40年前の今頃は・・・
40年前の1971年の今頃は・・。当時高校3年生でしたが、卒業できず、悶々と自宅にいました。留年したわたしを含む男ばかり5人で「会議」をしました。結論は2人は別の高校へ転校する。1人は退学して自衛隊へ入隊する。もう1人は「松下幸之助みたいになる。」と言い残して退学しました。
わたしはというと、退学して高知市役所の臨時職員をやらんかというお誘いもありましたが、当時の社会運動のチームには相性が悪く、「その気」にはなれませんでした。その気になっておれば市労連の幹部ぐらいにはなっていたかもしれません。
2月の初めは関西の私立大学の入試が続きます。3年生は学校へ行かなくてもよくなっていました。わたしの場合は主任の教諭は執拗に自主退学を勧めていました。「退学して大検を受けたほうがいい。それが男だ」とかわけのわからないことを言っておりました。
父も脱サラして7年目で大変せわしい時期でもあり、学校からの呼び出しで、よく迎えに来てくれていました。母もよく学校へ呼び出されていました。
それで両親の支援もあり、もう一度留年して3年生をやる。という結論を一家で出しましたのが40年前の今頃でした。
しかし高校側から何の連絡もありませんでした。2月も3月もです。4月になって登校日に高校へ行きますと教師が驚き「何しに来た!」なんて言っていましたね。「もう1度3年生を再履修しにきたんですよ。」と言いました。慌てて臨時職員会議をやる有様。その間校長室で待っていました。
小心者の癖に、案外あつかましいのは、高校時代に留年したからそうなったのかもしれませんね。
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