ゴーヤさんの緑のカーテンが9割完成
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炎天下の海遊びの疲れもあり、午前1時開始の時間帯には爆睡。目覚めたのは後半0分すぎの時間帯でした。
イスラム教のラマダンの断食でモロッコはふらふらで試合にならないだろう。とか言われていましたが、パスのスピードがあり、速い攻撃で押し込まれる場面の連続。スペインとは異なる上手さと、きれのあるチームではないか。
U-23も中盤のパスカットから相手ゴールに迫る。惜しいのは清武のシュート。またもバー直撃。きちんとゴールマウスの中に入れて欲しい。
後半の39分に清武からのパスに永井が俊足でモロッコゴールに迫る。GKも飛び出してくるところをふわりとループでのシュート。GKの頭を超え無人のゴールにボールは吸い込まれ、U-23待望の先制点。
その後のモロッコの猛反撃。危ない場面が2度ありましたが、GK権田とDF吉田が体を張り跳ね返しました。U-23も相手ゴール前に迫る攻める姿勢を見せて、勝ちました。
「弱い。弱い」とののしられてきたU-23。これで1つの壁を超えました。
中田や高原の「黄金世代」のいた2000年のシドニー五輪以来の決勝トーナメント進出です。ここまできら決勝まで行き、優勝していただきたい。
関塚監督も喜んでいました。
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今日から3日間家内は小旅行で不在。早朝から超高齢の両親のために、父(93歳)には、減蛋白のざるそば。母(86歳)のためにソーメンをこしらえ、冷蔵庫に入れていました。お昼には食べていました。今日は暑かったので麺類が良いと思いました。
さて朝夜須へ着きました。ハーバーは上天気です。ヨットはこういう空でしないといけない。
ぎ装(ヨットの組立)している間に大汗が流れます。下はコンクリートだし、日陰もありませんから。今日はジュニア・ヨットクラブは、全中(全国中学生体育大会)で富山へ遠征で不在。高知大学ヨット部も不在でした。 プライベート・ハーバーのようでした。
ビーチではシーカヤック。体験をされているのでしょうか。大勢の人たちが浜辺でカヌーの前で講習を聞き、海へ出られていました。
午前中は風がまあまあですし、波も高くないのでデジカメを持参してヨットに乗り込みました。
ハーバーからですと南東方面からの風。アビームでスイスイと安定して帆走しました。
海水温はおそらく25度程度か。外気温が32度ぐらいでしょうか。陸が暖められるので、海風が吹きます。海の上に居るぶんには涼しいです。
涼しいと言いましても太陽光線は痛いぐらい。日焼け止めを鬼のように塗りました。そしてスチロール箱に冷えた水とスポーツドリンクを入れています。保冷剤を入れていますので、冷たい飲料が海上でも飲めます。究極の熱中症対策です。
海へ出てしばらく1人で帆走していますと、ようやくシニア。ヨットクラブも面々が出艇しようとしています。
今日のハーバーは、中学・高校生や大学生など若いヨット関係者は不在。シニア・ヨットクラブの5人と、あと2人社会人が来られセーリングをしました。
昼食後も2時間程度セーリングしました。結構朝から晩まで海で遊びました。大汗掻いて、海で帆走の連続。体が完全な夏仕様になりました。
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福島の原発事故があって初めて、使用済み核燃料が、運転中の原子力発電所の建物の中のプールで保管されていることを知りました。それも常に水を張り、電気を供給しないといけないらしい。
これは後々まで管理しなければいけない施設ではないか。またそれから取り出される高レベル放射性廃棄物は、管理のしかた、処分のしかたも全く確立していないらしい。大変な問題ではないか。
こんp50年の間、日本は地震が群発する日本列島の海沿いに54基も原子力発電所をこしらえてしまいました。地震や津波の脅威もあります。なにより使用済み核燃料の処理を安全にきちんとしなければ、危険極まりない施設です。
国民的合意で処理方法を確立しないといけないです。
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報告が遅れましたが、7月26日には、二葉町自主防災会の荒木副会長と徳島へ行っておりました。10月に予定している二葉町自主防災会の防災研修の下見もありました。徳島県立防災センターでの研修を中心に、往復のバスの中でも南海地震の勉強をする予定です。
資料もいただきましたが、徳島市は吉野川流域河口部の街。低地であり、海にも近く、河川も多い。中洲のように堤防に囲まれた低地市街地形成されているので、高知市二葉町同様の「津波・浸水避難困難地域」が多いなと思われました。
昼食は、徳島市で有名な食堂「阿波の里」へ行きました。国道11号線と、北島町方面へ向かう県道26号線が交差する場所にありました。駐車場も広い。
昼食の「ランチ」を頼みました。とにかく量が多い。3段重ねで、上にソーメン。中断ハンバーク。下段にお刺身。ご飯に味噌汁。デザートにコーヒーまでついています。値段は1050円。手頃でしょうが、年寄りには量がちと多いようでした。
比較的新しい施設です。防災ガイダンスや、各種の防災体験ができます。部屋ごとの揺れが体験できる地震体験。見学当日は地元の介護支援施設が体験に来られていました。
防災用品の展示コーナーもありました。飲料水浄水器や簡易トイレなどもありました。
災害や事故をいち早く消防などに知らせる「通報体験」コーナーは良いと思いました。
その後、阿波踊り会館、藍の館、阿波十郎兵衛屋敷を見学しました。
阿波踊り会館は写真撮影禁止でした。阿波踊りの歴史が写真展示や3D映像で見学できます。阿波踊り実演は別料金。時間が合わず見れませんでした。
藍の館は、その昔阿波藩は特産品奨励策をやっており、米作よりも藍の栽培、藍の染物に力を入れていたようです。当時の庄屋屋敷が保存されており、当時の道具などが屋敷内に展示されていました。
藍染め体験も有料ですが、行うことができます。
最後は阿波十郎兵衛屋敷を見学しました。人形浄瑠璃の上演時間に間に合いませんでした。説明が映像で劇場であり、その後学芸員が阿波人形浄瑠璃の説明をしていただきました。
説明によりますと阿波人形浄瑠璃は、義太夫節の浄瑠璃と三味線、3人遣いの人形の3者によって演じられる人形芝居です。
徳島では農村舞台や小屋掛けなど屋外公演が主体でしたので、文楽に比べ大きな人形になり、光沢のある人形になったとのこと。
人形のからくりの1部も見せていただきましたが、なかなか精緻にできています。関心しました。
10月に二葉町自主防災会の研修事業として、徳島県立防災館訪問を主体に計画を立案しようと思っています。その下見は今回することができました。
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梅雨も長雨で、蒸し暑い。でも梅雨の時期と言うのは、梅雨明け後の暑い夏を乗り切るための助走機関ではないかと思いますね。湿度が高いから。体温調整が難しい。でも動いて汗をかいて、体を夏仕様にすべきでしょうね。
むやみやたらにエアコンを使わないことです。水分補給はまめに。扇風機で空気を動かします。自宅ではビールは原則飲まない。飲めば余計に暑くなるらでス。我が家にはエアコンを使用しないからです。
とはいえ超高齢者の両親の体調管理が1番です。今の時期夏仕様の体にしていっています。脱水が怖いので、OS-1は常備し冷蔵しています。
細心の体調管理と省エネで夏を乗り切ろうと思います。
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俗に梅雨明け10日といいますね。きょうは梅雨が開けて10日目。言い伝えどうり高知市も暑いこと。33度ぐらいだといいますが、体感温度はそれ以上。
今日は金融機関へ用事がありました。先に母(86歳)をはりまや橋商店街で降ろしました。用事をづませてかけつけました。金曜露天市が開催されています。
占い(人生悩み事相談をされている島本茂男さん。このたび「一言人生相談コーナー」(料金100円)を解説されたそうです。
