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2011年11月

2011.11.30

第4回防災人づくり塾を受講

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 第4回「防災人づくり塾」(高知市危機管理室主催)の講師は、片田敏幸氏(群馬大学教授)でした。二葉町自主防災会メンバー5人で揃い受講しました。

 3月11日の東日本大震災は。死者が15840人。」行方不明が3607人。合計19447人の大災害でした。
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 片田敏幸氏は防災教育の実践者。地域に入り込み子供たち主体の「防災教育」を実践し、今回の東日本大震災でも、顧問をしている岩手県釜石市で成果を上げられました。3000人の小中学生が殆ど助かり、なくなったのは5人でした。
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 中学生たちは保育園児や高齢者まで救助し、一緒に小学生たちと逃げて、高台へ逃れきりました。避難の途中で亡くなった人は皆無でした。
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 片田氏は「現在のやりかたの防災教育では駄目だ。大人相手ですと毎回同じ熱心なメンバーばかりが受講する。1番聞いていただきたい子育て世代がこない。そのために子供たちへ20年計画で、10年刻みの防災教育をすることにしました。」
 
 片田氏の信念は「当たり前の地域の文化として、津波からの避難誘導をしなければならない。

 海溝型地震はとにかく揺れるのが長い。揺れが長ければ長いほど大津波が来る。高知県は地形的に「最悪」津波が沿岸で跳ね返され、後から来る津波と重なり、大きな津波になりやすい。津波警報が解除になるまでは、高台を離れてはいけない。

 とくに増幅して「ピンポイント」で津波が想像以上に高くなる。

 片田氏のキーワードを講演から拾い出します。

「日本は災害大国。地震。津波、台風、大雨、大雪で年中災害が起きている日本。狭い国土に1億3000万人が生活しています。

「過去(100年来)津波が来なかった地域での死亡者が多かった。」

「今回の大震災は想定にとらわれすぎた地震でした。」

「災害だけは老人の言うことを聞いてはいけない。」

 こうも言っていました。

「大いなる自然の営みに畏敬の念をもち、行政に頼ることなく、自らの命を守ることに主体的になれ」
 「避難の3原則

①想定にとらわれない。ハザード・マップを信じきるな。

②最善をつくせ。津波では1メートルでも高いところへ逃げること。

③率先避難者たれ。(人には正常化の偏見がある。自分の命を守ることは、みんなの家を守ることに繋がる。

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 そしてこういわれました。

「冷静に自分と向かい合い。自然の恵みを得る。災害をやり過ごす知恵を持つことは、豊かな自然の中で生活するための条件」であると。

 「災害ごときで人を死なせないこと。」帰宅困難や避難生活、避難所運営、復旧。復興は生き残ったひとのための防災は、その次だ。
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 これからの防災に求められること

 災害時にやるべきことは、想定にとらわれることなく、平時のうちにできる最善の行動をとるだけ。平時の時にできることを積み重ねること。

 「誰がやるべきか」から、「誰ならできるのか」という視点をもった地域防災。
  大いなる自然の猛威に対して「誰がやるべきか」の議論は不毛である。

 最善を尽くした結果、命が守られる為の避難計画。段階的避難所計画。

 立地場所などに応じて雛所に安全度を設定。最善を尽くして。できうる限りの安全度の高い避難施策をつくること。

 住民の最善の努力を前提に、その結果得られる安全度を高める為の避難施策をこしらえる。 実行すること。

 実際の体験に基づき、成果をあげられた人だけに、説得力がありました。

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晩秋の高知市だ

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 高知地方裁判所と検察庁(工事中)の間の街路樹が綺麗です。高知も晩秋になりました。

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11月も今日で終り

  11月も今日で終わりです。地域の活動がなんかせわしい月でした。

 まずは参加しただけでしたが、3日の「昭和秋の感謝祭」。仁淀川町ー二葉町共同サロンをこしらえ、共同販売にとりくみました。結構な賑わいでした。

 17日は「安岡正博さんを偲ぶ会 ポーラさんを励ます会」を開催しました。平日の夜にもかかわらず多くの人たちが参集してくれました。今更ながらに安岡正博さんの偉大さを感じました。

 23日は「仁淀川町ー二葉町交流会」の仁淀川町訪問活動です。30人を越える二葉町関係者が仁淀川町へ行きました。来年からは行政とも連携して本格的な動きをつくります。

 2011年の締めの月も12月は楽しみですね。

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2011.11.29

今週の野良犬メディアも今ひとつだ

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 最近は毎号実坊させられている「野良犬メディア」のトップ週刊誌週刊現代(講談社)。12月10日号もまたまた切れ味は良くないですね。

 なんぜ既存の報道機関や政府筋と対決するテーマがないから。独自取材をしていない「野良犬メディア」は魅力はないね。そう思う。

ただ今週号の週刊現代は読みごたえのある記事もいくつかはありました。「反骨」という野良犬根性を露骨に表現して欲しいと私は思いますが、身勝手な読者の願望にはすぎません。


【大反響第3弾】〈これがその申請用紙です〉60歳から年金もらって幸せになろうよ 国が宣伝しない「60歳からの繰り上げ受給制度」教えます 誰でもOK!

 このあたりもどうなんでしょう。「還暦」が近いわたし。60から年金をいただいたところで、小遣い程度。仕事がある限り安月給でも働いたほうがいい。コストをかけずに生活する方策を開発することでしょう。


〈女房に言っておく! これが現実〉60すぎたら、仕事なんかない

 そりゃ仕事はない。若者ですら正規雇用はないのに。コンビニのバイトも30歳半ばをすぎたらなかなか採用されないともいいますので。

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内田樹 「呪いの時代に」

 これは面白いコメントでした。今週の唯一の読み応えのある記事。

「寸鉄人を刺すような一言で効率的に相手を傷つけ、生きる意欲まで奪うような能力を、人々は競って身に着けようとしています。そして現にそれは功を奏している。

 呪いをかける人々は、他人が大切にしたリ、尊敬したりしているものを誹謗中傷し、叩き壊し、つばを吐きかけ、その代償に強烈な全能感を獲得します。

 社会的に無力な人々がこの破壊のもたらす全能感に陶酔するのは,ある意味で当然なのです。」(P62)

「呪いを発する人間の末路は、だから麻薬中毒者と同じように哀れです。攻撃的な言葉は相手の生きる言葉を奪うだけでなく、それ以上に自分の生命力も傷つけるからです。他人への呪いというのは、自分にも必ずはね返る。(P65)

 呪いはろくな結果しか生まない。筆者はこう解決策を述べています。

「だから呪いを制御するには、生身の、具体的名生活者としての「正味の自分の」のうちに踏みとどまることが必要です。妄想的に亢進(こうしん)した自己評価に実を預けることを自制して、あくまで「あまりぱっとしない正味の自分」を主体の根拠として維持し続ける。それこそが,呪いの時代を生き延び方なのです。」(P65)

 自己中毒にならず、回りもよく見ろ。きちんと自分も他人も評価しろ。と言っていますね。正解であると思います。  

橋下徹「父は暴力団」報道に負けなかった! これで大阪はどう変わるのか

 これも伝え聞く噂話の域を出ませんね。


菅野くん、君は日本ハムに入ったほうがいい

 これは国民の願望。「内輪もめ騒ぎの巨人軍のイメージ・ダウンははなはだしい。プロ野球選手は試合に出てなんぼですから。


【世界恐慌、その現実的影響】


・預金は損、借金は得 いずれやってくる超インフレに備えよ

 欧州がそうであったように、いずれハイパー・インフレになるでしょうよ。耐乏生活に今から慣れればどうってことはない。


・生保は大丈夫なのか


・野村證券と大和証券のこれから


・毎月分配型の投信はすぐ売れ!


山口組五代目の義兄を顧問に迎えていた吉本興業


ああ、公務員だけが幸せな社会

 最近は当たり前の話。ある意味し方がない。格差社会ですから。


【さよなら、談志師匠】

〈声が出ない〉がんと闘った「最後の日々」


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どうする どうなる原子力発電

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 福島第1原子力発電後、日本の原子力発電はどうすればいいのか?国民的な議論をしないといけません。

 日本の経済成長も、ある意味原子力発電での電力供給のおかげである部分が大きいのかも知れませんね。政府があれほど原子力発電を優遇し、豊富に資金を供与してきたのも、経済成長と原子力発電が車の両輪であった関係があるようです。かつてはそうした時代があったのかもしれません。

 しかし今回の福島第1原子力発電の大事故で、車の輪が外れてしましました。今後原子力発電所をどう「始末」するのか日本の大きな課題となりました。

 基本的には地震列島日本での原子力発電は無理でしょう。早急に代替エネルギーと節電政策をしないといけないでしょう。それが厳しく問われています。

 原子力に変わるエネルギー資源をこしらえることができるかどうか。日本の将来はそれにかかっているといえます。

おりしも昨日のニュースで事故以来福島第1原発の現場で陣頭指揮をされていた吉田所長が病気入院し、現場をさることが公表されました。今後どうなるのか本当に不安ですね。

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2011.11.28

今年の重大ニュースの候補は?

 まだ12月があるので今後何が起こるかわかりません。昭和の南海地震も12月に起こりましたから。個人の生活でも、社会のことでも2011年は大きな出来事がいくつもありました。

 絶対に外せないのは3月11日の「東日本大震災」です。あれから思考が停止していますから。それと福島第1原子力発電所の大事故と放射能漏れ。原子力政策のいい加減さ。と怖さ。思い知りました。その2つの出来事がすべてです。

 地域の自主防災会活動も変更が強いられました。それで津波の来ない山間部への「一時疎開」というアイデアを考え、交流事業を実施することにしました。

 個人的には高校生以来の社会活動の総括もありますね。小泉政権以来日本をめちゃくちゃにした新自由主義の総括もです。「連合赤軍と新自由主義の総括」というテーマも「3・11」以降作業が進んでいませんから。

 後はどんなニュースがありましたか?すぐには思い出せません。

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2011.11.27

日本VSシリア戦の観戦

 ロンドン五輪最終予選、日本VSシリア。ホームでの大一番。ともに2戦2勝で来ている.シリアは立ち上がりアウエーだが積極的に攻めてきている。攻撃的。特にアルスマ選手とマース選手は上手いし、ゴールに向かって走る。

 前半は最初日本は押し込まれる。しかし叙情に中盤でリズムをつくり、サイドを、を崩しチャンスをつくる。

 サイドが活性化し終了間際の45分に日本は浜田のヘッドで先取点。
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 しかしさすがにシリアも強い。後半の立ち上がりから前半以上に前がかりに攻め込む。そのためサイドの後ろにスペースが出来て、日本も攻める。決定的なチャンスがあるが決められない。ノーガードのボクシングの打ち合いのような試合展開に。解説者がますいなと行った矢先に、後半30分シリアのアルスマに同点ゴールをけりこまれました。
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 疲れているはずのシリアは元気になり攻め込んでくる。日本は選手交代をした。FW大迫に変わり、永井を投入。しかしなかなか流れがつかめない。このまま引分けで終われば、ホームなので「負けに等しい引分け」になる。と思っていた。

 しかし相手ゴール前でDFの比嘉が仕掛けクロスを上げる、FWの大津がフリーになっていてヘッドで決めました。
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 しびれるようなゲームでしたが、日本が2-1でシリアに勝ちました。
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 次は来年2月のシリアでのアウエーでの試合。これは正真正銘の大一番。これに勝てば日本はロンドン五輪に頭角になります。

 なんかテクニックがあって面白いチーム。1999年のワールド・ユースに準優勝したチームのような楽しみが出来ました。若手が日本は低迷していましたがようやく台頭してきたなと思いました。

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ヨット・メンテナンス教室へ行きました。

 父のゴルフ打ち放し場へお付き合いした後、自宅へ戻り、香南市夜須へ行きました。YASU海の駅クラブ主催の「ヨットメンテナンス教室」へ行きました。

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 昨年うっかりセルフベーラーを反対方向に取り付けてしまいました。それで今回それを取り外し、正規の位置へ取り付ける作業をしました。ヨットを横倒しにして作業をしました。
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 FRPを使用して修理する人たちもいました。
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 今日は1日がかりの作業。お昼はJAかみやすの店舗やすらぎ市へ弁当を購入しに行きました。やすといえばエメラルド・メロンです。2個で5500円くらいです。
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 今日は無風のような海面でしたし、メンテナンスも必要です。ヨットの修理もしました。またメインシートも新しいシートにしました。海の駅クラブで購入しました。来週から強風で乗れますね。

 また今日はカシオ・オープンゴルフ大会が、近くの芸西村黒潮C.Cでありました。ヤ・シィパークからはみ出した観戦客の車が海の駅クラブの駐車場へも駐車していました。

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シニア・女性優先専用打席

 父が週に1度行っているゴルフ打ち放し場。「高齢者・女性優先打席」が固定されたようです。今日も高齢者の皆さんがゴルフの球を打っていました。
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高知市長選挙投票日

  近くの投票所へ行きました。

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どうなるTPP

  国会審議の前にあわただしく野田首相はハワイでのAPECへ参加しにいきました。APECは知りませんでしたが、ロシアも中国も参加していました。ヨーロッパ抜きの世界会議の様相です。もっともヨーロッパ(EU)は、ギリシャやイタリアの経済危機があり、アジア太平洋どころではないでしょう。

 アメリカは日本は」全品目の参加を前提にTPPに参加表明をした。と大統領報道官が言います。一方野田首相は国会審議で、野党議員がそのことを質問しますと「国益に反することはやらない。」と言い切ります。これはどうなんでしょうか?わかりません。

