中曽根康弘氏と従軍慰安婦問題
こうちまんがフェスティバルを見学してから、街中を歩いて、平和資料館草の家行きました。一応会員にはなっていますが、最近は全然講演会にも行ってはいませんでした。
事務局員の藤原義一さんが,フェイスブックにて今回の講演会のご案内をいただきましたので、「雨が降っていた」こともあり、出かけて参加しました。
今回のテーマは「見つかった 海軍航空基地第2設営班資料の語ること」ということで、11月5日午後5時より平和記念館草の家1階ホールで研究発表がありました。
平和資料館草の家の研究員が、東京にある防衛省防衛研究所戦史研究センターの資料室で発見したとのことでした。
よく「従軍慰安婦問題」は、左右両派の感情的な激論の対象になってきました。「でっちあげである」「ちゃんと罪を認めろ」という不毛な対立ばかりが協調されてきました。
この資料は防衛省の当時の公文書であり、出展も防衛省ですから、解説のように「兵士や基地建設労務者たちの慰安のために公営の慰安所をこしらえた」という事実が記述されています。
過去に中曽根康弘氏は、この問題で問われた時に、「碁会所などの慰安施設をこしらえました」と述べていましたが、今回発見されました公文書では「主計長(中曽根康弘氏)の取計で土人女を集め慰安所を開設 気持の緩和に非常に効果ありたり」(報告者 宮地米三氏(医師)とあります。
今年93歳。父より1最年長の中曽根康弘氏は、この公文書の事実に対してどのように弁明されるのか注目です。
高知市の平和資料館草の家(岡村正弘・館長)は近日中に中曽根康弘氏に対し、「公開質問状」を提出されるとのことでした。
東京帝国大学を出て海軍経理学校で研修を受けますと、いきなり部下が3000人いる部隊の「海軍主計中尉」のなり、現地の軍事施設の資材の調達の長になっています。3000人の隊員の「慰安所」をこしらえたとご本人も言われています。
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