「政治家の文章」を読んで
「政治家の文章」(武田泰淳。著・岩波新書・1960年刊)を片桐書店で購入し読みました。著者は中国文学者として名前は聞いたことがありましたが、文章を読んだのは初めてでした。
登場する政治家は戦前から戦中にかけての日本の政治家たち。荒木貞夫、浜口雄幸、芦田均、宇垣一成、岡田啓介、徳田球一、重光葵など。知らない人も多い。
浜口雄幸は高知出身の宰相。生真面目な正確だけに面白い文章は書いていない。家人によると面白い逸話がありました。
「あまり命を惜しむと下品になるのです。自分が死ねば息をしなくなるので直ぐにもわかる。」
「地震はそんなに怖い者ではありません。家が倒れれば大きな音がするから直ぐわかる。」
外交官出身の芦田均はこう書いています。
「日本人は海外生活を始めると、まずもって言葉が不十分な上に、ネクタイの締め方から、稽古を初めてスモーキングには黒、燕尾服には白、外交官は糊で張った結び蝶のネクタイはつけないもの等と、初学一級から学ばねばならぬ。
そのうえ皮膚は浅黒く、足は蟹股で、背も低い。洋服の着こなしは義理にも上手とはいはれない。総じて金持ち亜g少ない結果、住む家は中流の家庭とまでも行かないから、客を招こうにも、あまり上流の人は来て貰えないという始末である。」(革命前夜のロシア)P47 とあります。文化人であったんですね。
1945年9月2日でしたか、東京湾に停泊していた米戦艦ミズリー号に敗戦国日本代表として乗り込んだ重光葵。なかなか骨太の政治家であってようですね。
「日本人の政治的責任感は、遺憾ながら、一般的に薄い。政治は結局国家の仕事であり、すなわち、国民の責任であることは、いまだに十分に自覚されておらぬ。政治家も、いったん辞職すれば、責任は解除されるものと、簡単に考えている。
日本人は政治を見ると、あたかも芝居を見るがごとく、鑑賞はしても、自分自信が役者の1人であり、自らの舞台の上にある、ことを悟ってはいない。
いかに手際よく、その日の舞台劇をやって見せるかに腐心するのが、また政治家であって、国家永遠のことを考える余裕を有つものが少ない。」(P136)
重光の硬派ぶりには正直驚きました。「そのとうり」であるとおもいます。60数年経過しても日本人の政治意識の向上はないようで、むしろ退化しているのかもしれません。
また筆者は「獄中18年」の日本共産党の指導者徳田球一についても書いている。
「徳田が善意の人、強力な政治家であったことは疑うべきもない。彼の文章は内容の充実した、教訓に富む者であった。だが彼が1952年6月10日の日付で書いた文章の、次のくだりに行き当たると、さびしいような、歯がゆい、政治嫌いがひどくなりそうな気持ちを、ひきおこさずにはいられないのである。
過去日本共産党の30年を省みて、もっとも痛感することは、マルクス・レーニン主義において武装し、平和の旗手であり、勤労者の偉大な指導者であり、教師であるヨシフ・スターリンの指導的原則を厳格にまもることが必要欠くべからずということである。」(P179)
さすがは文学者。本質を見抜いていますね。なかなか昔の政治家も面白い人がいました。50年前の文章でしたが古さを感じませんでした。
| 固定リンク
コメント