 わたしなりに勉強もし、情報も得ていますが、未だにいいことなのか悪いことなのかわらなないのです。

 わたし個人では「わからないはやらない・」と言う信念です。ですので、どうなのかわかりませんね。

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2011.11.26

上天気でみかん狩りに行きました

  入野敏郎さんのみかん園の後釜えをしている幸せみかん園(?だったかな)へ行っていました。高知県香南市野市東佐古にあります。家内と家内の友人と3人で行きました。

 上天気でみかん狩り日和。入野さんのやっていたときより、手入れがされていないので、近場で採りました。
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 どの木のみかんが上手いかどうか。試食しながら品定めをして、美味しいと判定したみかんの木から採ります。
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 ここのみかん園は枝は伸び放題。がけの上や、高い木にみかんが実っています。ヨットのシートロープを体に巻きつけぶら下がりながら採りました。家内とコンテナーに1つづつ採りました。
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 入園料は大人300円。コンテナーするきり1つで2000円。2コンテナー(1つが24キロぐらい)で、4600円師はtらいました。

 レジャーとしてはいいですね。高知はJリーグのチームもありません。TVで「柏VSC大阪」を戻るとやっていました。でも自宅から30分のところにみかん園があってえいとは思いますね。田舎の特典ですね。

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パソコンも子供たちと同じようなものか・・・・

  最近ノートパソコンのDVDドライブが壊れたようです。それで購入したパソコンシュップで修理を依頼し持ち込みました。。「内部のDVDドライブの故障。メーカー修理になればいつ来るかわかりません。外付けのDVDドライブをお薦めします。5000円ですから。」とのことでした。

 それでパソコンを取りに行きました。「パソコン本体は壊れていません。DVDドライブをUSBで接続いただいたらそれでOKDです。」とのことでした。

 3ヶ月前は事務所の経理用のデスクトップのパソコンが調子が悪く修繕に。1年前はサイトをこしらえている作業用のパソコンがクラッシュし、マザーボードとハードディスクを変えました。

 家に就学前の小さな子供がおれば、始終病気をしている。風邪を引いたり、はしかになったり、とびひになったり、いろいろですね。うちのような小さな会社でも5台もあるとどれかが調子が悪くなることもある。

 子供たちとおなじである。と思えば気が楽です。なんとか直るし、してきましたから。

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2011.11.25

寒い中でのはりまや橋サロン

 今日はさすがに寒い。昼間も気温が上がらない。ですが、11月最後のはりまや橋サロンですので(来週は師走ですよ)母を活き活き100歳体操(介護予防体操)へ連れて行きました。

 まず最初は魚の棚商店街で「ドーナツ」を母は買い込んでいます。
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 次にコロッケ屋さんで夕飯のコロッケを買いました。
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 いつもの10円まんじゅうも買いました。
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 はりまや橋金曜露店市の様子です。
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 寒い清なのか、今日の活き活き100歳体操の参加者は少なめでした。
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 活き活き100歳体操修了後、母と叔母と3人で新しく出来た青柳で抹茶とぜんざいセットを食べました。まあまあでした。
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ついに灯油ストーブを点火

 慢性腎不全の治療の為の点滴で病院から戻った父(92歳)が「寒い」と言い出しました。温度計を見ると事務所の温度は10度でした。

 北海道・東北など寒冷地の皆様にはこの程度で寒いというのは笑われますが、南国人は寒さに弱いので、ストーブを点火する事にしました。
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 灯油も春先からの繰越。ポンプもなくなったいる。漏斗を使用して灯油をタンクに入れました。
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 そして灯油ストーブに点火しました。すすが出ます。
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 家内が「換気をしないといけない」と言います。ストーブをつけた直後はドアを開けるので余慶に寒いです。
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こういう文章は誰が書くのでしょうか?

 いわゆる「スパム・メール」の類ですが。時折「意味深」で、「わけありの」内容のメールが送信されてきます。以下の文章などがそうです。

 引用はじめ

結婚して9年になります。
主人は52歳、私は24歳。
子供はおりません。

化粧や服装、髪型も気を使っていますし
スタイルも結婚前とそんなに変わっていません。
夫婦仲も良い方だと思いますが、
1年前からセックスレスです。。。

付き合っている時から主人は淡白でしたが
何年も誘っても断られてばかり。
理由を聞くと「疲れているから」とか
「行為が好きじゃない」と言われてしまいます。
最近は、どうせ断られると誘ってもいません。

主人とセックスをしなくなって
他の男性にひかれる自分を感じています。
ご近所のご主人に魅力を感じたり
街ですれ違う若い男性に目が行ったり
グラビアを見る時も男性の股間を見つめてしまったり…。
これ以上この溜まった性欲を抑えられそうにありません。。><

今回貴方にメールしたのは他でもありません。
私のセフレになってください。
セックスがしたくてたまらないんです。。。
できれば月に1~3回の頻度で抱いてほしいです。

 引用終り

 一体だれがこういう文章を書くのでしょうか?女性が書いた文章ではないと思います。そうしますと私らずれの「おっさん」が書いたものなのか専属ライター(書き手)がいるのかどうなのか?

 摩訶不思議な文章です。実際にコンタクトする人がいるんでしょうか?

 アダルト業界がIT産業の牽引車であるとも言われています。ブロードバンドもそうなんでしょうね。どうなでしょう?

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2011.11.24

書くことのもどかしさ

 私個人とすれば「書きたいことは」山ほどある。あれもこれもと。しかし文章を手短に練り上げて書く時間も、才能もないようです。もどかしさだけで日が暮れて、1日が終ってしまう。

 夕食後の時間帯が「執筆」時間ですが、午後9時になるともう駄目ですね。頭が働きません。ブログもフェイスブックも書きたくはないですね。

 もっと知的な活動をしたいと思うのですが、どうも駄目です。自分の思想的な総括課題である「連合赤軍と新自由主義の総括」も「3・11」以来作業が進展していません。あまりに地震と津波・長期浸水が凄くて自分の「容量」を超えたからでした。

 それでもなんとかない知恵を振り絞り、考えをまとめ、公表していきたいと思います。

 IT機器やしくみは発達しています。機器操作を簡単にできる年代層は、「書くことがない」ようですね。「書くことがたくさんある」熟年層以上は、IT機器やあらたなSNSやツイッターが苦手で公表できないでいます。そのあたりも「もどかしい」ところです。

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2011.11.23

「第2回仁淀川町への訪問交流会」が開催されました。

 2011年11月23日。今年2回目の「仁淀川町二葉町交流会」が実施されました。仁淀川町への訪問です。バスでの参加者は33名でした。内訳は二葉町が26名。中宝永町が4名。稲荷町が1名。坂本茂雄県議と講師の西田政雄氏(防災寺小屋塾頭・仁淀川町池川地区出身)です。
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西森俊一二葉町町内会長の挨拶です。
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 森宏二葉町自主防災会会長の挨拶です。
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 集合時間の8時には青空が見えていました。ところが途中休憩したJAいの駅からは雲ゆきが怪しくなり、佐川付近で小雨が降りだしました。
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 バスのなかでは西田政雄氏による「防災講演会」が開催されました。往路では新潟県旧山古志村の住民の絆の証である手堀のトンネル掘削の物語「掘るまいか」がDVD上映されていました。公的支援の殆どない中での住民相互の団結の証のトンネル建設の物語でした。
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 午前10時前に仁淀川町の439市に到着しました。ここでは仁淀川町の特産品である池川こんにゃくやいたどりキムチ、いりもちやお茶などが販売されています。今回の研修会へ参加された人たちも439市で買い物をされていました。
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 近くの土居の集落の説明を地元の井上光夫さん(によど自然素材活用研究会会長)がされていました。昭和50年の台風災害では土居川が氾濫し大きな被害をだしたとの説明がありました。
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 高知大学の「防災お助け隊」のメンバーも駆けつけていただきました。
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 井上光夫さんによれば安の河原には2つの歴史的な逸話があるそうです。「江戸時代の天保時代のこと。この地域は特産の土佐和紙の産地でした。当時は大きな工場はなく、各家庭で手すき和紙を漉いていました。藩財政も逼迫したので土佐藩は上納している土佐和紙を一方的に易く買い上げようとしました。しかも税を高率に上げました。それでは生活できないと周辺の住民701名が安の河原に腰に弁当を巻きつけ終結し、隣の伊予藩に集団で逃散したそうです。
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 土佐藩は貴重な土佐和紙の担い手がいなくなったら困りました。3ヶ月以上伊予に滞在しましたが、土佐藩側が折れ、お咎めなしになり住民は罰を受けずに戻って来たそうです。」

 もう1つは放浪の歌人山頭火の話です。遍路姿で遍歴をしていた山頭火。ぼろぼろの衣服であったがゆえに、警戒され、どこの地域でも冷たくあしらわれていたようです。しかし仁淀川町では親切にされ、家屋に泊めていただき食事もふるまわれたとか。
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 山頭火は地元の人たちに感謝し、歌を詠んだという碑が立っています。
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 旧池川町商店街を散策しました。
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 NHK仁淀川特集で「鮎釣り名人」として紹介された青木氏の理容店です。
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 商店街にある居酒屋「渓谷へ出張中」とありました。安居渓谷でご商売をされておられるのでしょうか?

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 昭和50年の大水害ではこの橋の欄干に流木がひっかかり、濁流がせき止められ商店街へ流入したそうです。
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 それで仁淀川町役場池川総合支所の講習会会場へ行きました。4階のコミュニティセンターです。立派な施設です。地元関係者から講演がありました。
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 まず最初に土居の集落を案内いただいた井上光夫氏より{仁淀川町の暮らし、椿山の焼畑と昭和50年代の大災害」についての説明がありました。

 仁淀川町の椿山地区では場所を決めて焼畑をしていました。山を類焼防止の処置をしてから、山を焼き、その後。ひえや粟、そばや小豆、とうもろこしを連作することなく数年間栽培します。その後別の場所へ移動。30年後にまた焼畑をする。というサイクルで焼畑をしてたという説明がありました。

 昭和50年の大雨災害では、地域が甚大な被害を受けました。山の崩落や土石流などがおき、家屋は流され浸水し甚大な被害を出しました。

 続いて高知県の地域支援企画員「仁淀川町担当)の西森文明氏から「仁淀川町の防災」というテーマでの説明がありました。
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 昭和50年の災害では、池川支所(当時は池川町役場)近くの北浦橋に流木が大量に引っかかり、濁流がせき止められ、集落に流れ込み大きな被害を出しました。また広範な地域での崩落、道路の被害、がおきました。
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 仁淀川町は広域ですが、地域に自主防災会をこしらえる活動のサポートをされているということを説明されました。

 説明後は昼食の時間となりました。地元の食材をふんだんにとりいれた「平家弁当」を参加者で食べました。地元の弁当店「おしおか」が考案されたそうです。
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 昼食後仁淀川町役場総務課奥田氏による「仁淀川町の防災対策」の説明を聞きました。
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 仁淀川町は集落数は156地区あり、川沿いや急傾斜地に多くあります。集落を結ぶ道路は1路線のみで迂回路がない集落が殆ど。台風や南海地震により災害が起きれば孤立する集落がほとんどです。その一方で過疎高齢化が進展していて、{限界集落」も多く見られ、地域防災力の低下が懸念されている。

 平成22年度において仁淀川町の自主防災会組織率は56%。これを100%にすべく、自主防災会結成時には60万円の補助金を出している。仁淀川町の備蓄は非常食2000食。備蓄毛布は600枚である。今後の備蓄計画を立てるために、福祉部局と防災部局の協議を行なっている。

 説明会後、仁淀川町土居地区の住民の指定避難所になっている池川小学校と池川中学校を見学しました。池川中学体育館は」近く耐震補強工事をされると下久保課長補佐は言われていました。
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 池川中学近くにあるアート工房も見学しました。個性的な彫刻や木工彫刻も数々並んでいました。
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 近くにある池川神社に移動。400年の伝統がある池川神楽を見学しました。場面がそれぞれ変化し、二天の舞、児勤の舞、天磐戸開舞、四天の舞が披露されていました。池川神社は大勢の観光客が見学しておりました。
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 餅撒きもありました。参加者各位は餅をひらっていました。
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 集合場所のJA支所前で仁淀川町役場の下久保企画課課長補佐、中田氏とお別れしました。大変お世話になりました。
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 最後の訪問地は池川茶園です。ここでは参加者各位が名物の茶畑プリンやスイーツを買い込んでいました。お茶の栽培農家の主婦の方々が研究され、お茶を素材としてプリンやお菓子を開発され、販売されています。
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 現地での日程は無事に終了。帰りのバスの中で意見交換が行なわれました。参加者各位から西田講師への質問もありました。そのうちのいくつかです。
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「二葉町の近くでは掘川をはさんですぐに中ノ島に石油施設がある。東日本大震災でも津波で火災が起きていました。心配です。」との意見。

「県のほうでも東日本大震災の教訓があり、火災での二次被害を防ぐ方策を従来以上にたてています。」

「津波は東日本大震災のようにどんと来るのでしょうか?」

「たぶんどんとは来ないでしょう。浦戸湾は、中ほどが狭まっていて、そこで一時的に波が重なりとめられる。じわじわと水位があがり浸水すると思われます。」

 今日は各地で秋の大祭が開催されています。帰路でいの町を通過しましたが、いの大国さま秋の大祭をしていました。

 バスは午後5時すぐに出発地の二葉町の下知図書館前に到着。交流会は無事に終了いたしました。

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サッカーの凄さ

  11月15日の北朝鮮での対戦は日本は0-1で負けました。スタジアム全体を観客を動員し、独裁国家あげてのサポート体制・だからこそ日本代表には勝手欲しかったです。

 サッカーには国情が出ます。FIFA加盟の地域と国は国連をしのぎます。それだけに影響力はあります。言葉は通じなくても、宗教が違っても、民族を越え、サッカーは試合が出来ます。

