幸徳秋水資料館へ行きました。
四万十市中村での商談前に少し時間がありました。四万十市役所2階にある図書館の中に「幸徳秋水資料館」がありました。こじんまりとした展示でしたが、内容は充実していました。
大逆事件の冤罪で処刑される直前に幸徳秋水さんが書いた色紙もありました。
大逆事件で逮捕・処刑された幸徳秋水さんと交流があった管野スガさんが、マチ針で描いたという文章には驚きました。
幸徳秋水さんは、若い頃、足尾鉱山鉱毒事件で奔走している田中正造氏のために、明治天皇への直訴状を書いています。幸徳秋水さんは教養があり、宮家のお立場もよくわかっていたと思われます。検察側の主張するように国家転覆をくわでてたテロリストに収まるような小さな器の人物ではありません。
展示で驚いたのは、大逆事件で欧米各国(アメリカ・フランス・イギリス)で大規模な抗議行動がおき、連日抗議デモが日本大使館へ市民が押しかけたそうです。無政府主義者、共産主義者だけでなく、社会民主主義者、キリスト教市民層の人たちも抗議行動に参加したとの記録もありました。
ささいなことで主義主張の異なる「社会主義者」を逮捕・拘禁し、冤罪で幸徳秋水らを処刑した日本政府。101年前のことでした。その後の日本国は坂道を転げるように1945年に惨めな敗戦を迎えます。
中村市(四万十市)で名誉が回復された幸徳秋水さん。高知の日本の偉人であると私は思います。また日本の司法当局は関係者の再申請求に応じ、冤罪を認め無罪判決を出すべきであると思います。
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