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2012.04.24

「老いの幸福論」を読んで

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「老いの幸福論」(吉本隆明・青春新書・2011年刊)を高知市金高堂書店で購入し読みました。

 吉本隆明さんは1924年生まれですので、母(86歳)より1歳上であり、父(92歳)より5歳年下の戦中派の人でした。
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 介護度1の両親(父92歳・母86歳)と同居しています。「戦後思想の巨人」と言われた吉本隆明さんの晩年の「老いの生活」はどんなものなのかが気になりました。

 死ぬのは誰でも怖いもの。でも避けられない。西洋人は孤独だから若い時代か徹底的に考えるようだ。サルトルとボーボワールも同居はしていたが、死ぬときは孤独だった。その点日本は臨終の場合は身内が集まる習性があるようなので、まだましかなということもいわれていました。

「だから、先のことが心配で心配で仕方がなくなっても、心配するだけ損なんだから、それよりもいま起こっていることに注目するほうがいい。

 それが幸せでも不幸せでもです。

 そうして時間の刻み方を細かくすることでしか、人は生死の不安の重圧から逃れられないと思います。逃れるといっても、それは逃避とは違う。よく言えば、それこそ今を生きているということなんじゃないでしょうか。

 なげやりでもなく、なるようにしかならないということを自覚すること。これが案外重要じゃないでしょうか。なげやりに、勝手にしやがれみたいだけれど、それは単なる無責任だけど、一種の悟りの境地のようなところにもっていければすばらしいですね。」(P43「こきざみの幸福に気づく」)

 それから勉強すること学問への幻想をもたないようにしようと言うことも。

「必要なのは叡智がまわることで、これは生活経験があれば身につきます。」(P55)

 いいなと思ったところは、「情報を拒否せず、おどらされず」(P58)のところでした。

「その点、文学をやっているような人は、パソコン、インターネットなどの情報機器が発達しようがしまいが、オレが書いているものに文句はあるまい。というふうになっちゃうから、えてしてそういう機器を拒否しがちなんですね。」

「逆に、情報科学が専門の学者さんのような人はそれ1本やりですね。それ1本やりというのは何が問題かというと、彼らは大脳が第一義的に支配する感覚の発達イコール精神の発達だと思い込んでいるいるんです。

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「どうしてかというと、そこが肝腎なことになるわけでしょうけど、人間の精神的内容の中には、感覚の発達とともに煩雑にかわってしまう、という社会の状態が変わる鋭敏に変化する部分と、恋愛感情のように、ギリシャ時代、万葉時代以来あんまり変わらないんじゃないかという部分と両方あるんですよ。

 そうすると片方が専門の人は片方がお留守になるし、逆も同じで、とんでもない話になっちゃうぞというのが僕の実感です。」(P60「知識より叡智が大事」)

 また吉本氏は源氏物語などは、現代訳で十分だ。部分的に古文を読めればいいんだろうが、執着する必要性はまるでないよ。とも言われていますね。専門家の言うように「原文を読まないといけない」というのは嘘だし、時間の無駄だろうとも言われているとことが面白い。

 わたしなどはそれすらせず漫画の「あさきゆめみし」を市民図書館で借りて読むのが精一杯でしたから。

 学者を買いかぶるのはやめようとも言っています。吉本隆明氏は、日本の教育制度は小学校から大学まで文部省が牛耳っているが、他の先進諸国には事例がなく、日本だけの現象ではないかと言っていますね。なかなか面白い提案をしていました。

「僕が日本の教育で一番変えたらいいと思うのは、大学の教授で定年退職になった人を中学の先生にする。というものです。必ずではなくても、教えるのが好きな人は給料を大学教授の2倍か3倍にして、中学の生徒に授業する。

 これは自分の実感として、中学生のときに出会う先生で、その後の人生はずいぶん変わると、思ったからです。

 いまから思うと中学校にこういう人がいたらなあ、こういうことを教えてくれたら自分の進む道がそれで決まっただろうなと、思うことがあるんです。

 残念なことにやりたいと思った時は、ぜんぶ遅かった。そう考えると。大学の教授のような専門の先生が、中学生にわかるレベルで専門的な学問の視点を教えてくれたら、その時点で自分は何をやりたい、何をしようということが決められると思うんですよ。

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「子供の側にしても、小学校の6年生から中学2年生までがいちばん勉強の視野が開ける時期だし、いまそこが問題のある年齢でしょう。急にいろいろ面倒なことを考え込んだりする。それから、グレるというのもるんでしょうね。」