 運営がヨーロッパ主体になっているのが気に入らない。なでしこが女子W杯で優勝したのですから、男子も優勝しないと。優勝しないかぎり欧州や南米の意向で左右されますね。

 日本選手に何がかけているかといえば、状況対応力ですね。ピッチが悪ければ悪いなりに試合になったら切り替えないと。アウエーでも完全に勝ちきることですよ。それが大事です。

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2011.11.22

今週も"駄作”の野良犬メディア

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 週刊現代12月3日号を購入しました。朝の散歩で購入しましたが、すっかり寒くなりました。期待はしていましたがm内容も「とても寒い」ことでした。

 肝心要の「知りたいことが」まるでありません。欧州の経済危機と日本との関連性や、またなぜ円高になるのか?そのあたりを「ざっくり」と解説していただきたいのです。それをしないから、池上彰氏に頼ってしまいますね。

 野良犬は規制メディアが立ち入らない領域の情報をかぎまわり、集めて、公表しないといけない。そこらが弱いと思いますね。このままじわじわ世界不況になるのか。でも日本の政治は「消費税の値上げ」とか訳のわからない方向へ漂流しているようにも見えますね。

【インサイド・レポート】〈あなたの会社が危ない! トップ企業が次々「赤字転落」「業績不振」〉パナソニック、トヨタほか 深くて長い苦悩の始まり

大暴落!イタリア、スペインと来て次に狙われるのは日本国債だ

【全国民必読】〈大反響第2弾 どうせ当てにならない年金制度、「繰り上げ受給」で早く確保した方が賢い〉60歳から年金をもらおう 繰り上げの方法と、得か損かのシミュレーション

橋下徹 本誌調査ではやっぱり「圧勝」なのだが

ゴルファーの才能って何? 石川遼と松山英樹、将来はどっちが上?

【大研究シリーズ】死に損なわないために 「いい時に死にたい」それはいつなのか/人は何歳で死ぬのが幸せなのか/本当のところ、家族はどう思っているのか/誰も行きたくない「葬式」

【ぶち抜き大特集】「読売王国」クーデター 全内幕

・ナベツネじいさん、まさか、このオレに歯向かうとは

・〈魚住昭×玉木正之〉「ナベツネ独裁、それに異を唱えない読売社員って」

・〈いったい、どー思ってんだろ〉読売新聞記者たちに聞いてみたら

・ハワイでコケにされた どじょうの「悲劇」


・蓮舫大臣がテレビに出たい「理由」

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古い友人・知人たちの人生もさまざま

  先日中学時代の友人から葉書が来ていました。5月に35年勤務した会社を退職したといいます。まだ定年まで間があるのに。気になって電話しました。そしたら昼間自宅にいました。

「両親も高齢であるし、子供らも片付いたのでのんびりするつもり。先々のことはまだ考えていない。年金はもらえないので、いずれなんかの仕事はするが」というもの。人生いろいろだ。

 大学時代の友人は今日高知で会うことに。居宅介護事業所を経営していて、別の事務職の仕事もしているとか。高知への研修旅行とかで引率に来るようです。

 3年前には突然死去した友人もいました。彼とは高校時代社会運動の仲間でしたから。

 人生いろいろです。1度きりの人生。後悔せずに楽しんで生きたいと思う。

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2011.11.21

なぜこの時期にガソリンが上がるのか?

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 今日からガソリンが10円値上げです。135円が145円になるということです。巷は不況。しかも歴史的な円高であるというのにどうしたことでしょうか?

 その理屈やカラクリをそれこそ池上彰さんに解説していただきたいと思いますね。

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どうなる世界経済

  表面化しているギリシャとイタリアの経済危機。スペインもポルトガルも危ないと言う噂がある。そうなると欧州全体が危ないのではないか。

 快調だった中国経済も勢いがないようだし、アメリカも経済が上向きません。日本も元気がないようです。どうなることでしょうか?今年は3月11日の東日本大震災と原発事故が最大の出来事ですから。

 世界経済がどうなるのかは、誰に聞いてもまちまちで、回答を集約することは難しいことでしょう。

 ただこの不況でデフレの日本で「財政均衡だ」と言って消費税を上げれば大不況になるのは間違いありません縁。それだけはやめてほしい。

 お金を持っている高齢者が気持ちよく消費する社会をつくりあげないといけない。それなしに変な社会になれば、日本経済が失速する。それだけは阻止したいものです。

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2011.11.20

どん吹きの夜須の海とヤッシー秋祭り

  昨日の雨から一転して晴れ。しかも西高東低の気圧配置。これは「どん吹き」だ。へっぴり腰のシニアにはちと辛いが海へ出るつもりです。でも怖くなればすぐリタイヤしますので。

 強風を予想しながら朝ヤッシー・パークへ来るとなかなか大変な人たちが。フリマなんだろうか?
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 ハーバーへつくと予想以上に波が高い。パドルサーファーの人たちが海へ出ていました。Ikouchidaigakuya001_r

 高知大学ヨット部も470やスナイプを出す準備をしていました。強風対策を念頭にヨットのぎ装をしました。
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 今日は「どん吹き」なので海上での写真はありません。はやく防水デジカメを買いたいと思います。

 今日のセーリングの感想はと言いますと「夏と冬の混在」でした。この時期にすれば波が高く、出艇と着艇時に苦労しました。いきなり波が打ち込んできて「水舟」にヨットがなりましたから。

 海上はなかなかの強風、6メートル以上10メートルのブロー(突風)が吹き付けます。けんどハイクアウトが出来ません。海が波でローリングするからです。1時間半程度の強風でのセーリング。くたくたになりました。

 昼過ぎに上がって片づけをして、ヤ・シィパークへ行きました。「ヤ・シィ秋祭り」をしていました。なかなかにぎやかでした。
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 ヨットで海上からも見ていましたが、ボードウォーク上でのミニSLは大人気でした。
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 JA香美やす青年部の人たちが、大根の販売をしていました。100円で3本でした。

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 今日は「どん吹き」。高知大学ヨット部の470の2艇のセールが破れていました。ハリヤードにひっかけたんでしょうか。一緒にセーリングしていた仲間も数回沈していました。わたしは強風が来ると風を逃がしてずるくセーリングしていました。

 ヤ・シィ秋祭りは片づけしていきますと、ご飯もんはすべて売り切れ。仕方がないので。ヤ・シィパーク内のカレーのお店で昼ごはんを食べました。

 ヨットの片付けしていますと、事務k局長から「午後4時から施設利用者会があるので、出て欲しい」と言われました。出て帰ってきたら道路が渋滞で日が暮れていました。

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市民がつくる防災フォーラム

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 「第13回 市民がつくる防災フォーラム」が、12月20日(日曜)に、NPO高知市民会議主催で、こうち男女参画センター・ソーレで開催されます。

 今年のテーマは「津波から命を守るために」です。「東日本大震災に学んで南海地震に備える」というテーマで、大年邦雄高知大学教授の講演があります。

 防災用品の展示や、ディスカッションもあるようです。

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2011.11.19

今日は大雨 父のゴルフ打ち放しへ同行

  昨日(11月18日)の「第3回防災人づくり塾」の講師山神次長(高知気象台]の予報どうり今日は大雨。少しだけ雨が弱ったので、父がゴルフ打ち放し場へ行きたがっていましたので、連れて行きました。

 雨が酷いせいなのか、「高齢者・女性専用打席」も今日に限れば空いていましたね。
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 打ち放し場からの帰りは大雨に、前が見えないほど降る時も、ライトを点燈して走行しました。
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第3回防災人づくり塾

 11月18日の第3回防災人づくり塾は「気象・地震・津波災害から荷を守る」(講師。高知地方気象台 山神政司次長)でした。
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 いい話でありましたが、師走の近い週末金曜日になると欠席者が増加しています。1回目は後ろのほうにしか座れませんでしたから。

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 警報や注意報の意味を、台風、津波、地震などの災害事例を引き合いにていねいに講習いただきました。参考になりました。

 つなみに山神氏の19日の高知市の天気予報は。「大雨で南風が強い。気圧配置によっては竜巻が起こる以下脳性もあるので注意してください。」とのことです。

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 朝車で出かけていましたが凄い雨でした。


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入野敏郎さん入院中ですがお元気です

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 11月になりますと、みかんのシーズンですね。おくてみかんの入野敏郎みかん園はそろそろおいしいみかんが採れます。しかし今年みかん園のオーナーの入野敏郎さんは、体調を崩されある病院に入院されていました。

 でも面談しますとお元気そのもの。しかし下半身が麻痺状態で車椅子で移動されています。

「医師は完治するとは言っては居ますが、実際には下半身がしびれてどうしようもない。みかん園の経営は、主旨を理解できるグループに、道具やはさみ一式をつけて譲渡しました。今年はなり年だからみかん狩りに言ってやってください。」とのことでした。

 本人は必ず復帰するとの意気込みで懸命にリハビリをされております。必ず復活すると思います。

 先日開園した元入野敏郎みかん山を見学してきました。
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 看板と表示も変わっていました。また鋏や袋を貸してくれる受付も位置が変わっています。
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 みかん園のリーダーは後姿の女性。なんでも「ストーカーがいるので」写真はNGとか訳のわからないことを言っていました。

 みかんはもうそろそろかなという色合いですね。

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 食べてみましたが、青いものでもそこそこ甘みが出ていました。
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 入野敏郎さんの後釜のグループのちらしです。
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 来週あたり行こうかなと思います。


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2011.11.18

雨のなかのはりまや橋サロン

  昨日は「安岡正博さんを偲ぶ会 ポーラさんを励ます会」で、はりまや橋商店街の皆様にはお世話になりました。それで今日は母を連れて「活き活き100歳体操」へ来ました。

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 魚の棚商店街コロッケ屋「ひろっちゃん」で夕飯用にコロッケを購入します。そしていつもの「10円まんじょう」を購入しました。
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 はりまや露店市は野菜や食材などが豊富に並んでいました。
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 雨にもかかわらず「活き活き100歳体操」(介護予防体操)は熱心な高齢者の皆さんが参加されていました。
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安岡正博さんを偲ぶ会 ポーラさんを励ます会が開催されました

 今年の8月25日にご逝去された安岡正博さん。強烈な個性と行動力に強い影響を受けた人たちは多い。このたび奥様のポーラさんと交流のあるはりまや橋商店街めろでぃ・オーナーの桑名真紀さんの呼びかけて「安岡正博さんを偲ぶ会 ポーラさんを励ます会」を開催することになりました。

 場所ははりまや橋商店街わくわく広場と食堂よしのです。わくわく広場は毎週金曜日に母が「活き活き100歳体操」(介護予防体操)をしに来ています。昔は「番組出演者交流会」をやっていました。
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 桑名さんや商店街のおかみさんたちが、主催者です。わたしは呼びかけ人ですので、安岡正博さんにゆかりのある人たちに可能な限り連絡しました。当時夜須町商工会青年部長であった丸岡克典さん。1987年は米国西海岸、88年には東海岸へ研修旅行に行きました。その参加メンバーにも声をかけました。

 夜須町をテーマにしたまちづくり委員会活動をしていました当時の高知青年会議所の「高知の海とまちを愛する委員会」のメンバー各位にも連絡がつく限り連絡しました。

 当時市役所職員であり建築士会青年部長であった谷正博さん。谷さんは東西米海岸研修旅行に参加後、建築士会の米国研修旅行を10年間されました。その関係者。

 それと商業関係者。こちらも研修旅行に参加されています。桑名さんのほうから呼びかけていただきました。
午後5時には会場準備のために、現地へ行きました。その日は商店街の「もくもく倶楽部(童謡を歌う会)でしたので、椅子や机は最初からセットされていたようです。わたしが駆けつけた時には、既にセットは完了していました。
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 献花台もセットしました。写真は安岡正博さんとポーラさんの「坂本龍馬・お龍」の写真が飾られています。偲ぶ会は午後6時半のポーラさんの到着を待って(高知大学で英語講師をされている)始めることにしました。それまでに来られた参加者には献花をお願いしました。


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 定刻の6時半から安岡正博さんを偲ぶ会は始まりました。最初に地域広報誌「はりまやSTORY」編集・発行者の松田雅子さんから挨拶がありました。
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 はりまや橋商店街が企画した和装での「坂本龍馬・お龍」役のご夫婦の記念写真の第1号は安岡正博・ポーラご夫妻でした。その撮影時のエピソードやご夫妻のことをお話されました。その写真を掲載した「はりまやSTORY]は大好評で5000部印刷されてとのことです。
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 丸岡克典さん(香南市・夜須町)も安岡正博さんいついて話されました。「高知青年会議所のセミナーで知り合った安岡正博さん。衝撃でした。リゾート開発ゆうたち実際に本物を見てこんと話にならん。それで仲間や青年会議所や高知市役所の人たちと2年連続でアメリカへ行きました。セミナーは大変でしたけれぞ、安岡さんがいなかったらヤ・シィパークはいまのような形にはなっていなかったと思います。」

