「我々にとって吉本隆明とはなにか」を視聴して
BSフジのプライムニュースという番組。月曜から金曜までの午後8時から10時までの2時間枠の報道解説番組です。フリーアナウンサーの八木亜希子と報道番組解説者の反町班のコンビで、硬軟とりまぜた話題をゲストを交えたトーク番組です。
4月13日は「追悼 我々にとって吉本隆明とはなにか」でした。ゲストは文藝評論家の三浦雅士氏と芹沢俊介氏でした。三浦氏は詩の雑誌ユリイカの関係者。芹沢氏は吉本隆明氏の逝去される前日に見舞いに行ったとか。いわば弟子のようなご両人でした。
それだけに思い入れが深いので、よく言われているような「吉本隆明氏は60年代、70年代の学生運動、全共闘運動、新左翼運動の教祖的な存在」という通俗的な解説は一切しませんでした。面白かったのはフジテレビ側の解説委員の人が「通俗的」な印象操作をしようとしても、ご両人は全くその質問や会話を無視していたことですね。
例えば北朝鮮の弾道ミサイル問題で、三浦雅士氏が「日本は決断が遅いとわいわい言われていますが、決断がはやいのは独裁国家のほう。はたしてそのことが良いことなのか・」という観点で吉本隆明さんがお元気ならコメントをされたことでしょう。」と。
「世界思想の潮流に対応し、独自の世界観で壮大な思想を構築しているのに、うまく解説できる人や翻訳できる人がいないので、あまり今の人たちには知られていないのが残念ですね。」とも。
日本の巨大な思想家の1人といえば柳田国男もそうですが、独特の表現と記述されている内容が難解であるので、翻訳され外国人にまで親しまれていません。明治期初期のアーネスト・サトウや小泉八雲のような「翻訳者」は、吉本隆明さんにも必要であると思いますね。
番組のなかでよかったのは八木亜希子アナウンサーによる吉本隆明詩集の朗読。「転移のための10篇」の一節の朗読が良かったです。さすがにプロのアナウンサーですね、上手い。
三浦氏が早口で」「対幻想(親子関係・男女関係)が元にあって、自己幻想が生まれ、そのさきに国家や党などの共同幻想がある。1番大事なのは対幻想。他者を媒介した自己表現。
決して他者を排除しない存在倫理をもっていたひとだ。混迷を深めている現代の社会こそ吉本隆明さんの考え方は必要とされていますね。」
芹沢氏も「吉本隆明さんは現代の親鸞のような人。逝去されてあらためて価値が評価され、それがきっかけとなって新たな吉本さんとの出会いがあると思います。」
吉本隆明さんの解説者としては、糸井重里氏が適役の1人でしょう。この10年ぐらいの間に2人は仲良しになっていました。何冊か対談集もだしていますし、糸井氏編集の講演集CDも出版されているからです。
NHKで紹介された3年前の講演も糸井重里氏の段取りもあったことでしょう。
糸井重里氏の編集本です。その感想文です。
「吉本隆明の声と言葉」を読んで
まあ吉本隆明さんは流行の人ではないので、廃れないでしょう。でも気軽に今後もTV番組で取り上げられることはないでしょう。
それだけに「バラエティ番組のフジTV」が民放で初めて製作した番組だけに価値があります。今後も恐らく民放地上波では企画されることはないでしょうから。
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コメント
阿羅漢さんコメントありがとうございました。
わたしは学生時代には吉本隆明氏の著作は「流行」でしたから買い込んでいましたが、ほとんど読まず積読していました。
読み出したのはつい最近ですね。「完本 試行」昨年大枚3000円を出して購入しました。
原発に関する吉本さんのコメントは、いわゆる「反核運動」一般に関する反感があってのではないかと思います。
昔から体制には付和雷同しない「編コツ」な吉本隆明さんでしたから。それに3・11東日本大震災以降は、「9・11」の衝撃でアメリカ社会が変ったように、日本社会も明らかに変りました。
たぶん吉本隆明さんは1年ぐらい前から病気で正常な判断力がもうなかった。「お前はもう死んでいる。」状態でしょう。
そのあたり次女の吉本ばなな氏が「あれこれ言わないで、父をそっとしおてくれませんか」との発言をされていましたね。あの時点でもう逝去されたようなものです。
週刊新潮が吉本氏の言葉の断片を切り取り、あれこれ言っていましたが、あの発言が吉本氏のものであったとしても「さもありなん」と思っただけでした。
南海地震の脅威にさらされている高知市に住んでいるものにとりましては、地震と原発は共存しないので廃炉にしてほしいと、切に願っています。
