幸徳秋水さんを正しく評価しよう
今年は明治時代の社会思想家幸徳秋水さんが、大逆事件によって処刑されたのは101年前の1月24日です。「異論」を認めない日本社会は、大逆事件後に一気に戦時体制になり、やがて世界中を相手に世界大戦を引き起こし、無残な敗戦国になりました。
今の時代も「異論を一切認めない」政治勢力が台頭しようとしています。もし国政を牛耳る事態になれば大変です。今日の私たちは大逆事件の真相とその背景を勉強しないといけないと思います。
「大逆事件」は社会主義者を一網打尽にして抹殺する国家の犯罪行為でした。およそ殺傷能力があるとは思えない爆弾実験容疑者の逮捕を皮切りに、天皇を爆死させようと公言していた無政府主義者などを逮捕。全く関係のなかった幸徳秋水も連座していたとされ、処刑されました。
その冤罪事件を主導していたのは、当時検事であった平沼 騏一郎氏です。その後彼は首相にまでなります。抑圧的で強権的な日本国を作り上げ反共主義者。ところが、独ソ不可侵条約が突然締結されて「不可思議だ」と発言して内閣総辞職したのではなかったかと。
敗戦後はA級戦犯でした。戦前日本の暗黒政治は大逆事件から始まりました。たちあがれ日本の平沼毅一氏は親戚関係にあたるようです。こうした狭量の人物が政治指導者になること自体日本の不孝です。
幸徳秋水さんは子供の時から神童と言われるほど大秀才で、小学生の時から漢学を習い、12歳の時には板垣退助氏が中村訪問の折には、参加者を代表して祝辞を述べたとか。
中江兆民の弟子となり、万朝報の名物記者として活躍、日露戦争前後に非戦論を唱えて退社平民新聞の主筆として健筆を振るいました。
後年幸徳秋水はアメリカでの世界の活動家との交流後、無政府主義に傾倒していき、このことが「危険思想の胴元」として明治政府官憲に憎悪されたことも事実です。しかし足尾鉱毒問題を懸命に解決せんと奮闘していた田中正造の要望で、「足尾鉱毒明治天皇直訴文 」を書いています。
明治天皇に直訴文を描きました。足尾銅山周辺の住民の困窮をきちんと伝達する文章力と、社会的な常識があればこそ、執筆できたと思います。
昔の文体で書かれていて、やや読む辛い文章ではありますが、今後は高知の偉人幸徳秋水さんの著作を読んでみたいと思いました。
幸徳秋水さんのお墓の右隣には、各種のパンフレットが収納されていました。1部づついただいてきました。幸徳秋水を顕彰する会の印刷物でした。
幸徳秋水を顕彰する会 サイト http://www.shuusui.com/
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