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  建築設計士の谷正博さん(当時高知市役所勤務・建築士会青年部長)。「安岡正博さんは、師匠であり兄貴分でした。2年連続で丸岡さんたちの研修旅行に参加。翌年から建築士会青年部の研修旅行を企画しやりました。その後10年続きました。最初はフランク・ロイド・ライトの自宅やアメリカの設計した建築物を見学するツアーからでした。とにかく安岡さんの研修はきびしくハードでしたが、得られことは大きく素晴らしいものでした。」と。

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 続いて丸岡克典さんが提供いただいたDVD「アメリカリゾート地を行く」の当時高知放送のディレクターの弘間善郎さんから参加のいきさつや、同行取材について話していただきました。
 当時高知放送開局何周年かの節目の年で、予算的にもクリアー。異例の海外同行取材となりました。丸岡さんが局に談判しその熱心さにほだされて参加しました。参加してよかったです。
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 研修旅行の解説をされる弘間善郎さん。当時の参加者も当たり前ですがみな若かったです。丸岡克典さんも「青年」でした。
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 いまの風貌との「落差」」のあるひとも登場していましたので、参加者は笑い転げていました。
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 23年前のアメリカ東海岸での研修ですが、参加者各位は皆真摯に真剣意に旅行していましたね。
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 DVD鑑賞の後は、会場をよしのに移して懇親会。初対面の面々、20年ぶりにあった人など、つもる話で皆さん盛り上がっていました。
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 横田政道さんとポーラさんが懇談しています。

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 宿毛市から山上庄一さん(元高知市役所職員・87年研修旅行に参加。現宿毛市議)も駆けつけていただきました。

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 いつまでも話しはつきませんでしたが、午後9時に無事に終了しました。会場の段取りや設営にご協力いtだきましたはりまや橋商店街関係者の皆様ありがとうございました。

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高知のうるめが大好きな叔母からの絵葉書

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 10月のはじめに、従兄弟と一緒に6年ぶりに高知へ来られた北海道の叔母(90歳)。高知のうるめが大好きで、日曜市を3時間も散策し、しこたま買ったそうです。

 叔母は絵心があるので、スケッチを葉書に描いて送ってきました。

 知り合いの人が冬になると天日干しでうるめをつくるそうなので、それを購入し、おばに送ろうと思います。

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2011.11.17

今日は母の86歳の誕生日

  今日は母の86回目の誕生日。大正14年11月17日生まれです。少しだけ認知症状の傾向があるので服薬をしています。身体的には健康です。少し背中が曲がって着だしたので、介護予防のために、金曜日ははりまや橋商店街の「活き活き100歳体操」8回後予防体操)と、介護予防リハビリ施設「ジョイ・リハ高知」へ月曜日の午後行っています。

 ご近所にあるこみベーカリーへ行きました。こちらは今は不況であると言われていますが、全然関係なしのご盛況ぶりです。
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 こみべーかりーは陳列ケースに洋菓子やパンが入っています。お店の方針ですべて対面販売。なんせお菓子の種類が多く迷ってしまいます。また女性客が多いし、少数のおっさんは躊躇してしまいます。
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 母は甘い者が大好きですが、誕生日ケーキは量が多すぎる。それでアップルパイを切ったものと、アンパンを購入しました。満足してくれると思います。
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「わが戦後苦難の日々」を読んで

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「「わが戦後苦難の日々 生々しい86人に記録」(高知ペンクラブ・刊。20011年)を図書館で借りてきて読みました。古い本かなと思いきや、今年の8月15日に発刊されたものでした。編集者が「わが戦後苦難の日々編集委員会」でした。

 戦中・戦後を生き抜かれた86人の高知ペンクラブの会員の人たちの体験談が記述されていました。

 「空襲・被爆のなかから」「戦没者の遺族たち」「食糧難の日々」「徴用・動員・復員」「引揚げ・疎開」「希望をまざsぢて」「戦後さまざまな日々」などの項目に分かれて体験記が書かれていました。

 1つの項目が1600字。400字原稿用紙4枚の分量です。敗戦後66年。高齢者となられた戦争体験者の皆様です。戦争中も、敗戦後も苦労され、生活を維持し、家族を養い、高齢者になられた。みなさん強い思い入れがあると思いました。

 だいたいの文章が、「起承転結」の「起承」で終っている。それだけ書きたい想いが強いのでしょう。「ペンクラブ」ろあるから文章を核のが得意な人たちばかりなのに。まとまらない文章ばかりですが、当然であると思います。

 とても「1600字」程度では戦後66年の思いは吐露できないのです。当然であると思いました。

 印象の残ったのは私立土佐中学の再建は、船で資材が桟橋へ上がり、生徒たちが大八車で運んだとか。窓枠に最初はガラスがなく寒い思いをされてとか。

 また高知農業高校でも、敗戦直後軍の弾薬備蓄倉庫が大爆発。爆風で校舎の窓ガラスが割れました。その種前費用がないので、誰かが皮膚のひび割れに効くという膏薬を支給され、生徒全員が行商してお金を稼ぎ、校舎のガラスを入れた話しもほのぼのとしました。

 大変ななかに皆希望を失わず、皆さん立派に戦後を生き抜いてこられたと思いました。

 ちょうどわたしの両親の世代であると思いました。いまや両親は超高齢者になり戦中・戦後の頃の話しはあまり聞くことはありません。でも両親の同時代機に生きてきた人たちの文章は大変参考になりました。

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2011.11.16

抜けるような青空 快晴でした

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 とにかく今日の高知市は雲ひとつない快晴。愛空がこれほど広いとは思いませんでした。仕事で走行していてつくづく思いました。仕事をするのが持ったいない天気です。

 週末の休日は雨とか。なんともうらめしいお天気です。
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フェイスブックの良いところ、悪いところ

  フェイスブックというあらたなSNSをはじめて2ヶ月になります。ブログとは違いますね。設定もすぐに変わるし、管理画面も変わる。おかしな道具です。

 いいところは、最近会うことがない昔のJC時代の人たちにフェイスブックで会うことが多い。ロータリーであるとか経済同友会とか、商工会議所などの経済団体へは入っては居ないから、会うことがないからです。それは良かった。

 それとしらない人たちと「意気投合」できることです。これはブログでもありましたが、FBはもっと手軽に出来るようです。

 悪いところは

 管理画面の設定が変わること。それと何が「ルール違反」なのか知らないが、何度が罰ゲームをさせられている。ルールの説明もない、陰湿極まりない。

 まあほどほどにやれよということなんでしょう。
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2011.11.15

日本、北朝鮮に0-1で敗戦

 今日は仕事を早く切り上げ、W杯3次予選アウエーでの「北朝鮮V日本」戦を見ました。日本はメンバーを6人交代していました。いくらアウエーとは言え、勝たねばならない試合。とにかく異様な雰囲気でした。
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 日本国家斉唱のときに大声で観客がブーイング。国際大会の観戦経験も教育もしていない。しかたはない。
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北朝鮮選手は地元だけに大拍手と歓声がありました。観客席は異様でしたね。それだけでも見た価値はありました。
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 とにかくFIFAの大会なのに企業のスポンサー広告が1つもないスタンド。マスゲームのように人文字をつくっている。学生や兵士が大量動員jされていたようです。応援も指揮者がいるようで統制がとれていました。
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 熱くくなる選手が北朝鮮にいて退場者が1人出ました。北朝鮮選手です。

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 ザック監督就任以来の敗戦でした。DF栗原、MF中村憲、MF細貝の連携が今ひとつ。勢いで押し込まれた。DFは押し込まれた場合、クリヤボールは漫然と前線へ出すのではなく、サイドへ大きく蹴らないと。相手に何度もボールが渡り波状攻撃されて後半5分にゴール前で競り負けて失点していまった。

 北朝鮮に退場者が出たのに、きちんと攻めきれないのは作戦ミスですね。中東勢相手のW杯最終予選は今日のような試合では勝ちあがれませんね。敗戦はザック監督の汚点となりました。どんな状況でも代表戦は敗戦は許されません。

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面白くない今週の"野良犬メディア”

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 早朝の散歩がてらコンビにまで行き、週刊現代11月26日号を購入しました。全く「これは」という記事が見当たらない。つまらない「噂話」の領域を超えていない記事ばかりです。

 表紙の見出しがすべてです。父が購入しないのなら、手を出しませんでしたね。今週号は。

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40年前の自分、40年後の自分

  40年前の1971年は高校3年生でした。4月28日にはヘルメットを被り高知大学からデモ行進。途中足がつり情けないリタイヤに。1人だけ先回りして電車で市役所前に着き、退屈だからうどんを食べて到着を待っていました。再び集会とデモが始まり、隣の人が公務執行妨害で現行犯逮捕されました。

 夏休みに東京へ上京し集会に参加するつもりで居たら体調不良で断念。行った友人たちは全員逮捕され23日警察署に拘置されて戻ってきた。そのご運動体は分裂。自分も疲れて学校へ行かず、11月には卒業できないことが確定していました。

 頑張る気も起こらず、翌年2月には連合赤軍事件が起こり、信じていた毛沢東思想が崩壊した。学校へ行かず自宅にいたら担当教師がやってきた。「退学して欲しい。あんた留年しても絶対に卒業できない・保証する」とかいったから母が激怒しました。「この馬鹿息子を卒業させ大学も行かす」と宣言。教師は「絶対無理だから」と捨て台詞をのこしました。

 4月になり学校へ行き留年しました。そしてまた11月になりました。今度は猛勉強をしていました。そしてなんとか卒業し、大学へも進学できました。両親のおかげです。昨日の事のようです。それから40年が経過しました。

 両親は超高齢者になりました。父が92歳。母が86歳です。週に3回は父を連れての通院。1回は母を連れての介護予防体操です。それがこのところの日課です。親孝行であるとは「思っていない。当たり前のことです。元気でいてくれるだけで嬉しいんです。

 40年経過するとわたしは98歳です。生きているかどうかわかりません。ヨットは続けていたいですね。お金には困りたくはないです。そうなればいいです。納得できる人生を送りたいのですから。
 

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2011.11.14

中国のバブル崩壊も近いのかも

  過熱気味の中国の不動産取引が、最近沈静化し、大都市上海の不動産価格も下降気味であるとのこと。北京五輪^上海万博と来て、拡大の一途であった中国経済もついにバブルが破裂する時期が、カウントダウンに入ったようですね。

 「世界の工場」を称する中国だけに影響はかなり大きい。ヨーロッパ経済もピンチですが、中国経済が破綻すればその比ではありません。今まで共産党独裁の強権で押さえつけていただけに混乱は凄いと思いますね。

 武装した「難民」が日本沿岸に押し寄せるかもしれません。難民なのか侵略者なのか、素早く判断して手を打たないといけないと思います。

 「そんな悪夢のXデー」は来てもらいたくはない。南海地震対策で頭が一杯なんですから。中国崩壊対策なんて考える余裕はありません。

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2011.11.13

2011年最後のおびさんマルシェ

  みかん狩りから戻り、ほどなくして2011年最後の「おびさんマルシェ」へ行きました。今日は各地でイベントまっさかりのようです。高知市中心街でも多くの人を見ましたから。

 大橋通でもなんかやっていたようです。看板がでていました。
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 それで午後4時過ぎにようやくおびさんマルシェ会場へ行きました。
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 青野摩周さんの露店「バッフォーネ」でコーヒーを飲みました。
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 ムカデ人間の映画の宣伝もしていました。
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 その横で城下秀二さんが奥さんと「みませ干物屋」の露店を出していました。
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 2011年最後のおびさんマルシェでした。

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2011年のみかん狩り初回目

  はりまや橋商店街から戻り、お昼をこしらえてみかん狩り。へ行きました。

 香南市野市町東佐古の入野敏郎さんみかん園ですが、入野さんが病気で入院中ですので、今年から管理人が変わりました。でも同じオーガニック農園を目指してやっているようです。
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 みかん園入り口の看板です。

 駐車場も入野さん時代と同じです。
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 今日は暑くて山登りが大変でした、家内と2人で大汗かいてみかんを採りました。
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 とった後は軽量で料金を支払い。1kg100円の計算。入園料が別途300円とられます。
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11月13日にはりまや橋商店街

 今日は特別に日曜日にはりまや橋商店街へ。用件は11月17日にはりまや橋商店街で開催される「安岡正博さんを偲ぶ会」の件。夜須の丸岡克典さんから預かった「リゾート地へ行く」というDVDを届けるためです。安岡正博さんの米国研修の様子がわかるものです。めろでいの桑名真紀さんところへもって行きました。
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 えらいにぎやかであると思いきや、高知商業高校sの生徒たちが、ラオスに小学校を建設するために、販売活動をしていました。うちも食材を購入しました。
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春野からいの町への道路は快適に

 先週高知市の長浜・瀬戸方面から、横浜を経由し春野へ。春野からいの町へ抜けました。県道36号を行く道路を走行しました。
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 交差点角にココスがありましたが、いつのまにかなくなっていました。銀行前の道路がいの町へいく道路になっていました。
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 以前は行き違いも出来ない道路で、もっと西側にありました。仁淀川用水沿いの道路。待避所がところどころにあり、大型車が来れば待たねばなりませんでした。
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 山にもトンネルを抜き、田園を快適に走行します。実に気持ちがいいです。
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 あっというまにいの町へ着きました。高知西バイパス道路の仁淀川橋が完成していました。いの沖地域から枝川方面への道路工事の真っ最中。5年ぐらいでできることでしょう。

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2011.11.12

11月12日の夜須の海

 17日に「安岡正博さんを偲ぶ会」を開催することに決まりました。会場で1988年に夜須の人たちと一緒にアメリカ東海岸を旅行しました。当時同行したRKC高知放送のディレクターとカメラマンが番組をこしらえました。それでそのDVDを丸岡克典さんに借りに行くために夜須へ来ました。
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(丸岡克典さん提供のDVD.。安岡正博さんの昔出演していただいた時のホームページと、収録テープもあります。)