原子力の科学振興を多少は吉本隆明さんはされていたんでしょう。しかしたかだか100年の人生しか生きれない人間が、放射能物質の半減期に10万年もかかるような物質を管理できるはずはありません。
だから原発は日本では無理なんです。原発問題で吉本さんがあれこれ言われても影響力はありません。
市井の大衆もバカではありませんので。
投稿: けんちゃん | 2012.04.15 17:44
始めまして。高知発のサイトですね、しっかりした中身で、第一印象は「なかなかやるな」。日本は広い。これからも見守っていきたい。よろしく。阿羅漢。
「反原発」で猿になる ! (吉本隆明)を読んで 2012.3.15
「週刊新潮」2012.1.5-12のインタヴュー記事を読んで唖然とした。かつて、吉本隆明を自立の思想家として高く評価し、「試行」にも投稿した一人として、なんともやりきれない気持ちになった。
ここで開陳されている言い分はほとんど反駁するのも馬鹿ばかしい底のものだ。「考えてもみてください。自動車だって事故でなくなる人が大勢いますが、だからといって車を無くしてしまえという話にはならないでしょう」だって ! こんな子供だましの理屈が通用すると思っているのか。また、核分裂による原子力発電と放射能によるレントゲン写真技術を並べて安全性を論じるなんて、詭弁そのものだ。
吉本は科学技術の進歩への素朴な信仰にしがみついているに過ぎない。スリーマイル島・チェルノブイリ・福島という一連の大事故が当時の原発技術の先進国(米国、ソ連、日本)で起っていることを深刻に受け止める必要がある。しかも、これらは三十年そこそこの間に引き起こされたではないか。現在でも中小の原子炉事故は頻繁に報告されている。
原発をめぐる議論の中心にある「恐怖感」について云々しているが、もっか国民の間に淀んでいる過度の放射線への恐れは、昨年の福島原子炉の深刻なメルトダウン(炉心溶融)事故による膨大な放射能の拡散と広範にわたる自然破壊・人体汚染という「歴然たる現実の脅威」のもたらした結果であることに目をふさいでいる。激しい爆発による発電所の災害の惨状は一連の写真で記録されているではないか。どこに目をつけているのだ。
事故後一年の現在でも、爆発事故原因の究明も進まず、圧力容器の内部は放射線が高く危険なため手がつけられぬ状態である。吉本は未曽有の惨禍から何も学んでいない。「福島」原発の大惨事なぞまるでなかったかのようだ。
このインタヴューには、現実の脅威や惨状を直視する姿勢がいちじるしく欠落している。こうした現実感覚の鈍さは一貫しており、まさに恐るべきものだ。
事故を起こした発電所の中に現在も放置したままの、危険な使用済み核燃料はどこに運ぶのか、科学的にどう処理するのか。といった当面の技術的な方法や処置についても、ほとんど考慮する気配さえない。
その代わりに、人類史的な観点からの原子科学の素晴らしさと優位性への賛美が繰り返される。「人類が積み上げてきた科学の成果を一度の事故で放棄していいのか」というわけだ。名にし負う理科系詩人吉本隆明、お得意の「原理的」な考察とやらである。こんな居丈高なご託宣に惑わされてはならない。むしろ、ここに思想家、批評家としての知的誠実さへの欠如を指摘せざるを得ない。おのれの知性が誰より優れているという思い上がりがある。批評家に不可欠な、自己に対する批判的な心構えが失われている。
ここで、ある素粒子物理学者の文章を紹介しておこう。「核融合炉の誘致は危険で無駄」(小柴昌俊)「朝日新聞「論壇」2001.1,18」これは「物理学を学んできた」立場からの「核融合」(「二十一世紀の夢のエネルギー源」! )についての意見である。原子力や放射能に関心ある方は一読されたい。ここには知的誠実さがある。
最後に、原発論議の流れの中で、唐突に小林秀雄を担ぎだしたのには、あきれたというより、笑ってしまった。自立の思想家はどこへいった。虎の威を借りる狐さながらだ。思想家としてみずから墓穴を掘ったにひとしい。
スリーマイル島・チェルノブイリ・福島の原発大事故から何一つ学ばぬ者はむしろ「猿にも劣る」というべきである。
3.11に「東日本大震災市民のつどい」(東京・日比谷公園)に参加した。
「後記」この一文を書いた直後,思いがけず、吉本隆明の訃報を知った。 生前の吉本さんに見せたかった。合掌(3.20本文一部変更)
投稿: 阿羅漢 | 2012.04.15 10:34