「わが戦後苦難の日々」を読んで
「「わが戦後苦難の日々 生々しい86人に記録」(高知ペンクラブ・刊。20011年)を図書館で借りてきて読みました。古い本かなと思いきや、今年の8月15日に発刊されたものでした。編集者が「わが戦後苦難の日々編集委員会」でした。
戦中・戦後を生き抜かれた86人の高知ペンクラブの会員の人たちの体験談が記述されていました。
「空襲・被爆のなかから」「戦没者の遺族たち」「食糧難の日々」「徴用・動員・復員」「引揚げ・疎開」「希望をまざsぢて」「戦後さまざまな日々」などの項目に分かれて体験記が書かれていました。
1つの項目が1600字。400字原稿用紙4枚の分量です。敗戦後66年。高齢者となられた戦争体験者の皆様です。戦争中も、敗戦後も苦労され、生活を維持し、家族を養い、高齢者になられた。みなさん強い思い入れがあると思いました。
だいたいの文章が、「起承転結」の「起承」で終っている。それだけ書きたい想いが強いのでしょう。「ペンクラブ」ろあるから文章を核のが得意な人たちばかりなのに。まとまらない文章ばかりですが、当然であると思います。
とても「1600字」程度では戦後66年の思いは吐露できないのです。当然であると思いました。
印象の残ったのは私立土佐中学の再建は、船で資材が桟橋へ上がり、生徒たちが大八車で運んだとか。窓枠に最初はガラスがなく寒い思いをされてとか。
また高知農業高校でも、敗戦直後軍の弾薬備蓄倉庫が大爆発。爆風で校舎の窓ガラスが割れました。その種前費用がないので、誰かが皮膚のひび割れに効くという膏薬を支給され、生徒全員が行商してお金を稼ぎ、校舎のガラスを入れた話しもほのぼのとしました。
大変ななかに皆希望を失わず、皆さん立派に戦後を生き抜いてこられたと思いました。
ちょうどわたしの両親の世代であると思いました。いまや両親は超高齢者になり戦中・戦後の頃の話しはあまり聞くことはありません。でも両親の同時代機に生きてきた人たちの文章は大変参考になりました。
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コメント
歴史を正しく伝える。ことは人間の義務です。「黙して語らない」ようではわかりません。
戦争体験者もいまや80歳代です。もう5年もすればいなくなります。体験者だけに頼るわけにはいきません。
しばやんさんが検証されているように、むんけんを発掘し、自分なりの仮設を打ちたて研究し、公表することでしょう。
投稿: けんちゃん | 2011.11.19 21:21
子供のころにあまり戦争に興味を持たなかったのもありますが、私の両親も祖父母も戦争のことは話したがらず、親戚も同様で、戦争を体験した身近な人の生の声をあまり聞かないまま過ごしてきたような気がします。
戦後の経済成長で日本各地で核家族が進行して、戦争を体験した世代とのコミュニケーションがますます少なくなっています。
これだけ年数がたつとマスコミの報道もほとんどなく、たまにある報道もそれなりにバイアスがかかっていると思います。
戦争を体験した庶民レベルの生の声を、戦争を知らない世代にできるだけ伝えてほしいのですが、そのような出版物が本当に少ないですね。
投稿: しばやん | 2011.11.19 21:06