卒業できなかった40年前
1972年の3月1日。県立高校の卒業式。わたしは卒業することが出来ず、高校側からは自主退学勧告を受け、自宅で悶々としていました。
前日に連合赤軍あさま山荘事件も警官隊が突入し、立てこもっていた5人が逮捕されました。
当時一緒に活動していた他高校の連中ですが、I高校の2人は退学放校処分に。うち1人は北海道で家具職人になりました。O高校の2人は私同様に留年。自主退学し、1人は自治体の臨時職員になり、もう1人は2年後大検で東京の私大へ進学しました。
私の高校で同様に留年した連中は、自衛隊へ1人、転校編入りが2人。後1人はどうしたのか思い出せません。留年した他校の1人は3年前に物故者となりました。
当時両親が商売の傍ら、「もう1度やり直せ」と言い、支援してくれたから今日がありますね。親戚の従兄弟連中は、土佐高校や学芸高校へ行っている者も多く、国立大学の医学部や一般学部へ進学していたので両親もなんぼか肩身が狭かったと思います。
でも世間体にとらわれずに、懸命にフォローしてくれたことをありがたく思っています。その両親はいまは超高齢者となり、ケアが多少必要となってはいますが、あと10年ぐらいはケアするのは当然であると私は思っています。
中学受験や高校受験で、結果が出なかったお子さんがいる人もおられるでしょう。でもお子さんを信じてあげてください。世間体にとらわれないでください。世の中なんとかなるものですから。
翌年わたしは1学年下の連中と一緒に3年生を履修し、なんとか卒業し、大学へも進学できました。残念ながらわたしは社会的な成功者ではなく平凡な小市民に過ぎませんが、「疾風怒濤の時代」は誰にでもあるなとつくづく思います。
40年前懸命に取り組んでいた社会運動が、すべて間違いであり、人生で1番良い時代をないがしろにしたなさけない経験を無駄にはしたくはありません。世界的に左翼運動が退潮して、変わって登場した新自由主義は格差社会を広め、対立と抗争を蔓延させました。わたしのライフワークの1つは「連合赤軍と新自由主義の総括」です。
「連合赤軍と新自由主義の総括」
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