40年前の自分 40年後の自分
わたしには高校の卒業アルバムが2冊あります。
1971年はわたしは高校3年生でした。2月になると大学受験をする級友は学校へ来なくなります。県立高校は卒業式が3月1日。私立は1月末にに卒業式をします。
それは大学受験があるからでしょう。2月の初めは関西の私大の入試が始まり、中頃は関東圏の私大、後半は難関私立大学になります。その前後に国公立の試験がありました。
級友は大学受験へ出かける。しかし自分は卒業できないことが確定。担任教諭は自主退学を進める状態。拒否すると一切連絡もない状態。
卒業に1単位足りませんでしたが、高校側は「追卒業」を認めてくれませんでしたから。高校時代勉強もせず「革命」を夢見て社会運動に熱中していました。しかし信じていた思想の結末が「浅間山荘」の連合赤軍事件に連なり、何もかにもが自分のなかで「崩壊」しました。
敗戦直後、両親の世代が「鬼畜米英」から「米国賛辞」に大変化した社会変化ほどのスケールの大きさはありませんが、無邪気に信じていた極左の政治思想のあっけない破綻は、早熟な政治少年にはあの時期、ちと過酷でありました。
40年前のことでしたが、つい昨日のように思います。そのことを思い出すと高校生の感覚になってしまいます。これから40年経過したら自分はどうなっているのか。はたしてこの世に生きているのか?
日本の総人口が3割減り、超高齢化社会になっていると予測されている。その間には南海地震も来るでしょう。運良く生き延びることが出来たら、この世の行く末を眺めてみたい。
40年前の悔しい経験をいまだに総括しきれていません。田舎の1高校生が40年間悩んでいる悩みは、日本国の悩みと一致する部分もあるでしょう。小さな会社を営みながら、超高齢者の両親をケアしている小市民として、今後も社会に対して発言をしていきたいと思います。
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