今日も父は元気にゴルフ打ち放し場へ
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粗悪なファシスト橋本徹の主催する「維新塾」とやらに全国から2000人がお金を持って集まったという。異常な事態ですね。満足に大阪で成果をあげたわけでもないのに、国政を「乗っ取る」つもりでいるらしい。
なんとか8策とかいう、坂本龍馬を真似した政治スローガンがあるらしい。それも粗悪で乱暴なもの。興味もないし面白くもない。なぜ彼のような粗雑なファシストが人気を集まるのかわからない。
ばしばし単純化し、言い切ったら「リーダーシップがある」とマスコミは評価する。あの小泉純一郎がそうでした。皆が持ち上げた結果はどうなりました?日本はとんでもない格差社会になりました。
フジTVあたりが持ち上げていますね。いい加減にしてほしい。橋本や維新の会ごときに「愛国心がどうした」なんぞ、上から目線で言われたくありません。
政治を劇場化させてはいけません。政治にはリーダーは不要です。日本人は皆レベルが高いのです。町内会やPT活動の延長上でいいんです。
市民もいつまでも「観客」であってはいけません。皆が主役にならないといけません。
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今日は午前中は、父(92歳)を連れて植田医院で診察と点滴をしました。血液検査の結果はあまりよくない。クレアチリンが2・28(前回2・19)、尿素窒素が27・5(前回24・49でした。元気ですが腎機能が低下しているので、要注意ですね。
これから暖かくなり汗をかきやすくなります。そうすると体液が奪われ脱水症状になりやすい。それがとても怖いですね。
植田一穂先生には「2・5を超えないように」と言われています。一時期はクレアチリンが3・98、尿素窒素が83・2という数字に悪化しGFR推算式ではステージ5の「腎不全」にまで行っていました。
しかし植田先生と高知医療センターの腰岡先生の連携で、減蛋白食主体の食事療法で、ステージ4、もう少しでステージ3のところまで回復してきました。
(しかしデータは85歳が上限に。うちは父が92歳で、母が86歳ですので、医師の保有するデータ以上の年齢になっております。)
3月27日の近森病院での脳外科執刀医の診断も「脳血管障害は後遺症もありません。猛大丈夫です。」との安全宣言もいただきました。後は慢性腎不全の治療に専念すればいいのですから。
でも父は92歳という超高齢者なので、実にデリケートです。すぐに容態は急変する可能性がありますので、家族は「臨戦体制」ですね。
もう1人の高齢者である母(86歳)を連れて、昼食後はりまや橋商店街での活き活き100歳体操へ行きました。 高知市は桜が満開のようです。町内会の懇親会は4月1日。青柳公園の桜は明日の雨で散るかもしれませんね。さて3月最後のはりまや橋サロンです。
いつものように、魚の棚商店街のパン屋でドーナツを購入。夕食用にコロッケを買いました。10円饅頭も買いました。
今日の活き活き100歳体操(介護予防体操)は、暖かくなりましたので、12人の参加。先週は6人でしたから倍増しましたね。やはり高齢になられても体は定期的に体操して動かすべきなんですね。
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今日は生ごみ類の回収日。少し早起きして自宅周辺の道路のごみ拾いをしました。
2週間前にもごみ拾いをしましたが、結構ありますね。多いのはタバコの吸殻。タバコの空き箱の投棄。チラシの散乱。お菓子の外袋の投棄。今日はショッピング・バック(ビニール製)に1袋の分量ではありました。
世の中「心無い人」が多いと思う。この町内には宗教団体の施設が2つありますが、その施設の周辺道路にはごみが散乱しています。施設の周りのごみ拾いぐらいしろよと言いたい。どんないい説教をしようが「無駄」であると私は思う。
商売の店舗の前もごみが散乱。商売繁盛ならぬごみ散乱。朝の散歩やたまに走っている人も見かけますが、たまにはごみ拾いもすればいいとは思いますね。
世の中の有様が良く見えるようになりますから。
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最近首と肩の凝りが酷い。毎日日にちネットで質問が来るからでしょうかね。結構難しい質問が来ます。それで懸命に回答します。そのことは評価が高く、注文に繋がることが多いです。
でもパソコン操作をしているので、目や肩がつかれます。そのことで首が凝ります。めまいは疲労が溜まるとでますね。休日に1日は、歩き回り、1日はヨットで遊びました。そしたら疲れはなくなりました。
やはり運動不足から来ています。運動とネットの作業のバランスがとても大事ですね。つくづくそう思います。
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日本では「ユーミン・桑田」と動員力を誇るアーテストである松任谷由美。わたしはことさらこの人のファンではないが、同世代でもあるので気になりますね。もう還暦なのに頑張っています。
東日本大震災罹災地仙台市で「春よ来い」を聴衆と一緒に歌う姿や、リハにも手を抜かないプロ魂を見ることが出来ました。
昨日の成果は、荒井由美時代のヒット曲でしたか「かげりゆく部屋」のベースにあったのが、往年のヒット曲「青い影」のプルハムハイムでした課の影響であることを初めて知りました。
教会のパイプオルガンとブルース調のロック音楽の癒合であったとのこと。それであの独特の「節回しの」印象に残る曲になったのかとようやく納得できました。
わたしらが学生時代からデビューして未だに第1線におられますから。常に時代に対応して変化しているアーティストなんでしょうね。
ユーミンの「SONG松任谷由美2012春スペシャル」の後は、「SONG福山雅治」と、BS11でのテリー伊藤と郷ひろみの対談番組をチャンネルを切り替えながら見ていました。
長年ラジオ番組のDJをやってこられた福山雅治さん。東日本大震災の後何かできることはないか。多くのTVが震災報道番組一色の中で、ラジオ番組をやりとうし、そのなかでの24時間チャリティを実行。多額の義捐金を集めたとか。
またラジオ番組へのリスナーからのお便りに罹災地である石巻中学の先生の便りがあり交流が始まったこと。そして石巻中学の体育館でコンサートが実現した様子が映像になっていました。彼なりにやれることをしたということは立派です。
「今更」の話ですが、龍馬伝でご縁のあった高知ですきに、福山雅治さんにラジオ番組をやっていただき高知がスポンサーになってやればよかったのにと思いましたね。
郷ひろみさんも55歳ということですが、たゆまぬ努力とトレーニングの成果でしょう。体の動きに切れがあります。
マイケル・ジャクソンを同世代だったから意識していたそうです。
「マイケルの動きはダンスでもパフォーマーでも凄い。それは何故切れがあるかといいますと、激しい動きをしながら、ぱっと静止できるからです。
車でも猛スピードで走っていてブレーキかけてもすぐには止まれない。マイケルはそれがダンスでできたんですから凄いんです。」
「アメリカでダンスのトレーニングをした頃にはこうも言われました。ダンスの動きで写真を撮られることがあったら、どの動きでも美しくなければならない。どの写真も綺麗に撮られなくてはならない。と教えられました。」とのこと。
物凄いプロ根性ですね。感心しました。
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日本代表とU-23男子の試合を見るに、攻撃力がない。迫力がない。決定力がない理由は、「前線にためがない」「前線が起点となれない」ことに問題があると思います。
日本のFWは「ポストプレーができない」のです。エトーやドロクバ、ルーニーなどのFWは、送られてきたパスを前線でキープし球を足られない。シュートまで持って行きます。キープしている間に中盤の選手までがゴールまで迫り、分厚い攻撃ができます。
日本のFWは球をキープできないから決定機も作れないし、シュートもできないのです。唯一できていたのが本田でした。だから2010年W杯では日本はベスト16まで行けたのです。
この課題をロンドン五輪とW杯で解決できるのでしょうか。それが日本サッカーの行方を左右しますね。
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週刊ポスト4月6日号 53P-P57までの追悼記事はまあまあでした。
常に大勢に迎合せず、孤立無援でありながらも独自の思想体系を構築してきた骨太の下町の親父さんであった吉本隆明さん。「賞味期限のない思想家」であり、著作も300冊以上あるので、ゆっくり読んで検証すればいいですね。読んでいない若い人たちもこれから読んでみる思想家であると思います。
全共闘運動世代の英雄なんぞでは決してありません。「その程度」の存在でくくられるひとではありません。
昨年年末に大枚3000円を出して高知市の金高堂書店で買い込んだ「完本 状況への発言吉本隆明」をいまだに読破していません。字も細かいし分厚い著作本ですからね。
今週号の週刊ポストは吉本隆明氏の追悼記事でした。「新聞・テレビの追悼特集では伝えないエピソードと発言から、足跡をたどるとあります。
(画像は今日購入した5480円のデジカメで誌面を撮影しました。読むことは辛いとは思います。その場合はお金を出して購入しましょう。400円です。)
「吉本氏は戦争を担うほど年長ではなく、教科書に墨を塗るほど幼くもなかった。
だから一番敏感に戦後という時代のいかがわしさを嗅ぎ取りました。
戦前から繋がる知のドラマの舞台裏などなかったかのようにふるまう戦後知識人に対して「そんなはずはないだろう」とまっとうな疑問を投げかけたのが出発点です。」(橋爪大三・東京工業大学教授)
「知的上昇は自然の過程であり、階級からの離脱することは悪でもなければ善でもない。さらに大衆はズルくて性悪な面がある一方、倫理的にまっとうなところもある。
インテリは階級離脱をやましく思う必要はないが、大衆のこうした性格を常に自己のうちに取り入れなければならない。これが吉本さんの考える「大衆現像」です。」(鹿島茂・評論家)
1980年代は大衆消費社会を吉本隆明氏は肯定的にとらえていました。女性誌でブランドものの服を着用しモデルをつとめたこともあったそうです。その行為を作家で評論家の埴谷雄高氏から「資本主義のぼったくり商品を着ている記事をみたらタイの青年は悪魔と思うだろう」と批判しました。(P54)
吉本隆明氏はこう反論したそうです。
「先進資本主義国日本の中級ないし下級の女子労働者は、こんなファッション便覧に目配りするような消費生活をもてるほど。豊かになったのか。というように読まれるべきです」(P54「重層的な非決定へ」)
1984年の「マス・イメージ論」あたりから糸井重里氏との親交が始まったようですね。
また刺激的な文言をしらっと言っています。週刊誌でも取り上げていますが先日読んだ糸井重里氏との対談集「悪人正機」ではこんな言葉もありました。
「本当に困ったんだったら、泥棒して食ったっていいんだぜ」
NHK?ETVの追悼番組「吉本隆明語る 沈黙から芸術まで」のなかでも発言されていましたね。
「言葉はコミュニケーションの手段や機能ではない。それは枝葉の問題であって、根幹は沈黙だよ」(「貧困と思想」P55)
各評論家の皆さん方の吉本隆明評もなかなか面白い。「平成には語るべき対象がなかったのでは。昭和の時代とともに吉本隆明は死んだ。」(佐野眞一・ノンフィクション作家 P56)
「かつて日本がアメリカ相手に起こした日米戦争にしても、日本人は共同幻想によって誰1人疑うことなく、しつに真剣に戦いました。
しかし戦争が終わるとその幻想はきれいに消え去り。誰もが「何をやっていたんだ」と我にかえった。
共同幻想で考えればストンと腑に落ちるのですが、当時そんなことを考える人はいませんでした。国家を幻想という概念で捉えるー独創的な理論ですね。(岸田秀・心理学者・P56)
「吉本の「大衆の現像」が完全に破綻したのはオウム事件の時だった。「麻原彰晃を高く評価する」という珍論を発表し、大衆を唖然とさせた。
吉本の「大衆の現像」は、「大衆の幻像」だったのである。
吉本は全共闘世代の「共同幻想」だった。」(呉智英・評論家・P57)
賛否両論でなかなか重厚な議論が読めて楽しかったです。久しぶりに週刊ポストを購入しましたが、今週号の「さらば吉本隆明」と「吉本隆明とその「格闘」はなかなか読み応えのある記事でした。
わたしはいわいる吉本隆明の「信者」ではありません。でもこの人は、土佐弁で言う「いちがいな」(へんこつな。いごっそう)でもありますね。亡くなる直前でも「原発肯定論ではないか」という発言をまたま行い、次女の作家吉本ばなな氏が「父は衰弱しておりますので、そっとしていただけませんか」というコメントを出すぐらいでした。
要するに社会の大勢が1つの方向へ一気に動くことへの警戒感、疑念を常にもたれている社会思想家であったということなのでしょう。その理論の賛否は多いことでも影響力のある人だったとつくづく思いました。
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北朝鮮は、久しぶりにアメリカと協議し、核開発の開発を棚上げにすることを条件に、栄養食品の供給を受けました。すると今度はミサイルを発射すると言います。これには驚きました。食料の180万食分を1発のミサイル発射に費やす北朝鮮のやりかたは理解できません。
一方イランもアメリカや欧州諸国とのチキンゲーム。こちらは人口大国で農業大国でもあるので資源は豊か。1979年のイラン革命以来アメリカとは断絶し、敵対しているのに平気。経済制裁もあるのに独自に核開発する力がありますね。あなどりがたい。
こちらも頑張っています。
瀬戸際外交もいいでしょうが、それは独裁者のやること。なかなか難しい技術です。
イラン危機のおかげで石油価格が上昇。今日からガソリンが10円上がりました。いい加減にしてほしいと思います。
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前回は1月24日に行きましたので2ヶ月ぶり。予約して行きましたが、それでも最初のMRIの検査で30分以上待たされました。
