凄春(青春)の体験は誰にもあります
昨日久しぶりに知人が来られていました。話題はお孫さんのことでした。
中学以来から不登校を続け、なんとか高校へ行ったものの、入学後登校できなくなり、長期欠席に。出席日数が足らずに留年したそうです。
どうするのか本人も含め迷ったそうですが、留年を決断し、登校。順調でした。念願の修学旅行も一緒に行ったそうです。でもその後反動で登校できなくなり、またもや進級できなくなったそうです。
音楽的な興味があり、バンドで演奏したりするようです。しかし学校とは合わないようです。今後どうなるのかわからないと知人は嘆いていました。
その前にそれも久しぶりにあった知人は子供さんが小学から不登校に。中高一貫校へ入学したものの、高校1年の1学期に退学。その後2年間ファースト・フード店でアルバイトしていたそうです。ある日突然勉強をしだし、大検で大学へ合格。現在は大学生になっているそうです。
作家五木寛之氏は、「ひとには凄春(青春)時代があります。」と随筆で書いていました。精神的に過酷な時代。「疾風怒濤の時代」ともいいます。青年期は必ずしも春のような穏やかな時期とは限らない。人にもよります。
そういえば、わたしも40年前の今頃は「沈痛な時期」でありました。
当時高校3年生であった私は、授業もろくに受けず,、試験も受けませんでしたので、卒業できなくなったことが確定したのが今頃でした。
1971年という年は初めてヘルメットを被って高知大学から、高知市内中心部市役所前から中央公園までデモ行進をしました。4月28日の「沖縄デー」でありました。その後制服姿で繁華街街頭カンパ活動を行いました。その資金で夏休みに上京し明治公園での集会に参加予定でしたが、当日体調不良を起こして私だけ参加できませんでした。
集会に参加する為に上京した高校生の仲間たちは全員逮捕され、23日間警察署に拘置され戻ってきました。おまけにセクト(党派)の分裂・対立。その影響が田舎の高知まで持ち込まれました。社会運動は後退し、一生懸命やっていた高校生組織も分裂衰退してしましました。
いわばよりどころがない状態で精神的に憔悴。わたしは登校できない状態になっていました。翌年「連合赤軍事件」が起きてしまい、当時信仰していた毛沢東思想が崩壊してしまいました。
本当に惨めな時代でした。わたしにも「学校へ行けない人」の気持ちが、ほんのすこしだけわかります。翌年卒業できず、3年生を留年しましたから。
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