 無事に借りることが出来ました。それでセーリングをすることにしました。先週はどん曇りで風がなかったので今日に期待しました。
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 今日は中学生や高校生も練習するようです。
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 先週に続きウエット・スーツを着用しました。風がなければまだ暑い。
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 さて海へ出ました。今日はどん曇りではありませんでしたが、風が弱い。ヨットはゆるゆると動くだけです。
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のたりのたりという感じです。11月であるというのにどうしたことでしょうか?
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 シニア・ヨットクラブのWさんとTさんがほどなく海へ出てきましたが、帆走しませんね。
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 一度ハーバーへ戻り、お昼を食べ、猛もう一度海へ出ましたが風の状況はかわりませんでした。午後2時過ぎに上がりました。中高生たちも上がってきたようです。
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 ぎ装解除し始めますと、少し風が吹き出しました。
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 11月といえば今頃は、がんがん北西の風が吹き出す頃。これほど暑く、風がないというのもなんだか不気味です。


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TPPは「見送り」をすべき

  TPPとやらが騒がしいが、報道量が多い割には、今ひとつ実在感がない。つまり面白くないのです。

「面白くないことはやらない・」のがわたしの信条。ということはTPPは面白くないから「見送れば」ばいいのです。アメリカが何を言うが、騒ごうが関係ありません。自国民の意志を大事にすべきです。それが民意を汲み取ることなのですから。

 わけのわからないことはしないおことです。海外通の大橋巨泉さんも「1球目は見送るべきだ」と言っていますが。そう思います。アメリカのいいなりにならないことでう。

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2011.11.11

日本 タジキスタンに快勝

 W杯アジア3次リーグ,アウエーでのタジキスタン戦。前半は危ない場面もありました。相手は最初から飛ばしていました。高さのハーフナー・マイクが機能しません。前半は今野の1点だけ。

 後半ハーフナー・マイクに変わり、前田を投入。とたんに前線が流動し、香川が飛び出す場面が増える。香川から岡崎のクロスで岡崎が2点目。
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 前田も強引に3点目を決めました。4点目は後半20分過ぎから相手の足が止まったので岡崎余裕の4点目でした。完全に相手を崩してのゴールでした。

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 これでザック監督は、就任以来負けなし。15日はアウエーでの北朝鮮戦。厳しい戦いが予想されますね。ここで勝てば強さは本物です。

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11月第2週のはりまや橋サロン

 雨上がりのはりまや橋サロンです。母も活き活き100歳体操に参加しました。
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不燃物・資源ステーション

  二葉町の資源・不燃物ステーションに今日は夜が明けないうちから布団を持参しました。
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 当番の人たちが要領よくせいりすています。いまはまだいいのですが、これから寒くなると大変です。
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安岡正博さんご逝去の反響

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 安岡正博さんを追悼するために、あえて地元新聞の読者欄に投稿いたしました。珍しく掲載されました。

 11月6日に掲載されました。反響の大きさに、今更ながら安岡正博さんの偉大さを感じます。

(画像は拡大ください。もう少しだけ大きくなります。)

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2011.11.10

2011年高知市長選挙公開討論会

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 高知青年会議所主催「2011年高知市長選挙公開討論会」が、11月10日午後6時半よりRKCホールで開催されました。岡崎誠也高知市長と迫哲郎候補者との公開討論会。熱心な市民350人が詰め掛けていました。

 青年会議所福島理事長が進行役を努め、あらかじめ青年会議所側が用意した事前質問に両候補者が回答していく方式でした。まあ平等なやりかたであると思います。

 原子力発電所のあり方には両候補者も廃炉の方向性は一致しました。南海地震対策の質問が半分を占めました。両候補の違いは殆どありません。

 相違点が出ましたのは、公営ギャンブルが必要なのかの設問に対しては岡崎市長は継続。迫候補は廃止。ごみ収集の有料化に対しては、岡崎市長は推進。迫候補は反対でした。

 際立った相違点は、迫候補は「大型箱物事業を廃止し、身近な市民本位の政策をすべき。氏原^坂本ー横山と継承した革新市政の市民本位の政策が失われている。医療費の市民負担増、学童への支援の増加、津波避難タワーを水没市街地には率先してこしらえるべきだ。」

 岡崎市長は「この数年の職員数の削減などで財政再建は可能になった。南海地震対策も震災が起きた後でこしらえるのではなく。事前の計画が必要。」国や県に要望し手を打っていく。」と

 政治的には、民主。自民、公明、が推薦の岡崎市長。共産党公認候補である迫氏との対決構造です。

 ちゃんとした公開討論会を開催した高知青年会議所の皆さんありがとうございました。大変参考になりました。

(会場の討論の様子はルールにより撮影は出来ませんでした。)
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11月23日の交流会の下見と打ち合わせ

 11月10日の午前中は、荒木二葉町自主防災会副会長と一緒に11月23日に予定されている「仁淀川町ー二葉町交流会」の打ち合わせと下見に仁淀川町役場と現地の旧池川町中心街へ行きました。

 仁淀川町役場前にある巨木。なんの木でしょうか?元吾川村村長さんの名前が表示されていました。
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 役場での打ち合わせは仁淀川町企画課の竹本課長、中田氏、井上光夫氏(によど自然素材活用研究会会長と5人で打ち合わせをしました。井上さんが当日のスケジュール表を作成していただいていました。(以下スケジュール表)
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 役場での打ち合わせが終り、現地確認にいきました。まずは最初は439市です。ここは良心市の集積地でありましたが、近くに模様替えを行なう予定です。野菜や地元の食材を販売していました。
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 まずここで買い物をして、トイレ休憩も。それから少し歩きます。土居川の歩道橋を渡るようにします。
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 井上光夫さんによれば、江戸時代に飢饉のとき、藩の圧制に耐えかねこの付近の住民が川原に集まり握り飯を食べ、一気に伊予国境を目指し逃散したという歴史があるそうです。
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 それで池川の街中を散策して池川神社のふもとへきます。看板もあります。
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 健脚者は250段の階段を登ります。登る自信のない人は車を用意します。
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階段ではない道路では500メートル程度の迂回です。立派な民家が2棟池川神社の近くにあります。
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 そして池川総合支所四階のコミュニティセンターへ行きます。こちらで仁淀川町の暮らしや、生活、防災対策についての説明を受けます。

 昼食は地元産品を使用した平家弁当を食べます。

 防災の話しを傾聴し、防災施設の見学をします。

 そして池川神社に移動し、池川神楽を見学します。
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 池川茶畑工房を見学します。
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安岡正博さんのご逝去を痛む(2)

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 安岡正博さんは、2011年8月25日にご逝去されました。63年の生涯でした。葬儀は身内でおすませになったと、奥様のポーラさんと親しいはりまや橋商店街の桑名真紀さんに聞きました。

「安岡さんが癌とわかったのは一昨年の秋でした。かなり進行していたそうです。延命治療はしない。と決意され、生涯をポーラと寄り添って生きると言われました。」

「抗がん剤を処方し、辛い時もあったことと思います。調子のいいときは、ポーラと家へ来て懇親したりしていましたから。

 あるときポーラと一緒に写った写真も必要だと思いました。龍馬伝が始まる前の年だったし、安岡さんに龍馬の格好をしてもらい、ポーラにお龍の格好をしてもらいました。和装にし、着付けは私がしました。

 美容院や写真撮影の費用はわたしがプレゼントしました。「龍馬ーお龍」の夫婦の写真はその後何組かのご夫婦が写真撮影をされました。第1号が安岡正博ーポーラだったんです。」

「安岡さんは本当に見え張りで、弱みを見せないようにしていました。抗がん剤の治療は辛く見ていても辛いとことがありました。でも最初半年と医師から告知されていましたが、年が開け、春が来て、夏が越しても大丈夫そうでした。

 うちの父がすい臓がんと判明してから9年間延命しましたから。安岡さんも頑張り屋だから長く生きれるのかと思いました。そして2010年を乗り切り、2011年が来て、春が過ぎ、告知されて2度目の夏が来ました。」

「そしたら8月に亡くなりました。亡くなられた翌日にポーラが来て亡くなったよと言って来ました。葬儀は身内でとりおこなったそうです。」

「その後一度ポーラはアメリカへ帰りました。ポーラのご両親も高齢になり具合が悪いからです。ポーラは今後どうするのか決めかねています。

 高知に居れば英語講師の仕事は出来る。契約ではあと1年半ある。アメリカへ帰れば両親の介護が主体になり仕事は出来ないでしょう。どうするのか本人も悩んでいるようです。」

「あなたたちを含め安岡正博さんに影響を受けた人は高知にはたくさんいます。安岡正博を偲ぶ会をせんかねとポーラには言っていますが、ポーラ自身が気持ちの整理が出来ていないようです。もう少し待ってやってください。

 わたしのほうからもポーラには言いますから」とのことでした。

 安岡さんは今の高知の状況を見かねておそらくこう言われることでしょう。

 「おまんら、ちゃんとわしがアメリカへ連れて行って教えたことを土佐へもんてからやらんといかんぜよ!いまこそ時代がそうなったがじゃ。地方が中央政府にちまちまと交付金をもらうんではなく、田舎者の知恵と気概で、地方を経営せんといかんがぜよ。

 坂本龍馬の格好を真似したちいかんぜよ。龍馬のように先を見据えて行動せんといかんがじゃ。」

「高知は暖かく海山川のからとれる食べもには美味しいぜよ。人も良く暮らしやすいとくれば、資産を持った人たちが、高知をどれだけ愛してくれお金を落としてくれるのか。ここへ住みたいというて税金を落としてくれる人がどれだけおるか。

 そのためにはどういったまちづくをしたらえいのか。自ずと見えてくると思うぜよ。」

「やるいのかたらないのか。やるならやり。やらないのならやらない。わしは天国から高知をいつでも眺め言うから。」と安岡正博さんの叱責が飛んできそうです。思い出します。心の中に染み付いています。

 可能なら関係者各位で「ポーラさんを励ます会 安岡正博さんをしのぶ会」を開催したいと思います。もし実現するようなことになりましたら、関係者の皆様は万障繰り合わせご参加ください。

写真と以下の文章は「はりまやSTORY 2010-1月2月号より、編集発行者の松田雅子さんの許可をえまして転載させていただきました。)
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 安岡正博さんのご逝去をしのぶ(10月24日)記事

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2011.11.09

高知県知事選挙は無投票なのか?

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 どうやら県政野党である共産党も対立候補者を出さないようで、高知県知事選挙史上はじめての無投票で現職知事が再選される公算が強くなりました。明日10日の午後5時までに、現職以外に立候補者が現れなければ高知県知事選挙はなくなります。

 それだけ県民から支持されている(民主・自民・公明・社民・連合高知)の推薦を受け、共産党は対立候補を出さないのでそういう構図になります。しかし高知県はそれではたして良いのでしょうか?

 本町にある講演会事務所にてパンフレットをいただいてきました。「2011年度版基本政策集」となっています。写真やまんがもありますが、細かい字で政策や課題、達成したことなどが書かれています。

  高知市で13万人が次の南海地震が来れば津波と地盤沈下による水没で、長期浸水地帯に居住しているといわれています。高知県下では26万人と言われています。76万人の高知県人口の35%が、水没(長期浸水)の恐怖の中に生活しているのです。
 
 またその地域は高知県の産業商業地域とほぼ一致しています。ひとたび南海地震が起きれば、高知県庁も高知市役所も、南国市も香南市も須崎市も四万十市も土佐清水市も、安芸市も機能不全状態になることは間違いありません。

 一方嶺北地域や、仁淀川町などの中山間部地域は、過疎高齢化が進展し、なにも手立てをしなければ10年以内に消滅する集落が多いやに聞いています。

 ですので中山間部の地域と、沿岸都市部を繋ぐ「命の絆」をなんとかこしらえたいと思い、その一心で活動してまいりました。なにせ「前例のないこと」であり、うまくいかないことは当たり前です。

 沿岸部市町村への津波避難タワーや避難路への補助金の交付などが、9月の補正予算でもついていますが、根本的な対策にはなんらなっていません。「構想」のなかにある 浦戸湾の浮上式堤防なども、大津波に効果があるのか不明でしょう。

 根本的な対策とは何か?それは県都の移転です。高知市、南国市、香南市の市街地を沿岸部から、南国市北部、香美市にかけての地盤の硬い高台部へ移転建設することです。いわば新県都の建設です。

 それには県庁新庁舎の建設と、高知市・南国市・香南市・香美市の合併推進をすべきでしょう。30年ぐらいかかれば、津波や地盤沈下に安全な県都ができるでしょう。それを今からすべきです。

 ちまちまと県庁庁舎の耐震補強をしたところで、周りの高知市街地は、地盤沈下と津波で水没してしまいますから、高知県庁は災害対策本部としては機能しないでしょう。無駄な工事です。それより新庁舎を安全な高台にこしらえるほうが100倍ましです。(もちろん資金の問題は考慮すべきでしょうが)

「知事はアクセス・ディンギー大会へ出席すべき」

 ちょうど大会の終盤に「写真撮影に」来られていましたね。来年はなんとか時間をこしらえてアクセス・ディンギー大会へ「選手として」出ていただきたい。今回も出場していましたが、脳性麻痺の子供さんと知事がペアを組みレースを楽しんでいただきたい。