次から次に病人は押しかけてきます。杖をついた人。車椅子で家族が介助する人たち。入院患者。待合は満席状態に。ようやく父の順番がきたのは受付して40分が経過していました。
検査を終えて脳外科医の診察へ。こちらは意外にも10分待ちで呼ばれました。
「左の脳の血の固まりも、減少しています。経過は良好です。お元気そうでなによりですね。経過観察は良好ですので、もう来なくていいですよ。
何かありましたら来てください。」とのことでした。
思えば2008年の9月9日に父は倒れ、救急車で近森病院へ搬送されました。幸い脳梗塞や脳卒中の血管障害ではありませんでした。ただ原因が不明でした。脳外科のT医師が「静脈の異常であれば通常のMRIでは写らない。造影剤を使用させていただきたい。その場合は腎臓に負担がかかり、透析しなかればならなくなります。家族の承諾が要ります。」とのことでした。
造影剤を入れた診断の結果は「硬膜動静脈ろう」という脳静脈血管の異常でした。それを取り除けばいいということで、T医師に執刀していただきました。手術は無事成功。身体麻痺はでませんでした。
そして4ヶ月入院ーリハビリし2009年1月には退院し社会復帰できました。しかし腎臓が予告どうり悪くなり、慢性腎不全になり、2010年4月には高知医療センターへ入院しました。2週間後に退院し、主治医の植田一穂先生の食事指導で、減蛋白食主体の食事でコントロールし、社会生活を父は送っています。
昨年の12月11日に父はゴルフ練習中に意識もうろうとなり、再び近森病院のERへ。でも異常はなくその日のうちに退院しました。その後今日も含め3回、脳外科の診察とMPIの検査をしましたが、異常はなく「もう来なくていいよ」になりました。
患者と患者の家族にとってこれ以上の褒め言葉はありません。医療関係者の皆様ありがとうございました。
整体の老師(85歳9によれば、人間の寿命は125歳だそうです。父は92歳ですから余命は33年はあります。健康で楽しい人生を送っていただきたい。と願います。
しかし近森病院は綺麗ですね。どんどん新病棟が建築されて増殖していますね。
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毎週月曜日の12時20分に、両親はジョイリハという介護予防リハビリ施設への通所をしています。ともに要介護1です。それ以上に「介護度」を進行させないために通所いただいています。
ある週の月曜日に、仕事の合間に見学しました。両親も「それなりに」まじめにやっていました。
それが終わるとマシントレーニングです。指導される方がおられ、無理のない筋力トレーニングを両親はしています。
ジョイリハも高知で2号店が北部に5月からできるようで、そちらに勤務する職員も研修で来ているので、手厚い指導をしていただいています。
この施設で最高年齢者は97歳の男性。すたすた歩いているようです。超高齢者社会ではただ生きているだけでなく、元気で活動的でなければ人生楽しくはありませんから。
3月9日にPRGRレディスゴルフの初日に父を連れて土佐C・Cに観戦に行きました。1年前と比べ断然足腰が元気になっています。超高齢者でも筋トレが効果があることがよく理解できました。
だらだらと時間が長いだけのディ・サービスであればたぶん両親は行かなかったと思います。運動機能の改善と目的がはっきりしているので、継続できています。この施設をご紹介いただきました県庁生協の介護福祉センターのケアマネージャーの下村恵子さんに感謝申し上げます。
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お彼岸が過ぎたというのに、またまた冬に戻ったような風が吹いていました。陸の上は田植えの準備で早くも水を水田に引き込んでいます。しかし、山間部では雪雲の姿も見えています。
昨日は雨上がりで強い冬型でしたのでセーリングはできなかったと思います。今日は強風・波浪注意報が高知県中部沿岸には発令されていました。
夜須のハーバーの様子。やはりヨットをする場合は晴れないといけませんね。どん曇りでは今ひとつです。今日はシニア・ヨットクラブはTさんが来ました。あとIさんとKさんも来ましたが、陸上見学でした。
強風で自分のヨットのカバーがめくれていました。
強風用にしっかりぎ装しました。高知大学ヨット部も来ないようでした。
陸の上は春めいていますが、海は真冬仕様です。ドライスーツとアンダーウエア。スキー帽をかぶりました。
高校生とシニアが2人の3艇での出艇でした。ちと寂しい。
今日はどん吹きでした。しかも波が高い。ローリングするので、ヤッシーのなかの海へ私は入り、タックとジャイブを練習しました。結構風が強いです。
十分帆走したから帰ろうかなと思いますと突然の強風に。海全体が真っ白になっています。それでもなんとか体制を立て直そうと必死の帆走。ただセールがランニング「背中からの風)のときに前に出すぎていて不安定。セールを直そうとして引き込んでいるとワイルドジャイブ状態になり,沈しました。(写真のような状態に)
ただ投げ出されたので、泳いで自分のヨットに追いつきなんとかヨットを起こすも裏風が入り反対方向へ沈。息を整え慎重に起こしなんとかハーバーへ帰りました。
そのときアンカーロープが切れ、アンカーをなくしてしまいました。
片づけして着替えをして昼ごはんはヤッシー・パークへ行きました。こちらの龍馬さんも観光客に人気者。駐車場は満車状態に。県外ナンバーが多いです。
YASU海の駅クラブのメンバーが桜の木の植樹をしていました。私はアンカーとロープをメンバーの臼井さんところで購入する為に失礼しました。
アンカーとロープであわせて2500円でした。今後もセーリングできますね。
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金曜日にめまいの症状に教われました。多分しつこい首の凝りだと思いますので、今日は少し歩こうと思いました。昼からは自宅から歩いて土佐山内家宝物資料館へ行くことにしました。そこで開催されている「理想の武家」展を見に行く為です。
堀川の浮き桟橋を通過。桜はまだ1分咲ですね。早くて来週末以降ですね。
今日は風が強い。陸上でも10メートルは吹いていました。埃が目に入り困りました。花粉症気味の皆様は大変ですよ。それで鏡川河畔を歩き続けました。
残念ながら館内は写真撮影禁止。それで今回の展示会のチラシがあります。
展示品はなかなか見ごたえのあるものばかりでした。山内藩主の刀や槍や鎧。馬具や陣羽織。戦陣訓とおぼしき書物類。歴史書など。
この資料館の所蔵点数は物凄い。資料によりますとこう書いていました。
古文書 約3万点
美術工芸品 約5000点
和書漢籍 約2万点
図書類 約2000点
古写真 約1万点
合計 約6万7000点を所蔵されています。物凄い宝物ではありませんか。
ただこの資料館は狭いので、すべてを展示はできないのでしょう。今度高知城前にできる歴史資料館に展示されるのでしょう。
なかなか充実した展示会でした。これは県民の大きな財産です。
歩いて天神橋北へ行きますと、後藤象二郎の生家跡の碑がありました。
話しは全く変りますが高知駅前のこの施設は全く歴史的の価値のないものですね。なんでしょう?
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午前中に今日は父を連れてゴルフ打ち放し場へ。昼食をこしらえてからは、藁工アートで開催されている「TOMATO ART FESTA」へ行きました。
自宅からは徒歩でいけますので良い散歩コースです。
会場1面にはがき大の紙に描かれたトマトの絵。人により表現がかくも違うのかと感心しました。病院や施設、保育所、小学校などからの作品もありましら。個人の作品も展示されていました。
なかなかの力作もありました。
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高知県は保守王国であります。2009年の総選挙で、民主党が全国的に大勝し、政権を担うようになり、長年政権を担ってきた自民党が大敗し、野党になりました。
しかし高知県では小選挙区ではすべて自民党候補者が当選しました。自民党の組織力の底力を見せ付けた総選挙でした。
その高知県ですが、県民各位は「政府の言いなり」になり、長年の自民党政権の政策の受け皿になってきたかといえばそうではありません。典型的な事例が、原子力政策を断固として高知県として受け入れませんでした。これは誇るべき県民気質ではないでしょうか。
先日のNHKのTV放送で、新潟県柏崎市は原発立地交付金を過去に3000億円も受け取ってきたそうです。そのお金でこしらえた施設はなんと125もあります。ではさぞや自治体の財政が豊かといえば、そうではなく財政破綻寸前とか。原発交付金は公共施設の整備費には使途でないそうで、作れば作るほど、後日の維持管理費用に追われ、財政が逼迫することだそうです。
高知県は県民所得がとうとう日本で最低になりました。ある調査では「幸福度日本1」が福井県で高知はここでも最下位のようです。でもよく考えましょう。原子力発電所が10箇所も立地している福井県。それはたんまり原発立地交付金は入るから、図書館や文化ホールなどの公共施設は立派になるでしょう。
高知は大きな企業もないから税収も少なく、常に貧しいと揶揄されてきました。しかし美味しい空気と水が豊富にあるのです。2007年の核廃棄物施設の是非をめぐる東洋町長選挙では、「教育費用、医療費、介護費用、水道光熱費用が、核施設を受け入れればすべて無料となります。」という推進派候補者のチラシまで配られていました。
所得の低い高知県のなかでも東洋町はさらに低く、失業者の多い地域でもあります。でも東洋町の賢明な町民の皆様は「子孫のために思い切り深呼吸できる自然を残したい、」という真摯な気持ちで、核施設反対派候補者を支持し、国に立地を断念させました。本当に高知県は救われたのです。
過去にも窪川町に原子力発電立地の計画もありましたが、反対運動が広範囲に展開され、断念されました。
高知の先輩たちは、高知の自然を残してくれました。それがなによりの1番の財産であるとわたしは思います。その自然を損なうことなく活用し、子孫に伝える義務があると思います。それは私たちの役割です。
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フェイスブックのビジネスでの使い方について
IT評論家の藤村正宏氏からメールマガジンは配信されてきていました。引用、転載自由と言うことなので、ブログや自分のフェイスブックなどへ掲載させていただきます。
藤村氏はフェイスブックの活用について以下のように言っています。
最近、よくソーシャルメディアのマーケティングの相談が多い。
新しい仕事は、ほとんどFacebookやブログがからんでいます。
ソーシャルメディアマーケティングコンサルタント。
そんな感じになっている。
さてさて、3月に入ってすぐ『Facebook』の企業用のページ、
【Facebook Page】の仕様変更が決まりました。
ボクのまわりのソーシャルメディア界隈では、大騒ぎになった。
今までFacebookページのウェルカムページや
ファンゲートを使って、ファンを増やしていた企業が
そういうことができなくなった。
Facebookというのはコミュニケーションする場であって、
モノを売ったり、売り込んだりする場ではない。
そういうFacebookの意図が感じられる、今回の仕様変更です。
Facebookでビジネスしたかったら、
有料の広告を使えよ。
そんな感じです。
そのかわり、広告の内容がファンに届きやすい工夫。
【リーチ・ジェネレイター】という新しいサービスを使って
プレミアム会員向けのサービスを充実させていく予定らしいです。
広告収入を劇的に増やしたいという意図も感じますよね。
ま、でもそれはしょうがないです。
IPO(上場)を申請しましたし。
現在、飛ぶ鳥を落とす勢いで世界中で、そして日本でも利用者が激増している。
利益が加速度的に伸びるタイミングでの
IPOで、成長はまだまだ続きそうです。
収益も倍増させようとする目論見があるのでしょう。
でも、Facebookはすごいツールではあります。
企業や個人は、ビジネスにものすごく役立つと思うんです。
広告しなくたって。
今のうちにさまざまな取り組みや実験をやっていたほうが、将来のためになる。
先日に発表された、Facebookのデーターです。
【2012年Facebook事情】
ひと月のアクティブユーザー数8億4500万人。
インターネットサイト訪問者の5人に一人が利用。
一日のいいね!数 27億回
一日の写真アップロード数 2億5千万枚。
モバイルユーザー数4億2500万人。
ユーザーの男女比 男性43% 女性57%
平均滞在時間20分
アメリカで利用率が人口の半分以上になっているそうです。
とんでもないことです。
ヨーロッパでも4人に一人が使っている。
まさにグーグルのCEO、ラリー・ペイジが恐れるわけだ。
インターネット世界の支配を
グーグルにとって変わりそうな勢いです。
インターネットの世界は「検索」から「シェア」へ
ゆるやかに移行している。
実際、先日出版された最新の『ソーシャルメディア白書』によると
日本においてヤフーやグーグルの検索が減少している。
「検索」という行為は、今よりも減ってきている。
検索しないで、ソーシャルメディアから流れてくる情報で
ホームページやブログを見る人が増えている。
そういうことです。
ということは、Facebookやらなければ
ホームページのSEOをよくしても、
検索でホームページに来る人の絶対量が減るわけですから。
企業もそろそろ無視できないメディアになってきたってことです。
Facebookは人と人とのつながりですから。
そして当たり前のことですが、
このつながりの連鎖が、生活者の消費行動に変化をもたらしています。
Facebookな人たちは、その中で
近況をコメントしたり
考え方を共有したり
写真を見せあったりしています。
利用者に流れ込む情報の共有量は
日を追うごとに、加速度をつけて多くなっている。
情報共有量が増えるとどうなるか?