暑い中でしたが、「いきいき100歳体操」(介護予防体操)は、10人の高齢者が参加していました。参加syの1人の叔母(80歳)は、「最初は腰が痛くて今日はしんどかったが、動かすと楽になった・」とか。体操の効用は間違いありません。
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なでしこさんたちの執念が乗り移ったんでしょう。
日本男子のU-23は、今大会の「優勝候補」とされているスペインに。、1-0と勝利した。勝因は守備の堅さ、粘りが相手を苛立たせ、相手DFを退場に追い込むぐらいでした。
パスの保有率は、70%はスペイン。ボールを保持され回されるが、日本はゴール前をブロックで守り、隙がない。時折永井が快速で相手DF裏を狙うカウンターを仕掛ける。
前半34分、その速攻からコーナーキックを取る。扇原のボールを、大津が足で蹴りこんで日本先制点。これが決勝点になり、強豪スペインを1-0で破りました。
その後も永井や清武、斉藤などゴールを決めなけれna
ならない場面で、ことごとく外す。あろうことかシュートを打たずにパスをする。悪い癖が相変わらず出ている。
よくぞ負けなかったと思います。
試合後の大津の晴れ晴れとした表情がいいですね。
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2012年はマルク.シャガールの生誕125年に当たる年です。そのため。日本全国各地でシャガールの大規模な展示会が開催されていました。会場でこの解説本を購入しました。西日本新聞社が作成し、2000円しました。
高知でも県立美術館が「シャガール展」を開催していました。最終日に家内と2人で鑑賞に行きました。高知でのシャガール展も高知県立美術館の単独開催ではなく、全国の美術館での巡回展になっていたようでした。
シャガールは1887年にロシア(現在のベラルーシ)で生まれ、ロシアで成長した画家でした。ユダヤ教徒であることや、ベルリンやパリへ行き、当時の最先端の芸術文化に触れたこと。
また20世紀の歴史の大変動を体験していることが、作風にも影響を与えていたのかも知れません。第一次世界大戦、1917年のロシア革命。スターリンによるユダヤ人の迫害。ヒトラーによるユダヤ人虐殺。第2次世界大戦と激動の歴史を生き抜き、1985年に97歳で逝去されました。
ベラという最愛の伴侶を得て「天にも登る」気持ちで描いたのでしょうか。2人は空を飛んでいて、下には故郷の街並みが描かれている絵です。
奥さんと手をつないで飛んでいる絵が目立ちますね。「散歩」という絵も1917年に描かれています。
ピカソなどの現代美術の影響も受けているんでしょう。でもシャガールの絵はどれを見ても(とんがって」なく、何故か見ていて楽しい絵が多いと感じます。理由はわかりませんが
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初戦の重圧を克服して立派です。
サッカー女子の日本VSカナダ戦。試合開始早々は、カナダの出足と球際の激しいプレーに押され気味のなでしこさん達。でもアメリカ。フランスに連敗した試合と違うのは、押されながらも、皆が体を入れ、前線からも攻撃的な守備でボールを奪っていたことです。
そしてその努力が報われました。前半の32分頃ゴール前で大野がボールを受ける。相手DFに囲まれながらも真後ろにボールを出す、駆け上がってきた川澄が蹴りこんで、なでしこ先取点!見事なゴールでした。
そして前半首相間際の44分、鮫島のクロスがゴール前へ。宮間が競り合いながらヘッドでねじ込みました。2-0とリードし前半を終えました。
後半は注意をしなければいけない開始早々から15分までの時間帯。カナダが日本の左サイドを崩し、クロスボールを決められ、1点を取られました。
それはその前の絶好の決定機をなでしこさんが決められなかった故の反撃でした。
でもその後も早いパス回しで相手を翻弄。最後までゴールに詰めるという攻めの姿勢を崩さなかったなでしこさんが、2-1でカナダを破りました。
それにしても凄かったのは攻守に活躍した澤選手。中盤やゴール前で危ない場面を回避させるタックルを繰り返し、ゴール前でもゴールを狙う姿勢。運動量が凄かったです。
川澄選手の試合後のインタビューも爽やかでした。
課題もありましたが、まずまずの発進でありました。なでしこさんたち頑張りました。
また解説ゲストのなでしこOGの大竹七未さんは美しい。適切な解説も見事でした。
深夜の1時から3時までの試合。早寝をして見ただけの価値はありました。
多くのサポーターたちが喜びました。佐々木監督もやれやれでしょう。
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「アメリカの大罪」(西部邁・著・小学館文庫2003年刊)を読ましました。ブック・オフで105円で購入しました。さすがは右翼業界の理論家だけに読み応えはありました。
著作は小泉純一郎内閣全盛期に書かれています。アメリカ1国主義、アフガンやイラクへの侵略戦争。追随した小泉政権。「規制緩和が叫ばれ、日本的慣行は古い、高コスト体だ。グローバル・スタンダードな経営にしないと国際競争に勝ち抜けない。」と狂気のように叫ばれていた時代を背景にしています。
「第3の開国ということがいわれている。明治維新、対米敗戦に次いで日本が門戸を広く世界に開くべき時がやってきたというわけだ。そして今の開国は、金融方面を中心とする日本の産業体制の世界平準化のことだとされている。」
(中略)
「しかし、第1の開国を指導した福沢諭吉似ならって言えば、グローバル。スタンダードとやらで、日本社会を律せよと叫び立てる連中は「開花先生」であり、「改革者流」であり、「心酔者流」である。」
「つまり自分らの国が「固有の文明」を持っているとも、持つべきだとも考えない精神的に無国籍の連中が、高度国際化にすぎない現在の歴史的段階を。世界が単一の標準によって律せられるものとしての世界主義(グローバルリズム)の段階と取り違えているわけだ。」
「世界標準は、当たり前のことだが、天から降ってくるのではない。それは今の世界における最強の政治的および軍事的な覇権国アメリカからやってくる。アメリカがそれを供しうると構えられるのは、貨幣と技術という(少なくとはみかけの上では)、脱歴史的な、それゆえに普遍的な、代物を操作する点で主導権を握ったからだ。
歴史から遊離した貨幣・技術の働きは俗悪である。つまり私達の眼前で進行しているのは、グローバリズム=アメリカニズム=俗悪という三位一体を奉じる,邪教というべき、経済宗教なのではないか。」
そして西部邁氏流に、「平成改革」なるものを看破しています。
「日本人がこの邪教のお先棒を担ぐはめになっているのは、あっさりいって、あの対米大敗戦のトラウマから、つまり精神的外傷から、抜けだせないでいるにほかならない。
アメリカのことを批判する文書に接するたびに、これは反米ァ、嫌米か離米かなどと自問してしまうことが、すでにして、対米属国人の振る舞いに当たる。
こうしたおそましい心性にもとづいているがゆえに失敗に帰すること必然の行動、それが5項目出会ったか、10項目であったか誰も覚えていないのであろうが、ともかく「平成改革」というものなのであった。」
中略
「つまり高度国際化社会において活力豊かに生きるための前提条件である「開かれたナショナリズム」についてだる。諭吉ふうにいえば、自国の歴史という精神的地盤の上に「一身独立」を成し遂げた日本人によってのみ日本の「一国独立」が実現される。」(P216)
散々宣伝された小泉時代の「規制緩和」によって、安定した職場から追われ、労賃は下がり、日本は格差社会になりました。
そして未だに「平成維新の会」に小泉内閣の残党が顧問としてい座り、再び日本社会を混乱に陥れようとしています
西部邁氏の「世界観」にも一利あるなと思い読みました。
橋下徹大阪市長の「大阪維新の会」に対しても本質を見抜き批判をしています。
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NHK総合の番組[日本人は何を考えてきたか 第6回大正デモクラッシーと中国・朝鮮~吉野作造と石橋湛山」を見ました。家内が録画してくれていましたので、じっくり見ました。
