「週刊新潮が報じたスキャンダル戦後史」を読んで
「週刊新潮が報じたスキャンダル戦後史」を高知駅前のブックオフで105円で購入し読みました。2006年の発刊で1200円の書籍ですから6年も経過するとそんな売価になるのでしょうか?怖いですね。
内容はさすがは「野良犬メディア」の老舗だけありますね。見出しだけなぞっても、よいも悪いも日本社会に多大な影響を残した野良犬メディアであることが理解できます。
思い出深い記事も散見されました。
第一章 「美談」と「常識」の裏側
「奇跡的に蘇生」と報道されていた心臓提供者(昭和43年8月24日号)
小野田少尉帰還の感動と天皇会見(昭和49年3月21日号)
「巨人長嶋クビ」の大脚本(昭和55年10月30日号)
「ピンク・レディー」の創立資金は東京相互銀行を”恐喝”した金(昭和53年10月21日・28日号)
第2章 虚飾の英雄
「朝日のエース本多勝一記者のやっていること」(昭和46年9月25日号)
社会主義者よ驕るなかれ 「田中」逮捕は「自由国日本」の勝利(昭和51年8月5日号)
「児玉誉士夫」が遺した「女」たちの「暗い勲章」(昭和55年2月2日号)
宗男疑惑追及の急先鋒 辻本清美代議士の呆れた巨額「秘書給与詐取」疑惑(平成14年3月28日号)
第3章 わるいやつら
日本にはじめて登場した本格的殺し屋「関口」の生活(昭和48年10月18日号)
警察も手が出ないのか、妻子にかけた3億円保険を要求する九州の「ワル」(昭和49年12月5日号)
大火災で噴出したホテル・ニュージャパンの「暗部」(昭和57年2月18日号)
射殺された「東京女子医大」入院患者の「黒い金脈」(昭和59年2月16日)
第4章 菊のカーテンの隙間から
殿下、ズボンが太すぎます 皇太子に捧げる5章(昭和35年9月5日号9
鷹司氏事故死の報道態度 NHKからニューヨーク・タイムズまで(昭和41年2月12日号)
三笠宮寛仁殿下がデートしている「変な赤坂芸者」(昭和49年9月26日号)
美智子妃のご実家正田家の「栄光の中の孤独」(昭和57年9月2日号)
第5章 この国のおかしなかたち
選挙替玉事件を報道する新聞の調子(昭和43年8月3日号)
「中曽根派黒いウワサの記事」取材から掲載までの真相(昭和47年7月15日号)
「交通ゼネスト」に新聞が書かない、もう1つの「国民の声」(昭和49年4月18日号)
怪文書 怪情報乱れ飛ぶ永田町でズバ抜けた「1つの記録」(昭和51年8月19日号)
気をつけろ「佐川君」が歩いている(昭和60年11月7日号)
第6章 男と女の世の中
子爵令嬢綾小路章子の男に彩られた華麗なる破局(昭和49年1月10日・17日号)
手記 外務省機密文書漏洩事件 判決と離婚を期して 私の告白 蓮見喜久子(昭和49年2月7日号)
近来の大型恋愛とされる若尾文子さんと黒川紀章氏(昭和52年10月6日号)
もう1人「宇野首相との10年」を語る「愛人」の人柄(平成5年6月29日号)
第7章 われわれは見た
金嬉老で恥をかいた人々 日本を征服した5日間の言行録(昭和43年3月9日号)
「死」をもって完了させた三島美学(昭和45年12月5日号9
再開三菱銀行「北畠支店」で「言ってはならぬ」こと(昭和54年2月8日号)
三越クーデター「論功行賞」の暗礁(昭和57年10月7日号)
特に今(2012年)に沖縄返還40年を記念した番組「運命の人」の主役である、当時の毎日新聞西山太吉記者と、外務省蓮見喜久子事務官のからみの週刊新潮の記事は大きな社会的名影響を与えました。
沖縄返還に関する日米両政府の「密約」(返還費用。米軍基地の撤去費用の大半を日本政府が支払う)という国家機密が取引されていました。西山記者はその外交機密文章を蓮見事務官から入手し、世間に公開、国会でも公開されました。
しかし日米両政府の密約問題が焦点にならなければならないのに、週刊新潮は西山記者と蓮見外務省事務官の不倫問題に焦点を当て、不倫行為の代償に外交機密文書が手渡されたとの矮小化記事を書きまくり、「争点そらし」に大いに貢献しました。おそらく当時の政府から「ごほうび」をいただいたことでしょう。
野良犬メディアが、政府の番犬メディアになった実例でした。
射殺された「東京女子医大」入院患者の「黒い金脈」(昭和59年2月16日)の記事ですが、当時「動く3億円」といわれた高知県出身の尾崎清光氏が入院先の病院で射殺された事件がありました。なかなかの情報通で、行政や行政と取引している業者の弱みを握る才覚のあった人であったようです。
殺害犯人はいまだに逮捕されていないようです。謎の多い人物の、謎の射殺事件でした。
また週刊新潮の「真骨頂」は”コメント主義”にあると述べています。
「週刊新潮の記事の強みは、こうした”コメント主義”にあった。ライターの意見を前面に押し出すのではなく、当事者のコメントを中心に構成し、しかも、その「本音」を見抜いて切り取ることで、自ずと書き手の思想や視点を伝えていく。
それが従来の新聞や「週刊朝日」「サンデー毎日」といった新聞社系週刊誌の記事とは、まったく違った「人間臭さ」を醸し出していた。まさに文学的といわれるこうした手法は、草創期の執筆陣として活躍した、作家の井上光晴氏などによって編み出され、その後も継承されてきたものである。」(P244)
ライターの「創作」があることを自ら認めています。週刊誌とはいえ一応メディアであり、社会的名影響力がありますから、その手法はいかがなものかと思います。自画自賛すべきものではないと私は思います。
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