どの情報が自分にとって有益な情報なのかが
多すぎてわからなくなる。
そこで起きてくるのが
「情報のフィルタリング」
友人や知人のフィルターを通った情報を信頼するということ。
たとえば、あなたの友人の「タカさん」が映画にとっても詳しい人だとします。
彼が推薦する映画は、あなたにとって、だいたい面白い。
あなたは今週末、映画を観に行こうとしています。
どうせだったら、面白い映画を観たい。
そこであなたはタカさんのFacebookの発言を見てみる。
タカさんは最近劇場でやっている映画についてこう書いていました。
「米国FBIを作り、8人の大統領をコントロールしていた、という
J・エドガーの半生を描いた実話をもとにした映画。
デカプリオはあまり好きじゃなかったけど、
この映画の彼はとってもいいです。
実話を元にしているので、映像が地味っていえばそうだけど
逆にそれが、リアリティがあって、とっても良かった。
『J・エドガー』おすすめです。」
そうすると、どんなに他の映画がTV-CMをやっていても、
タカさんのすすめる、『J・エドガー』を観る。
そういうことになるわけです。
そして、タカさんの情報を気にいったあなたが
その記事を「シェア」する。
そうすると、あなたの友人知人に広がっていく。
シェアされた情報が目立ち、
そうでない情報は見られずにスルーされる。
ま、カンタンに言うと、そんな「文化」が当たり前になりつつあるということで
す。
マーケティング分野では「クチコミ」はとっても効果があると言われています。
ソーシャルメディアの利用者の増加で
「クチコミ」の伝播力がとっても早く、さらに深くなってきている。
これからの時代、情報の伝わり方が、今までとは劇的に変わってくる。
「情報」はマスメディアや大企業のコントロール下にあった。
大企業やマスメディアが一方的に、自分の都合のいい情報を流していたわけで
す。
もうそういうことが難しくなるということ。
これからは、生活者が情報の主導権をもつ時代になるということです。
「これは友だちや仲間に知らせたい、伝えるべきだ」
それが主流になっていくということです。
でも、ある意味これはとってもいいことです。
カンタンにいうと、本来の「商売の基本」に戻ったってことですから。
生活者の声に耳を傾け、
いい商品やサービスを作り、既存顧客を大事にしていくということです。
ね、「商売の基本」でしょ。
ソーシャルメディアはここにきて、情報を拡散するという役割だけでなく、
人と人をつなげるということに、進化してきました。
そして、この「つながり」は、あなたが好むと好まざるとかかわらず
日々、増幅して、深くなっていくのです。
「Facebookはうさんくさい」と思って利用していないのなら
あなたのビジネスはこの先、大きなものを失いかねません。
大事なのは、あなたがFacebookをどう思うかではなく、
無料で、ファンやおなじみさんと
コミュニケーションができるツールだということが重要なのです。
そこが価値であり、活用すべきところなのです。
正直、『Facebook』がこれからどうなるかわかりません。
あっという間に『セカンドライフ』のように、衰退するかもしれないし
ライバルの『グーグル+』に乗っ取られるかもしれない。
でも、あなたがその中で築いた「関係性」は
『Facebook』がなくなって『グーグル+』になっても
なくなりません。
ということなんですが、どうなんでしょうか。3月6日に高知市で講演を聞いた阿部満氏は、「フェイスブック・ツイッターの積極的なビジネス活用」を言われていました。
フェイスブック・ツイッタービジネス活用セミナーを受講しました
IT事情のビジネスに詳しい2人の論は、「フェイスブックをビジネスをやるべし」とあります。一利も二利もあります。
しかし自社の宣伝ばかりしているフェイスブックは見たいとは思いません。「面白くない」ヵらです。時間の無駄です。プロが作成した宣伝媒体のほうが洗練されています。露骨な宣伝広告は見たくはないからです。
ではビジネスで「繋がる」っていうことはどういうことなのか。それはフェイスブックでより促進されることなのか?今ひとつよくわかりません。
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今日は年に1度の塗料組合青年部主催のボーリング大会でした。毎年3月に開催されています。
今年で大会を開催しているボール・ジャンボが閉店するようで、組合としては最後の大会となりました。来年別のボーリング場で開催するかどうかは未定です。
今回は組合加盟会社40人が参加しました。結構賑やかなものですね。景品も多いし。
2ゲームを行い、成績を競います。なんせ年に1度しかしませんので良いスコアになるはずはありません。
まんなかが私の成績。今まで最悪ですね。2ゲーム目なんぞ、1投目で9本倒しているのが6回あります。2投目でスペアをとったのが1回しかありません。これではスコアが良いはずはありません。40人中37位でしたから。
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「安心のファシズム」(斉藤貴男・著・岩波新書・2004年刊)を高知市の井上古書店で370円で購入し読みました。この著作は2004年ですから、まさに小泉ー竹中時代の「偽・構造改革路線」全盛期の頃書かれています。
古典としてはE・フロム著作の「自由からの逃走」を思い出すような著作でした。1933年頃のドイツ国民はは民主主義社会の議論、代表である国会議員や政党の体たらくに愛想をつかし、1人の独裁者(当時はヒトラー)に国の全権を国民投票で委任してしまいました。
それと近い情況が日本にもあるのではないか。斉藤氏は2004年に危惧していました。2012年もより「劣悪な」「幼稚な」「すべてを単純化する」「異論をすべて排除する」粗悪なファシスト集団橋下徹ー平成維新の会なるものが台頭する兆しがあるようです。
まさに「ファシズムはそよ風ともにやってくる」(P231)なのです。
現在の高度な情報化社会。米国製のI-padの発売に狂奔する人たちを観察していますと、なんだか不安になります。
「携帯電話。住基ネット、ネット家電。自動改札機など便利なテクノロジーにちらつく権力の影。人間の尊厳を冒され、道具になる運命をしいられるにもかかわらず、それでも人々は「安心」を求める。
自由から逃走し、支配されたがるその心性はどこからくるのか。著者の長年の取材、調査、研究を集大成する渾身の書き下ろし」(帯解説)とあります。
「ファシズムはそよ風ともにやってくる」に続いて斉藤貴男氏はこう続けています。
「独裁者の強権政治だけでファシズムは成立しない。自由の放擲と隷従を積極的に求める民衆の心性あってこそ、それは命脈を保つのです。(あとがきより)
多くの人々が、何者かに対する不安や怯えや恐怖や、その他諸々がないまぜになった精神状態が、より強大な権力と巨大テクノロジーと利便性に支配された安心を欲しているかのようです。
権力に無条件で服従しない人が現れると徹底的に叩かれるのはこのためです。本来自由な精神を保つ為に必要な読書にしても、ネットで「読まれている本ランキング」で調べ、より読まれている本しか「読まない」人が多いとも聞きますね。
わたしなどは、時折「異論」をいう親父ですから叩かれやすいんでしょう。橋下や平成維新の会が、「狂気のように」国歌斉唱を強要し、「異端者狩り」をする行為を、大多数の人々は黙認し、またなかには喝采を叫ぶ人もいる現実。なんだかおかしいです。
(20世紀の独裁者と言えばこの2人。いずれも国民の圧倒的な支持で。民主的な手続きで全権を委任されました。)
筆者は2004年頃に起こった「イラク人質事件での人質たちや家族へのいわれなき誹謗中傷」を分析しています。
「集団心理の奥底を完全に証明することはできない。だが、ネット上やマスメディアを席巻した自己責任論の数々を読んでいくと、要は対象が女。子どもだからいじめやすいという卑劣極まりない意識を感じざるを得なかった。
帰国直後はPTSD(心的外傷後ストレス障害)を理由に記者会見を忌避した3人のうち、郡山総一郎さんと今井紀明さんとが改めて記者会見に応じてからは、したがって目立った、「自己責任論」は見聞できなくなった。組し易しの先入観が裏切られたためではなかったか。(P29「イラク人質事件と銃後の思想)
また筆者は最近のファシズムの特色を「グローバルな新封建主義」ではないかとも指摘しています。
「グローバル経済競争にとって無駄になるような要素(社会保障や医療費や教育費用など)を徹底的に排除して、金があったら、外国資本の誘致に使う、そんな国家のあり方が構想されてしまっいている、というわけだ。」(P159「ネオ封建時代への構想」)
まさに粗悪な「新自由主義」の標榜ではありませんか。
「新自由主義は「小さい国家」でなければならないということを言ってはいますが、アメリカは「大きい国家」を新自由主義のなかでつくることに成功しました。なぜかと言うと新自由主義の考え方では、最小限に切り詰めた国家の役割は「夜回り」である、つまり市場経済に邪魔になるものは取り除いてもらわなければばらないということです。
資本の安全を守る警察の役割が国家の最も大きな役割であり、そのためにアメリカは、核兵器を含むあらゆる兵器を持っていなければならない。そしてその兵器を使って、「悪者」をやっつける、そういう強い夜回り国家をつくるのが新保守主義の主張です。
中略
頂点に大企業と国家による大競争。真ん中が市民社会で、人権を守るNPOなどもこの階層に含まれる。うまい汁を求めて国家や大企業の望む方向になびきがちである。
そして底辺だ。あらかじめ切り捨てられているこの層には、リストラなどで中層からはじき飛ばされた人々もどんどん流入してくる。彼らは切り捨てられているのに、しかし労働力、消費者としては利用される。つまりは搾取されることになる。新たな下層身分、アンダークラスが形成されてきているのだ。
中略
アメリカの覇権というオールマイティが、欧米列強による世界の分割統治と説明されてきた時代の帝国主義とは異なっている。日本もまた、そのアメリカの衛星国でありながら同時にミニ帝国である。いわば虎の威を借るキツネの”衛星プチ帝国”を明らかに志向し始めた。
1世紀前のとの違いは他にもあった。かつての帝国は、帝国が帝国であるために必要な国民の統合、総動員体制を、。国内における福祉国家化を完成させようとした。「社会帝国主義」などとも呼ばれる所以である。
新自由主義に貫かれた現代の帝国に”福祉2の2文字は存在しない・代わりに採られた国民統合のための方法論は、ハイテクノロジーという凶器を得て、むしろ剥き出しの暴力性を帯びた。
キーワードは、「恐怖」、そして「安心」である。」(P165「社会ダーウィニズムと服従の論理」)
なんだか小泉ー竹中時代や、安部晋三の時代は明確に「アメリカのポチ」政策で憲法を変えてまで追随しようと画策していましたね。橋本徹や維新の会やみんなの党の連中もそうした粗雑で乱暴な「新・自由主義」者のようですね。
一方で「1人勝ち状態」の巨大企業の跋扈が目立ちますね。吉本隆明氏が逝去された日の大きなニュースは、巨大企業アップル社が発売した新型I・パットの発売に熱狂する市民や、国際的な衣料品安売り販売会社ユニクロが銀座店を開店したニュースが席巻しましたから。
その情況を著作のこの記述で「なぞる」と余計にわかるようです。
「ここ数10年来における資本主義の独占的傾向の増大は、人間的自由にたいする2つの傾向の比重を、変えてしまったように思われる。個人的自我を弱めようとする要素が強くなり、個人を強める要素が比較的弱くなった。
個人の無力感や孤独感が増大し、あらゆる経済的成果に対する可能性は狭まられている。かれらは巨大な力におびやかされている。このことは、ちょうど15世紀、16世紀の状況と多くの点でにているのである。」(「日高六郎訳「自由からの逃走」E・フロム)
「フロムの議論はあくまでもヨーロッパを念頭に置いたものだが、この際、関係ない。地域性が多少の彩りを施すことがあっても、資本主義はどこまでも資本主義でしかないのだし、目下の資本主義はより単純化が進んだグローバリーゼーションである。
敢えて日本の特殊性を持ち出すなら、必ずしも「あらゆる伝統的な束縛からの「自由」がいっそう強く叫ばれる」ばかりでなく、」たとえば教育現場での日の丸・君が代の強制のように、かえって伝統への回帰を求める主張が強まっていることだろうか。
だがこれとても前章で詳述した、武士道を以って社会ダーウィニズムを受容した歴史を顧みれば格別の事態というほどでみおない。いずれにせよ独占資本のパワーはかつてなく強大化した。
自由を制約するエネルギーも従来の比ではない。人々の不安も無力感も大きく、だからこそ人々は、あたかも中世の昔を懐かしみするかのように 、自由どころか、個人の尊厳を存在それ自体が認められない状況を受け入れたダルのだろうか。」(P205「安心のファシズム」)
橋下徹や維新の会とやらは、「まさに」この粗悪な保守回帰のファシストではないかと思いますね。全く嫌な時代ですね。
筆者はウンベルト・ユーコの「永遠のファシズム」という著作から「ファシズムとは本質的にファジーな曖昧なものであり、以下の定義を行なっています。
1)伝統を崇拝する。
2)モダニズムの拒否。
3)行動の為の行動を崇拝する。
4)批判を一切受け入れない。
5)必ず人種差別を伴う
6)個人もしくは社会の欲求不満が温床になる
7)コンプレックスの裏返しの一体感、連帯感
8)敵をつねにこしらえ攻撃する。(弱い敵ほど良い)
9)闘争の為の闘争。敵は根絶やしにしなければならない。
10)大衆エリートを標榜する。
11)1人1人が英雄になるべく教育されている。
12)女性蔑視、差別主義者。
13)徹底した大衆迎合主義。
14)新言語をいくつかこしらえる。
日本のネオ・ファシズムはアメリカの衛星プチ帝国になることである。
「基本的な価値観はアメリカに貫かれた、いわばグローバル・ファシズムとでも形容すべきものであり、それだけでは辛すぎる心を日の丸。君が代に象徴されるナショナリズムが癒し埋めてくれる構造である」(P223)と斉藤貴男氏は看破しています。
右翼思想の重鎮の西部邁氏が橋下徹と維新の会を全く評価しないはずですね。
久しぶりに読み応えのある本を読みました。時代背景は2004年。8年経過していますが、古さを感じません。
