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2012.03.13

「2011ベスト・エッセイ」を読んで

Besteasyhonmm
 「2011ベスト・エッセイ」(日本文藝家協会編・光村図書・2011年刊)を図書館で借りてきて読みました。日本を代表する作家78人のエッセイが掲載されています。別の新聞や雑誌などに掲載された文章です。

 やはり私などの雑文と違い、プロの人たちの文章は一味違いますね。なるほどと思わさせる力が短い文章からもほとばしります。

 「吉田兼好はその「徒然草」を二十代から書き出したので、私たちが今読んでいるものには青年の妖気と老爺の枯淡が混じり合っている。だが、わたしたちが一読して、これを見分けることはきわめて困難である。

 ここから私たちが知れるのは、「若いときから、老人になった自分を想像的に先取りしておくほうがいい」ということが久しく本邦のの常識だったということである。

 その常識は1960年代頃にきれいに消え去っていた。当時ひろく人口にひき言い回しに「Dont trust over thity」というものがあった・「30過ぎの人間を信用するな」。自己形成のロールモデル」なんかわれわれは持たないぞ、われわれは成熟なんかしないぞと主張していたのである。
 
 「成熟しないぞ」と言えるのは、「今の自分がベスト」だと思っていたからである。

「若者はそのつど、それと気づかずに、自分の老人状態を先取りする。若い時に「老人というのは、これこれこういうものである」という断定をなすと、その言葉はそれから後の彼の人生を深く、決定的に呪縛することになる。

 だから,迂闊なことは口にするものではないと思う。いずれにしても、手際よく早死にする以外に老人になることからは逃げられないのであるから、せめて「実際にそうなってしまったときに困らないように」、若いときは老人の条件を設定しておくことをお勧めしておきないと思う。

 老人になるころには、考え方も体つきも、今と全く変ってしまっているだろうが、それでも「ここ」だけは決して変っていないだろうという点が必ずある。それがいわゆる「アイデンティティ」なるものの礎石になる、

「もう1つは、老人となった自分のありようについて、あまり具体的に細部にわたって想像しないこと。職業とか年齢とか、家族の有無とかはあいまいにしておいたほうがいい。

 最近「老い方」についての本をよく見かけるが、「若い人のための老い方」のガイドブックだけはついぞ見かけない。今一番必要なのはそのような種類の知見だと思うが、企画する出版社はなさそうである。」(内田樹「年の取りかたについて」P109)

 長く引用しましたが、「さすが」だと思わせる文章ですね。私の意識は40年前の高校生ですが、外観たるや白髪の親父です。若さのカケラもありません。

 覚えてますね。「30歳過ぎの大人を信用するな」とか、「怒れる若者たち」とか。当時はずっといつまでも自分は若者であると思いこんでいましたね。老人とは祖父母たちのことであり、彼らが若いときの時代については想像もできませんでした。

 また「古典に読む介護」(大塚ひかり P61)も味わい深い。

「母が脳出血で2度倒れ、認知症・車椅子状態になった。楽しみは食べることと、新しい服を着ること、週3回、施設での若い男によるマッサージである。そんな母を見ていると、古典を読んでも、介護とか老人がらみのテーマが目についてょうがない。

 で,気付くのは、短命と思われがちな昔の人の意外な長命さ。そして介護を必要とする老人の置かれた厳しい状況だ。」

 「鎌倉時代の沙関石集の著者無住も数えで87の長命を保ち、「雑談集」という著作は80過ぎて書いたと驚異的な人だ。それだけに介護の話しも多く、「雑談集」巻第4巻冒頭には”老は八苦の髄一、昔に変りて、見苦しく,障りのみ大き中にも、人に厭い憎まれ、笑はれ侍り”とあって、身体の衰え以上に、人にないがしろにされる精神的な辛さが老いの苦しさであると、高齢者ならではの実感が綴られている。」

「出家をしても年老いても、生々しい欲望を抱えているのが人間、「生きる」ってそういうことなのかも。逆に言えば、食とか性への生々しい欲望がある限り、その人は確かに「生きているのだ」とm母の顔も一方では浮かび、かなしくも頼もしい気持ちになる。」

 わかりますね。その気持ちは。でも超高齢の両親と向き合っているとなんだか素直になれるのです。このごろは。

 それぞれの作家の文章は「切れ味」がありますね。文章力では遠く及ばないですが、とても参考になりました。「文はひとなり」と言います。短いエッセイのなかに「人となり」が実によく出ています。

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