在日コリアの姜 尚中氏が、吉野作造の形跡を訪ね韓国ソウル市を訪問。東京帝大で吉野作造に直接指導を受け交流があった朝鮮人留学生の子孫と対談します。
当時吉野作造は帝国日本の維持という制約があったものの朝鮮の植民地支配に異議を唱え、自治を拡大し、将来的には独立せるべきだとの主張をしていました。[3・1]独立宣言をした多くの朝鮮の知識人は吉野作造との交流があったことに驚きました。
吉野作造は55歳で逝去されますが、その著作や交流録は東京大学の資料館に保存されています。
また石橋湛山は、日蓮宗の高僧の家に生まれ、様々な出会いにより自由主義やプラグマティズムや経済学を猛勉強し、早稲田大学卒業後東洋経済新報社に入社、「植民地の放棄、自由貿易による小日本主義の主張」を行いました。
敗戦後は首相になりますが。病を得て65日の在職で辞職します。後継の岸信介が対米追随外交を展開したのとは対照的に、「日中米ソ平和同盟」構想を提唱、日中国交正常化に晩年は力を尽くしました。
政治が「軽量化」している日本。その昔「重厚」な政治を実践していた政治学者と政治家がいたことを私たちは忘れてはいけないと思います。
なかなか姜 尚中氏は、的確な番組をこしらえるものだと関心しました。
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週明けの月曜日はせわしい。朝1番は父の点滴と診察を植田医院にいかないといけません。
でもこのところの精進(現蛋白食・水分補給。適度な運動・前向きな気持。植田医院での治療)のおかげて、父「93歳」の体調はすこぶる良いです。
尿素窒素(17・1)、カリウム(3・5)といずれも標準値です。クリアチリン値も(1・87)です。こちらは正常値が(0・5-1.0)なのでほど遠い値ですが、なんとか健康を維持できています。
昼ごはんを11時半過ぎに済ませますと、12時10分すぐに「ジョイリハ」(介護予防リハビリ)の送迎車が来てくれます。要介護度1の両親は毎週月曜日の午後の部を利用しています。おかげで足などの筋力がつきました。
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(月に1度の町内の不燃物・資源仕分けステーションの運営。リタイヤされた人たちが中心になられています。)
ご近所に地域活動を真摯に熱心にされておられる人がいます。町内会でも自主防災会でも頼りになる人です。その人が先日つくづくこんなことを言われていました。
「僕はある会社に20歳過ぎから65歳まで40年以上勤務した。その会社は地域活動にも理解があり、遅くなっても事前に断っておれば、賃金カットもなかったです。
年金も退職金も世間並にあり、公務員並とは行かないが、リタイヤしても地域活動に専念できますから。病気さえせんかったらいい人生であると思うね。」とのこと。
高知では公務員以外の人では、こんないい年金生活をおくれる人などそれほどいないでしょうね。
またえてしてそうした恵まれた境遇の人たちはいわゆる「会社人間」的になりがちで、それ以外の地域の活動には参加したがらない傾向があるようですね。
高知では地域活動を積極的にしたがらない3つの職業の人と言えば、「元警察官」、「元教員」。「元県職員」と言われています。この人たちの「幸福度」については論評できませんね。
うちの家族のことを考えても、リタイヤしてもご近所の方のようにはいかないですね。なかなか幸福なリタイヤした人生なんてなかなか味わえる人は、ごく1部ですね。
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大相撲名古屋場所は、モンゴル出身の大関白馬富士が、横綱白鳳を破って全勝優勝しました。中入り後からだらだらと見ていましたが、相撲は勝負がはっきりするので面白い。
力士は昔と異なり大型化しましたが、土俵の大きさは変わらないと思います。
優勝力士の表彰式。君が代が斉唱されますが、このところ日本人力士で優勝した力士はいないようですね。相撲の国際化はたいしたものです。外国出身力士でもインタビューは流暢な日本語を話します。
奥さんも日本人女性という力士も多く、日本国籍を選択する場合もあります。
土俵に表彰式でも女性を上げないとか、頑固に伝統を保持しています。でも外国人力士が大活躍して、大相撲を盛り上げています。
八百長問題の影響はぬぐえませんが、大相撲の人気は継続していただきたいと思います。
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2桁の国道は国の直轄である。国道32号、国道56号線には最近「海抜表示」がされています。夜間でも光る蛍光色のシールが国土交通省所有の道路標識のポールなどに貼られています。
昨今の地震学者の方や、地震対策の行政部署の方に聞きますと、高知市内・市街地への浸水は5m程度になるだろうと言われています。
それは、南海地震が発生すれば、高知市の市街地は1M~2M程度地盤が沈下するだろうということ。そのうえに30分後あたりに津波が来襲し、「合わせて5M」程度浸水するということが言われています。
それを表示する意味で貼り付けられているのか、道路管理者である国道事務所に問い合わせをしてみました。
、「海抜シール」と言う名称。道路の周辺の海抜(高さ)を表示しています。瀬戸内側が5M以下。太平洋側が15M以下の表示です。平常時には道路と周辺の高さ(海抜)を知ることが出来ます。避難する場合は高さは目安になります。
黄色が1~4M.オレンジが6~9M。青が11M以上となっています。「東南海・南海地震と津波に備えて」とありますから、国道沿いの標識を確認し、周辺の海抜を意識する必要があります。
昨年から主要国道の海沿いの道路や沿岸部の市街地の道路の道路標識に表示されているとのことでした。1KMを目安にしているそうですが、市街地などでは500Mたびに表示をしています。
同じ5Mでも二葉町や宝永町のように、「見上げる高さ」担っているところと、枡形付近は人の背丈くらいのところに5M表示があります。道路からの高さではなく、あくまで「海抜の表示」です。
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やはり夏のハーバーはこうでないといけない。午前8時過ぎに到着。上天気です。
ほどなく押岡さんが来られ、手早くご自分のレーザーをぎ装。こちらはもたもたとぎ装をしました。
風はあまりないようなので、デジカメ持参で海へ。ところが案外風が強い。カメラを濡らさないように撮影するのが難しい。変な写真しか撮れませんでした。
程なくして、渡辺さんと高樽さんが、芝藤敏彦さん所有のシカーラという4人の乗りの大きなディンギーで海へ出てこられました。安定性の良いヨットです。それで高樽さんに私のシーホッパーに乗ってもらいました。わたしは海の上の風景を撮影しました。
ジュニア・ヨット・クラブの洋上練習風景です。なかなかシビアに丹念に練習をしています。
お昼前にハーバーへ上がりました。ジュニア・ヨットクラブも午前の部の練習は終わりです。着艇を皆で力をあわせてしています。
朝から晩まで子供のように、海で遊びました。最高でした。午後5時まで夜須にいました。
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わたしも3年前までは、「ファースト・サーバー」と契約し、データをWEB上に置いていました。ホームページもそこへ置いていました。ところが先月大規模障害が起こっていたようです。
ファーストサーバ、大規模障害の概要と原因を中間報告――複数要因が重なりデータ消失
もともとこ会社は、最初は久保田鉄工の子会社でした。「お堅い」会社でしたので安心感もあり、レンタル・サーバーを借りていました。2001年の頃でした。
それがいつのまにか Yhoo japanの子会社になっていました。そのことが原因とは思えませんが、とんでもないこいとが起きるようですね。
最近話題の「クラウド」になるとますます大変ではないでしょうか?