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 そうすれば障害者の人たちも、家族も何よりの励みになるからです。障害者と同じ目線、同じ体験を知事がすることがないより必要です。可能ならお昼ご飯も一緒に食べ、団欒する。表彰式にも一緒に出る。これはとても大事です。

 なぜなら高知県総人口76万人のうち、障害者(身体障害・精神障害・精神障害などのひと)は約2万人おられると言われています。家族を含めれば、関係者は10万人を越えるでしょう。その人たちへの知事からの励ましになります。

 これは 「つくられた」画像より遥かに効果があります。

 政策的には「ユニバーサルな県土づくり」ということになるでしょう。障害を持たれている人も海で皆と一緒にヨットやカヌーが出来る。楽しめる。レースまで楽しめる。そうあるべきです。

 YASU海の駅クラブでは、将来アクセス・ディンギーの全国大会、世界大会をやりたいと意図しています。その場合必要なのは桟橋です。アクセス・ディンギーに車椅子からそのまま乗り込め、海へ出て行く。そうした桟橋が必要です。

 今は砂浜からので入れですので、サポートの人員がたくさん要りますし、高波の場合は危険です。夜須に浮き桟橋か、アクセス・ディンギー用桟橋は是非必要です。知事にアクセス・ディンギーを体験していただいて、県計画で実現させてくいださい。

 ことこの問題は大きいと思います。香南市夜須町だけの問題ではありません。高知県全体のことです。高齢者と障害者は「イコール\なんです。

 わたしは要介護度1の父(92歳)、母(86歳)と同居しています。移動する時は大変です。食事もそうす。10月のはじめ、90歳の北海道に居る叔母が高知へ来ていました。従兄弟が連れてきていましたが、叔母は足が悪くなり車椅子で飛行機から降りてきました。

 4泊オリエントホテルに宿泊。車椅子で高知の各地を叔母たちは行きまわりました。わたしもお付き合いして廻りました。そのとき感じた「高知県観光の問題点」を書いてみました。

「高知の観光の問題点」

 10月7日から11日まで5日間北海道から叔母と従兄弟がやってきました。車椅子状態の叔母でしたが、行動的で原則どこへでも行きたいところへ行きました。それで叔母と従兄弟から聞き取った「高知観光の今後の課題」をご報告します。
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(ひろめ市場前。安心できる休憩所。喫茶店でもいい。車椅子利用可能な飲食店が高知市内は実に少ない。)

(良かったところ」

 日曜市は最高だった。店の対応が良かったとか。ほぼ3時間車椅子で往復し、全部の店を廻ったらしい。

モネの庭は良かった。花が咲いていた。庭園内がバリヤフリーでゆったりと散策できた。

(叔母と従兄弟の満足度は高かった観光施設でした。)

 高知の居酒屋や屋台は面白い。食べ物も美味しかった。(従兄弟・談)


(良くないところ)

オリエントホテルの部屋でお風呂とトイレが利用できなかった。トイレはダンボールをまるめてなんとか利用させた。風呂も踏み台を購入し、なんとか入浴させた。

酷いのは、「なんとからならないか」と従兄弟がフロントに相談しても、にべなく「なりません」と言われたこと。4泊しているのに部屋に見に来ることもなく、なんら改善されることなく5日間の滞在が終った。

(総括)

 高齢者・障害者に対する対応がきちんとできている施設は、今回廻った範囲では、高知空港ビルと、モネの庭だけ。特にホテルは酷い。対応する気持ちが全くないのには正直驚きました。「観光」ホテルと呼んでいいのだろうか。疑問です。
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 ただハード面で改造するのにはコストがかかります。それを行政側が補助するべきでしょう。

 ソフト面で言えば、部屋の中のユニットバスと、トイレであれば、取っ手をつけるとか、移動式の踏み台や、シャワー台を設置するだけで違う。高齢者も障害者も1人では宿泊しない、必ず家族か介助者がいるはず。その人たちで出来るように改造すればいいでしょう。介護保険での住宅改造が参考になるはずです。

 またホテルの従業員に「ホームヘルパー」の資格を取得させることも必要で、場合によっては行政側が支援すべきでしょう。

 今回の足の悪い叔母でも、身体介護ができるホームヘルパーの資格を持った女性従業員が居れば、安全に叔母はホテルで入浴できました。入浴介助サービスがあってもいい。
 
 ホテル単独で対応できなければ、身体介護ができる入浴施設をこしらえるべきでしょう。定住者に「デイ・サービス」のがあるのですので、ビジター[旅行者]用の「デイサービス」があってもいいんです。 

 「みんなのおでかけマップ」[県障害福祉課・刊)は、定住県民向けの書籍。旅行者用ではないため。検索がわずらわしい。またホームページでの対応は全くされていません。

 世界のリゾート地、保養地のホテルや観光施設はどうなっているのか、真剣に調査していただきたいです。フロリダやハワイ、ラスベガスやニースなどはどうなっているのか?

そのあたりの施設を詳細に高知の観光関係者の皆さんは、調査してください。

 70歳以上の高齢者の人口は2100万人を越えているそうです。個人所得の80%は高齢者が所有しています。経済的には豊かですが、身体的機能が衰え、車椅子状態であれば、今の高知県の観光ホテルの状態が改善されなければ、「巨大な顧客層」を獲得することは未来永劫できないでしょう。


 

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2011.11.08

今週の「野良犬メディア」

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 さて今週の週刊現代はどうなのか?早朝散歩くついいでにコンビニへ出向き11月19日号を購入しました。さて中身はどうなんでしょうか?

 「経済破綻が来るぞ」と言う、大げさな「狼少年」記事がありますね。社会の関心ごとの話題を今週号の週刊現在は探ってはいません。知りたいのは原発関連の情報。福島第1原発はどうなっているのか。今後の日本の原子力政策は転換するのか、しないのか・そのあたりが知りたいのです。


ぶち抜き大特集】日本経済「非常事態」宣言 えらいこっちゃ! 逆襲する超円高〈トヨタ ホンダ ソニー パナソニック 新日鉄ほか一流企業が「どうにもならん!」〉「1ドル=70円」で真っ赤になる企業
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円高の要因は、ギリシァの経済破綻にみられる欧州経済の没落にあります。いまやG8の一角であるイタリヤまでがIMF管理になるのかと言われています。アメリカ経済も最悪。どうしようもない。アメリカの雇用を守るために、日本の雇用を奪うためにTPPをアメリカは急いでいるようですね。

 円高は国際的な要因。かといって1年後も円高になるのかは誰にもわからない。海外移転をしたあげく、タイ等は大洪水で工場や生産拠点は水没。復旧は半年後であるとか。こちらも難しい。簡単に生産拠点を円高ですから海外へと言うわけにはいかない。
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〈「仁義なき戦い2011」実況中継 本誌が緊急アンケート その結果を発表!〉大阪まっ二つ!「橋下死ぬほど嫌い」「オヤジが暴力団?それがどうした橋下に一票」  

 こちらの大阪市長選挙も、「泥仕合」「誹謗中傷合戦」「場外乱闘」の様相。11月27日が投票日であるそうですが、なかなか大阪市は燃えている。

 大阪市は政令都市であるし、大阪府と対等の力があります。府知事が辞職し、市長選挙に出るということも異例。昔高知市では高知市長が人気途中(就任1年目)で辞職し、知事選挙に打って出たことはありましたが。その逆のパターンです。

 投票日までは、各週刊誌もせわしことでしょう。これもたいした記事ではありませんでした。    

 後の記事はたいしたことはあにでした。

 高知県観光特使に就任した大橋巨和泉氏が「今週の遺言」(P92)高知について書いていました。

「半年ぶりに高知へ行って来た。前に書いたように、ボクは高知県の観光特使を依頼されていて、今回正式に就任式に出席したのである。尾崎正直知事はジャッカン44歳、行動力にすぐれ、県民の人気も高いようだ。次の選挙は初の無投票になりそうで、ご同慶の至りである。

 やはり日本の政治、行政はどんどん若返らないと。そしてわれわれ老人は、都市の片隅にしがみつかず、高知のような環境の良い田舎に移住すべし。

 高知はカツオをはじめ、サバ、アジ、手長エビ、アオサのりなどの海産物や、米、野菜、肉もうまくて安い。今回同行したボクのゴルフ・グループ「ファミリー会」のメンバーも仰天していた。皆が驚くと言うことは「知らされていない」ということだ。

 高知人は人は良いが、宣伝が下手だと言ったら、知事が「人を押しのけても」というのは苦手という。押しのけなくても良いから、もっとPRする事を念を押しておいた。そしてキャッチ・フレーズは、「昔はローマの休日、いまやリョーマの休日」と創作した。前にも書いたが、若者が出て行ったら、高年者が住めば良い。」(週刊現代11月19日号 大橋巨和泉「今週の遺言」P92)

 久保博道さん、大橋巨泉さんは、ちゃんとしかも細かく高知のよさをPRしてくれました。週刊現代は都市部のサラリーマンがよく読んでいる雑誌なので影響力が大きいと思います。

 巨泉さんのような金持ちの高齢者をひきつけ、高知にいかにお金を気持ちよく落としていただくのか。それが高知県の最大の観光戦略です。8月に亡くなられたアメリカ事情に大変詳しかった安岡正博さんも同様のことを言われていました。

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宝永地震以上の規模なら対策のたてようがないですね

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 1707年の宝永地震では、現在の高知市市街地地域全体が津波で水没しています。現在は当時田畑や荒地であった場所は埋めたてられ、いまや市街化しています。同じ規模の地震と津波が襲来すれば高知市は甚大な被害が出るでしょう。

 更に深刻なのは地盤沈下による市街地の「長期浸水状態」になることです。高知市の試算では私の住んでいる高知市二葉町を含め、高知市民の13万人が水没地域に居住しています。
 
 ではどうすればいいのか?1つ出した答えが、津波の来ない山間部へ一時疎開することです。来年行政を交え本格的な協議をしたいと思います。

 ただ平地の少ない山間部。仮設住宅をこしらえるのも大変です。どうすればいいのか?行政側の回答は今のところ何もありません。何かをこちらからも提案する必要性がありますね。

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2011.11.07

上半身はモデル体型(?)

 先日ある紳士服販売の専門量販店へ礼服を購入に行きました。子供が以前スーツを購入した関係化、「礼服半額セール」をやっていたからでした。

 その昔礼服を購入したのは31年前。東京勤務時代でした。それから痩せたり、太ったりして着ていましたが、さすがに30年も経過するとよたってきたので購入することに。

 売り場へ行くと、係員の人が、私の姿を見て「これを着用ください」と胴回りを全然測定せずに次々と4着礼服の上着を持ってくる。それがすべて「ぴったり」のサイズ。あとは値段と生地の見栄えだけの話に。

 店側の作戦なのか、4着を並べる。右端が1番の高級品。生地が良い。後の3着は半額セールの品物。やや見場が落ちる。3つ並べると、価格が真ん中のもので決まりました。これは店側の作戦かもしれない。

 個人消費でも「オトーさんのスーツ」が1番後回しであるとか。30年ぶりに購入しましたので、少し個人消費拡大に貢献しました。

 昔はマネキンのモデルが着用している上着が、「いいね!」と思ったらサイズが同じですぐに着れました。今でもそれは変わりませんね。足はその代わり短い。胴長・短足・で頭でっかちなんですね。顔が大きいから、モデルにはなれませんでした。

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2011.11.06

北代誠さんありがとう

 10月から高知青年会議所の後輩にあたる北代誠さんから「飲み会」を誘われていました。ところがなぜか10月は個人的に多忙で、リクエストに堪えることが出来ませんでした。ようやく今日堪えることができました。高知市大橋通りにあるひろめ市場でお会いしました。
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 日曜日もおかまいなしに、人々が繰り出していました。
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 北代誠とは8年ぶりの再会でした。お誘いありがとうございました。

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どん曇・小雨・微風の夜須の海

 昨日が大雨だったから、今日は雨が」上がり、「どん吹き」になるのではないか。そう期待し、8時過ぎにはハーバーに居ました。ところが夜須へ着くと小雨が降っているではありませんか。

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 仕方がないので、自分のヨット(シーホッパー2)を艇庫近く前まで運びました。破れているヨットのカバーの修理(というかテープで張るだけ)をしました。
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 今度YASU海の駅クラブの事務局員になられた横山さんがアクセス・ディンギーでの研修をされるそうです。ぎ装などのお手伝いをしました。
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 シニア・ヨットクラブのKさんがぎ装を教えておられました。
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 そうこうしているうちに、シニア・ヨットクラブのWさんが到着。「海へ出よう!」と言われましたので、自分のヨットをぎ装しました。雨も降っているので、暑いかなと思いましたが、4ミリのウエット・スーツを着用しました。
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 それで海へ出ました。今日は風が弱いので洋上撮影をしました。ヨットは少ししか進めない状態でした。
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 本当に風のないセーリングでした。戻るのに苦労しました。

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辺野古への移設は無理というものです

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米軍普天間基地は市街地に隣接しています。その規模は高知空港に匹敵し、高知市のスケールで言えば、東は知寄町3丁目から西は旭、南北は高知駅から桟橋5丁目までの区域が米軍基地である。宜野湾市は市の中央に普天間基地があるため、道路も上下水道もすべて迂回しています。

 何より学校にも隣接しているために離発着時の爆音や、墜落の恐怖があります。2004年8月には海兵隊のヘリコプターが隣接する沖縄国際大学に墜落しました。そのとき米軍は現場を閉鎖、沖縄県の消防や警察の現場検証をさせないという治外法権行動を取りました。
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 この年小泉内閣は、イラクへ自衛隊の派遣を決めました。米軍の墜落事件であるという大変な事態なのに、現場へ閣僚すら来ませんでした。酷い沖縄軽視です。

