昨日住宅密集地の自宅近くの二葉町で火事がありました
4月6日の夕方二葉町町内で火事がありました。現場は二葉町2丁目の住宅密集地。火元は空き家でした。速やかな消防の消化活動で火元の家屋は全焼しましたが、隣接する家屋が半焼にとどまり程なく鎮火したようです。
(火災発生後駆けつけましたが、現場付近は立ち入りが制限されていました。)
翌朝の4月7日現場付近に行きました。住宅密集地であることがあらためてわかります。類焼せず良かったと思います。
不審火の可能性があるのか、警察のパトカーが火災現場前に終日いるようで警戒していました。(火元が長年空き家だったので尚更調査が必要であるからでしょう。)
2008年に二葉町自主防災会は、顧問の西田政雄さんの仲立ちで、1995年の阪神大震災で大きな被害を受けた神戸市長田区鷹取町内会を訪問し、交流をしました。地震発生当時の長田も、高知市二葉町同様に古い木造の低層住宅が密集していたということです。石井会長はこういわれていました。
「まさか神戸に大地震が来るなんて誰1人思っていなかった。地震当日は寒い日で、ステテコ1枚で外へ逃げ出した。寒いとは思わんかった。
だから軍手1つ持っていなかった。地震の後は3日間というもの救援物資も来なかった。本当に着の身着のまま放り出されたようだった。」
そしたらつぶれた家屋の下から近所の知り合いが助けてくれと言い寄った。助けようにもわしらはバールの1つも道具がなにもなかった。そのうち火の手が迫ってきた。泣く泣く仲間を見捨てて逃げるしかなかった。」
交流会当時、石井さんはこう言われました。
「地震は人間の力ではどうしようもない。地震にあったらまず逃げること。訓練であるようにまず火を消して、ブレーカーを落としてなんていくことなどできん。怪我せずまず逃げることや。」
「とにかく家のどこに住民がいるのか。世界構成はどうなっているのか。特に高齢者と子供の状況の把握は町内会で把握し、名簿をこしらえておかないといけない。」(これは荒木副会長の陣頭指揮で全所帯調査を二葉町はしています。)
「それから大災害時には行政はあてにならん。町内会で日頃防災訓練をしておかないといけない。住民同士のコミュニケーションを訓練を通じてこしらえること。バール、油圧ジャッキ、チェーンソウは必要な備品。」(これも備品はそろえましたが、訓練をしないといけません。)
「われわれは大震災の時、手袋1つ持ってなかった。だから瓦礫の中から声がしても知り合いを助けることが出来なかった。」
鷹取町内だけで100人を超える町民が地震でお亡くなりになりました。震災後年に2回震災記念日と、地蔵盆で犠牲者の供養をされておられます。
「大きな通りからこちら側は全焼。跡形もない。ただ手をこまねくしかなかった。片づけして遺体を並べる作業は辛く、ご飯を食べることができなかった。特に子供の遺体の処理は辛いです。」
「行政側を全面的にあてにしたらとんでもないことになる。住民で団結して行政と交渉しないと。そのためには住民同士の助け合いと連携がなにより大事です。」
交流会当時言われた石井さんの言葉を思い出しました。やはり防火が第1ですね。火事を出さない取り組みも自主防災会には必要であると思いました。
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