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7月17日に[梅雨明け宣伝」したという高知市。しかし天気は不安定。今日もはりまや橋サロンに来る前には、結構強い雨が降りました。でも到着すると雨は小止みになりました。
母いつものようにコロッケ屋で夕食のコロッケを購入しています。今日は「かつおふんだんコロッケ」を買いました。
そして露天市では、ミルクせんべいなど3種類を購入していました。
突然の雨で、活き活き100歳体操の参加者の集合が危ぶまれていましたが、8人の高齢者の皆さんが集まっていました。会場設営などをお手伝いしました。母も懇談していました。
いつもの活き活き100歳体操(介護予防体操)時には雨が落ちてはきませんでした。
町中の屋外という条件下での活き活き100歳体操。商店街のなかになるので、買い物で顔なじみも出来ています。体操が終われば喫茶十字路でコーヒーを飲んで戻ります。
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ロンドン五輪での初戦まで6日。なでしこさんたちは、強豪のフランスとのテスト・マッチが開催されました。フランスは身体能力と個人技に優れたチーム。優勝候補の一角です。
試合開始直後から。フランスの積極的な出足に、後手に回るなでしこさん。バーに当たるシュートも打たれました。そうこうしているうちに、前半23分に守備の合間に攻めこまれ、シュートを打たれ先制されます。
前半終了間際に宮間のFKもGKが跳ね返し、澤がシュートしましたが惜しくも外れました。
後半28分には、コーナーキックから高さのあるヘッドを押し込まれ0-2に。きっちり守られ敗れました。
前回のW杯でも直前の米国合宿で2連敗したことがあります。今回も同じようなパターンか。ただ解説のなでしこOGの大竹さんは気になることを言っていました。
「前回のW杯は、守りがしっかりし、攻めこまれながらも1チャンスをものにし勝ってきた。今回は攻めの姿勢があるのはわかるが、守りがおそろかになってはいないかと。」
初戦のカナダ戦まで6日。きっとなでしこさんたちはたちなおってくれるでしょう。
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梅雨明け前の7月11日に、山間部の植樹や間伐ボランティアを推進されているITCという団体が、ヤッシー・パークに植樹を行いました。植えられた木はオオアブラギリです。成長が早く、環境にも適合し緑を提供していただくことでしょう。
当日は100本のオオアブラギリを植樹したそうです。写真は7月16日の「チャレンジドクラブ」のマリンスポーツ体験前に撮影しました。場所はやすらぎ市の上部で、ヤッシー・パーク東側です。
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7月18日付けのの高知新聞28面に「音楽イベント会社デューク 宮垣陸男社長1線を引く」との記事がありました。感慨深いものがありますね。
もう24年も前の話ですが、春野運動公園で野外ロック・コンサートを企画し、実施したことがありました。宮垣さんにJ-ロックについて教えていただきました。
当時から桑田佳祐やユーミンはスーパースターでした。私は当時ほとんどJ-ロックのアーティストを知りませんでしたが、宮垣さんはこれから伸びるだろうというアーティストを紹介いただきました。それでバービー・ボーイズとか爆風スランプを知りました。「世間知らず」の私達に、これから伸びてくる才気あるアーティストを紹介いただきました。
当時は久保田利伸やTMネットワーク、ブルーハーツ、米米クラブなどのコンサートも見せていただきました。
記事の中で「龍馬伝の福山雅治のコンサートをどうしてしなかったんだろう。」と言われていましたが、わたしもそう思います。福山さんは東日本大震災の後、東北でコンサートをしていますから。
高知の場合は多額の費用をかけてJR高知駅前に「NHK大河ドラマのスタジオセットのお下がり品」の展示館をこしらえてしまいました。福山さんのコンサートをすれば、また別の層の人たちがたくさん高知へ来てくれたのに残念ですね。
「音楽で観光振興」という発想が、高知県の指導者層に希薄であったことがとても残念です。人口30万人県庁所在地で2000人収容ホールがないのは高知だけとなりました。文化行政を担う人たちの発想が高知はとても貧しい限りです。
今や莫大な費用をかけて建設され、赤字を毎年タレ流ししているかるぽーと建設時にも宮垣陸男さんの思いは活用されませんでした。200億円かけて1000人ホールしかない「使い勝手の悪いホール」となってしましました。
音楽を通じた観光振興を検討されるのなら、宮垣陸男さんは、高知の宝物です。今後のご活躍に期待します。また高知県庁も高知市役所も宮垣さんの活用を真剣に考えるべきでしょう。
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7月17日に坂本茂雄氏(サーパス知寄町1自主防災会副会長・県議)のよびかけで、下知消防分団会議室で開催されました。
呼びかけ対象の13の高知市下知地域の自主防災会・グループのうち、二葉町自主防災会、中宝永町自主防災会、知寄町23丁目自主防災会、やえもん地区ふれあい自主防災会、サーパス知寄町1自主防災会、青柳町自主防災会、南金田自主防災会、昭和小防災プロジェクト、若松町自主防災会準備会の9団体が参加しました。
坂本氏の司会進行で、作成された議事進行案に沿って意見交換会が行われました。
「情報の共有を下知地域全体でやることは結構なことですが、江ノ口川以北の地域の住民とすれば、下知図書館の運営に関与することは難しい。」
という意見もだされました。
「やはり近くの二葉町や稲荷町から下知図書館の運営委員は自主防災会の代表として出す必要性がある。」ということで、全員の承諾を得ました。
組織体制の役員人事案ですが、会長は近隣の二葉町自主防災会から。副会長は、江ノ口川北側の自主防災会と青柳町から人選することが承諾されました。
事務局長は坂本茂雄氏が全会一致で推薦されました。会計は昭和小学校区市民防災プロジェクトから、会計監査は中宝永町と、知寄町23丁目自主防災会でした。
財政の問題も軽視できません。資料作成費用などがかかります。いろんな意見が出ました。大筋では「100世帯以下」と「100世帯以上」で会費の負担を分けるという意見となりました。
その他出された意見としては、「女性の役員が必要ではないか」というものでした。また青柳町自主防災会より、7月29日(日曜)に夜間避難訓練をするとの報告がありました。
設立総会は9月半ばに行うことが決まりました。次回会合は8月29日8火曜日)午後6時半より下知消防分団会議室で開催される予定です。
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海の日の高知県香南市夜須。チャレンジドクラブの皆さんには絶好の海体験日和でした。
昨日に続いて今日もマリンスポーツのサポートに香南市夜須へ行く事に。月末は家内が留守になるので、超高齢者の両親が2人居住している我が家では、家内か私かどちらかが在宅していないとだめなんです。それで行ける時にボランティアも連続していくことになりました。
今日のお天気は降水確率が30%です。しかし我が家の猫の額の庭からセミが羽化していました。もう梅雨明けではないかと思います。
今日は高知県障害者スポーツセンター主催で。チャレンジドクラブのヨット・シーカヤック体験のサポートをしました。お天気で良かったです。
さて夜須へ着いて昨日に続いて準備作業です。今日は昨日より大変。昨日は2人乗りカヌー6艇に、1人乗りカヌー12挺の段取りだけでした。今日は2人乗りカヌー6艇、1に乗りカヌー10挺と、アクセス・ディンギーというヨットを5挺出しました。
昨日と異なり今日は晴天でかんかん照りに。海の中へはいっているとしのげます。アクセス・ディンギーの出入りのサポートや、カヌーのサポートで午前中は海に入りっぱなしでした。
お昼は障害者スポーツセンターの関係者の皆様が、バーベキューをしていただきました。運動量が多かったので、結構食べましたね。
午後からもマリンスポーツ体験をしました。今日の海の日は参加されたみなさんは、ご家族で楽しまれていました。
最高の海の日でした。海はバリヤフリーです。皆さんいい笑顔でした。
