40年前の自分、40年後の自分
40年前の1971年は高校3年生でした。4月28日にはヘルメットを被り高知大学からデモ行進。途中足がつり情けないリタイヤに。1人だけ先回りして電車で市役所前に着き、退屈だからうどんを食べて到着を待っていました。再び集会とデモが始まり、隣の人が公務執行妨害で現行犯逮捕されました。
夏休みに東京へ上京し集会に参加するつもりで居たら体調不良で断念。行った友人たちは全員逮捕され23日警察署に拘置されて戻ってきた。そのご運動体は分裂。自分も疲れて学校へ行かず、11月には卒業できないことが確定していました。
頑張る気も起こらず、翌年2月には連合赤軍事件が起こり、信じていた毛沢東思想が崩壊した。学校へ行かず自宅にいたら担当教師がやってきた。「退学して欲しい。あんた留年しても絶対に卒業できない・保証する」とかいったから母が激怒しました。「この馬鹿息子を卒業させ大学も行かす」と宣言。教師は「絶対無理だから」と捨て台詞をのこしました。
4月になり学校へ行き留年しました。そしてまた11月になりました。今度は猛勉強をしていました。そしてなんとか卒業し、大学へも進学できました。両親のおかげです。昨日の事のようです。それから40年が経過しました。
両親は超高齢者になりました。父が92歳。母が86歳です。週に3回は父を連れての通院。1回は母を連れての介護予防体操です。それがこのところの日課です。親孝行であるとは「思っていない。当たり前のことです。元気でいてくれるだけで嬉しいんです。
40年経過するとわたしは98歳です。生きているかどうかわかりません。ヨットは続けていたいですね。お金には困りたくはないです。そうなればいいです。納得できる人生を送りたいのですから。
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