      中略

「テレビをみていて)NHK教育テレビだったと思います)、ジャズ。シンガーの綾戸智絵さんが中学生に音楽を教えているところと、東北大学の光通信の大家が中学生に教えているところを偶然みました。

 両方とも素晴らしい授業でした。聞いていた男女の中学生のうち何人かは、きっとこの授業を聞いただけで、生涯のコースを定めたと思います。」(P85「人生を変える「知」との出会いを」)

 村上龍の「13歳のハローワーク」のようなことも言われていますね。

 私の場合も中学生の時代に国語の教師で三浦光世先生に指導を受けました。そしてご主人の三浦良一さんは当時公務員をしながら小説を書いている人でした。2人から「文章をどんどん書きなさい。日記も他人が読んでもおかしくない内容で書きなさい」と励まされました。

 文章を毎日書き散らし、仕事でも個人でもホームパージをこしらえ、そしてお客様ともメールでやり取りをしているのも、文章を書くことがいわば「仕事」になっているからです。文章を書くことは「自己表現」ですが、それをずっと続けて行こうと思いましたのは、中学の時代以降のことです。その年代での影響は大きいですね。

 超高齢者となった吉本隆明さん。こんなことも言われています。

「僕はこのごろ少しわかるようになりましたが、老人問題というのは、前は肉体問題でした。つまり、だんだん手足がうまく動かなくあんるというような肉体的問題だと思ってきたのが、この数年間の僕の実感的な体験から言いますと、老人問題というのは、病気でいえば、心身症ですね。

 心の問題がいらない老人問題ってないんです。身体が少し不自由になったというのもみんな心身問題です。」(P165「老人はみな心身症であると心得よ」)

 吉本隆明さんのこの本は亡くなる1年前に書かれています。口述筆記かも知れませんが、超高齢者(86歳)の心境を淡々と述べていますね。

 スポーツの効用も言われています。プロのように無理に身体をいじめていると高齢者になってろくなことはない。そうではなく少しスポーツをたしなむ。すこしだけ運動をするということが、高齢者になったときに身体が麻痺が出たときの回復の度合いが違うねと言っています。

「だから身体のことを考えるのなら、好きだからやる、ストレス解消、運動不足解消のためにやるという程度にしておいたほうがいい。

 あるいは、日常作業までいつでも使う身のことではないことを、なにか少し意図的にやってたほうがいいですよ。ということはなんとなく言えそうで、しかも極めて重要な気がします。」(P169「余分に、動く、無駄に動く、その効用」)

 なんだか「養生訓」のようですが、。その考えは間違いではないですね。わたしも趣味でヨットは休日にのんびりとしています。これはスポーツというよりストレス解消です。」精神的な効用が大きい。
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 左手でご飯を食べることや、徒歩で歩くときに、安全な場所で後ろ歩きをしたり、信号では片足たちをするのも、身体に刺激を与えています。

 吉本隆明さんは若いときから、選手になるように入れ込んでスポーツ訓練はしなかった(湯外無益だから)。そのかわりスキーや水泳もなんでもスポーツはやったそうです。

「そうすると年をとってから、どういう身のこなしをするといいとか、脳梗塞とか脳溢血とか、そういうふうになったときにどうしたらいいかということが、なんとなくわかる気がするのです。

 やはり、若いときにスポーツをやっていたひとや、スポーツは嫌いじゃないから適当な程度に面白半分にやってたよという人と、そういうことをやったことがない人では、身体のこなし、身体の動かし方のセンスが違ってきますね。」(P170)

 吉本隆明さんは実例をあげて説明されていました。知り合いに第1級の学問を独学で極めたインテリがいたそうです。その人が脳梗塞になりました。しかし若い頃から、まったくスポーツなど無駄だと言ってしなかった人だけに、リハビリがまったく進展しなかったそうです。

 リハビリの人が少し離れたところにいて、ここまで歩いてきてくださいとか。ベットの上の枕をわざと離れたところにおいて「手を伸ばして取ってください」と作業療法士が言いましてもまったくしようとしない。

 あるときは吉本さんの娘さんがテニスボールをお見舞いに持って行かれて、「暇なときにこれでリハビリしてください」と言っても飾っているだけで一向に実行しない。この人は亡くなる今でベットから車椅子に降りることができませんでした。

「身体と精神というのは、普通の医者が考えているよりずっと密接ですよ。特に老人の身体や精神の障害はすべて心身症と、切り離すことはできません。

 僕も糖尿性の神経障害です、こんなのは直らないですよ大学病院の内科の医者に言われて、たしかにそう言われれば、いくら頑張っても親指に神経がいかないんです。親指を動かそうとしても動かない。

