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2012.03.22

「安心のファシズム」を読んで

Anshinfhon

 「安心のファシズム」(斉藤貴男・著・岩波新書・2004年刊)を高知市の井上古書店で370円で購入し読みました。この著作は2004年ですから、まさに小泉ー竹中時代の「偽・構造改革路線」全盛期の頃書かれています。

 古典としてはE・フロム著作の「自由からの逃走」を思い出すような著作でした。1933年頃のドイツ国民はは民主主義社会の議論、代表である国会議員や政党の体たらくに愛想をつかし、1人の独裁者(当時はヒトラー)に国の全権を国民投票で委任してしまいました。

 それと近い情況が日本にもあるのではないか。斉藤氏は2004年に危惧していました。2012年もより「劣悪な」「幼稚な」「すべてを単純化する」「異論をすべて排除する」粗悪なファシスト集団橋下徹ー平成維新の会なるものが台頭する兆しがあるようです。

 まさに「ファシズムはそよ風ともにやってくる」(P231)なのです。

 現在の高度な情報化社会。米国製のI-padの発売に狂奔する人たちを観察していますと、なんだか不安になります。

「携帯電話。住基ネット、ネット家電。自動改札機など便利なテクノロジーにちらつく権力の影。人間の尊厳を冒され、道具になる運命をしいられるにもかかわらず、それでも人々は「安心」を求める。

 自由から逃走し、支配されたがるその心性はどこからくるのか。著者の長年の取材、調査、研究を集大成する渾身の書き下ろし」(帯解説)とあります。

 「ファシズムはそよ風ともにやってくる」に続いて斉藤貴男氏はこう続けています。

「独裁者の強権政治だけでファシズムは成立しない。自由の放擲と隷従を積極的に求める民衆の心性あってこそ、それは命脈を保つのです。(あとがきより)

 多くの人々が、何者かに対する不安や怯えや恐怖や、その他諸々がないまぜになった精神状態が、より強大な権力と巨大テクノロジーと利便性に支配された安心を欲しているかのようです。

 権力に無条件で服従しない人が現れると徹底的に叩かれるのはこのためです。本来自由な精神を保つ為に必要な読書にしても、ネットで「読まれている本ランキング」で調べ、より読まれている本しか「読まない」人が多いとも聞きますね。

 わたしなどは、時折「異論」をいう親父ですから叩かれやすいんでしょう。橋下や平成維新の会が、「狂気のように」国歌斉唱を強要し、「異端者狩り」をする行為を、大多数の人々は黙認し、またなかには喝采を叫ぶ人もいる現実。なんだかおかしいです。
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(20世紀の独裁者と言えばこの2人。いずれも国民の圧倒的な支持で。民主的な手続きで全権を委任されました。)

 筆者は2004年頃に起こった「イラク人質事件での人質たちや家族へのいわれなき誹謗中傷」を分析しています。

「集団心理の奥底を完全に証明することはできない。だが、ネット上やマスメディアを席巻した自己責任論の数々を読んでいくと、要は対象が女。子どもだからいじめやすいという卑劣極まりない意識を感じざるを得なかった。

 帰国直後はPTSD(心的外傷後ストレス障害)を理由に記者会見を忌避した3人のうち、郡山総一郎さんと今井紀明さんとが改めて記者会見に応じてからは、したがって目立った、「自己責任論」は見聞できなくなった。組し易しの先入観が裏切られたためではなかったか。(P29「イラク人質事件と銃後の思想)

 また筆者は最近のファシズムの特色を「グローバルな新封建主義」ではないかとも指摘しています。

「グローバル経済競争にとって無駄になるような要素(社会保障や医療費や教育費用など)を徹底的に排除して、金があったら、外国資本の誘致に使う、そんな国家のあり方が構想されてしまっいている、というわけだ。」(P159「ネオ封建時代への構想」)

 まさに粗悪な「新自由主義」の標榜ではありませんか。

「新自由主義は「小さい国家」でなければならないということを言ってはいますが、アメリカは「大きい国家」を新自由主義のなかでつくることに成功しました。なぜかと言うと新自由主義の考え方では、最小限に切り詰めた国家の役割は「夜回り」である、つまり市場経済に邪魔になるものは取り除いてもらわなければばらないということです。

 資本の安全を守る警察の役割が国家の最も大きな役割であり、そのためにアメリカは、核兵器を含むあらゆる兵器を持っていなければならない。そしてその兵器を使って、「悪者」をやっつける、そういう強い夜回り国家をつくるのが新保守主義の主張です。

 中略

 頂点に大企業と国家による大競争。真ん中が市民社会で、人権を守るNPOなどもこの階層に含まれる。うまい汁を求めて国家や大企業の望む方向になびきがちである。

 そして底辺だ。あらかじめ切り捨てられているこの層には、リストラなどで中層からはじき飛ばされた人々もどんどん流入してくる。彼らは切り捨てられているのに、しかし労働力、消費者としては利用される。つまりは搾取されることになる。新たな下層身分、アンダークラスが形成されてきているのだ。