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高知市内の平均ガソリン小売単価は145円/Lです。これが今日から10円の値上げになりました。
中東情勢の緊迫がそうさせるのでしょう。逆にシーズンが終わったのか灯油は6円程度の値下がりに。わけがわかりません。
イランは核開発をやめそうもないし、そうなるとイスラエルは先制攻撃で空爆して施設を破壊する行為を実際にイラクやシリアに対してやってきました。
しかしイランはそれら2国とは比較できないほどの地域大国。人口も7000万人を超えていて中東の大国。万が1施設がイスラエルに攻撃されたら、黙ってはいないでしょう。
欧米の経済制裁で国民生活は窮乏し始めてはいますが、1979年のイラン革命より33年もイスラム宗教国家体制を維持し、超大国アメリカとの対決姿勢を崩していません。
石油動向は経済全体に影響がありますから。大変なことにならなければいいのですが・・
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「暑さ寒さも彼岸まで」と言います。たしかに地上では寒くなくなりました。
南国市では早稲米のための水田の水の引き込みが始まっています。3月末、来週には田植えが始まるようです。
しかし山の雪は見えなくなりましたが、雪解け水が海へはいり、昨日まで雨であったので海水温は冷たいまま。
冬仕様のドライスーツでセーリングをすることにしました。夜須のハーバーはどん曇り。風はまあまああるようです。
シニア・ヨットクラブのWさんが来られました。一緒にセーリングすることに。今日は北よりの風でしたので、アビーム(横風)でしたので、吉川の物部川近くまでセーリングしました。誰かが言っていました「海の散帆(さんぽ)ですね。
結構海の上は風があり、ハイクアウトの連続。風下への帆走はプレーニングを楽しみました。
高知大学ヨット部も出ていました。医学部学生の「追い出しセーリング」とか言っていましたね。
年間1850円でスポーツ安全保険へはいりました。団体加盟だそうで「YASUシニアヨットクラブ」で登録したようです。メンバーの年齢を見ますと、67歳、62歳、58歳、57歳、49歳、42歳、41歳とありました。確かに「シニア」ではありますね。
ハーバーで63歳のTさんに会いました、加盟されるようです。
NPO法人海の駅クラブでは、「一般的な海のシーズン」(私らマニアはフルシーズンですが)が4月から到来します。大き目のヨット・アクタスやボートセーリング、シーカヤックなどが出番を待っています。
シャワールームもあります。(会員は200円/1回)で利用できます。
YASU海の駅クラブの入会要領です。
正会員 個人初年度 5,000円 2年目以降 4,000円
シニア 初年度 4,000円 2年目以降 3,000円
家族(会員の家族) 高校生以上 2,000円 中学生以下 1,000円
団体・法人 初年度 10,000円 2年目以降 9,000円
入会資格は特にありません。活動趣旨に賛同していただける個人、団体、法人
賛助会員 個人・団体 年会費 10,000円
本クラブの活動趣旨に賛同し支援いただける個人、団体、法人
半年会員 10月以降に入会される方は上記の半額
お振込先
四国銀行 赤岡支店(普通) 292-1-0312735
特定非営利活動法人 YASU海の駅クラブ 理事長 丸岡 克典
お問い合わせ
NPO法人 YASU海の駅クラブ
〒781-5602 高知県香南市夜須町千切536-19
TEL 0887-57-1855
FAX 0887-50-4095
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1992年に日本で始めてのプロサッカーのリーク戦「Jリーグ」が設立されて20年が経過しました。ようやく20年というところですが、サッカーは日本に根を下ろしました。
J1とJ2で40チームあるのでしょうか。欧州や南米では100年を超えるクラブチームがあるそうです。地域社会にプロサッカーチームは溶け込んでいますから。サポーターが観客席を買い取り、寄付もして「おらが街」のサッカーチームを応援しています。
日本もプロリーグが出来てから代表のサッカーのレベルが向上しましたから。夢であったワードカップも1998年大会以来連続出場が続いています。おそらく今回も出場し5大会連続となると思います。
当初のうわついたムードはなくなり、地元密着型の戦略が成功し、多数のサポーターを動員できるようになりました。問題はこれからですね。どう発展していくかが見ものです。
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3月17日は午前9時に、JAビルに集合で、「第1回やえもん地区防災フェア」(主催:やえもん地区まちづくり委員会・和田陽一代表)に参加しました。自宅から1・5キロほどあります。徒歩で行くことにしました。午前8時40分に自宅を出ました。
赤ヘルメット(吉本隆明さんを追悼する意味もあり)に合羽上下を着用。防災用品がはいったリックを背負い片道25分を歩きました。JA高知ビルに着くと既に大勢の人たち(200人程度)が集合していました。
JA高知ビルは耐震性のあるビルで立派な津波避難ビルです。4階から6階までの廊下が避難場所です。
車椅子の人を4階まで持ち上げる訓練にも参加しました。4人ががりでしたが、体重50㎏の女性を4階まで運びあがるのにわたしも含め、大の男4人がふうふう言いながら7分もかかりました。とても無理ですね。
自主防災会の大御所である中岡久典さんと愛宕町の小松正幸さんも駆けつけていただきました。廊下が避難場所になっていました。
避難訓練終了後には,1階のホールで、防災講演会がありました。
まずホームセンターマルニ・ハマートの防災担当から、簡単な家具転倒防止策の講義がありました。「津波から逃げる為には、自宅で家具の下敷きになっては逃げられない。まずそれが大事です。」
「災害に役立つ便利グッズ」とうチラシもいただきました。防災のための備蓄、備品の準備には大変に役立つと思いました。
JA高知ビル前にあるサニーマート御座店店長からは、防災用の非常食の説明と店内にもありますという説明がありました。
会場を提供いただきましたJA高知からは「昨年7月に地域の人たちからの働きかけもあり、市役所と協議して津波避難ビルになりました。24時間警備員がいまして、万が1の地震時にはドアを廻旋します。もし警備員がなにかの事情で不在の場合は、ガラスを叩き割ってはいっていただいてかまいません。」との誠意ある話をされました。
高知市役所からは、津波避難ビルの概念(定義)と、高知市内の津波避難ビル一覧の説明がありました。公共施設は完了したので、あとは民間施設の津波ビルの指定を推進する必要があります。」とのことでした。(資料参考)
津波避難ビルの概念と津波避難ビル一覧表(2012年3月17日現在 67施設)
高知工科大学の甲斐芳郎教授「防災予測について」、と大谷英人教授から「防災対策 減災と共助、そして地域防災活動」という表題で 講演いただきました。
甲斐教授からは、津波シュミレーションや、想定の見直しの途中経過や、南海地震の基礎的なお話がされました。「津波は浦戸湾からだけではない。大津波であれば、南国市方面から高須を経由して押し寄せて来る可能性もある。」ことも言われました。
また「現状では自助努力が災害対策、復旧では報われないことが多い。耐震補強は自分だけではく地域の為になる(家屋が倒壊しなければ避難路が確保できる)にのに行政は評価しない。
倒壊しない無事な家屋に避難しても、電気水道がガスのインフラが破壊されいるので、避難所へ来ないと食料も支給されない。行政は自宅鄙所を把握しきれない。」という問題がありました。
「自助努力が報われるしくみづくりが大事です。それには災害が起きたあとに対策をするのではなく、起きる前から起きたことを前提とした事前の対策計画や被害予測もたてる)をこしらえる必要があります。」と言われました。
大谷教授からは「高知工科大学の学生も地域の減災に向けたまち歩きワークショップや防災マップづくりのお手伝いをさせていただきます。そのなかから津波避難計画を各地域でこしらえるようにしたいと思います。」
「自助・共助を推進する為には地域のさまざまな団体の協力が必要です。また日本は沿岸部の沖積平野部は10%の面積ですが、そこへ人口の51%が居住し、資産の75%が集中しています。行政と住民が協働して減災することを推進する必要があります・」と言われました。
実行委員長の和田陽一さんありがとうございました。
講演会終了後、やえもん地区防災フェアのスタッフの皆様と、甲斐教授、大谷教授を交えての反省会にも参加しました。今後広域で下知全体として交流することを相互に確認し、散会しました。
やえもん地区まちづくり委員会の皆様ありがとうございました。
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ロンドン五輪で日本から参加する男子マラソン代表が決まりました。いずれも日本では有力選手。順当な選抜であると思います。しかしメダルは無理でしょう。
なにせ歴代のマラソン記録は1位から10いまでが、2時間3分台。日本選手の最高記録は2時間7分台。これでは勝てるはずはありません。しかも世界のマラソンは1人の傑出した選手が記録を出しているのではありません。10人ほどの選手が世界記録を更新していますから。
ですのでこの際無理をしても届かないのですから。陸連は強化方法を再構築すべきでしょう。陸上の実業団チームは駅伝に主体を置き、マラソン練習が満足にしていないとも聞いています。それでは無理であるとますます思いました。
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一体何をやっているのかわからない。ただただ相手を攻撃(攻撃するのは労組など社社会性のない弱い相手)して、なにやら喝采を浴びているようです。
南海地震が起きれば倒壊することが間違いない咲州庁舎で「大阪都」構想の会議をする無神経さ、危機管理のなさに呆れるほかはない。マスコミのそのあたりを全く追究しない。おかしいのではないのか。
橋下徹大阪市長は「3・11」以降、日本の社会が全く変ったことを気がついていない。いや意図的に無視しているんでしょう。危機意識が皆無な人物だからです。
さて最近面白くないので論評をしてこなかった野良犬メディア(週刊現代)ですが、2012年3月17日号には面白い記事がありました。
「西部邁 民主主義のど真ん中から「愚かなご主人様」が生まれる 橋下徹ちこの時代。私は高考える」(週刊現代3月17日号 P180-183)はなかなか面白い記事でした。
週刊現在さんごめんなさい。あんまり面白いのでブログに画像を貼り付けました。
「17世紀のヨーロッパの言葉で「すべてを単純化する恐ろしい人々」というものがありますが、橋下さんたちはまさにこれにあたります。「すべてを子供っぽくする哀れな人々」ばかり。
残念ながらそれが日本の現状なんでしょう。(「庶民の知恵なき「議院」P182)
「確かに、明治維新では「ご一新」と言って「古いものをはすべて壊せ」「すべて一新せよ」という風潮があったことは事実でしょう。しかしこれは根本的に間違った考えです。
「維新」の「維」の字には、糸が縦横に繋がっているという意味がある。「過去・現在・未来がしっかりと繋がった歴史がある」ことを指す言葉です。
つまり、古くからある国家としてのコモンセンスを、現状に合うような形で新たに応用していく。それこそが、本来の「維新」ということ。ところが平成改革のどれ1つとっても、日本に古くからあるコモンセンスを守りつつ現状を改革する、という真の意味での保守的改革論は、ほとんど1行もありませんでした。
変革自体はいい。しかし何を守るたまの変革なのか。それが維新論、革命論の本質なんですが、橋下さんがそれを分かっているようには思えません。(維新は「御
一新」にあらず。P181)
もとは60年ブントの活動家で、今は右翼言論界の重鎮になっている西部邁氏にとっても、橋下徹氏と維新の会は、「幼稚なデマゴギー集団」としか写らないようで意外にも、全く評価していません。むしろボロクソですね。
アメリカの大統領選挙は、延々と予備選挙をやる中で、いろんな角度から議論され、淘汰されてかつ残ったものが、「アメリカ帝国」のリーダーになる。そういう過酷で長いプロセスがあるから、独裁者が台頭するのを防止する仕組みがアメリカにはあると西部氏は言います。日本はそれがないから「危ういとも」。
「日本においては、議会政治のメルトダウンと、政党政治のブロークンダウンが急速に進行しています。議論やチェックがないに等しい。そんなところで首相公選制をやろうとするなら、我々は「民主主義のど真ん中から独裁者が生まれる:可能性、それどころか必然性を考えなければならない。
アドルフ・ヒトラーは1933年の授権法(全権委任法)で独裁者になったわけですが、何も勝手に全権を奪ったわけではない。国民投票でそれを決めたのです。
過去の数々の実例を見れば「議論なき、議会なき公選制」がどれほどインチキで、トンチキな最高指導者をもたらすかということは、歴史の教訓の第1に挙げられるべきです。」(P182)
ヒトラーに全権を委任したドイツ国民は、6年後の1939年に第2次世界大戦に突入。12年後の1945年に惨めな敗戦で国土は焦土となりました。
西部邁は「船中」ではなく「車中」で思いついただけであり、車でも乳母車だろうと悪態をついています。実に面白い。
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なにやら3月の始めあたりから、野田首相と谷垣自民党総裁が秘密会談をしたりして動きがあわただしい。それに公明党も加わるかの動きも伝えられています。
大阪市の橋下市長の傘下の政治屋集団である平成維新の会が国政へで国政を乗っ取るとかほざいています。さてどうなるのか。しょせんはローカルな話。天下はとれないでしょうよ。
それよりも小沢一郎氏の動きが注目されます。4月の裁判の判決が出ますが、無罪となるでしょう。となると小沢氏は反撃に出ます。それを恐れて与野党党首が談合しているのです。それは「反小沢大連立」となるでしょう。
小沢さんもやられっぱなしではないので、防戦しますし,反撃もするでしょうから。
さてさてどうなることなんでしょうか?
