高知市歴史散歩を読んで
高知市歴史散歩」(広谷喜十郎・著・高知市文化事業団・2003年刊)を図書館で読みました。広谷氏は郷土史家として高知では著名な人です。
記述は多くの分野にわたっています。わたしの最近の関心事は津波対策です。P32に「津波の碑」という題目がありました。
「夜須町では安政大地震の時には数百人が観音山に直ちに避難して命拾いをしているので、この山を命山と呼び、あわせて記念碑を建てている。
その末尾に、家財道具などを取りに家に帰るなと強い警告を与えて結んでいる。なお、南国市日章地区にも命山があった。」
またわたしはセーリングを趣味としています。P58に「日和山」という題目があります。
「江戸時代に天気予報をする「日和見」という人々がいた。彼らは朝早く日和山に登り、天気の前兆である雲がどんな状態にあるか、風の方向や強弱、あるいは空気の湿り具合などを見て天気の状態を予見したと言われている。
この日和見をする人が集まり、その的中率の正確さを競うために「日和入札」という制度もあった。港の入り口の小高い丘が日和山としてよく利用されているが、県下でも数箇所の日和山を確認している、」
「観天望気」ということなんでしょう。ローカル気象予報ですね。漁師にとっては死活問題ですから必死に研究しますね、空や風、湿り気などで総合的に判断します。いまなら気圧配置なども読みますね。でも大事なのはその地方の天気の特色。
これから先冬に向かうセーリングでは特に注意が必要です。
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コメント
しばやんさんコメントありがとうございました。
青少年時代に左翼社会に私はいました。「日和見主義」という言葉は、悪い意味で使われていました。
「決起するときに躊躇する。臆病者」として使用され、当時躊躇ばかりしていた私などは常に非難されておりましたから。
「日和見」が相手を排除する悪い言葉ではなく、漁師さんたちが生活の知恵としてコンテストまでしていたとか。今でも観天望気は日強いです。
古い映画でしたが「デルス・ウザーラ」とかいう黒澤明の映画がありました。天候を予知する能力のある先住民が出てきます。人間は本来天候予知能力があるのです。そう思います。
投稿: けんちゃん | 2011.10.24 08:31
「日和見」という言葉は、どうも「日和見主義」という言葉を連想させてしまうのですが、もともとは「気象予報」ですね。
天候は農業者にとっても重要ですが、どちらかというと農業は天候に対して受け身ですね。確かに、漁師にとっては海に出るか出ないかは死活問題ですから「日和見」の的中率が重視されたのでしょうが、日和山が高知に数か所あるというのは面白いですね。
投稿: しばやん | 2011.10.24 07:54