「蓮如ー聖俗具有の人間像」を読んで
「蓮如ー聖俗具有の人間像」(五木寛之・著・岩波新書・1994年刊)を読みました。4月の下旬に良性頭位性めまい症になるぐらいに精神的な疲労があり、読書が出来ませんでした。
とぎれ途切れの連休の休みの間に、ヨットで海へ出て充電し、高齢者の父や母に付き合って結果気分が転換できました。それで元気が回復したので読書をしました。
五木寛之氏の「親鸞」という著作を最近読みました。従来の印象を覆す「やんちゃな」親鸞。まるで「青春の門」の主人公のような活劇的な親鸞に親しみを覚えたことでした。
個人ブログ記事「親鸞を読んで」参照
親鸞が開祖した浄土真宗も、時代が下ると、衰退し、分派がいくつもあり、混乱していました。また蓮如が生まれた時代は、室町末期で、応仁の乱が勃発し、地方も都も秩序が乱れていました。
蓮如は京都の東山の本願寺に僧侶の子として生まれました。しかし暮らしは貧しく、ひなびた寺の住職の代表にもなれず、40歳の頃まで雌伏の毎日でした。母親も当時身分の低い階層の人らしく,蓮如を生んでほどなくいなくなりました。
蓮如も妻帯しますが、貧しさゆえに7人の子供たちを育てることが出来ず、奉公に出したり、養子に出したりして悲しい離別の思いもしています。
43歳のときに父親が亡くなり、嫡男との争いに勝利はしたものの、わずかな寺の財産もすべて持ち出して逃げたため、蓮如にはきびしいスタートであったようです。
でも庶民の力強さに日常生活で接し、生い立ちの不幸もあり、43歳まで下積生活をしていたことをばねに、蓮如は爆発的に布教活動にまい進していくくのです。
五木寛之氏は親鸞と蓮如を対比させ、こう書いています。
「親鸞は「貴種流裡」の聖人でした。どんなに「とく」を自称し、野のひじりとして貧しく生きても、その身辺にはおのずと精神の貴族性がオーラのように漂います。彼は貴族の子として生まれた、いわば「乞食王子」なのです。
蓮如は、さびれはてた寺に、「いやしき女」の子として生まれました。いわば「卑種栄達」の俗人です。こういう人が成金めいた振る舞いをするのは、ある種の切なさがあって、わたしは嫌いではありません。
蓮如の同胞意識は、彼の思想の結果ではありません。おのずと人と差別なく接する体質だったと思います。彼が親鸞思想の本質を正しく理解しえていたかどうかは、論議のわかれるところです。
しかし、私は蓮如が親鸞の教えの中に自己を救われる何かを発見し、親鸞を「たのんだ」と思います。そしてそれを同じ立場の人に伝えたいと、真剣に心から願ったと感ずるのです。
親鸞には「あしきおのれ」への深い理解がありました。蓮如には「いやしきおのれ」への熱い自覚があったと思うのです。そんな蓮如にいま私は心惹かれるところがあります。
親鸞を父、そして蓮如を母と感じる人々はすくなくないのではないでしょうか。
人は一瞬きらめくときがある。それが人間の魅力というものです。聖と俗が切り離しがたくからみあった1人の人間として、彼と平座でむかいあうことこそ蓮如を理解する唯一の道だとわたしは思うのです。」(聖と俗のあいだに P179)
以前五木寛之氏は、エッセイ集の「他力」のなかで、蓮如のことをこう書いていました。
蓮如は大衆の間に入っているだけに言葉に説得力があります。
「難しいことをやさしく」
「やさしいことを深く」
「ふかいことを広く」
それこそ市民運動・社会運動の極意でしょう。
浄土真宗は日本で1番多くの信徒を今でもいるとされています。信長と正面から対立し、門徒の多さから、東と西の本願寺に家康は分けました。時に権力者と対立、あるいは迎合しながら、しっかりと根を下ろした宗教の1つです。
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