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1998年以来会社の経理用パソコンとして頑張ってきましたWIN95。とうとう起動しなくなり役目を終えることになりました。長い間ご苦労様でした。
インターネットへもつなぎませんでした。余計なソフトは一切いれずに、きまじめに使用してきました。もはや家族の一員でした。
「パソコンは寿命は5~6年ですね。メーカーが部品を供給しませんから。」とのこと。別件で2005年に購入したWIN-XPのノートパソコンも診断したもらいました。バッテリーを交換できないかとPCショップへ持ち込みましたが、メーカーの部品の供給が昨年で終了しているとか。XPは来年でサポートが終了であるとのこと。
来年はうちの小さな会社でも、最低3台は買い換えないといけないようです。めんどうなことですね。
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今日は香南市夜須のヤッシー・パークではマリンフェスティバルYASU2012が開催されました。お天気が心配でしたが、主催者は「雨でも開催する」との判断を下しました。
関連イベントで、シーカヤック無料体験をYASU海の駅クラブも協賛参加しているので、準備をしないわけにはいけません。空模様を気にしながら、8時過ぎにはハーバーへ着きました。
ジュニア・ヨットクラブは、この連休は合宿中。浜松から小池コーチも来られ、密度の濃い合宿をしているようです。到着した時に早くもヨットはぎ装していました。
こちらは今日は、シーカヤック無料体験の準備です。運搬は4WDの軽トラにシーカヌーを積み込み、ビーチへ運搬するということでした。わたしが運転して4往復しました。
途中休憩時間に、マリンフェスティバル本部付近の会場へ行きました。賑やかでした。雨のためにいつもよりは人出は少なめでした。
夏空も見えました。梅雨明けかと思いましたが、激しい雨が1時間近く降りました。
雨に祟られましたが、50人が体験しました。雨がなければその倍は体験されていたと思います。
片付け済んで一段落しますとジュニア・ヨットクラブが着艇をしていました。
明日も個人的にお手伝いに行く予定です。チャレンジドクラブといい障害のある方たちがマリンスポーツ(ヨット・カヌー)を楽しまれますが、そのサポートに行きます。
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「ビゴー日本素描集」(清水勲・編。岩波文庫・1986年刊)を読みました。岩波文庫の青本です。ブック・オフで300円で購入しましました。
ビゴーは、フランス人で日本文化の浮世絵などに惹かれ明治の中頃来日。18年も滞在して、風刺画を描きました。
経歴を見ますと1860年パリで生まれ、8歳の時に父が他界しました。1871年に世界史上初のパリ・コミューンに遭遇。成立から崩壊。燃え盛る市街と殺戮場面を11歳のビゴーはスケッチをしていたようです。母親がビゴーのが絵の才能に気づき、美術学校へ入学する。
その後いろんなつてをへて来日。結局18年の長きに渡り日本に滞在。日本人妻を娶り、息子も授かることになります。
当時は写真機の普及時代です。そのなかで画力を生かした風刺画がと育食がありました。写真では表現できない人々の行為や表情を表現しています。
「新橋駅前でドイツ皇太子の到着を待つ”在留ドイツ族”」洋装、和装がごっちゃになり、近代化や文明開化の恩恵を受けた人たちと、受けなかった人たちを描いています。
田舎から奉公にでてきた女中の生活も克明に描かれています。台所で女中頭に指図され働いている姿を描いています。
構内ビッフェとも言える駅弁屋の実態も克明に描かれています。当時の日本人による鉄道旅行の様子を伝える写真や絵は少ない。それゆえビゴーの絵は貴重な歴史の承認ですね。
同じアジア人でも、日本人、中国人、朝鮮人をきちんとわけて区別がわかるように描いていたそうです。
明治中期のなにげない日本人の生活習慣や、行動を絵にしてビゴーは残しました。100年が経過すると、その姿は滑稽であり、。理解できないこともあります。
ビゴーは、自由民権運動を弾圧した明治政府と関係が悪くなり、帰国します。その後も絵の才能を生かした仕事をしていたようです。
特色のある人物画、風刺画は印象に残ります。
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もともと家内はマイケル・ジャクソンさんのファンでした。遠い昔のジャクソン・ファイブ時代からと言いますから、年季が入っています。でもマイケル・ジャクソンさんの突然の逝去から3年が過ぎました。あいかわらず全盛期のコンサートのDVDなどを見ています。
その一方で韓国の4人組のイケメン・バンドCN BLUEに夢中に最近なっています。楽曲の中に英語や日本語の歌もあるせいもあるのでしょう。ライブは日本でやっています。このDVDはどこかのスタヂオで100人限定のライブとか。1万人を超えるファンからの応募があり、抽選で選ばれたファンとのライブのようです。
こちらはただただ横目で見ているだけ。なかには踊れるような曲もあり、畫面を見て走っているようです。「おかげでダイエットに成功した」とのこと。わたしはそれを呆れるように眺めて焼酎を飲み夜食を冬の間は食べていたので、こちらはメタ腹になってしまいました。反省しないといけません。
アマゾンということろの通販でDVDを購入したようです。前回購入したインディーズ時代のDVDと違い、日本でもメジャー・デビューをされたので販売価格は上昇したとか。比較的安めのDVDを購入、毎日見ています。
不満なのは曲の解説などが全くないとのこと。極限までコストダウンをしているのでしょうか?今の時代CDやDVDは売れませんからね。
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おそらく共同通信の配信記事であると思われます。7月13日乃高知新聞夕刊に「ストーンズ50周年」という記事が掲載されていました。デビューが1962年とは。私は大阪の小学校へ行ってました。それ以来ですか・・・・。凄い。
「M・ジャガーはステージ裏で酸素吸入しながらやっている。」と音楽関係者に聞いたのが、24年ほど前。それから引退はおろか、現役ですからね。最近の音楽TVチャンネルの「スペース・シャワー」にもM・ジャガーさんはよく出演しています。それも若手と共演で。
68歳にして「不良」というのが凄い。全然枯れていませんから。見習わないといけませんね。ビートルスさんたちも、70歳と72歳のはず。ロックも高齢者の音楽ではありませんか。
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今朝は昨日のような大雨は降っていません。降雨はなく、早朝6時から二葉町町内会が管理する資源・不燃物ステーションは機能しています。
運営責任者の荒木副会長は熊本県のご出身。実家は豪雨では無事でしたが「今朝のこのステーション管理のために昨日は必死。道路がところどころで通行止めのため、寸断。迂回して高速道路を走行してようやく戻れました。」とのこと。大変だったと思います。
(熊本・大分県の豪雨被害は大変なようでした。よくぞ戻ってこられました。)
今日のステーション。たくさんの資源・不燃物が集積されています。わたしが行ったのは6時10分過ぎでしたが、自転車や家具や布団など「大物」が多く出されていました。
荒木副会長と、当番の二葉町町内会の班長さんたちが、手際よく、びん類(透明・黒。青に分類)されています。
毎月第2週の金曜日の午前6時から8時まで実施されるとても大事な町内会の事業の1つです。
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来年改選期の参議院議員現職の武内則男(高知選挙区)さん。7月10日参議院の委員会で質問をされていました。
「大飯原発は再稼働しましたが、その下には活断層があるのではないか。再調査を要求する。」と言われていました。
また「日本は地震列島。地震大国。地震のない安全な場所は日本にあるのか」と気象庁長官への質問。
「日本は4つの大陸プレートがぶつかってできた島です。日本のどこで地震が起こる可能性があります。」と気象庁長官は答弁しました。武内さんは脱原発志向があるようです。
また民主党県連代表時代には、小沢一郎氏が代表選挙に立候補したとき(2010年)には、小沢氏支持で動いていました。今回の民主党の分裂劇ではどうなることでしょうか?