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父の点滴時間に「完本 情況への発言」を読んでいました。
思想界の巨人の逝去は残念なことです。
今日の午前中は吉本隆明氏が逝去したニュースをネットで知りました。この数年具合が悪く、車椅子状態にもなっていました。糖尿病でもあったようでした。
糸井重里氏との対談があいつぎ、また「完本 情況への発言」(2011年11月刊・洋泉社)も発刊されていましたから、そろそろ「Xデーも近い」と思いました。
「完本 情況への発言」は全部で702ページもあり、1962年から1997年までの雑誌「試行」の巻頭に書かれていた時事評論や、社会評論をひとまとめにしたもpのでしょう。学生時代に試行は何冊か購入はしていたようですが、どこへ行ったのかわかりませんおで、3000円もしましたが高知市の金高堂書店で購入しました。
また「解説」(P687)を書かれている松岡祥男氏は、高知市在住の人。1学年上の人のように記憶しています。確か高共闘の合宿の時、既に40年前から「吉本隆明は凄いぞ」と言われていた人でした。
わたしは当時毛沢東思想にかぶれていたので、よく批判されました。1971年の沖縄デーでのデモのときに隣におられて、今のNTT帯屋町ビル前で警察に逮捕されました。今にして思えば松岡さんの先進性には驚きますね。
「解説」を任されるほど、生前の吉本隆明氏に信頼されていたということですね。高知にこうした人物がおられえることも凄いことであると思います。もう40年もお会いしていませんがお元気そうで何よりでした。
エキサイト・ブログのエキサイトの記事に「吉本隆明氏は思想界の吉田拓郎」と記述した追悼記事がありました。娘の作家よしもとばななしか知らない人向けの解説のようですが・・
だいたい今の若者は吉田拓郎も知らないと思いますよ。10年ほど前にフジ系のTV番組で「らぶらぶ」でKINKIと共演していたおじさんぐらいの存在でしかないですから。
でもこの記事は一読に値します。
わたしも過去に吉本隆明氏関連のブログ記事を書いていました。
高知新聞夕刊1面にも、吉本隆明氏逝去の記事が掲載されていました。
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いままで男子のロンドン五輪予選U-23の心配ばかりしてきましたが、真打のフリ代表が、公式戦2連敗というのはいただけない。北朝鮮とウズベキスタンに2連敗。しかもウズベキスタンにはホームで負けています。
消化試合であるということと、特にウズベキスタン戦は、必勝の思いで欧州組を召集したのに惨敗でした。
やはり日本の前線にはボールを保持できる「橋頭堡」的な選手が今は不在です。例えばエトー選手やドロクバ選手のように、前線でパスを受けたら、相手DFに囲まれても、ボールを失いません。保持しシュートまで持ち込み得点したり、またドリブリで仕掛け相手のファイルをより相手ゴール近くでもらうことができます。
ウズベキスタン戦ではハーフナーマイクが、全然ボールを保持できなかった。ことごとく相手に取られていました。
ボールをキープしている間に、中盤から味方が上がってきて攻撃に厚みがでると言うもの。それが全然だ来ていませんでした。
やはり前線の「ため」ということになると本田選手でしょう。まずボールをとられません。3ヵ月後の最終予選では本田選手が本調子になっていただくことを期待するしかありません。
それしか日本が勝ち抜けないとしたら心持たない。前線でキープができて、シュートも正確というFW不在が日本の苦戦の要因でしょう。
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「海洋堂クロニクル」(あさのまさひこ・編著・大田出版・2002年刊)を図書館で借りて読みました。海洋堂のオーナーである宮脇修氏、宮脇修一氏の著作も読んでいましたので、「かぶる」部分もありましたが、感心する部分もありました。
「フィギア」という手間隙かかる造形を商品化し、造型士たちの待遇改善にも貢献し、社会的地位と経済基盤を確立していった様子が豊富な写真をもとにレポートされています。
アート関係の職場は、関係者の「熱意」だけで多くは支えられているようです。経済的な待遇は劣悪。「熱意」を「搾取」する形でアニメ製作会社の経営の多くは成り立っているようです。海洋堂はこうした分野での数少ない成功事例でしょう。
操業当初のプラモデル販売店から、「より子供たちに楽しませたい」という宮脇修一氏の発想は、店舗に模型潜水艦を浮かばすプールをこしらえたり、冬は砂場にして模型戦車を走らせたりしえちました。
レーシングカーブームの時は巨大なサーキット場をこしらえたり、やることが「極地」まで行き実現してしまう破天荒さが凄いと思いましたね。
やがてそれがフィギアという造型に結実し、「食・玩」という新しい巨大市場を創造し、各地へのホビー館への展開と成り、世界中に「マニア」を増殖させています。
よくぞ高知県の四万十町の打井川へ「ホビー館」をこしらえていただいた。
高知駅前にも将来サテライト施設もこしらえたらよいと思います。
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ホームの国立競技場でのバーレーン戦。この試合に日本は勝つか引分けでロンドン五輪へ出場できます。無残なシリア戦での惨敗。マレーシア戦での大勝と波のあるU-23。バーレーンは日本が負けたシリアに勝って乗り込んできている。
やはり国代表同士の試合は気合が入りますね。私も愛国者になりますから。
橋下徹が、「君が代を歌っているかどうか口元をチェックする」などとアホーなことを言っていますが、わたしは@愛国者」になリ全力で日本代表を応援しています。
U-23清武と欧州で活躍し入る大津の招集が大きい、彼らがまともに機能すれば順当に勝利するでしょうから。でもなにが起きるかわからないのがサッカーの試合です。終わるまでわかりません。
先日のなでしこさん達のドイツ戦もロスタイムにやられました。U-23のシリア戦も終了間際のロングシュートが決められました。サッカーはだから面白いのです。前半はバーレーン堅実な守備を見せて、見せ場がなく、0-0で終わりました。
このまま引分けでは、本大会へ出てもリーグ戦は勝ち抜けないなと思いました。後半原口の頑張りから、扇原がシュート、これが決まり先制点に。
その4分後には原口ー東とつないだボールを後ろから全力で走りこんできた清武がけり込み2点目。
後は相手のカウンターをつぶし、「危なげなく」今日は守備が安定して日本が勝ちました。
確かに五輪へ出ますが、アトランタ、シドニー、アテネ、北京と見てきた五輪代表としては1番「線が細いな」と思いました。
大津は欧州リーグでの激闘のせいなのかボールが収まらなかった。清武は安定していました。存在感があります。まあ五輪へ出れて良かったですね。
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来年は「還暦」になる「立派な中高年親父」になりました。最近つくづく思うのは、「貧すれば鈍する」というか、貧しさゆえに生活感覚が何事にも消極的になり、人生を謳歌することができないでいるもどかしさですね。
海外旅行も最後に行ったのが1992年の香港。以来20年間行った事がない。苦労をかけている家内は1度も海外旅行したことがない。今もその日暮らしに追われ、生活に余裕のないくらしの毎日。
一方親戚の家族といえば、必ず年に1度は海外旅行を一家でしている。フランスのルーブルがどうしたとか、イタリアのローマの遺跡はどうだかとか言っています。わたしにはテレビの「レポートの世界」であり、現実ではありません。かくも格差があると嫌になりますね。
貧乏な暮らしはもう飽きました。お金持ちになることは今の私ではとっても難しく可能性は0に近い。でも株の売買や、税金対策や、セレブの世界も知っていないと、世の中のすべてを知ることにはなたない。
24時間思想的営為をつめる仕事をするには、生活の不安のない生活を確立しないと出来ませんね。商売を廃業した知人たちは何をされているかというと不動産賃貸収入と株の売買で生計を立てています。そういえば親戚もそうですね。
今の時代製造業も小売も駄目な時代。商売一般が大変な時代です。
願望があったもなんともならないのが現実ですが、人生すべてを生きる気概で頑張って生きます。
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「2011ベスト・エッセイ」(日本文藝家協会編・光村図書・2011年刊)を図書館で借りてきて読みました。日本を代表する作家78人のエッセイが掲載されています。別の新聞や雑誌などに掲載された文章です。
やはり私などの雑文と違い、プロの人たちの文章は一味違いますね。なるほどと思わさせる力が短い文章からもほとばしります。
「吉田兼好はその「徒然草」を二十代から書き出したので、私たちが今読んでいるものには青年の妖気と老爺の枯淡が混じり合っている。だが、わたしたちが一読して、これを見分けることはきわめて困難である。
ここから私たちが知れるのは、「若いときから、老人になった自分を想像的に先取りしておくほうがいい」ということが久しく本邦のの常識だったということである。
その常識は1960年代頃にきれいに消え去っていた。当時ひろく人口にひき言い回しに「Dont trust over thity」というものがあった・「30過ぎの人間を信用するな」。自己形成のロールモデル」なんかわれわれは持たないぞ、われわれは成熟なんかしないぞと主張していたのである。
「成熟しないぞ」と言えるのは、「今の自分がベスト」だと思っていたからである。
「若者はそのつど、それと気づかずに、自分の老人状態を先取りする。若い時に「老人というのは、これこれこういうものである」という断定をなすと、その言葉はそれから後の彼の人生を深く、決定的に呪縛することになる。
だから,迂闊なことは口にするものではないと思う。いずれにしても、手際よく早死にする以外に老人になることからは逃げられないのであるから、せめて「実際にそうなってしまったときに困らないように」、若いときは老人の条件を設定しておくことをお勧めしておきないと思う。
老人になるころには、考え方も体つきも、今と全く変ってしまっているだろうが、それでも「ここ」だけは決して変っていないだろうという点が必ずある。それがいわゆる「アイデンティティ」なるものの礎石になる、
「もう1つは、老人となった自分のありようについて、あまり具体的に細部にわたって想像しないこと。職業とか年齢とか、家族の有無とかはあいまいにしておいたほうがいい。
最近「老い方」についての本をよく見かけるが、「若い人のための老い方」のガイドブックだけはついぞ見かけない。今一番必要なのはそのような種類の知見だと思うが、企画する出版社はなさそうである。」(内田樹「年の取りかたについて」P109)
長く引用しましたが、「さすが」だと思わせる文章ですね。私の意識は40年前の高校生ですが、外観たるや白髪の親父です。若さのカケラもありません。
覚えてますね。「30歳過ぎの大人を信用するな」とか、「怒れる若者たち」とか。当時はずっといつまでも自分は若者であると思いこんでいましたね。老人とは祖父母たちのことであり、彼らが若いときの時代については想像もできませんでした。
また「古典に読む介護」(大塚ひかり P61)も味わい深い。
「母が脳出血で2度倒れ、認知症・車椅子状態になった。楽しみは食べることと、新しい服を着ること、週3回、施設での若い男によるマッサージである。そんな母を見ていると、古典を読んでも、介護とか老人がらみのテーマが目についてょうがない。
で,気付くのは、短命と思われがちな昔の人の意外な長命さ。そして介護を必要とする老人の置かれた厳しい状況だ。」
「鎌倉時代の沙関石集の著者無住も数えで87の長命を保ち、「雑談集」という著作は80過ぎて書いたと驚異的な人だ。それだけに介護の話しも多く、「雑談集」巻第4巻冒頭には”老は八苦の髄一、昔に変りて、見苦しく,障りのみ大き中にも、人に厭い憎まれ、笑はれ侍り”とあって、身体の衰え以上に、人にないがしろにされる精神的な辛さが老いの苦しさであると、高齢者ならではの実感が綴られている。」
「出家をしても年老いても、生々しい欲望を抱えているのが人間、「生きる」ってそういうことなのかも。逆に言えば、食とか性への生々しい欲望がある限り、その人は確かに「生きているのだ」とm母の顔も一方では浮かび、かなしくも頼もしい気持ちになる。」
わかりますね。その気持ちは。でも超高齢の両親と向き合っているとなんだか素直になれるのです。このごろは。
それぞれの作家の文章は「切れ味」がありますね。文章力では遠く及ばないですが、とても参考になりました。「文はひとなり」と言います。短いエッセイのなかに「人となり」が実によく出ています。
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うちの子供たちもマージャンを知りません。私らの学生時代は、マージャンはパチンコと並んで娯楽の王様でありました。わたしは最近は全くパチンコはしませんが、ハイテク化して、難しくなっているようですね。これほど発展するとは正直子供の頃には思えませんでした。
マージャンは一時期は、会社の営業の摂待にも使われ、マージャン大会なども開催されていました。それがいつ頃かなくなりました。会社の摂待や交流はゴルフに移って行きました。でもいまや若者たちや、わたしらずれの中高年世代も全くしません。どうなっているんでしょうね。
これほど影も形もなくなる遊びも珍しいのではないのでしょうか?
