賞味期限のない思想家・吉本隆明氏
3月26日日のETVでの吉本隆明追悼番組は、3年ほど前の放送の再放送でしたが、改めて視聴して「迫力」を感じました。この人は「賞味期限のない思想家」であると思います。
(3月26日)の番組「吉本隆明語る 沈黙から芸術まで」のなかで、敗戦後軍国青年だった吉本氏が独自の世界観を獲得するための方策を述べられていました。
それは古典文学の読破と、アダムスミスからマルクスまでの古典派経済学が思想形成に大変役立っていたと言われていました。
現代社会と異なり、情報の少ししかない昔の人たちが、搾り出した言葉には価値があるということ。
「自己表出」という言葉と「指示表出」という独自の表現でそのああたりを説明されていました。
そのあたりの話しは、「よくわからなく」なりうとうとしていました。
「芸術言語論」ということでした。また書籍を購入して精読してみようと思いました。
マスコミの論調は「60年代・70年代の学生運動を担った若者たちの教祖」として位置づけようとしていました。私の場合は当時は社会運動に邁進していましたが、吉本用語は難解で、「人に媚びない」文体はとっつきにくく、読み辛い記憶しかありません。
(後援会でも糸井重里氏がサポートされていました。)
糸井重里氏が晩年の吉本隆明氏の「解説者」的な位置にいて、決してでしゃばらずに気持ちよく吉本隆明氏に話しをさせているように思いました。
土曜日に高知市の金高堂書店にて「悪人正機」(話し手 吉本孝明・聞き手糸井重里・新潮文庫)を購入しました。実にわかりやすい。糸井重里氏はまえがきでこう書いていました。
「こどもたちが荒れているとか。大人たちが迷っているとか、かなり長いこといわれ続けている。解決のための処方箋を語る人々もたくさんいて、それぞれにもっともらしかったりするのだけれども、ぼくにはどうもピンと来ない。
それはことばの使い方や考え方の道筋が。どうもウソ臭いからなのだろうと思う。
正しそうに見えることば、りこうそうに見える考えかた。ほめられそうなことば、自分の価値を高めてくれそうな考え方、トクをしそうな考え方、敵を追い落とすためのことば、流行の考え方、仲間外れにならないためのことば、そういうものばかりが目立ってしかたがない。
吉本隆明さんのことばが、ザラザラしたり意表をつくような逆説に見えても、聞いていて気持ちがいいのは、ごまかしたり、ウソをついていないからなのだと思う。
わからないに決まっていることを。「語るために語る」のは間違っている。吉本隆明さんは、「語るために語る」という大人たちに、ことばの専門家たちの「悪い癖」こそが、ウソのことばを蔓延させた原因だときづかせてくれる。
ほんとうのことを言うのは、いちばん簡単なことなのに、それができなくなっているからことばがどんどん腐って死んでいく。死んだことばで書かれた説教も処方箋も.役には立たないし、生きていくのにはじゃまなものだ。
この本は、人生相談のかたちを借りて、あらゆる「うその考えを。丸裸にする社会とか人間というものの、「解体新書」みたいなものとしてできあがってしまった。この本をつくるという理由で、この本の活字量の何百倍の話を聞けたぼくが1番おおもうけであった。」(糸井重里 まえがき)
なかなか率直な感想ですね。糸井さんがリラックスしてうまく聞いているのでとても読みやすい本になっていました。「さすが」と思いました。
講演する吉本隆明さんも下町の文学好きのお爺さんの語りでとめどもなく話されていました。とても面白い番組でした。
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