大衆迎合型政治屋との決別を
最近でこそ大阪市長の橋下徹氏が「次期総理・日本のリーダー」とかしきりにマスコミが持ちあげています。一体彼が何をして、なにを目指しているのか伝え聞く情報だけではわかりません。田舎にいますとわかりませんね。
「実績」があるのは「公立学校の卒業式で君が代斉唱をしなかった教員の口元調査をし、密告を奨励。処分をしたこと」。市役所の労組を悪者としたてて攻撃をし、組合事務所を庁舎から追い出したことぐらいでしょうか。
「大阪都構想」もなんのことがわからない。市政や府政を満足にやったと思えないのに、国政をねらいうというのは、調子に乗りすぎではないのか。
日本国民は2001年に「小泉純一郎氏」に騙されたばかりです。「改革」と称して、強引にアメリカ型社会システムを導入し、輸出型大企業が一時的に利益を上げました。しかしそれは正社員を解雇し、臨時や派遣や契約の不安定雇用を増大させ、賃金を低下させ、アジアの開発途上国並みに引き下げる効果しかありませんでした。
その結果国内市場が低下し、国民の購買力は低下し、格差社会を作り出しただけでした。
「安心できないファシスト」の登場などまっぴら御免です。
個人ブログ記事「安心のファシズム」を読んで
かつてこの人たちも熱狂的に国民投票で権力を白紙委任しました。その結果は悲惨な破滅でした。安直に権限をゆだねることは破滅を意味することを私たちは歴史から学ばないといけません。
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