わたしが子供の時は、近所の人たちが毎日マージャンしに来ていました。母屋に祖父母たちが住んでおり、庭を挟んで別家屋に私たち家族は住んでいたからです。歯医者の人。自動車学校の教官。銀行員などが固定メンバーでした。歯医者さんはくるたびにチョコレートを持ってきてくれました。「そのわりに全然虫歯にならんね」と言っていましたね。
わたしが10歳くらいの時でしたから、社会人になって会社員時代には東京でもしてましたから、ブームは30年ぐらい続きました。いまは痕跡もなく消滅しました。
母もしていました。認知症状の進行防止のために、家族マージャンを復活させようかなとも思います。
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東日本大震災から1年。昨年はPRGRの女子ゴルフ大会を父と観戦していました。体調が悪く早々に退散し、自宅へ帰り着いて大震災を知りました。もしあのまま観戦し続けていたら大津波警報で道路が閉鎖されていましたから自宅へ長時間は戻れませんでした。
今日は朝から風が強い晴天。父の体調は1年前より遥かに良いです。それで朝はゴルフ練習場へ行きたいというので同行しました。見ていると真っ直ぐに球を打っています。
両親の昼食当番は今日は私。それで昼食をこしらえ、自分たちも食べて出かけました。
先週に続きおびさんマルシェへも行きました。今日はフリーマーケットも出ていました。
それから知人が出品している書道展へ行きました。長い紙に達筆で漢詩が書かれています。別の人の作品は象形文字のような漢字もありました。
今日はその当人がおられました。話しを聞きますと、長い紙に字を書く場合は中腰で足を踏ん張って書くのでとても辛いとか。展示会へ出すのは大きな作品でないと見場がないから。とのことでした。
それから丸の内緑地へ移動しました。「なくそう原発3・11高知集会」へ参加しました。もっとも参加団体ではなく、全くの個人としての参加です。
平和運動センター議長の山崎修一氏が挨拶し,集会は始まりました。司会進行はグリーンネットワーク高知の外京ゆりさんがされていました。参加者は1100人であることが発表されました。
まず横浜市から家族ぐるみで関東の放射能汚染を恐れ(特に幼児の子供への被爆を恐れて)高知へ来られている女性からのスピーチがありました。
「関東はいたるところに放射線のホットスポットがあります。それに食品を通じての内部被爆が心配。子供は新陳代謝が盛んだから、大人の5倍の確立で被爆します。
チェエルノブイリの水準から言えば、日本は基準が緩々です。避難退避地域に400万人人たちが今も生活しているのです。子供のためにわたしは高知へ来ました。」
続いて谷脇和仁弁護士。伊方原発稼動差し止め原告団の弁護士をされています。(高校の同級生)
「現在原告団は300人です。もっと増やさないといけません。さきほどの横浜市は福島原発から200キロも離れています。しかし高知は120キロ足らず。四万十市は50キロ程度です。今日のお天気のように北西の強風が吹いていれば放射能はすぐに高知へやってきます。
続いて四万十市からこられて脱原発運動をされている山本さんがスピーチ。
「グリーピース・ジャパンが伊方原子力発電所から風船を飛ばしたら、3時間で四万十市へ飛んで来ました。これはいかんと四万十市でも少数ですが集会を開いてきました。今日はバスを仕立てて今日の高知市の集会に来ることができました。」
メルトダウン・ブルースを独唱していましたが、なかなか面白い歌でした。
元東京電力の原子力担当社員の木村敏雄氏(土佐清水市在住)。「原発で17年働いてきました。福島第1原発では1991年10月31日に地下にある非常用電源が大雨で水没し稼動しなくなる事態になりました。わたしは上司にもし津波が来れば福島原発は駄目になるのではないか」と言いました。上司はそのとうりだといわれました。
しかし実際の問題として非常用電源を別の高台へ移すとなれば、安全審査会の審査や、検査や審査をすべてやり直しないといけません、膨大な時間とお金がかかる話・だれもが危険性をわかっていながら、だれも改善しようとはしませんでした。
それで東電を退職し、電気に依存しない生活をしています。無理なく自然エネルギーの活用と節電をすれば原子力発電所に過度に依存しない生活ができます。」
その後午後2時46分に東日本大震災発生時間に合わせて1分間の黙祷をしました。
そして集会は終わりデモ行進に。今日は実に変則的なコースに。丸の内緑地を出て、県庁・市役所前へ。それから電車通り南側の歩道を通過して、中央公園を迂回し、京町で流れ解散ということになりました。適度なウォーキングでした。
出口が1箇所で、通行領域は歩道なので、前がつかえてなかなか公園から出られませんでした。
本来通過できるアーケード街や中央公園が使用できないので、なんだか歩いていまして「隔離」されたような気分です。
中央公園とアーケードは「土佐のおきゃく」というイベントが開催されていてよさこい踊りも大音量で行なわれていました。
今日は東日本大震災から1年目の日。無関係にはしゃぐ気分にはなれません。
当日集会に参加された人のブログ記事です。
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独立行政法人科学技術振興機構社会技術研究開発センター主催で、「地域に根ざした脱温暖化・環境共生社会・研究開発領域」の「Bスタイル*地域資源で循環型生活をする定住社会造づくり・プロジェクト」が、高知県仁淀川町秋葉の宿に淀川観光センターで開催されました。
この事業は主催者団体の補助を受け、独立行政法人森林総合研究所支所と、NPO法人土佐の森救援隊とによど自然素材研究会が、地元高知県仁淀川町を中心に展開した事業の報告会です。
わたしは、荒木二葉町自主防災会副会長とともに、二葉町防災会として参加しました。
大渡ダムを見下ろす仁淀川観光センターからの景色はいいですね。桜の木が植えられていまして、大渡ダム公園は桜の名所です。
まず地元の事業の統括責任者でもある森林総合研究所四国支所の田内裕之プロジェクトリーダーが統括・連携ということで、活動の概略的な報告をしました。
続いてBスタイル・プロジェクトの中核の3つの団体が活動成果を発表しました。
このなかでNPO土佐の森救援隊の中島健造氏は「仁淀川町とともに育ててきた小規模な自伐林業家を育成していく仕組みが、今「全国各地で評価され導入の動きが相次いでいます。
無理をせず山を間伐して手入れしながら、良い材木は原木市場へ出荷し、端材や林地残材は、薪や木質パレットの原料として山に放置せず、軽架線方式で運搬し、軽トラ等でどんどん林地残材を運搬する圧倒的な実績をこしらえました。」とのこと。全国的にも注目の存在になってきているようです。
ただ高知県の林業行政はあいも変わらず「大きいことはいいことだ」ということで、大豊町に集成材や合板メーカーの銘建工業を多額の税金投じ優遇措置を行なっています。
中島氏はその事態を杞憂し「間違いなく銘建優遇措置は、高知県の森林は全山皆伐が進み禿山になり,渓谷は土砂で埋められ、下流部に大きな災いをもたらすことは見えています。と警告をしています。
仁淀川町のまちおこしのグループが、石垣でイチゴを栽培したり、高知新聞の配送便を活用して産直市へ野菜を出荷したりする様子が、によど自然素材等活用研究会の井上光夫さんたちとの連携で実績を上げていることが報告されました。
高知大学の学生さんは、昨年10日間のインターシップをした報告をされていました。次回はホームスティをされて、仁淀川町とかかわりたいと言われていました。
「災害時に助け合うえる絆づくり!街と山が手を結ぶ」というテーマで二葉町自主防災会として事業報告と今後の展望の話をしました。
「 二葉町自主防災会は2006年12月に結成されました。二葉町防災新聞にあるように、阪神大震災で大きな被害を受けた神戸市長田区の町内会との交流や、愛媛県今治市の自主防災会の交流も行ないました。
昨年の東日本大震災は、いままで想定していた被害を大幅に超える規模であり。自主防災会役員も無力感が広がりました。
3月の終わりに、岩手県への災害支援に行かれていた土佐の森救援隊の中嶋健造さんがやってきて「わたしは遠野市を見てきました。あそこが沿岸部の市町村への支援センターになっていました。低地の二葉町は山間部の仁淀川町と提携すべきである」とのことで、4月に二葉町へ井上光夫さんと、森林総合研究所の垂水さんと中嶋さんと3人で来てくれまして交流が始まりました。
そして6月5日に二葉町の関係者27人が仁淀川町を訪問。一緒に昼食を食べ、交流を深めました。ただその交流会の様子がマスコミ各社で大きく報道され反響もありました、それは事態が深刻であり、二葉町と仁淀川町の取り組みが前例がなく、先進的でユニークだったので大きく評価されました。
NHKやさんさんTV,朝日新聞、讀賣新聞、高知新聞、毎日新聞、日本経済新聞などが取材に来ました。皆記者の人たちは「気仙沼、石巻、大船渡に似ていると言います。」
チラシに「1000年前の高知」というのがあります。今度南海地震が起きれば、私たちの高知市街とはまちがいなく海に沈みます。
仁淀川町との一時疎開の話しも、高知市役所と仁淀川町、高知県が関与するようにならないと進展しません。私たちは県の防災支援基地機能を仁淀川町にこしらえるべきべきであると県に提案し、またそのことを地元選出の県会議員に2月定例県議会で代表質問をしていただきました。
昨年1年間仁淀川町の皆様にはお世話になりました。お互いが楽しめる長続きをする交流をl今後も続けたいと思います。
4月1日には 二葉町が近隣の青柳公園でお花見・懇親会をします。仁淀川町の物産を少しもってきただいて、一緒二交流をいたしましょう。
10月~11月頃には二葉著側が仁淀川町を訪れる計画です。
11月には「昭和秋の感謝祭があります」昨年は井上さんと、森林総研の田内さん、中山さんたちと二葉町は「二葉町ー仁淀川町古ラボ」でテントを出して物産の販売をしました。今年もあります。より大きな地域の交流になるでしょう。」
続いて移住者ドキュメンタリー映像も上映され、製作者同士の対談も行なわれました。
2時間の会合でしたが内容は盛りだくさんでした。
詳細を報告されているブログもありました。
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「親鸞」(五木寛之・著・講談社・2010年刊)を図書館で借りて読みました。2008年から9年にかけて全国紙以外の多くの地方新聞に連載していた小説だったらしいです。高知新聞にも連載されていたそうですが、新聞では読んでいませんでした。
上下2冊の小説でしたが、雨の2月25日に1日で読みました。小説では9歳から32歳までの親鸞や周りの人物が活き活きと描かれ、活劇のような躍動感がありました。五木氏の代表作「青春の門」のような、やんちゃで常に悩ましい親鸞は魅力でした。
世は平清盛の時代。両親を早くに亡くした9歳の忠範少年(幼少期の親鸞の名前)は、弟3人とともに叔父の家に引き取られていた。後白河法皇が失脚中であり、官僚だった叔父も閑職に追いやられ、生活は困窮状態に。そんななかでも忠範は秀才で利発な少年でした。
ある日外出の折、大勢の人たちが通りに繰り出していたのに遭遇。それは牛同士を角逐させる闘牛大会でした。堂々たる体格の暴れ牛2頭が対決する寸前、群衆の中から突然石つぶてが牛の頭に当たった。怒った牛は闘牛そっちのけで忠範少年の方角へ突進してくる。人々は逃げ惑い。倒される。そのとき忠範少年を抱えあげ、河原へ逃げ込んだ僧侶がいました。
その河原では庶民の遺体が散乱し、異臭が立ち込めていました。その僧侶は遺体を川へ流して祈祷していました。話せば元は比叡山で修行していた僧侶と言います。また河原には庶民が集まっていました。牛に石つぶてを投げた人物は、牛飼いなどを束ねる頭領。河原には頭目もいました。忠範少年は学問では学べない深刻な庶民の生活を肌で知りました。
9歳の頃の出会いがベースにあり、物語は展開していきます。出家を決意し、やがて仏門の最高学府の比叡山延暦寺への入村が認め厳しい修行をしていました。入山して9年目に上司に言われ、法然が布教している現場への視察をし感想を述べよと言われる。
庶民出身の忠範であるゆえ、庶民の気持ちがわかるのであろうという上層部の思惑でした。10年ほど比叡山にいましたが、あきたらず出奔し法然のもとへ行きます。そして法然の弟子となります。
時代は平家が滅び、源氏の世の中に。北条氏の鎌倉時代に。法然の念仏教が、あまりに庶民に立脚しているので体制の危機を感じた幕府は念仏の禁止を出します。法然の高弟の1人が河原で斬首刑に。そのとき親鸞が大声で禁止されている念仏を唱えました。多くの民衆が念仏を唱えだします。役人たちは必死で制止しますが止められません。
物語は法然は四国(土佐の予定が讃岐へ)へ、親鸞は越後へ流罪になります。親鸞32歳。罪人となりましたが妻の出身地の越後への旅立ち、何故だか明るく物語りは終わりました。
活き活きとした庶民階級の登場人物。いつの世もある上層部の陰謀や謀略などが描かれ退屈しません。
「あの世で極楽へいくために、お布施を要求する仏教はだめだ。庶民は生きる為には、牛や馬を殺し、作物を収穫し、そのことも従来の仏教では罪といわれる。名も亡き人は河原で行き倒れになる。だれも地獄へ行きたくない。金持ちのよう供え物はない庶民。勉学する余力もない。
ただただ南無阿弥陀仏と念仏を唱えれば極楽へいけるのだ。仏にすべてをゆだねよ」というなかなかの革命思想でした。
「善人なおもて往生す いわんや悪人もや」の思想はあらためて考えると物凄いなと思いました。
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昨年も父をこの大会に連れて行きました。当時は慢性腎不全が悪化して体がむくみ、体重が70キログラム(現在は48キログラム)になっていました。今年は体力も回復し、本人も以前から楽しみにしていました。雨でも行くのかとさいさい聞きましたが、どうしても行きたいというので、準備をしていくことに。会社は休みました。
生憎の雨でしたので、合羽を着せまして、着替えや、座る為の簡易椅子などを持ち、父の減蛋白弁当は家内にこしらえていただいて、朝6時40分に自宅を出ました。(写真は出発直前の様子です。)
大きなリックの下は、父が座る為の折りたたみ椅子。雨なのでビニール袋へ入れてあります。
ヤッシーパークへ到着。今日は雨のせいなのか車が多く、いつもより時間がかかりました。体がむくんでいた昨年は駐車場を歩くだけで、何度も休まないといけない状態でしたが、今日はすたすたと休むことなく歩きました。
夜須駅前には、会場の土佐カントリー・クラブへ行く送迎バスが待っていました。満車状態です。雨の平日でも行かれる人は多いですね。
会場では一切写真がご法度なので、写せませんでした。バスが到着して、会場まではきつい上り坂。昨年は5回以上途中で止まり、携帯椅子で休まないとたどり着けませんでした。今年は全く休まずすたすたと歩いて行きました。体力が回復しているのです。
アウトの1番ホールへ行きました。そこは花形選手が登場します。父は横峰さくら選手のファン。15番目の登場でした。その前に不動有理選手や、諸見里しのぶ選手や、イ.ボミ選手、アン・ソンジュ選手も見ました。
雨がだんだんときつくなり、合羽を着用し傘をさしてみていました。雨の中の観戦はきつかったので、お昼を食べて、昼過ぎに退散しました。
そしたら高知新聞夕刊1面に、先週女子ゴルフ開幕戦で優勝した斉藤愛璃選手の姿の後ろになんと父が写っています。PRGRの看板の真後ろで座って黄色の合羽姿で透明のビニール傘をさして観戦しています。よい記念写真になりました。高知新聞さんありがとうございます。
スタートはこの組を見て移動しました。パットを見ていましたが、今日は雨だけでなく風も強い。寒くなったので、お昼ごはんを済ませて戻りました。高知新聞さんの写真は92歳の父にはよい記念となりました。
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音楽業界の事情に詳しい知人に最近話しを聞きました。