2005年でしたか当時高知シティFMでやっていた番組のゲストに来ていただきました。高知市議会議員でした。
個人的には1994年頃からの知り合い。当時は高知市水道労組書記長でした。市労連や地区労の労組団体役職ばかりでなく、PTA会長や、NPO高知市民会議理事などもされていました。狭い労組畑の代表者ではありません。
自民党は高野光二郎さんが、先般の自民党県連の党員選挙で公認が決定しました。まさに1年後には現職の武内則男さんと挑戦者高野光二郎さんが激突するようですね。
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日本は超高齢化社会に向かっている。議論をする論者が一体戸籍年齢で何歳から高齢者。老人と呼ぶのでしょうか?既に1億3千万人の日本の総人口で、70歳以上の人は2200万人となっております。
政治の世界では、経験がモノを言う場合があります。最近の日本では軍事力を背景にした強権政治ではないので、選挙区で当選を繰り返してきた長老議員が幅を効かせます。自民党時代の中選挙区時代には、「派閥」が政治家を育てていました。
1993年以降、衆議院が小選挙区が導入されてから、政治体制が変わりました。政党の党幹部の権限が強くなりました。かといっても経験豊富な年配政治家の存在は貴重です。
2001年の小泉純一郎首相のあたりから、首相・宰相が実に軽薄で軽い印象になりました。後継の安部普三氏、福田康夫氏、麻生太郎氏と続いて自民党政権が終焉。2009年総選挙で誕生した民主党政権の鳩山由紀夫氏、菅直人氏、野田佳彦氏と続きますが、なんだかすべて「軽量級」宰相ではないか。
もっと天下国家、国民のことをきちんと語る政治家が登場して欲しい。特に松下政経塾系の政治屋は最悪。「国民」に向かって政治をしようとする気概が全くありません。
政界を渡り歩き、少数野党時代が長かった小沢一郎氏も70歳。もうダメだ。かつての力はないと、マスコミはこぞって揶揄しますが、小沢一郎氏は、上に上げている2001年以来の首相の誰よりも存在感があります。
もう一花咲かせるのか。それとも今回で終わるのか?4回目の「小沢新党」で勝負に出ましたがどうなることでしょう。
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なでしこさんたちの壮行試合の後は、男子のU-23の壮行試合でした。五輪のリーグ戦は、スペイン、ホンジェラス、モロッコですからね。リーグ戦の突破もどうでしょうかね。
最初から日本のパス回しが面白いようにつながる。相手のサイドを崩し、ゴール前に迫る、しかし決定力がない。フリーでも外してしまう。FWの大津と永井の積極性が良いが、なでしこさんの川澄や大儀見(永里)のような突破力がないFW.。技術だけでは勝てません。
リズムの良い時に得点をとらないといけないのにとうとうそれが出来ずに前半は0-0でした。
やはりチャンスを作りながら、相手守備陣を崩しながらも最後のクロスの精度が悪い。シュートをしない傾向がある。とにかく決定力がないのはこのチームの最大の欠点ですね。サッカーには「優勢勝ち」はない。ゴールを決めないと勝てない。その原則がU-23はわかっているんでしょうか?
後半途中出場の杉本が徳永のシュートのこぼれ球を叩きこんでようやく先取点。
これで逃げきれるかと思いきや、またも後半ロスタイムに守備陣のミスから、ニュージーランドに決められ同点に。
実に情けない試合。負けに等しい試合でした。
このチームではスペインには勝てないだろう。グループリーグの突破も難しい。綺麗事でサッカーをしてはいけない。綺麗事の政治をする松下政経塾のような煮え切らないU-23でした。最低の試合でしたね、成果はゼロです。
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なでしこさんとオーストラリア代表との壮行試合が、7月11日に東京国立競技場でありました。
五輪ではリーグ戦は、カナダ、スウェーデン、南アフリカと対戦します。公式戦は今日で最後、泣いても笑ってもあと2週間ですね。
仕事が終わってから小さな旧式のワンセグ携帯の画面で見ていました。前半当初はオーストラリアにオサレ気味でしたが、前線からのプレスが生きてきて、ボールのキープ率が上がりました。とくにFWの川澄と永里あらため大儀見が、がんばっていました。
川澄が相手ゴール前で倒されPKを得ました。宮間が落ち着いて決めました。
そして前半終了間際右サイドを崩し、大儀見が決めました。2-0で前半を終えました。
そして後半13分には相手ゴール前のスクランブルから澤が振りぬいて3点目をとりました。これで勝負ありでした。
オーストラリアも最後まで、懸命に走り諦めませんでした。強くなり日本の強敵になることでしょう。
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「カール・マルクス」(吉本隆明・著・試行出版部・1966年刊)を読みました。家内が所有していた蔵書です。家内は学生時代は、初期マルクスをベースに講義する望月清司ゼミにもいたらしく、カール・マルクス関連の著作を読み込んでいました。
なんかカール・マルクスも、吉本隆明さんも理屈が多くて、「難しそう」なので若い時代は「積読」で終わり殆ど読んでいません。断片的にマルクスの「経済学・哲学草稿」や「へーゲル法哲学批判」や「フォイエルバッハ論」や「ドイツ・イデオロギー」を読んでいた程度です。
今年の3月に両親と同世代の吉本隆明さんが逝去され、急に身近に感じました。「老いの幸福論」など入院生活や病状を書かれていることもあり読んだことがきっかけで、吉本隆明さんの著作(現在所有しているのは50冊程度か)読んでいます。
ルクス紀行」と「マルクス伝」の2部構成になっています。吉本隆明さんが、カールマルクスの著作を読み込んでいるうちに、マルクスの思想的営為を独自の視点で解析して行っています。
「わたしの現在の理解では、マルクス(1819年生まれ)の思想的体系は、20代の半ばすぎ、1843年から44年にかけて完成されたすがたをとっている。
これは「ユダヤ人問題によせて」「ヘーゲル法哲学批判」「経済学と哲学にかんする手稿」によって象徴させることができる。もしも個人の生涯の思想が、処女作にむかって成熟し。本質的にそこですべての芽がそろうもとすれば、これらはマルクスの真の意味の処女作であり、かれは、生涯これをこえることはなかったといっていい。」
これらの論策で、マルクスは、宗教、法、国家という幻想性と幻想的な共同性についてかんがえつくし、ある意味dせこの幻想性の起源でありながら、この幻想性と対立する市民社会の構造としての経済的なカテゴリーの骨組みを定め、そしてこれらの考察の根源にあるかれ自身の(自然)哲学を三位一体として環のようにむすびつけ、からみあわせながらひとつの体形を完結したのである。」
「ひとびとは、いまさらマルクスでもあるまいなどと云うべきではない。とくに、マルクス思想のロシア的展開を、マルクス思想ととりちがえている(マルクス主義者)や、それを藁人形にしたてて射撃している反(マルクス)主義者はそうである。
余裕があればひとつひとつを書誌的に批判してみせてもいいが、もし、わたしが新しい意味をマルクスの思想に発見しえなかったら、かれらは、わたしを哂うがよろしいと思う。わたしがかれらをいつも嘲笑しつづけてきたように。」