 その神経がどこかで途絶えているんです。僕のリハビリはこれはどうしたら動くようになるのかな、と思うところから始まったんですが、自分は若い頃少し身体を余分に動かして遊んだことがあるから、それをやってやるかといういおとになる。
 医師の言うとうりにしていたらこのままで同じだな、と思って試してみるわけです。

 その人は身体を余分に動かすという経験がぜんぜんないものですから、駄目なんです。亡くなるまでベットから」車椅子に移れなかった。移るとき、はじめは紐をベットに結んでおいて、利くほうの手でもちながら身体をずらして車椅子に乗ることを自分でやらないといけない。またやるほうがいいのですが、それもできないままでした。

 だから、そういう身のこなしということから言うと、スポーツというか、余分に身体を動かすことを,遊び程度で結構ですから,若いときからやっておいたほうがいいですよ、ということは第1番にあげます。

 老人になって、まだ身体が動く人たちにいちばん言いたいことがこれです。」(P17「創意工夫で病後を楽しむ」)

 自分で病気を体験し,リハビリもしたことがあるので、入院中も、リハビリ中も頭はしっかりしていたので吉本さんは考え続けていたのでしょう。

 また「自分の身体の主治医は自分」という項目では実体験をベースになかなか辛らつなことも書かれていますね。

「いい医者、悪い医者の問題で言うと、医者が場合によっては相手を病気にさせちゃうことがあります。患者のほうも自分で気に入らないことに出くわすと、自分で病気をつくってしまう。自分の都合のいいように病気になるんです、」(P178)

 このあたりは母がそういう「傾向」があるのでよく理解できますね。自分で病気を探し出す傾向があるからです。

 大学病院のような先進的な病院の医者が考えている精神と身体の関係は大間違い。非常にうすっぺらだと批判します。

「足腰が痛くなろうとも、歩けなくなろうと、それを防ぐ唯一の方法は、要は医者が言うのと反対によく動かせばいいんです。」

「身体にとってはじめはきつくても「、無理して動かす。そうすると精神的なほうが治ってくるんですよ。これは近代医学の先生が言っているのとはるいかに違う。格段に違って精神が美味い具合になれば、身体の悪いところは改善に向かいます。」(P178)

 偉いとおぼしき医者も「適当に身体を動かしたらいい」というだけ。なるほど不親切だから民間療法が衰えないはずだとも言いますね。

 こうも言い切っています。「結局、自分の身体を一番知っているのは自分ですから、自分がいいと思うことを自分でやる以外どうしようもないじゃないかと思います。」

 死についても吉本隆明さんは、「葬式というのは身内のためのものでどうでもいい、」「親鸞さんだってわからないんだから、誰もわかたない。それでいいんだとも言われています。

 「死を迎える心の準備なんてない」といわれていました。

 吉本隆明さんはあとがきでこう書かれていました。

「老いについて言えば、生と死に分かれ目に近づいては言えると思います。でもこれが幸福なのか不幸なのかわかりません。幸福とは言えないだろうけれども。そんなに不幸だという感じもしない。

 頭の中では、もっと生きていたいとか、まだやりたいことがあるとか、心残りはあるんだろうけれども、だからといって、それはそんなに不幸なことだろうか。

 僕はじゅうぶんに生きたということもありますし、生きていても、いいことも嫌なことも数限りなくある。だから、生きている苦労や不幸と比べてみて、死ぬことが不幸とばかりは言えないと思うんです。」(あとがき)

 この本の出版後の1年後の2012年3月16日に吉本隆明氏は逝去されました。超高齢者となった吉本隆明さんの「つぶやき」と「本音」は、同年代の両親と同居している私にも大変参考になりました。

 

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コメント

やまんば@糖尿病 さんコメントありがとうございました。

 吉本隆明さんは大正生まれで戦中派。うちの両親と同世代ということもあり、この著作はすらすら読みました。

 入院中も病院のあり方を観察し、自分たちの都合で患者を管理するのではなく、患者本位の医療だってあるはずだと鋭い考察をしていました。

 確か新書版です。購入されて読まれたらよいとは思います。

投稿: けんちゃん | 2012.05.07 19:29

糖尿性の神経障害があるのですね。私もあり増すので気になります。
糖尿性の神経障害について、よくブログに書きます。
ブログに書きながら勉強もしています。
「老いの幸福論」の病や死についての考え方に共鳴いたします。買うか図書館で借りて読みます。

投稿: やまんば@糖尿病 | 2012.05.07 18:53

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