「私の戦争論」(吉本隆明)を読んで
「私の戦争論」(吉本隆明・著・ぶんか社・1999年刊)を読みました。8月に実家の明け渡しで沖縄に行っていた家内が持って来ていました。義弟が読んでいたとか。
12年前ですので吉本隆明氏もまだ今より若い。今は87歳の超高齢者になっている吉本隆明氏ですが、この頃はまだ「毒」がありました。著作では小林よしのり氏らの「戦争論」に早速噛み付いておりました。
「市民生活で生活している個人が、どういうふうに24時間を過ごしているかを考えれば、すぐわかることです。8時間は職場で費やし、仕事が終わったあと、盛り場へいって遊んだり、家に帰って新聞を読んだり、テレビを観たりする。
そういう時間のほうが、「自衛隊はやはり日本の軍隊なのかなあ」とか、「日本国はこれからどうなるのかな」と考える時間よりも圧倒的に多いじゃないですか。それは疑いもないことだと思います。
個人、あるいは個人主義でもいいですが、それが国家や公よりも大きいというのは、そのことです。個人よりも国家や公が大きいというのは、かつての軍国主義時代の考え方であってね。太平洋戦争当時は、僕らはそう教えられ、そう思っていたわけです。でもそれは違うってことを、僕らは敗戦から」学んだんです。
だから、そこは小林よりのりがウソをついているというか、そうでなければ、あまりよく考えていないんですよ。小林よしのりだって、「大東亜戦争は正しい戦争だったぞ」とか考えている時間は。24時間のうちでせいぜい2~3時間で、残りの大部分の時間は、個人や家族のことを考えているというのが本当じゃないでしょうか。実感に即せば、間違いなくそうだと思います。」(P56)
「天皇制とは何なのか?戦後僕らは、半世紀かかって追究してきたあげく、ようやく自分なりにわかってきたといえるところまでこぎつけました。
天皇制というのは、アジアの極東地域の辺境国家に見られる「生き神信仰」が体系化、制度化されたものだということです。宗教的権力と政治的権力を兄弟姉妹で分担して受け持ったり、単独でその2つの権力をもったりする制度の1つです。
だから、天皇制は西洋の王権制とは違うものなんです。つまり王権制を普遍的とみなす歴史観では、天皇制は捉えられないということです。」(P91)
かつて「寄生地主制度の上の天皇制」とか「天皇制ボナパルリズム」「天皇制ファシズム」などの分析が、労農派とか講座派とかのいわゆる日本の「マルクス経済学者」によって唱えられました。吉本隆明氏の「生き神信仰」の転進化という見解が正しいと思いますね。
また吉本隆明氏は商業主義の効用を素直に書いていました。
「これは、資本主義のいいところなんですが、資本主義というのは、個人の進歩や発展を物凄く助けてくれる、鼓舞してくれるんですね。鼓舞してくれるのは読者で合ったり、編集者で合ったり、収入であったりするから、それが励みになって、自分もがんばれるということがあるんです。原稿料はタダのような左翼雑誌なかで書いていると、そうはならないんです。
たとえば、反体制のシンガーソングライターを気取っているやつで、郷ひろみに匹敵するような優れた歌手がいるかといえば、「そうはいないぞ」というのと同じです。郷ひろみはデビューしたときは、"顔がよくてアイドルで”というだけで、「歌も下手だ」とバカにされていましたが、だんだん歌がうまくなっていった。それは、商業主義が彼の歌の技術が向上するよう、鼓舞してくれたからです。
反体制のシンガーソングライターたちは、郷ひろみより3倍ぐらい余計に歌の技術を習練しないと、郷ひろみに追いつけないんです。彼らは郷ひろみと同じだけ習練すれば、自分たちと同じレベルになると錯覚しているのです。反体制の歌手としてやっていくということは、自分で自分を鼓舞する以外ににない孤立無援の中で、自分の芸を磨いていくしかないということです。
左翼の連中、自分たちには高級な思想があるから、優位に立っていると錯覚しているだけですが、「冗談じゃない」ですよ。芸術一般についても、反体制の思想を持つということは、商業主義に乗った芸術家の何倍も自分で勉強と習練ををしなければ、商業主義に乗った芸術家と同じレベルになれないという、そういう不利なzィ用件を背負っているということなんです。」(P140)
過大に国家や公の部分を拡大する「保守派」に対し、吉本隆明氏はこうも言い切っています。
「国家なんてなくても民衆はちゃんと生きていけるんですよ。国家が滅んだら、その国の民衆も死んじゃうといえば、そんなことはありません。」(P242)
吉本隆明氏の論は「個人の生活が国家よりも大きい」「個人から世界を見るべきだ」と言っていますね。「ナショナリストや保守派が、日本国とか日本人とかを強調しても、それは、歴史的にも地理的にも、。”狭い範囲でいっているだけ”ということになっちゃうんですよ。」(P5)ということですね。
先日「戦略的思考とは何か」(岡崎久彦・著・中公新書・1983年刊)を読みました。日本人が島国で外敵からの侵略にあったことがなく、「ノー天気」で戦略的な思考しか伝統的にできませんでした。
それと吉本隆明氏の観点はまた異なってはいますが、両方の考え方は、日本の進路、国家論としては間違いはないと思いました。
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