「現存している現実とそこに生きている人間関係とを、しぶんの哲学によって考察しつくそうという衝動は、青年期のすべての思想的人間をとらえるべきだろうが、かれほどの徹底性と論理的な情熱をもって、とにかく青年期の願望を成遂したものは、数世紀を通じてもあらわれなかった。」(P6)
「かれの思想から3つの旅程をみつけることができるはずである。
ひとつは、宗教から、法、国家へと流れ下る道であり、
もうひとつは、当時の市民社会の構造を解明するカギとしての経済学であるり、
さらに第3には、かれみずからの形成した(自然)哲学の道である。」(P7)
吉本隆明さんの著作の意図が書かれていると思いました。マルクスの思想的著作を読み込んでいることで、時代を超える思想の片鱗を発見する自信があればこその記述でしょう。
マルクスの代表的労作である「資本論」。一応全巻揃えて所有はしていますが、読んでいていつも途中で頓挫してしまいます。なんか用語の使い方が難しいというか、なじまないのです。
吉本隆明さんはそのあたりを丹念に解説してくれています。
「資本論の理解はそれほど困難ではない。かれが基底においている(自然)哲学は、「手稿」とすこしもちがっていないのだ。
ただ、かれがあらたに考察の軸として導きいれたのは、自然史の過程としての歴史、という(歴史)哲学であった。
そしてかれがもっとも難渋したのは、いかにして(自然)史学としての歴史哲学を、かれ自体の主体的立場としての(自然)哲学と接着させるかという点であった。
ひとびとが躓くとすれば、自然としての人間が、こちらがわにあるのに、いったん<労働>(働きかけ9として自然の対象世界にむかうやいなや、<価値>があちらがわに、いいかえれば手を加えた自然(商品)の表象としてあらわれるか、という秘密である。
「手稿」のなかの<疎外>という概念が、「資本論」の<価値>概念と交わり、接着するのはこの点においてである。
これだけのことがわかっていれば、たれでも手にとりさえすれば「資本論」を理解するにはこと欠かないはずだ。」(P131)とあります。
一応書き写しましたが、まだまだ「わかったようで、わからない」のです。いよいよ理解度が浅い私ですね。
しかし今更ながらに、19世紀末に逝去されたマルクスさんの思想的な影響力と言うのは、物凄いもの感じますね。吉本隆明さんの紀行と、伝記を読みましてもカールマルクスさんは、貧困と政治亡命者のどうしようもない狭い世界のいさかいのなかにあって、時代を超える思想を構築し表現した凄さは感じました。
まじめに著作を読もうと素直に思いました。
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直近でヨットでセーリングしたのは、6月9日以来ですね。あの日は風がなく早めに撤収。県立大学で岡村眞教授の講演会を傾聴に行きました。それ以来です。翌週は仁淀川町長者の「花しょうぶ祭り」へ行きました。6月23日と30日は雨のため断念しましたから。
約1ヶ月ぶりにぎ装(ヨットの組立)をします。ヨットは自然が相手のスポーツだけに、いらいらはします。でも仕方はないですね。でも今日はなんとかセーリングできそうです。何よりです。
セーリングができるのは、自分の体調も良いし、家族も健康であり、理解があるからです。みんなのおかげです。
今日は朝1番は二葉町町内会の町内消毒作業がありました。7時半に終了。着替えて、8時過ぎに夜須へ向かいました。
今日は四国の大学選手権(インカレ)があったようです。私が到着した頃には大学生たちは既に海上に出ていたようでした。
今日のように、ヨットは晴天でなければなりません。セーリングするのは、6月9日以来です。あの日は少しだけセーリングして、県立大学で、岡村眞高知大学特任教授の地震についての講演会に行きました。それ時以来。1ヶ月も海にでていないのでした。
なんかぎ装のやりかたも1部忘れていました。
海へ出ました、写真撮影をする予定でしたが、風が意外に強く常時6Mという程よい風。セーリングに熱中しました。1ヶ月セーリングできませんでしたが、その分今日の風と海は最高でした。ブランクを取り戻してくれました。海上の写真はありません。
今日の海は風が程よくあり、波もうねりがありません。夏の海でハイクアウトしないといけない海面は本当に珍しい。調子に乗ってどんどん乗りました。
ただ今朝は町内会の消毒作業が早朝からあり、朝5時過ぎに朝食を食べていました。お腹が減りましたので、一旦ハーバーへ上がりました。
そしておむすび訪(おとずれ)で、おむすびと卵焼きとお茶を買いました。確か660円であったと思います。
シニア・ヨットクラブの岩崎さんもこられました。わたしが昼食時に出艇されていきました。
昼食中に大学ヨット部も2日間のレースを終了。ハーバーへ帰着しつつあります。
今日はシーカヤック体験の人たちも、YASU海の駅クラブに来られていました。午前中に体験し、自分が乗り込んだカヌーを水洗いされています。
先週綺麗になったハーバー隣のビーチでは、海水浴をされている人もいました。
高知大学以外の四国3県のヨット部は、いつも練習しているヨット(470級やスナイプ)をそれぞれトラックに積み込んでいました。
体を洗い、自分のヨットを片付けて、ヤッシー・パークへ行きました。道の駅やすにある事務所を訪ねました。先週の「ヤ・シィ10周年祝賀会」のお礼に立ち寄りました。
とりとめなく雑談をしていますと、午後5時のチャイムが。「よいこのみなさん5時をお知らせします。」とスピーカーで言っています。
やすらき市の前の笹には、お願いごとを書いてある札がたくさんぶら下がっていました。
今日は朝の9時前から午後5時過ぎまで、夜須で遊びました。海にいました。少し「めまいの傾向」がありましたが、海でのセーリングで全快しました。やはり海で遊ばないと健康にはなりません。
来週はヤ・シィパークで「マリンフェスティバル・YASU」です。朝からカヌー体験の世話役です。
今日から香南市長選挙が公示されました。来週15日が投票日です。
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東京電力の「報告書」がまたまた顰蹙をかっているようですね。「業界の常識」「社会の非常識」のモデル事例のようです。
日本経済新聞が取り上げていました。
東電、原発事故責任認めず 原因は「想定外の津波」 社内事故調が最終報告書
記事によりますと「想定外の津波と備えが不十分だったことが事故の根本的な原因だと結論づけた。政府や民間の事故調が指摘した初動時の人為ミスや想定不足について過失や責任を認めず、自己弁護が目立つ内容となっている。」とのころ。いくらなんでもそれはないだろうと、しろうとでも思いますね。
また菅前首相の「東電本社への乗り込み」についても、記事によりますと東電の報告書はこうした表現になるようです。
「事故直後に作業員の全面撤退を申し出たかどうかを巡り東電と官邸とで認識が真っ向から対立しているのは「言葉の行き違いによるものだ」と指摘。官邸の現場介入については「緊急事態対応の中で無用の混乱を助長させた」と批判した。」とのこと。
満足な情報もあたえられず、官邸に周辺にいた原子力関係者も全く狼狽し、きちんとした手立てが打てなかったようでした。菅前首相がヘリコプターで現地を視察し、戻ってから東京電力本社へ押しかけた行為については、「国民の側」に立つ行動でありなんらおかしくありません。