「最近のアーティストはライブ優先ですね。大物でも全国20箇所ツアーを入れている。それは荒利益が8割以上あり、自分のグッズも販売できりるいし、権益を独占できる利点があるから。
CDは着うた時代になり売れないね。それにCD製作会社、卸会社、小売とマージンをとられるので、アーティストの見入りも少ない。魅力がないし売れないから。」とのことでした。
時代が変りましたね。平成生まれ以降の若者はCDを購入しないそうです。アルバムの中でお気に入りの曲だけネット経由で購入するとか。1曲が100円だそうです。中高年親父にはわけのわからん世界です。
オリコン・チャート10位の曲が3000枚とか。2位でも2万枚。AKB48だけは別格で90万枚とか。それはCD購入すると投票権があるとか独自のコアなファン層へのセールスプロモーションがあるからでしょう。
なんだか釈然としない世の中ですね。
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今のわたしは小さな会社の経営と、超高齢の両親(父92歳・母86歳)の介護予防ケアで手一杯。わずかにできる市民活動は、300メートル四方の高知市二葉町自主防災会の活動のみ。でも狭い町内から見えてくるものがとても多い。
なんせ全地域が海抜0メートル地帯の二葉町。今の時点で南海地震が起きれば、地域は地盤沈下し、水没することは確実です。阪神大震災のような大きな揺れの直後、地域は地盤沈下し、水没する。さらに津波がやってくる。火災も起きるでしょう。生き残る自信はない。
起きてしまえばそうなることが確実だから、生き延びる方策を考えてきました。町内会独自の「津波避難ビル協定」「防災マップの作成」「家具転倒防止講座とガラス飛散防止ファイル貼り」「防災炊き出し訓練」と他地域との防災会交流。
昨年は「一時待避所」「一時疎開所探しの交流」ということで、山間部の仁淀川町との交流を行ないました。そのことが「珍しい」ということで、マスコミ各社の取材を受け、報道されました。逆に報道関係者から各地の情報もいただきました。
そのあたり二葉町自主防災会の活動については、ブログ「二葉町防災新聞」を参考に。
それで見えてくるのは、常に「非常時」を前提に考える思考習慣が身についたことです。歩いていても、車を運転していても、どうすればいいのかを即座に考えると言うことです。
ですから防災対策や行政との対応でもそれは活用されます。津波が来れば逃げ場がない市街地で毎日せいかつしているので、そういう発想になります。
吉田松陰は牢獄の中で世界を見ていました。わたしは300メートル四方の二葉町から世界を見つめています。
このところ雨続きでしたので、朝の散歩で2週間ごみ拾いができませんでした。あるはあるは吸殻や空き缶、紙類やチラシなどが自宅から100メートル足らずの路上に散乱しています。
驚いたのはAVまでが捨ててありました。表題は「美少女日誌①ウエザーキックが贈る新しいブルセラの世界」(8000円・レンタル禁止9とかいうものまで。VHSですから見れなくなったんでしょうね。それにしても路上に捨てなくてもいいのに。
あいかわらず自宅の前のごみも拾わず掃除をしない人たちが多い。とくに飲食店やコンビニや宗教法人は建物の周りの道路は掃除をしてもらいたいと思いますね。
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日本VSドイツの決勝戦。さすがに臥薪嘗胆のドイツは強い。日本のパス供給源の宮間ー坂口を徹底的にマークしつぶしにかかっている。そして攻撃は両サイドからのクロスとスルーパス。中央にはバックスまでが全速力で駆け上がるドイツ。凄いサッカーです。
前半の15分。左サイド鮫島がかわされクロスが上がり、蹴り込まれドイツが先制点。
その2分後コーナーキックからヘッドで決められました。日本は守備ラインが混乱しています。
しかしなでしこさん達は諦めません。前半35分中盤で大野がカットしたボールを宮間から川澄へ。川澄が相手をかわしてゴール。
しかしその後もドイツに押し込まれます。前半終了。スコアは1-2です。
この試合も控え選手を重視した布陣。大エースの沢選手の不在。でもなでしこさん達はがんばりました。後半もドイツに押し込まれる展開でしたが、交代したDF熊谷と近賀がはいったことで守備ラインが安定。高い位置をキープしだします。こうなると日本得意のパス回しが生きてきます。
後半9分DFラインの押上が効果があり、田中のゴールで2-2の同点に。
後半30分になるとドイツの足が止まりだす。しかしドイツは若い選手が多いので,個の力で突破してきます。42分にPKを献上してしましました。これをオコイノダムバビ二に決められ2-3。
しかし。ここで諦めないのがなでしこさんですね、反撃に転じ、中盤から前線へ。相手DFへの裏を取るパスが効果的。ゴール前の混戦に持ち込み44分に永里のゴールで3-3。
しかしドイツもゲルマン魂があります。若手快速FWのオコイノダムバビ二にこの試合でロスタイムに3点目を決められ、3-4に。一瞬の隙を衝かれました。
そしてタイムアップ。負けたのは残念でしたが、ヤマト魂とゲルマン魂がぶつかった見ごたえのある好試合でした。なでしこの控えのメンバーも頑張っていました。
本当に宮間は才能のある選手です。随所に凄いプレーをしていました。
女子のサッカーも見ごたえがありますね。
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2月5日のシリアに2-1で敗戦。予選突破に悲観的な声も出ましたが、22日のアウエーでのマレーシア戦で、4-0と快勝。シリアがバーレーンに1-2で負けため、日本が五輪出馬の可能性が大になりました。
韓国は22日の試合で7大会連続の五輪出馬を決めています。日本は3月14日のホームでのバーレーンとの最終戦で決まるでしょう。先取点をきちんととり、ゲームを支配すれば負けないでしょうから。しかしそれが簡単なようで難しい。
日本のサッカー男子のU-23は、ワールドユース大会(U-21)や、U-17の世界大会を経験していません。アジアの予選を突破していないひ弱さ世代です。技量はありますが、球際の強さや、ゴールへの意識が弱いと思いました。
シリアにロスタイムにロングシュートで決められ、少し覚醒したようですが、南米や欧州との差は歴然。韓国にも勝てそうもありません。最終戦をどういうプランで乗り越え、本大会でどの程度活躍できるのか。それがないと2014年のW杯ブラジル大会での活躍はないからです。
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3月6日は高知法人会主催「フェイスブック・ツイッタービジネス活用セミナー 販路開拓。新規顧客育成のために」を午後から受講しました。会場は高知市ラビータ8階ホールです。100人程度の受講者がいました。30代.40代の年齢層が大半。私などは受講者の中では高齢者のほうです。
講師はブリッジ・リサーチ&コンサルティング代表の阿部満氏。過去富士ゼロックスや京セラでIT関連のマーケティングに従事。独立開業後は経済産業省のITコーディネーターや全国各地で講演活動をなさっておられます。
私の場合は、2002年ごろから自力で会社のホームページ(現在のページは2009年にお専門会社で作成)をこしらえ、個人のページも作成しました。個人ブログは2004年から始めました。ツイッターも登録だけはしていますが、していません。フェイスブックは昨年からはじまました。
特にフェイスブックやブログは「ビジネス」目的に活用することは、あまり考えたことはありませんでした。
阿部氏はずっとIT関係の業務をされていましたので、事情に詳しい。
「従来のWEBツールであるホームページは、引っ張ってくるタイプ。ブログは引っ張り、押し出すタイプ。メルマガは押すタイプです。これからの時代は従来のWEbに加えて、ソーシャルメディアも上手く活用し、ビジネスに役立てましょう。」と言われました。
阿部氏は「ネット社会における手法と方法論」についてはこう述べています。
売り上げ=客数(見込み客増加・見込み客に購入)×客単価(ついで買い・まとめ買い・高額なものを請入)×購入回数であると言います。
ホームページやブログを頻繁に更新し、キーワードを選定してSEO対策、検索エンジン対策をしなければなりません。
現在日本の「ソーシャル」メディアですが、フェイスブックが1000万人。MIXIが1500万人、TWITTERが2300万人と言われています。
ソーシャル・メディアは何のために活用するのか?それは「企業のイメージアップ作戦」に多大に貢献する道具であるからです。多数の同業他社から自社を選択していただく。その理由は何か?
それは「ネットで口コミ」をしてもらうことです。一方的な宣伝は皆聞きたくない。しかし「食べ・ログ」のように、お金をもらって消費者になりすました企業人が書き込むことでは情報に信頼がなくなります。フェイスブックは実名登録なので、嘘は書きにくいという抑止力が働きます。
また阿部氏は「これからのネット活用は宣伝よりはファンづくりが肝要」だと言います。「それは近頃の消費者は、ストレートな広告は無視するのに慣れています。一方口コミはとても信用しています。」
「ブログやツイッター、フェイスブックでの社交(ネット上でのご縁を増やしファンをはぐくむことは、ネット上に強い営業部隊ををつくり、それを拡大させるためのとても合理的な戦術です。」
ファン作りの4つのポイントとは。
①感謝する②共感する③褒める④先に応援してあげる です。
フェイスブックでは、「いいね」をおしますと「ファンをつくること」になり、ウォールやニュースフィルドにその投稿項目が現れます。本名で登録しているので「信頼度」が高い。信頼度の高い口コミであるとフェイスブックはいえるのです。
フェイスブックの右側にスポンサー広告は、各人の購入見込みを予測した広告となっているようです。フェイスブックに個人の趣味や年齢、地域や個人情報をあれこれ書き込んでいるので、ターゲットが絞り込みやすく、マーケティングが出来るのです。
阿部氏の講演内容のベースにはアメリカのビジネス理論が踏襲されています。論理的であり曖昧さがありません。
ペルソナ(お客様像)-ベネフィット(要求)-導線計画(購入)というマーケティングの理論もぼうとして1度聞いたぐらいでは理解できませんから。
また阿部氏は「大都市が優位ではなく、地方にもチャンスがあります。顧客にとっては場所は問題ではありませんから。」と言うことも言われました。
3時間の講習は内容が豊富で多岐でありました。中高年親父の「許容量」を超えているようです。今のレベルでまとめるだけの内容で講義内容を記述してみました。
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まさかここまでの試合展開を予測できませんでした。今大会は米国は絶好調。得点能力もある。身体能力では劣るなでしこさん達。しかも絶対的なエースの沢選手が欠場とか。
前半6分。アメリカに縦パスで、ヘッドでつながれゴールされるもオフサイド。決定的な場面も作られましたが、ゴールポストやシュートミスにも助けられました。
日本も宮間から永里への決定的なクロスも僅かに及ばない。両チーム互いの持ち味を出しながらも前半は0-0で終了。前線では安藤と永里が頑張っていました。ボールの起点となるためを作り、チャンスをこしらえる。ボールを奪われたらすぐに守備に入り、奪い返す。特に永里の動きはとてもよかったです。
Aマッチ出場の大野も気合が入っていました。DFも岩清水と熊谷のCBも安定していました。GKの福本も安定していました。近賀、鮫島の両サイドも攻守に活躍。運動量が落ちませんでした。
沢の代役で出場した田中も無難にボランチを坂口とこなしました。後半はアメリカの怒涛の攻撃をなんとかしのぐなでしこ。いい試合ではこのまま引き分けても決勝へは進めない。引分け濃厚かと思われました。
後半38分左サイドからのコーナーキック。絶妙のクロスがMF宮間から交代出場のFWの高瀬へ。マークを外し下がりながらの難しいヘッドでッ米国ゴールを割りました。日本待望の先取点!
無難に守りきり、で90分間で始めて米国を破りました。歴史的勝利です。
高瀬愛美選手はまだ21歳です。若手が育っています。なでしこさん達は。
佐々木監督の手腕も評価されますね。采配の基本は調子の良い選手を使うことですね。
高知での佐々木則夫監督の講演会でも、個性的な選手をもとめるのは大変であると言われていましたが、それを本番で見事にやりとげた監督は凄い!
これで決勝はドイツと。水曜日の試合も見逃せない。
男子サッカーもなでしこさんたちの粘りと球際への強さを見習って欲しい。アメリカに勝つとは本当に凄い。男子のたとえで言えば、フル代表がブラジルやアルゼンチンに勝ったと同じことですから。
スタジオ解説者の大竹七来さんは美人ですが、的確なサッカー解説は素晴らしいと思いました。大竹さんは、フジTVで午前1時過ぎまでいまして、翌朝7時過ぎのNHKのスポーツ解説にも出演され的確な解説をされていました。サッカー解説もこうした美人の人がしてくれると親父は嬉しい。
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今年は「浅間山荘事件」から40年の年。マスコミや雑誌などで、その特集が全く組まれていないのは何故なのか?たかだか40年しか経過していないのに。
連合赤軍事件を引き起こした人たちは、20歳代の若者や10代の高校生までいました。真摯に日本の社会を変革しようという人たちが、なぜささいな違いや、ミスを攻め立て仲間殺しを次々に行い、権力に打撃を与えることなく、自壊していたのだろうか?連合赤軍事件は、日本の社会運動の「ブラックホール」でありますから。
40年間ずっと考えてきて、自分なりにまとめた結論の1つは、共産党や旧社会党のような旧左翼であろうが、1955年以降世界で登場した新左翼であろうが、「本質」は変らないということです。
つまり「前衛党指導部」が頂点にあり、党大衆や兵士は党指導部の決めた方針には、無批判・無条件に従うという組織原理がそもそもの間違いでありました。共産党も連合赤軍も新左翼党派もそのたりは同じでした。
つまり人間を解放するはずの革命運動が、人間を抑圧し、抹殺する組織の中で行なわれていた矛盾を新旧左翼は克服できませんでした。1989年からはじまる「社会主義国」の崩壊は自明の理であり、1972年の連合赤軍事件はその先駆け現象の1つでありました。
社会主義が全く無意味で駄目かといえばそうではありません。新自由主義と言う、身勝手な「ネオ・原始資本主義」の横暴さも世の中に格差社会を生み出しただけ。解決策には全くなりません。
連合赤軍事件をきちんと総括しないと、次へは進めないと私は今でも思います。人間の解放の原理を足元から構築していきたいと思います。
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自分と同じ年齢の人たちは、60歳が定年とされている官公庁や、教職員でも、部長や校長になっている。大企業でも代表取締役になっていますね。自分も来年は「還暦」になるので、そういう持ち回りなんでしょう。
本当に40年ぐらいは「アット」いう出来事でした。早いものです。だいたいこの年齢の同級生たちを見ると、両親が揃って生存していることは少ない。家内の両親は早くに亡くなった。
その点うちは父が92歳で、母が86歳になりますが、要介護度1ではありますが、生活のことはすべて自分でできますから助かっています。両親が健康であるので、ついわたしも「甘え」があるのかもしれません。
でも対外的には「最終責任者」ですから。アンカー・マンになっています。気を引き締め、精神的肉体的な健康を維持しながら生きて行こうと思います。
面白おかしい人生を過ごしたいからです。整体の老師(85歳)は。「人生125歳」と言います。わたしもあやかって健康で長生きして人生を多い楽しみます。どうせ皆最後は死のですからね。
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昨日とうって変わって今日は朝から生憎の雨。歩いておびさんマルシェとラララ音楽祭へ行きました。その前に高知大丸に3月1日からオープンした宮脇書店高知大丸店を見学しました。そこそこ広い書籍売り場ですが、全く魅力はありません。