 中略

 アメリカの覇権というオールマイティが、欧米列強による世界の分割統治と説明されてきた時代の帝国主義とは異なっている。日本もまた、そのアメリカの衛星国でありながら同時にミニ帝国である。いわば虎の威を借るキツネの”衛星プチ帝国”を明らかに志向し始めた。
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 1世紀前のとの違いは他にもあった。かつての帝国は、帝国が帝国であるために必要な国民の統合、総動員体制を、。国内における福祉国家化を完成させようとした。「社会帝国主義」などとも呼ばれる所以である。

 新自由主義に貫かれた現代の帝国に”福祉2の2文字は存在しない・代わりに採られた国民統合のための方法論は、ハイテクノロジーという凶器を得て、むしろ剥き出しの暴力性を帯びた。

 キーワードは、「恐怖」、そして「安心」である。」(P165「社会ダーウィニズムと服従の論理」)

 なんだか小泉ー竹中時代や、安部晋三の時代は明確に「アメリカのポチ」政策で憲法を変えてまで追随しようと画策していましたね。橋本徹や維新の会やみんなの党の連中もそうした粗雑で乱暴な「新・自由主義」者のようですね。

 一方で「1人勝ち状態」の巨大企業の跋扈が目立ちますね。吉本隆明氏が逝去された日の大きなニュースは、巨大企業アップル社が発売した新型I・パットの発売に熱狂する市民や、国際的な衣料品安売り販売会社ユニクロが銀座店を開店したニュースが席巻しましたから。

 その情況を著作のこの記述で「なぞる」と余計にわかるようです。

「ここ数10年来における資本主義の独占的傾向の増大は、人間的自由にたいする2つの傾向の比重を、変えてしまったように思われる。個人的自我を弱めようとする要素が強くなり、個人を強める要素が比較的弱くなった。
 
 個人の無力感や孤独感が増大し、あらゆる経済的成果に対する可能性は狭まられている。かれらは巨大な力におびやかされている。このことは、ちょうど15世紀、16世紀の状況と多くの点でにているのである。」(「日高六郎訳「自由からの逃走」E・フロム)

 「フロムの議論はあくまでもヨーロッパを念頭に置いたものだが、この際、関係ない。地域性が多少の彩りを施すことがあっても、資本主義はどこまでも資本主義でしかないのだし、目下の資本主義はより単純化が進んだグローバリーゼーションである。

 敢えて日本の特殊性を持ち出すなら、必ずしも「あらゆる伝統的な束縛からの「自由」がいっそう強く叫ばれる」ばかりでなく、」たとえば教育現場での日の丸・君が代の強制のように、かえって伝統への回帰を求める主張が強まっていることだろうか。

 だがこれとても前章で詳述した、武士道を以って社会ダーウィニズムを受容した歴史を顧みれば格別の事態というほどでみおない。いずれにせよ独占資本のパワーはかつてなく強大化した。

 自由を制約するエネルギーも従来の比ではない。人々の不安も無力感も大きく、だからこそ人々は、あたかも中世の昔を懐かしみするかのように 、自由どころか、個人の尊厳を存在それ自体が認められない状況を受け入れたダルのだろうか。」(P205「安心のファシズム」)

 橋下徹や維新の会とやらは、「まさに」この粗悪な保守回帰のファシストではないかと思いますね。全く嫌な時代ですね。

 筆者はウンベルト・ユーコの「永遠のファシズム」という著作から「ファシズムとは本質的にファジーな曖昧なものであり、以下の定義を行なっています。

1)伝統を崇拝する。

2)モダニズムの拒否。

3)行動の為の行動を崇拝する。

4)批判を一切受け入れない。

5)必ず人種差別を伴う

6)個人もしくは社会の欲求不満が温床になる

7)コンプレックスの裏返しの一体感、連帯感

8)敵をつねにこしらえ攻撃する。(弱い敵ほど良い)

9)闘争の為の闘争。敵は根絶やしにしなければならない。

10)大衆エリートを標榜する。

11)1人1人が英雄になるべく教育されている。

12)女性蔑視、差別主義者。

13)徹底した大衆迎合主義。

14)新言語をいくつかこしらえる。

 日本のネオ・ファシズムはアメリカの衛星プチ帝国になることである。

「基本的な価値観はアメリカに貫かれた、いわばグローバル・ファシズムとでも形容すべきものであり、それだけでは辛すぎる心を日の丸。君が代に象徴されるナショナリズムが癒し埋めてくれる構造である」(P223)と斉藤貴男氏は看破しています。

 右翼思想の重鎮の西部邁氏が橋下徹と維新の会を全く評価しないはずですね。 

久しぶりに読み応えのある本を読みました。時代背景は2004年。8年経過していますが、古さを感じません。

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コメント

名無しさんコメントありがとうございます。時代背景は少し古いですが、E・フロムの「自由からの逃走」がベースにあります。

 市民各位が国民投票でヒトラーに白紙委任をしたことから破滅は始まりました。それまでの議会制民主主義が、決められず対立抗争ばかりしていたので、国民が嫌気がさしたのです。

 我慢も必要です。白紙委任すれば民主主義は死んでしまいます。

投稿: けんちゃん | 2012.09.17 13:48

私も最近これを読んだのですが
・ファシズムの構造を権力と民衆との対比で考えている点
・携帯電話などのテクノロジーに対する考察が一面的である点
等から少し古いなと感じました。

投稿: 名無し | 2012.08.28 21:06

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