« モネの庭と室戸ジオパークを車椅子で叔母は制覇 | トップページ | 「吉本隆明の声と言葉」を読んで »

2011.10.11

「山内容堂のすべて」を読んで

Yyodouhon
 近くの図書館で「山内容堂のすべて」(山本大・編・新人物往来社.1994年刊)を読みました。山内容堂に関しましては、以前「山内容堂」(平尾道雄・著)も一緒に借りて来ていましたので、あわせてよんでみました。

 多くの郷土史家の人たちも加筆されていました。講演を聴いたことのある広谷喜十郎氏や、谷是氏なども執筆されています。多様な山内容堂の人物像が描かれていました・

 思想的には勤王の持ち主。教養があり詩人としての才能もあるようです。たかだか24万石の外様の大名にすぎないのに、幕末期に福井の松平、島津、宇和島、水戸藩らと結託し、将軍跡継ぎ問題に介入、ペリー来航以来の政局にも提言を繰り返し,存在感があったようです。

 しかし井伊直弼が大老になり、政治的にその勢力が敗退。容堂も謹慎の身の上。蟄居生活は3年に及んだとか。

 なかなかユニークな人物であったようです。

「容堂という人を考えると、土佐人にある典型と思うが、言語明解にして、言い出したら聞かず、理屈の上に理屈を重ねて強情さをみせ、ある種の正義感を有して一歩も引かず、付和雷同することを極端に嫌う。その政治的手腕といえば、井伊直弼や岩倉具視の権謀術数にはとてもかなわず、時にはドンキホーテのようなユーモアを見せる。」(P182)

 大酒飲みであり、自ら「鯨海酔侯」とか称し、常にお酒を飲んでいたそうです。今で言うアルコール依存症になっていたのかもしれません。

 勤王思想の持ち主でしたが、公武合体論者。尊皇攘夷という考え方には傾かず、開国による富国強兵策を土佐藩でも実行しようとしていました。土佐勤王党の弾圧粛清など土佐は多くの無益な血を流しました。

 山内容堂の最大の功績は大政奉還建白書を将軍に提出し、戦火を最小限にとどめたことに尽きます。そのあたりのバランス感覚は絶妙であり、薩長の倒幕勢力のそのまま戦争をしておれば、外国に必ず付け入られてた事でしょうから。

 維新後は中央政界にも顔出しせずに、東京の私邸で豪遊し、浪費の限りを尽くして明治5年46歳で逝去されました。藩財政を担当していた後藤象二郎と板垣退助がほっとしたというのも本音でしょう。

 幕末維新期に土佐は多くの人材がいました。吉田東洋や坂本龍馬、武市半平太など。多くは対立し、志半ばで倒れました。絶対権力者の山内容堂が、対立解消にもう少し汗をかいておれば、維新後土佐は薩長に出遅れることはなかっただろうにと思われます。

|

« モネの庭と室戸ジオパークを車椅子で叔母は制覇 | トップページ | 「吉本隆明の声と言葉」を読んで »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「山内容堂のすべて」を読んで:

« モネの庭と室戸ジオパークを車椅子で叔母は制覇 | トップページ | 「吉本隆明の声と言葉」を読んで »