「南海の翼」を読んで
「南海の翼 長宗我部元親正伝」(天野純希・著・集英社・2010年)を図書館で借りて読みました。このところ雨が多いので休日に読むことができました。
長宗我部元親が今静かなブームであると言われている。信長・秀吉・家康の同時代に登場した四国の田舎大名に過ぎませんが、ゲームになったり漫画になったりしています。
初陣までは書物ばかり読み、軟弱者とののしられ、「姫若君」と言われていました。本山氏との合戦で獅子奮迅の働きをして「鬼若君」と言われるようになりました。
本山氏、安芸氏、一条氏との対決を制し、土佐を統一、阿波と伊予から一気に四国統一へ向かう姿はわくわくする。しかし中央の覇者である織田信長と豊臣秀吉が行く手を阻まれ、土佐1国に押し込められる。
この物語は久武親信という長宗我部元親家臣の語りにより構成されている。久武親信は、謀略活動も裏でしていた元締め。元親時代を後継者盛親に対して語る形式になっている。
強敵安芸国虎との合戦時にも、謀略活動と相手方城に忍び込み毒を入れて城から追い出し討ち取った話。
推論であるとことわりながら、織田信長殺しを秀吉が明智光秀をそそのかし、実行させたが、あまりに早い秀吉の反転行動。最初から秀吉が仕組んでいたのではないか。長宗我部元親も、四国を護るために明智光秀に謀反を起こすように工作をしていた。そのおりは、海を越え四国から援軍に行く予定。ただ思いも早く秀吉が反転して光秀を破った。これは光秀をそそのかし、天下をわがものにするための秀吉も謀略であったと。
四国を秀吉に攻められ、元親は降伏します。阿波保有は認められず、阿波には秀吉の子飼いの蜂須賀氏が入国します。降伏して1年もたたないのに、長宗我部元親、嫡男の信親やそろって九州攻めを秀吉に命令されます。
部隊は劣勢になり、嫡男の信親は戦死してしまいます。それも秀吉の謀略であったと久武親信は語ります。四国内の外様勢力を弱らせ、子飼いの蜂須賀に統治させるつもりであったからだと。
嫡男の死後、元親はめっきり弱り、覇気がなくなった。自分の後継に強引に4男の盛親を指名。反対派を忙殺していまいます。そのあたりも久武親信が関わっていました。
物語は久武が関が原の戦で盛親が、なぜか西軍つき、満足な戦もできず土佐に戻ったものの領地は没収され、京都の片隅で寺小屋を開き、浪人暮らしをしている。そこへ元親時代の老臣の久武親信が現れ、長宗我部家の真相を語ります。
このまま朽ち果てるより大阪城の攻防戦に参加し、長宗我部の名前を挙げてそこを死に場所にしようということに物語りは展開していきます。
読んでいて長宗我部元親の明るさと暗さ。四国を統一したと思いきや、頓挫する無念さ。嫡男を失った喪失感。光と影を描いている。四国の後進性の象徴である屯田兵である一領具足を長宗我部軍の中核にすえていた兵制の強みと弱みが端的にあらわれた時代でした。
四国に雄飛した長宗我部元親の物語としては面白かったです。
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