「創るモノは夜空にきらめく星の数ほど無限にある」を読んで
「創るモノは夜空にきらめく星の数ほど無限にある 海洋堂物語」(宮脇修・著・講談社2003年刊)を図書館で借りてきて読みました。
海洋堂の創業者宮脇修氏は高知県の出身。15歳で中国にわたり18歳で引き上げ、30を超える職業を経験。息子の修一氏が小学校入学前に、一坪のプラモデル販売店を始められました。始められる前も大変な人生でしたが、開業後もなかなか大変でした。
著作は4部構成になっていました。
第1部「ドン・キホーテのように」 一坪半からの挑戦。
第2部「シュリーマンのように」 自信喪失からの再起
第3部「ダ・ビンチのように」 アーティストたちとの交流
第4部「J・ベルヌのように」 KAIYODOブランドの確立とあります。
宮脇氏の半生や奮闘記につきましては、息子の宮脇修一氏の著作「造形集団 海洋堂の発想」を読みましたから、だいたいの発展過程はわかります。
プラ模型販売店から出発しながら、それに飽き足らず、顧客や愛好者を大事にして対話をしながら、業態を変化させてきました。
プラモデルの高揚期と衰退期も経験。レーシング。カーブームの先駆けとなり大きな屋内サーキット場もこしらえるもブームは衰退しました。倒産の危機を着眼と市場の読みでそのつど乗り切ってきました。
時代は移り「ガレージ・キット」の時代となり、造形の大好きな若者たちが海洋堂に集まるようになり、「アート」を意識するようになりました。
宮脇氏の凄いのは、世界各地の博物館に。お土産として「海洋堂キッド」を置けるようになりたいなと、夢は「世界制覇」なんですね。
イタリアの。レオナルド・ダビンチの出身地を訪ね、展示品を見るうちに「ダビンチこそホビーの天才」と認識したことでしょうか。それまた凄い着眼点でした。
アメリカの「スター・ウォーズ」や「グレムリン」「ジェラシック・パーク」などに関与した造形作家との交流やの様子は、スケールの大きさを示しています。」
やがてお菓子のおまけで、小さなフィギアをおまけにつける「食・玩」が大ヒットし、海洋堂は、著作権を確立し、経営も安定基盤に乗りました。そして長年の夢であった「ホビー館」を各地に出していくようになりました。
高知の四万十町打井川にある海洋堂ホビー館は、何軒目かは知りませんが、長年の宮脇氏の想いを体現しています。あそこの圧倒されるフィギアの数。造形の数には本当に驚きます。
今後の夢はJ・ベルヌの「海底2万マイル」を映画化したいとの事でした。その夢を実現される為に毎日奮闘されているようです。素晴らしい人生を堪能されていると感心しました。
参考ブログ記事「海洋堂ホビー館へ行きました」
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