイトルにするか?
   どういう写真を使うか?
   どういう動画を載せるか?


  そういうことを考えるわけです。
  
  

  たとえば、こういう文章だと
  「いいね!」は決して押してもらえません。


  「今、商談の帰り銀座を歩いていたら
   ゲリラ豪雨に合ってしまいました。
   ずぶ濡れになってしまった」


  「いいね!」は押しませんよね。


  でも、こういう文章だったらどうでしょう。


  「今、商談の帰り銀座を歩いていたら
   ゲリラ豪雨に合ってしまいました。
   ずぶ濡れになってしまった。
   でも、雨があがったあと、
   ビルの上に虹がかかっていた。
   とってもきれいでした。
   ずぶ濡れになっても、こういうことがあると
   うれしいです」


  同じ文章を書くときでも、
   「いいね!」を押してもらえるように工夫する。


  前向きになること、明るいこと、うれしいことで締める。
  そうしたら「いいね!」を押してもらいやすい。


  ともかく「いいね!」を押してもらえる記事を書く訓練をしましょう。とのことでした。

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2011.10.01

10月1日の夜須の海

 昨日の高知は雨。夜中もしつこく降っていました。今日は晴れ。こういう日は海は風が強く吹きます。9月23日も結構強く吹いたので、今日も吹くだろうと思い、Tさんをお誘いして夜須へヨットしに早朝から行きました。
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 マストの先には、「完沈防止ボール」を付けました。強風対策です。
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 ブームバンクもなにやらよじれていました。気長にほぐしました。どんな困難な状況もほぐせないことはありません。

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 強風対策用のぎ装にしました。足元はシムリーのアンダーウエアを履き、合羽のズボンを履きました。簡易ウエットスーツです。上半身はTシャツです。
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 強風の予想でしたので、海の上からの撮影はありません。はやく防水カメラが欲しいです。読者の皆様も海の上の迫力画像を見たいと思うでしょう。なんとか近日中に購入したいなと思います。

 そういうわけで今日はセーリングの模様の写真はありません。結構風がありましたから。6メートルから8メートル。突風は15メートルくらいはありました。なかなかシビアな海面でした。
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 Tさんもやってこられました、レーザーのラジアルのセールです。強風に安定しているようです。
今日は高知大学ヨット部が三艇の470.あとシニア。ヨットクラブが4艇出ました。
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 帆走の様子を画像でお伝えできないことが残念です。常時8メートル程度の風でした。ハイクアウトの連続。腕も、足も腹筋、背筋もバンバンです。物凄い運動量でした。
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 片付けは入念に水洗いをします。今日は本当に充実したデーリングでした。Tさん、Kさんありがとうございました。最後は腕が上がらなくなりました。もっと筋トレをしないといけないですね。

 帰りにヤッシー.パークによりました。ホールで展示会をしていました。
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 ヤッシー・パークの坂本龍馬像。コンパクトで人気者です。
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「戦国を終らせた女たち」を読んで

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「戦国を終らせた女たち」(童門冬二・著・NHK出版)を図書館で借りて読みました。7月にアナログTV放映が終りだらだら見なくなったことと。9月は悪天候で休日に海でセーリングできなくなったことが多く、「晴耕雨読」状態になり読書しました。

 歴史関連本が頭に優しいのでこの本も読みました。今年のNHK大河ドラマ「江」もやっていることもあり、読みやすかったです。この本の主役は織田信長の妹お市の方とその娘の3人の姉妹です。

 この本のキーワードは「あゆちの風」尾張地方に古来から伝わる平和の象徴を言うらしいです。「あゆちの風」は織田信長により提唱され、それぞれの武将やその妻である女たちにより継承されていったという物語。

 信長にも、浅井長政にも、明智光秀にも、柴田勝家にも、秀吉にも徳川家康、秀忠にも「あゆちの風」を筆者は語らせている。3姉妹の茶々にも初にも江にも語らせ、それぞれが平和のために動いたと説明する。

読み物としては面白かったです。

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