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 1995年に米軍兵士による女子小学生暴行事件が起こり、沖縄全島で抗議集会が開催されました。1996年に当時の橋本内閣は普天間基地の返還を米国と合意、翌年の1997年に名護市辺野古沖合いに代替基地を建設する構想を発表しました。

 当時の大田沖縄県知事は、海面の埋め立てに賛成しませんでした。ほどなく知事選挙になり条件付賛成派の稲峰氏が知事に当選しました。しかし保守派の稲峰氏も「基地建設後15年後に返還」という持論を貫き通しました。

 そして条件付賛成派の現在の仲井真知事になりましたが、2期目の知事選挙では辺野古への移設反対に持論を返還させました。名護市長も移設反対派が市長になっています。

 沖縄県では、辺野古への条件付賛成派は消滅し、保守から革新勢力まですべての政治勢力が辺野古への基地建設に反対しています。それが沖縄の「民意」であります。
 
 民主党政権がひたすらアメリカに媚びへつらい、辺野古への移設を言っていますが、実現する見込みは全くありません。アメリカも「民主国家」を標榜するのであれば、居丈高に日本政府を脅迫するのではなく、沖縄の「民意」を汲み取らないといけないと思います。アメリカの情報処理能力もおかしいのではないでしょうか。

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2011.11.05

中曽根康弘氏と従軍慰安婦問題

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 こうちまんがフェスティバルを見学してから、街中を歩いて、平和資料館草の家行きました。一応会員にはなっていますが、最近は全然講演会にも行ってはいませんでした。

 事務局員の藤原義一さんが,フェイスブックにて今回の講演会のご案内をいただきましたので、「雨が降っていた」こともあり、出かけて参加しました。
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 今回のテーマは「見つかった 海軍航空基地第2設営班資料の語ること」ということで、11月5日午後5時より平和記念館草の家1階ホールで研究発表がありました。

 平和資料館草の家の研究員が、東京にある防衛省防衛研究所戦史研究センターの資料室で発見したとのことでした。

 よく「従軍慰安婦問題」は、左右両派の感情的な激論の対象になってきました。「でっちあげである」「ちゃんと罪を認めろ」という不毛な対立ばかりが協調されてきました。

 この資料は防衛省の当時の公文書であり、出展も防衛省ですから、解説のように「兵士や基地建設労務者たちの慰安のために公営の慰安所をこしらえた」という事実が記述されています。
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 過去に中曽根康弘氏は、この問題で問われた時に、「碁会所などの慰安施設をこしらえました」と述べていましたが、今回発見されました公文書では「主計長(中曽根康弘氏)の取計で土人女を集め慰安所を開設 気持の緩和に非常に効果ありたり」(報告者 宮地米三氏(医師)とあります。

 今年93歳。父より1最年長の中曽根康弘氏は、この公文書の事実に対してどのように弁明されるのか注目です。

 高知市の平和資料館草の家(岡村正弘・館長)は近日中に中曽根康弘氏に対し、「公開質問状」を提出されるとのことでした。
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(画像の資料はすべて平和資料館草の家でいただきました。)

 東京帝国大学を出て海軍経理学校で研修を受けますと、いきなり部下が3000人いる部隊の「海軍主計中尉」のなり、現地の軍事施設の資材の調達の長になっています。3000人の隊員の「慰安所」をこしらえたとご本人も言われています。

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まんさい(第9回目)へ行きました。

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 運営スタッフをされておられる吉村光司さんのお誘いもあり「まんさい」(こうちまんがフェスティバル2011)へ行きました。メイン会場は高知市文化プラザかるぽーと。自宅からゴム長履いて歩いて行きましたが、途中で土砂降りの大雨に。引き返すことも出来ず、濡れまくって会場に到着しました。

 ロビーにはあの気持ちの悪い「カツオ人間」のぬいぐるみがうろうろしていました。
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 人気声優たちのトークショー(といっても全然知りませんが・・)会場ではしえちました。なかなかの人気でした。
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 お絵かきコーナーや作品展示もありました。キャラクターの販売もしていました。ビジュアル系と言うのか、少女漫画系はわたしにはなじみがありませんし、今ひとつ共感を覚えません。
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 しかしうちの町内ではあまりみかけない若者たちが大勢居ましたね。
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 「まんが王国 鳥取」のちらしがありました。あそこも巨匠の水木しげる氏や、「名探偵コナン」の青山剛昌氏とか輩出していますね。漫画には力をいれています。
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晩秋の気配と父のゴルフ打ち放し場

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 今日は海でのセーリングを楽しみにしていましたが、生憎の雨が早朝から降っていました。それで予定を変更し、父のゴルフ打ち放し場へ行きました。

 すっかり晩秋ですね。落ち葉が落ちています。
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 先週は大賑わいであった高齢者(65以上)・女性専用打席は空いていました。大雨なので出足が悪いからでしょう。

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被害者を打ち据えているのは教育関係者が多い

 今年は2011年の「9・11」から10年目でした。2001年の10月でしたか、その直後でしょうか。下の子供が通っていた付属中学で釈然としないことがありました。修学旅行先を沖縄から、大阪に変更する。ユニバーサル・スタジオへも行くとのことでした。

 学校側の説明は「沖縄は米軍基地があるので、テロの可能性がある。危険なので旅行先を変更しました。」ということでした。

 わたしはその説明に納得できませんでした。なぜなら当時付属中学は「平和教育」と称して毎年修学旅行に沖縄へ行くようになっていました。那覇市の神原中学と交流していました。その中学は家内の出身校でもありました。

 当時日本政府は沖縄に大量の警察官を派遣、安全宣言を出していました。政府も声明を発表し、沖縄は安全です。風評被害に惑わされないようにと懸命に説明していました。にもかかわらず付属中学の対応は、沖縄への修学旅行を一方的に中止しました。
 
 わたしは校長に「あなたたちの唱える平和教育は偽者ですね。同じ日本人が沖縄へテロの危険があるから行かせない。では沖縄に住んでいる人たちは、その行為に対してどう思いますか。交流相手の神原中学の生徒さんたちは、釈然としないでしょう。」と言いました。

 校長は職員会議で決まったこと。神原中学にはこちらの事情を説明に納得していただきました。今後も交流は続けます。という腑抜けた回答でした。わたしは呆れるしかありませんでした。

 修学旅行先が韓国とか、中国とか海外ならわかります。危険性も国内よりあるかもしれません。米軍基地が沖縄には多いから危険だ。というのはおかしと思いました。今更なんだ。なんのための平和教育なのか。むしろこういう時期だからこそ、沖縄へ行き向こうの中学生と交流すべきである。

 二次大戦では県全体が戦場になり、敗戦後も米軍に占領され、施政権変換後も米軍基地とともに生きてきた沖縄。こんな時期こそ現地で声を聞き、ともに考える。それこそ本当の平和教育ではないのかと。私は言いました。でも付属中学は聞く耳を持ちませんでした。
 
 同じ時期に徳島県鳴門私立市立中学は沖縄へ修学旅行に行きました。飛行機から降りる時に「私たちは仲間です。沖縄の皆さんと一緒に頑張りましょう。」と垂れ幕を広げたそうです。」沖縄の新聞に大きく掲載されていました。

 高知の付属中学同様に、沖縄への修学旅行を中止し、行き先を変更したのでしょう。本当にむごいことを教育関係者は無神経に平気でするものです。でも鳴門中学はいいことをしました。沖縄へ行かれた生徒たちは多くのことを学んだと思います。

 今回も福島県が東京電力福島第1原子力発電所の事故で、同じ目にあっています。修学旅行が東北地方をすべて避けているからです。

 教育関係者は「人の絆」を大事にしない人たちであると思います。

 人の絆を大事にしない教育なんてあるのでしょうか。本当に嘆かわしい限りです。

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2011.11.04

連動型巨大南海地震・想定外にしないために

 平成23年度防災ひとづくり塾(高知市危機管理室主催)の第2回目講師は、高知大学理学部岡村眞教授でした。岡村教授の話は、今までも何度も聞いています。でも東日本大震災前後では話の内容が変わりました。
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 前半は今回の地震で疑問に思っていましたのは、地震後津波が来ることがわかっていながら、逃げなくて亡くなった人が実に多かったということです。と岡村教授は言います。それはなぜか?

 高齢者は地震・津波の経験者が多かったこと。また父母や祖父母からの言い伝えでは、ここまでは津波が来なかったという「思い込み」があった。「津波てんでんこ」の教訓があるのに、海側の保育園に子供がいるので迎えに行った。親が1人住まいで心配で迎えに行かれた。その人たちは皆津波にのまれ亡くなりました。
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(地震で倒れた防災行政無線。いざと言う時には役に立ちませんでした)

 あるいは「スーパー堤防」を信じて安心しきっていた。あるいは防災ハザードマップが、「安心マップ」になり、津波到達点予想園より内側の人たちはいち早く逃げて助かったが、外側の人たちは逃げ遅れて亡くなりました。

 過去に津波の経験がたくさんあり、防災訓練をしているはずの東北3県で2万人を越える人たちが亡くなられました。九死に一生を得た人たちからの聞き取り調査が進行中であるとのことです。

1)地震の異常な揺れを感じて、すぐに高台に逃げた人。全体の56%だったそうですが、100%助かっています。

2)海の近くで,潮が沖合いに引き始め異常を感じた人たち。この人たちも100%助かりました。

3)海の方向に白い者が見えたと言う人。85%が助かりました。

4)建物が津波で壊れる大きな音。埃を見て逃げた人。75%は助かりました。

 聞き取り調査をしていくうちに人々はなかなか逃げないことがわかりました。生活体験上逃げたくないのです。勝手に理由をつけて逃げたくなかった。1度の経験だけで判断し逃げなかった人も多い

 津波襲来地区では、家屋の倒壊でなくなった人は居ませんでした。92%が水死でした。津波に流されたのです。

 また「上司が地震発生後仕事を止めないので、そのまま津波が来て流されて亡くなった人たちもいました。」上司が逃げろと言わなければ逃げない人たちも多かったそうです。

 現在3000人を目標に国が聞き取り調査をしています。結果報告は来年なるでしょう。

 後半は高知の話になりました。南海地震は「100年周期」で起きるのですから、「覚悟」が必要です。忘れてはいけないのは、南海地震震源域は高知市の真下まで来ていることです。
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 現在南海地震がいつ来るか、どれくらいの規模で起こるかは予想できません。

 高知市の場合は津波以前に地盤沈下が起きて,市街地が水没することのほうが心配ですね。

「天国と地獄を分けるのは、高さだけです、」ということです。

 とにかく皆さん地震の揺れで怪我しないことです。寝室に靴を置いてください。家具も必ず固定してください。部屋から出られなければ危険です。
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 毎度の事ながら岡村教授の話は迫力があります。考え込んでしまいました。

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11月はじめのはりまや橋サロン

 今日は11月最初のはりまや橋サロン。しかし蒸し暑いこと。半袖です。母を連れてはりまや橋商店街で行なわれる活き活き100歳体操(介護予防体操)へ連れて行きました。
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 まずは魚の棚商店街で夕食のコロッケを買いました。
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 母ははりまや橋金曜露店市でなにやろお菓子を買っていたようです。
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 占いと人生相談を毎週金曜日にやっている島本茂雄さん。サロンになっていまして、ギリシャ問題やTPP問題、野田内閣、高知県政など「政治放談」が行なわれています。

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 帰りまして、昨日「昭和秋の感謝祭」で予約購入した池川茶園の「抹茶プリン」を食べました。やはり美味しいと思いました。

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沖縄辺野古への米軍基地建設は無理である

  日米政府合意事項である米軍普天間基地の閉鎖ー移転ー辺野古への建設は、理屈で考えれば不可能であります。民主党政権は、どうしてそのことをアメリカ政府に言わないのか?不思議です。

 アメリカ側は「日本の国内問題だろうが」という高飛車な態度で出てきます。しかし地元の沖縄政界は自民党から共産党にいたるまで反対なのです。

 特に選挙で民主的に選ばれた名護市市長と沖縄県知事が辺野古への移設に反対していますから、無理なんです。民主国家なら当たり前のことです。

 アメリカも民主国家を標榜しているのであれば、自明の理であるでしょうに。なぜ地元の意向を無視し米軍基地を建設することを強行するのかわかりません。

 このままごり押しをすれば沖縄全島が反米闘争が盛り上がることでしょう。米軍はかえって沖縄に居辛くなるはずなんです。どうしてオバマ大統領も理解しようとしないのか。

 なかなかしたたかな沖縄県知事。仲井間さんにエールを送りたい。

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2011.11.03

大盛況の「昭和秋の感謝祭」

  11月3日は朝7時40分には、昭和小学校へ「出勤」しました。「昭和秋の感謝祭」で会場になる高知市立昭和小学校運動場へ出向き、テントを立て、会場の設営を手伝いにいくことにしています。

 二葉町町内会と二葉町自主防災会は、仁淀川町まちおこしグループと提携し、二葉町・仁淀川町交流サロン」として共同出店しています。仁淀川町の皆様は8時にこちらへ来るには、朝は6時半に出発されたそうですので。

 朝はあろうことか、霧状の雨が降っていました。絶対に上がるであると思い、傘も持たずに7時40分には昭和小学校運動場へ到着しました。
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 早速所定の位置にテントを建てます。足を4本出し、4人で運びます。そして所定の位置に並べます。机と椅子を配置します。