5階の一般書籍売り場はさほど品揃えがよくありません。岩波書店の本が1冊もありませんでした。岩波新書もありません。6階の漫画ホ塗り場では、カバーがかけられておらず立ち読み自由、販売する意志がないようですね。
井上書店という古本屋で岩波新書を2冊買いました。2冊で620円でした。
生憎の雨のおびさんマルシェでした。実行委員長の大西みちるさんに会いました。「雨ですが今日でないと出店できないひともいます。お店は全然少なくなりました。異例ですが来週もおびさんマルシェやりますので。」とのこと。
雨の中ですがラララとコラボしているのはいいですね。良質のイベントであると思います。
アーケード方面はやたらやかましいので行きませんでした。
帯屋町公園のロック演奏しているところでは、みませ干物屋の城下秀二さんご夫妻がおられました。つまみになる干物を購入しました。寒いので雑炊もいただきました。
京町商店街を通過しましたが、小川という老舗の大きな呉服店が閉店していました。やはり世間は不況なのですね。
こまんさいははりまや橋商店街でやっていました。かるぽーとと2つの会場で開催されています。
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古本で「司馬遼太郎対談集」(文春文庫。1978年刊)を購入しました。そのなかで社会人類学者の梅棹忠夫氏との対談が面白い。本は黄色く変色していています。1987年の発刊だから34年前のことですね。
梅棹「ええ、大学の数は多ければ多いほどいい。少々中身がいかがわしいものがあっても、いずれはそれは修正がききます。
国民総大学出になったら、こんないいことはない。国力としては、結局そのほうが勝ちです。
ヨーロッパのように、人口5000万人の国に大学が10いくつかしかないといったことでは、これからとってもやっていけないと思うんです。」
司馬「大学というところは、バカが利口になるという装置ではないけれど、知的訓練に耐える体質を学生に与えることができる。そういう体質でないとやれないような分野の仕事が、いまやどんどんふえてきているというわけですね。」(P9「日本は”無思想時代の先兵」)
いまから34年も前に、現代社会の特性をこの2人は見抜いていますね。1978年といえば、パソコンは全然普及していなく、インターネットも携帯電話もない時代でした。凄い先見力です。
わたしも某私立大学を卒業させていただきましたが、2人の言うように「そうなのか」と思う。
人生で1番貴重な成長期である中学から高校時代は、社会運動に熱中、学業を疎かにしましたから、大学へはいって社会思想関係の書籍は専攻に関係なく読みました。それはいい経験をさせていただいたと思います。
その後の人生経験のなかでも「自分を相対化する」訓練が出来ましたので、市民自治の考え方が自然に出来るようになりました。
市民1人1人が自分の頭で考え行動し、相手の異論も我慢して聞いて、妥協点を見つける、協力点を見つけると言うことが、日本社会であちことでできるいようになれば、日本社会は大丈夫です。
橋下徹氏のように、「異論を排除」するような極端な考え方では世の中仕切れません。いつまでも市民は劇場の観客であってはいけないと思います。演出も演技も自分でできますから。自分たちが市民社会の主役であることを自覚し、行動すればいいのですから。
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今日はヨットでくたくたになっていましたが、昨日はりまや橋商店街のおかみさんたちから、「おきゃくに来てよね:といわれていましたので、家内と2人で出かけました。お客へでてきたのは初めてです。チケットを昨日購入したのです。
忘れていましたが、今日は3月3日「ひな祭り」でした。娘が成人して社会人になったので忘れていました。はりまや橋商店街に人形が出ていました。
それで商店街で前売りチケットを出しました。2000円を出しましたが、2200円分ありました。家内と2人でビール3杯と石焼ビビンバと串カツを頼みました。
なにか”芸”をしていましたが、結構やかましくてよく聞こえませんでした。
そこではらごしらえをしまして、ららら音楽祭の特別ゲストである三宅伸治さんが高知市中央公園でライブをしているので見に行きました。
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雨が上がると必ず海は強風が吹きます。特に春先の季節はそうです。高知空港の吹流しは常時真横に流れています。10メートル前後の風。物部川河口から吉川漁港沖合いは「風の道」があるので、風が強いです。
香南市夜須のハーバー。こちらもオレンジ旗が出ています。「出艇注意」です。夜須もなかなか強風です。ヤッシー・パークの椰子の木も結構しなって揺れていますから。
私は日和見中高年いくじなしヨットマンです。海を眺め躊躇していましたら、シニア・ヨットクラブのTさんとKさんが来られたので、ぎ装することにしました。
ぎ装する途中も突風が時折あり、ぎ装のしにくいこと。強風仕様にセットしました。
ドライスーツを着込みました。陸の上は暖かくなりましたが、海水温は今頃は逆に下がります。暖かくなると山の雪が溶け河川へ流れ、河口へ来るからです。夜須のハーバーも夜須川という小さな川沿いですが、奥行きが深い川なので、スロープからの出入りのおりはとにかく寒い。ドライスーツを着込まないと耐えられません。
強風でしたのでセーリングの様子の写真がないのが残念です。今日は最高の風、波がなく程よい強風でした。手結港の赤灯台から赤岡港の白灯台まで3往復し、仕上げはヤッシー・パーク離岸提を2周しました。
多数の渡り鳥たちもいました。魚も飛び跳ねていました。沖合いでは漁船がいまして、たぶんパッチ漁でいわしの稚魚を底引きしているのでしょう。
野市にある風車(風力発電装置)は終始早い回転をしていました。両手・両足。腹筋。背筋もばんばんです。なんとか無事に戻ってこれました。結構プレーニングもしました。
4月から香南ジュニア・ヨットクラブが発足します。夜須中学校長濱田陽治氏の画策で、全国優勝を2回した(昨年も。高知新聞スポーツ大賞も受賞)した夜須中学ヨット部は廃部となりましたが、新たにマリンスポーツのクラブとして再出発することになりました。
http://yasu-uminoeki.com/2012/03/01/%e9%a6%99%e5%8d%97%e3%82%b8%e3%83%a5%e3%83%8b%e3%82%a2%e3%83%a8%e3%83%83%e3%83%88%e3%82%af%e3%83%a9%e3%83%96%e3%80%80%e3%82%af%e3%83%a9%e3%83%96%e5%93%a1%e5%8b%9f%e9%9b%86%ef%bc%81/
片づけをして両親の夕食の段取りをしたら、家内と一緒にはりまや橋商店街での「日本1の大おきゃく」へ夕方出かけるようにします。疲れているのでビールを1杯飲めばアウトかもしれませんね。
朝食はカレーとアンパン1個。それにチョコレートを食べて行きました。昼食もとりましたが結構の運動量です。体重も落ちていました。
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今日は雨が少し降りましたが暖かい感じに。3月弥生の月。春の訪れになりました。父)92歳)がとても調子が良さそうなので、午後からゴルフ練習場へ行きました。父にとってのリハビリであり、トレーニングです。
一応125発カードにありますから、休み休み打っています。以前と比べ休む時間が短くなりました。それに真っ直ぐに球は飛んでいるし、飛距離も伸びたようです。でも本人は「まだまだだ。」と言っております。
もちろん人間の命は限りがありますが、100歳になってもゴルフができる体であればいいなとは思います。
5月頃にゴルフ場でゴルフをするのが父の1つの目標です。そのためにトレーニングをしています。週に1度のパワーリハビリ(ジョイリハ)。散歩は毎日。DVDでの体操(100歳体操のようなもの)も毎日しています。週に1度はゴルフ練習場へ。目標があると人間頑張れるものですね。
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1972年の3月1日。県立高校の卒業式。わたしは卒業することが出来ず、高校側からは自主退学勧告を受け、自宅で悶々としていました。
前日に連合赤軍あさま山荘事件も警官隊が突入し、立てこもっていた5人が逮捕されました。
当時一緒に活動していた他高校の連中ですが、I高校の2人は退学放校処分に。うち1人は北海道で家具職人になりました。O高校の2人は私同様に留年。自主退学し、1人は自治体の臨時職員になり、もう1人は2年後大検で東京の私大へ進学しました。
私の高校で同様に留年した連中は、自衛隊へ1人、転校編入りが2人。後1人はどうしたのか思い出せません。留年した他校の1人は3年前に物故者となりました。
当時両親が商売の傍ら、「もう1度やり直せ」と言い、支援してくれたから今日がありますね。親戚の従兄弟連中は、土佐高校や学芸高校へ行っている者も多く、国立大学の医学部や一般学部へ進学していたので両親もなんぼか肩身が狭かったと思います。
でも世間体にとらわれずに、懸命にフォローしてくれたことをありがたく思っています。その両親はいまは超高齢者となり、ケアが多少必要となってはいますが、あと10年ぐらいはケアするのは当然であると私は思っています。
中学受験や高校受験で、結果が出なかったお子さんがいる人もおられるでしょう。でもお子さんを信じてあげてください。世間体にとらわれないでください。世の中なんとかなるものですから。
翌年わたしは1学年下の連中と一緒に3年生を履修し、なんとか卒業し、大学へも進学できました。残念ながらわたしは社会的な成功者ではなく平凡な小市民に過ぎませんが、「疾風怒濤の時代」は誰にでもあるなとつくづく思います。
40年前懸命に取り組んでいた社会運動が、すべて間違いであり、人生で1番良い時代をないがしろにしたなさけない経験を無駄にはしたくはありません。世界的に左翼運動が退潮して、変わって登場した新自由主義は格差社会を広め、対立と抗争を蔓延させました。わたしのライフワークの1つは「連合赤軍と新自由主義の総括」です。
「連合赤軍と新自由主義の総括」
http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/cat21222778/index.html
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「週刊新潮が報じたスキャンダル戦後史」を高知駅前のブックオフで105円で購入し読みました。2006年の発刊で1200円の書籍ですから6年も経過するとそんな売価になるのでしょうか?怖いですね。
内容はさすがは「野良犬メディア」の老舗だけありますね。見出しだけなぞっても、よいも悪いも日本社会に多大な影響を残した野良犬メディアであることが理解できます。
思い出深い記事も散見されました。
第一章 「美談」と「常識」の裏側
「奇跡的に蘇生」と報道されていた心臓提供者(昭和43年8月24日号)
小野田少尉帰還の感動と天皇会見(昭和49年3月21日号)
「巨人長嶋クビ」の大脚本(昭和55年10月30日号)
「ピンク・レディー」の創立資金は東京相互銀行を”恐喝”した金(昭和53年10月21日・28日号)
第2章 虚飾の英雄
「朝日のエース本多勝一記者のやっていること」(昭和46年9月25日号)
社会主義者よ驕るなかれ 「田中」逮捕は「自由国日本」の勝利(昭和51年8月5日号)
「児玉誉士夫」が遺した「女」たちの「暗い勲章」(昭和55年2月2日号)
宗男疑惑追及の急先鋒 辻本清美代議士の呆れた巨額「秘書給与詐取」疑惑(平成14年3月28日号)
第3章 わるいやつら
日本にはじめて登場した本格的殺し屋「関口」の生活(昭和48年10月18日号)
警察も手が出ないのか、妻子にかけた3億円保険を要求する九州の「ワル」(昭和49年12月5日号)
大火災で噴出したホテル・ニュージャパンの「暗部」(昭和57年2月18日号)
射殺された「東京女子医大」入院患者の「黒い金脈」(昭和59年2月16日)
第4章 菊のカーテンの隙間から
殿下、ズボンが太すぎます 皇太子に捧げる5章(昭和35年9月5日号9
鷹司氏事故死の報道態度 NHKからニューヨーク・タイムズまで(昭和41年2月12日号)
三笠宮寛仁殿下がデートしている「変な赤坂芸者」(昭和49年9月26日号)
美智子妃のご実家正田家の「栄光の中の孤独」(昭和57年9月2日号)
第5章 この国のおかしなかたち
選挙替玉事件を報道する新聞の調子(昭和43年8月3日号)
「中曽根派黒いウワサの記事」取材から掲載までの真相(昭和47年7月15日号)
「交通ゼネスト」に新聞が書かない、もう1つの「国民の声」(昭和49年4月18日号)
怪文書 怪情報乱れ飛ぶ永田町でズバ抜けた「1つの記録」(昭和51年8月19日号)
気をつけろ「佐川君」が歩いている(昭和60年11月7日号)
第6章 男と女の世の中
子爵令嬢綾小路章子の男に彩られた華麗なる破局(昭和49年1月10日・17日号)
手記 外務省機密文書漏洩事件 判決と離婚を期して 私の告白 蓮見喜久子(昭和49年2月7日号)
近来の大型恋愛とされる若尾文子さんと黒川紀章氏(昭和52年10月6日号)
もう1人「宇野首相との10年」を語る「愛人」の人柄(平成5年6月29日号)
第7章 われわれは見た
金嬉老で恥をかいた人々 日本を征服した5日間の言行録(昭和43年3月9日号)
「死」をもって完了させた三島美学(昭和45年12月5日号9
再開三菱銀行「北畠支店」で「言ってはならぬ」こと(昭和54年2月8日号)
三越クーデター「論功行賞」の暗礁(昭和57年10月7日号)
特に今(2012年)に沖縄返還40年を記念した番組「運命の人」の主役である、当時の毎日新聞西山太吉記者と、外務省蓮見喜久子事務官のからみの週刊新潮の記事は大きな社会的名影響を与えました。
沖縄返還に関する日米両政府の「密約」(返還費用。米軍基地の撤去費用の大半を日本政府が支払う)という国家機密が取引されていました。西山記者はその外交機密文章を蓮見事務官から入手し、世間に公開、国会でも公開されました。
しかし日米両政府の密約問題が焦点にならなければならないのに、週刊新潮は西山記者と蓮見外務省事務官の不倫問題に焦点を当て、不倫行為の代償に外交機密文書が手渡されたとの矮小化記事を書きまくり、「争点そらし」に大いに貢献しました。おそらく当時の政府から「ごほうび」をいただいたことでしょう。
野良犬メディアが、政府の番犬メディアになった実例でした。
射殺された「東京女子医大」入院患者の「黒い金脈」(昭和59年2月16日)の記事ですが、当時「動く3億円」といわれた高知県出身の尾崎清光氏が入院先の病院で射殺された事件がありました。なかなかの情報通で、行政や行政と取引している業者の弱みを握る才覚のあった人であったようです。
殺害犯人はいまだに逮捕されていないようです。謎の多い人物の、謎の射殺事件でした。
また週刊新潮の「真骨頂」は”コメント主義”にあると述べています。
「週刊新潮の記事の強みは、こうした”コメント主義”にあった。ライターの意見を前面に押し出すのではなく、当事者のコメントを中心に構成し、しかも、その「本音」を見抜いて切り取ることで、自ずと書き手の思想や視点を伝えていく。
それが従来の新聞や「週刊朝日」「サンデー毎日」といった新聞社系週刊誌の記事とは、まったく違った「人間臭さ」を醸し出していた。まさに文学的といわれるこうした手法は、草創期の執筆陣として活躍した、作家の井上光晴氏などによって編み出され、その後も継承されてきたものである。」(P244)
ライターの「創作」があることを自ら認めています。週刊誌とはいえ一応メディアであり、社会的名影響力がありますから、その手法はいかがなものかと思います。自画自賛すべきものではないと私は思います。
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