今一度「連合赤軍」の意味を考える
今日はNHK総合で「あさま山荘から40年~メディアの現在~」という番組はあったらしいですね。今日は夜須へヨットに行っていましたので、帰りの車の中で少しだけ携帯のワンセグで視聴しました。
http://www.nhk.or.jp/archives/nhk-archives/
連合赤軍の社会運動や社会思想としての40年目の総括ではなく、テレビメディアとしての「ありかた」の総括でした。津田大介とかいう茶髪のメディア評論家などがなにやら言ってましたが・・・・。
私にすれば、40年も経過しているのにいまだに総括できません。自分の中学時代から高校時代まで、人生で1番良い時代を「毛沢東思想」を信仰していたがために大損した感覚でしょうか。その挙句が連合赤軍事件であり浅間山荘でしたから。
1971年の夏に高校生運動は崩壊し、なにもかにもやる気を失い学校へも行かずに卒業できないことが確定。しかも学業を投げ出し打ち込んでいた毛沢東思想の結末が連合赤軍事件でしたから。「とりかえしのつかない」落ち度でした。
母と2人で浅間山荘の様子をテレビでずっと見ていました。そして母が「健一留年し高校へ行きなさい。そして卒業して大学へ行きなさい。」とテレビを見ながら言いました。その発言があったから40年後の私がありました。
「連合赤軍と新自由主義の総括」がテーマですが、まだまだ道半ばです。
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