 「二葉町ー仁淀川町交流サロン」は北西角に位置しました。校区にある人気製パン・製菓店舗のこみベーカリーさんの隣に位置しました。出入り口にもあたります。
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 準備作業をして品物を並べます。二葉町は西森町内会長(西森酒店・米店)は今年の新米。契約農家で栽培し精米したものです。森自主防災会長(森食料品店)はちらし寿司を出しました。
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 テント建てや準備作業が終りましたので、街宣活動をお願いしました。四国銀行下知支店のコンビが、西田政雄さんにお借りした街宣マイクで昭和校区内を街宣告知していただきました。
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 仁淀川町の産品は、野菜(ミズナ、トマト、チャーテーなど)や池川こんにゃく、いりもち、いたどりキムチ、白いもチップスなどでした。11時の始まる前から人気で、次々と売れていました。
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 こみべーかりーさんはやはり人気です。しかもお買い上げになったお客さんが社長さんとじゃんけんをして、お客さんが勝てば一品100円になるというサービスが大人気でした。
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 ツバメガスさんは、非常用プロパンガス発電機を展示されていました。ガソリン用は今までにもありますが、プロパン用は今まで知りませんでした。実に合理的であると思いました。
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 なかなかの人が来てくれました。テーブル席の飲食ブースは常に埋まっていました。子供たち、その親御さん、さらに祖父母の世代など、多方面の年齢層が昭和秋の感謝祭へ来てくれました。
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 また愛宕町の小松正幸さんが、わざわざ来てくれました。東日本大震災の東北現地(宮城・岩手]8月に訪問され、写真を撮影されたDVDをいただきました。吉村光司さんと懇談されています。
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 もい1つの「会場である体育館では、ダンボール工作やフラワーアレッジメントなどがありました。
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 よさ来い踊りも披露されていました。
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 消防分団も来られ、プールの水の放水をされていました。
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 餅撒きもされました。これはやはり人気があります。
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 出店者やスタッフ総出て片付けをしました。机椅子の撤収。テントの折りたたみ等です。
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 片付け終了後、残ったスタッフ一堂で記念撮影です。皆様ご苦労様でした。
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 仁淀川町から来られました井上光夫さん、中山琢夫さん、竹本仁淀川町企画課長様、遠いところありがとうございました。お手伝いいただきました田内宏之さん、西森文明さんありがとうございました。

 二葉町自主防災会としましては、11月23日の「第2回仁淀川町ー二葉町交流会」への参加者を募集しています。

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手足の「首」部分の骨折には要注意

  2人の知人が手足の骨折がなかなか完治せずに悩んでいます。

 1人は80歳の女性。家の庭で転び手を突いたところが庭石。手首部分を強打、あまりの痛さで病院へ駆け込むと複雑骨折していたとか。早速手術。しかし細かい骨がいりくんでいたので、長時間の手術に。3ヶ月経過したいまも後遺症に苦しんでいます。

 もう1人は64歳の男性。こちらは1メートル程度の塀から下へ着地した瞬間に足首を骨折。こちらも大手術されたとか。2ヶ月の入院と長いリハビリでようやく社会復帰に、しかしあしにはボルトが埋まっているとか。

「走れなくなったよ。それに登り坂があると痛い・じわじわとゆっくり歩くしかないね。」とか。

 人間の体は複雑ですね。つくづくそう思います。

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2011.11.02

11月始めの野良犬メディア

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今週の野良犬メディアはどうなんでしょうか?父のクイズ応募の関係でつまらなくても一応は購入しないといけません.11月1日の早朝に散歩がてら近くのコンビニに行き購入しました。

 あいかわらず「破綻するぞ」という「経済脅迫記事」がありますね。とくに円高と国際競争に敗れた大企業の低迷振りは目に余るものがあるようですね。ギリシャの破綻がどのような影響を世界に与えるのか?わかるようでわからないテーマではありますね。

 後は島田紳介関係の記事。こちらはさしたる興味もない。ページの穴埋め記事ではないかと思いますね。


【緊急大特集】世界大恐慌はすでに始まっている
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トヨタにしろ、パナソニックにしろ日本を代表する大企業。しかし経営戦略の誤りが、「あっという間に」赤字を生み出し、破綻寸前まで追い込まれてしまいました。

 円高になると「どこで作ればいいのか」の議論ばかりして、「何をこれからつくればいいのか」という」議論を全くしなかった。市場対応型の新製品開発をしなかったつけが今来ているのでしょう。

 昨日NHKTVで「韓流の戦略」特集をしていました。韓国企業は「マーケット・イン」で市場や顧客の声を丹念に聞き、製品会開発をする。日本企業は「プロダクト・アウト」の考え方で押すし閉める。「良いものが売れるはずだ」と。価格も高いし、円高で国際競争力を失いましたから。


ギリシャ破綻はこの日だ

 これまた困った話であります。破綻は既定の事実になりそうなので、あとそれで欧州とEUはそうなるのか。日本の金融危機の時期にかれらは笑っていましたが、いまやそれどころではありません。酷い事態だからユーロは通貨としての価値は下落し、記録的な円高の一因になっていますから。


橋下徹 そんなに俺が嫌いか


【スクープ】小沢一郎が妻に「毎月344万円の家賃」


三菱マテリアルの「純金積立」は得か損か
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〈横浜ベイスターズ買収へ〉モバゲーって、大丈夫?

 モバゲーという携帯電話を使用したオンラインゲームとは無縁な私なので、さっぱりわからない。コメントできませんね。ただ久しぶりに東京へ行き、電車に乗っているときも、必死で携帯の画面を見て操作する若い人たちが複数居ましたから。それなんでしょうか?わかりませんね。

〈これでいいノダ?〉どじょう「つまらない総理」第1位に輝く


【「なんでも暴力団」島田紳助と、そのお仲間たち】

 どうでも良い内容の記事ですね。興味はありません。

紳助が法廷に立つ日

〈総務省が困惑する〉「テレビ局と吉本興業」のズブズブ関係

「紳助、まだ目立ちたいんか」暴力団は爆発寸前です

〈スクープインタビュー〉吉本興業元社長が沈黙を破ってぶちまける「吉本はおしまいですわ」

〈見た人はみな感動する〉石川遼の彼女は美しすぎる
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 他の記事では大橋巨泉氏の「今週の遺言」は卓見でしたね。 TPPも国際派のリタイヤ高齢者の大橋巨泉氏が,週刊現代の連載コラムの今週の遺言で、「TPP推進派の野田首相はアメリカと財界の犬か、一球目は見送るべきだと思う」と書いていますが、卓見でしょう。

 巨泉氏はニュージーランドやオーストラリアの事情に詳しく、今までに国と国との交渉ではお互いの互恵関係がある程度尊重された。しかしグローバルな巨大企業対国[小国)との関係ともなるとそうはならない。

 TPP参加予定国のニュージーランド,チリ、ブルネイ。シンガポールでは強固な反対運動が起きていると指摘されています。それにアジア環太平洋構想という割には、韓国も中国も参加しえちないのだから、ここは慎重に一球目のボールは見送るべきだとの指摘。もっともですね。
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一方もう1つの「野良犬メディア」である週刊ポスト11月11号はどうでしょうか?講談社の現代が「少年マガジン」であるならば、小学館の「ポスト」は少年サンデーになります。私らが子供時代は両誌はライバル関係で、競い面白かったです。

 それで今週号の週刊ポストは,週刊現代を徹底攻撃しています。


〈思わずわが目を疑いました〉『週刊現代』は「年金カットやむなし」と主張するのですね〈本誌は断固反対です〉
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 特に「年金問題」での週刊現代の先週に記事に、週刊ポストは徹底的に噛み付いている。例によって官僚を悪者にし、週刊現代お前もか!という論調。「まるで年金役人に広報誌」に成り下がった。と攻撃しております。


【テレビの壊死】

・増税も年金カットにもな~んにも言えない人々
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「テレビというのは、権力にすり寄ると言うよりも、もともと権力側の存在であり、そこが新聞や雑誌社と根本的に違う」のだとポスト指摘する。談合記者クラブのなかでもより酷い存在であるようです。
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あとはたいして面白くない記事ばかりでした。
・最高検検事「酔って女性暴行」を葬り去った「記者クラブの掟」


・夕方のニュースは『デパ地下』『動物』『芸能』、以上。


・「若者の視聴率」わずか5年で3割減


・テレビマンと(暴)「酒池肉林の夜」

天皇・皇后が守り続ける「祈りの皇室」が脅かされている


ケータイ恐怖症でも大丈夫のスマホ選び


「おかわり君」西武 中村剛也 デブだからこそホームランを打つしかない


血の相克〈実録〉戦後 暴力団抗争史 溝口敦


黒岩祐治緊急寄稿「私がポリオ・ワクチン問題で国にケンカを売った理由(わけ)」

【ワイド】難局大陸

・美川憲一の“元恋人”が餓死するまで


・日刊ゲンダイにガサ入れした警察の「言論弾圧」

・「ソープ存廃論争」の鍵を握る「田中美絵子センセイ」
-
・自宅で円周率計算10兆桁を達成


・金正日の孫を直撃


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「政治家の文章」を読んで

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「政治家の文章」(武田泰淳。著・岩波新書・1960年刊)を片桐書店で購入し読みました。著者は中国文学者として名前は聞いたことがありましたが、文章を読んだのは初めてでした。

 登場する政治家は戦前から戦中にかけての日本の政治家たち。荒木貞夫、浜口雄幸、芦田均、宇垣一成、岡田啓介、徳田球一、重光葵など。知らない人も多い。

 浜口雄幸は高知出身の宰相。生真面目な正確だけに面白い文章は書いていない。家人によると面白い逸話がありました。

「あまり命を惜しむと下品になるのです。自分が死ねば息をしなくなるので直ぐにもわかる。」

「地震はそんなに怖い者ではありません。家が倒れれば大きな音がするから直ぐわかる。」

 外交官出身の芦田均はこう書いています。

「日本人は海外生活を始めると、まずもって言葉が不十分な上に、ネクタイの締め方から、稽古を初めてスモーキングには黒、燕尾服には白、外交官は糊で張った結び蝶のネクタイはつけないもの等と、初学一級から学ばねばならぬ。

 そのうえ皮膚は浅黒く、足は蟹股で、背も低い。洋服の着こなしは義理にも上手とはいはれない。総じて金持ち亜g少ない結果、住む家は中流の家庭とまでも行かないから、客を招こうにも、あまり上流の人は来て貰えないという始末である。」(革命前夜のロシア)P47  とあります。文化人であったんですね。
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 1945年9月2日でしたか、東京湾に停泊していた米戦艦ミズリー号に敗戦国日本代表として乗り込んだ重光葵。なかなか骨太の政治家であってようですね。

「日本人の政治的責任感は、遺憾ながら、一般的に薄い。政治は結局国家の仕事であり、すなわち、国民の責任であることは、いまだに十分に自覚されておらぬ。政治家も、いったん辞職すれば、責任は解除されるものと、簡単に考えている。

 日本人は政治を見ると、あたかも芝居を見るがごとく、鑑賞はしても、自分自信が役者の1人であり、自らの舞台の上にある、ことを悟ってはいない。

 いかに手際よく、その日の舞台劇をやって見せるかに腐心するのが、また政治家であって、国家永遠のことを考える余裕を有つものが少ない。」(P136)

 重光の硬派ぶりには正直驚きました。「そのとうり」であるとおもいます。60数年経過しても日本人の政治意識の向上はないようで、むしろ退化しているのかもしれません。
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 また筆者は「獄中18年」の日本共産党の指導者徳田球一についても書いている。

「徳田が善意の人、強力な政治家であったことは疑うべきもない。彼の文章は内容の充実した、教訓に富む者であった。だが彼が1952年6月10日の日付で書いた文章の、次のくだりに行き当たると、さびしいような、歯がゆい、政治嫌いがひどくなりそうな気持ちを、ひきおこさずにはいられないのである。

 過去日本共産党の30年を省みて、もっとも痛感することは、マルクス・レーニン主義において武装し、平和の旗手であり、勤労者の偉大な指導者であり、教師であるヨシフ・スターリンの指導的原則を厳格にまもることが必要欠くべからずということである。」(P179)

 さすがは文学者。本質を見抜いていますね。なかなか昔の政治家も面白い人がいました。50年前の文章でしたが古さを感じませんでした。

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2011.11.01

商売の基本

 メールマガジンを送付してくる藤村正宏氏は経営コンサルタント。そのなかでよい文章を書かれていましたので、ブログに転載しました。(転載OKだそうなので。)


  現代はモノが売れないのではなく、
  モノが売れるまで時間がかかる世の中になっているんです。


  モノが売れるまでに時間がかかる世の中になっているから
  売れる「しくみ」を地道につくっていくこと。


  そして売れるしくみというのは「関係性」です。


  飽きずに懲りずにお客さまとの関係性をつくっていく。
  最初は効果が出ないかもしれない。


  でも、確実に差がついていきます。
  地道に関係性をつくっていけばいい。


  特に、既存顧客を死ぬほど大切にすること。
  これは商売の基本です。

  江戸時代からボクらの祖先がずっとやってきていたことです


   「おなじみさまを大切に」
   「毎度ごひいきに」
   「いつもありがとうございます」


  これが商売の基本だった。

  それを忘れてしまったからモノが売れなくなってきた。


  成果主義とか、市場原理主義とか、株主利益とか、
  そんなことばかり言ってお客さまのほうを見なくなってしまった。


  商売の基本を忘れてしまったんです。

藤村正宏

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