大津波の危険性は、複数の原子力関係者が、2007年の新潟中越沖地震で被害の出た、柏崎刈羽原発しこの後に指摘していました。東京電力はその指摘を意識的に無視してきたと言えますから、いまさら「想定外」と言う文言を使用すべきではありません。
それより一刻も早く、福島第1原子力発電所に「蓋」をして放射能漏れを止めていただきたい。また諸外国からも指摘されています「4号機の使用済み核燃料プール」を安全に維持していただきたい。
廃炉の道筋をきちんと国民に提示し、即実行していただきたいですね。
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東京在住の吉良吉継さん。フェイスブックにて「お友達」になっています。水曜日に電話がありました。その時は父を連れ、高齢者講習会を受講している最中でした。今日いの町のレストラン・ココスでお会いしました。
初対面でしたが、お話していくと「世間は狭い」と驚きました。まず同じいの町の出身であること。伊野小学校の同級生の吉良富彦君は実弟であり、ご兄弟でした。しかもご両親が、お父様が大正9年生まれで92歳。お母様が昭和元年生まれで85歳。ちょうどうちの両親と1歳違いです。
吉良吉継さんは、今回の帰省時に、同じフェイスブック友達の植田和彦さんとお話をされていたとか。話が「地震・防災」の話になり、それならということで私に連絡がございました。縁と言うものは不思議ですね。
いくつか偶然があったがために、とりとめもなく話をしてしまいました。吉良さんは東日本大震災後、ボランティアで何度も東北の罹災地へ行き、泥の片付けなどで汗を流されたとか。そこから見えてくる「現実」を軽んじてはいけない。とも。
「都市部でも田舎でも想うのは、人間関係が希薄になっている。防災は堤防と作るとか、そんなことではない。1番大事なんことは隣近所の絆。地域のつながりです。」と言われました。想うところは同じです。
次回の帰省時は、懇親会をやりましょうということになりました。ご高齢のご両親のこともあり、さいさい(時折)帰省はされているようです。
写真は車と一緒に撮影しました。吉良さんによれば、車のナンバーは「土佐(とさ)」だそうです。
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40年前の今頃は、留年して高校4年生でした。翌年の1973年に関東の大学へ進学しました。そのときの不便さを今も覚えています。
当時は宅配便などなく、国鉄で駅留めで荷物を頼むしか方法はありませんでした。ふとんや衣類を駅へ持ち込みました。伊野駅でしたが、昼休みの時間はカーテンを閉めて食事中。昼休みが終わるまで待たされました。
当時は大口貨物主体で、個人の荷物など運送会社は歯牙にもかけませんでした。国鉄もそうでした。郵便小包も大きさに制限があり、紐を2箇所以上かけ、荷札も2つつけないといけまんでした。実にめんどうでした。
クロネコヤマトの尽力で、卒業する1976年には宅配便が登場しました。電話すれば自宅まで荷物を取りに来てくれました。しかも全国津々浦々へ配送してくれます。
会社のWEB販売部門でも、いまや北海道から沖縄八重山まで注文があれば配達してくれるのでとても便利です。「ゆうパック」の郵便小包が大赤字だと言われていますが。当たり前でしょう。クロネコヤマトの細かさや対応にくらべ、「ぞんざい」だからです。
個人の荷物だけでなく業務用の荷物の多くもクロネコヤマトにシフトしているようです。
さて同じことは日本国の政治状況にも言えるのではないでしょうか。
おそらく8割以上の日本国民は、大飯原発の再稼動には反対のはずです、またこのデフレの大不況下の消費税の増税には反対のはずです。しかしその「民意」は全く地方自治体へも国会へも届いていません。
一見組織力をもった大企業や政党組織や、労働組合なんぞは強そうに見えます。しかしそれは少数派の業務用の需要家に過ぎません。
クロネコヤマトは宅配便参入にあたり、大手百貨店の配送業務を断ってまでしたと聞きました。大変な労苦もあったでしょうが、現在の日本社会にはなくてはならないインフラになっています。
クロネコヤマトは膨大な個人の需要をつかみ、卓急便という新たな市場を創造しました。
政治の世界でも同じことでしょう。大多数の国民は、脱原発志向です。大飯の再稼動にも反対。消費税の今の時点での増税には反対。最優先の政治的課題は東日本大震災からの復興と、福島第1原発の廃炉と原発災害からの復旧です。増税などその後なんですよ。
「みかけの多数派」にまどわされてはいけないと思いますね。
かつてクロネコヤマトが宅急便という市場を創造したように、組織されていない一般国民と繋がって、「脱原発」「雇用と景気対策」「国民生活最優先」の日本社会をつくりあげてほしい。
ちゃんとした政党や社会運動体が登場しなければならない。そしてその運動体には国民1人1人が、小額でも毎年政治献金して支えていくしくみづくりもまた必要であると思います。
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問題の米軍ヘリコプター・オスプレイの沖縄への強行配備が始まるらしい。森本防衛大臣が、沖縄県を訪ね、仲井真知事と会談したようですが、沖縄県側の「オスプレイ配備反対」の姿勢は揺るぎませんでした。ちとこの防衛大臣には荷が重い。
もともとこの人は「沖縄の地方の一部の基地反対派の行動で日米同盟の根幹が緩いではいけない。」という「持論の持ち主。
「沖縄の一部の反対派の人々の意見にいちいち耳を傾けていたら日米関係はおしまいだ。」「アメリカの抑止力がなくなれば、尖閣諸島は中国の領土になる。」「国際関係が大事だ。」などなど。
2009年11月9日に森本敏氏は、高知市での「エンジン01」に出席されていました。
当時の私の森本敏氏へのコメント。「エンジン01の「政治評論」での沖縄問題の取り扱いはあまりに散漫。沖縄の人たちの気持ちが何もわかっていない。森本氏は大久保利通を尊敬しているようですが、「国家観」があまりに米国追随型。である。」
防衛大臣になっても森本氏の顔は、沖縄には向いてはいません。不適格人事の1つです。野田内閣も末期症状と言えるでしょう。
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政権政党の小沢氏のグループの一部が離党したとはいえ、民主党・自民党・公明党の3政党の国会での議席は圧倒的な数です。早晩参議院でも「消費税増税法案」は可決成立することでしょう。
小沢新党は、「反消費税・脱原発」を掲げて、政権選択選挙を他の野党とも共同戦線をこしらえ、解散・総選挙に追い込まないと活路はないでしょう。
また他の泡沫政党である共産党や社民党、みんなの党などもこのさい少々の政策の違いを捨てて、政策協定と選挙区協定を小沢新党と結び、「国民に選択肢」を提供しなければならないと思います。
というのは、小沢氏不在の民主党と自民党、公明党は「大連立」する可能性もあります。「消費税増税」と「原発再稼働」でどんどん押し込んでくるでしょうし、国民生活全体を窮屈にする各種法案も仕込んでいます。どさくさに成立させるでしょう。
その中には「武器輸出を堂々とする」だとか、「核燃料再処理を安全保障の名目」で残し、核兵器開発を志向する法案など危険なものも多くあるようです。
衆議院は小選挙区制度と比例の併用ですが、小選挙区で勝たない限り、過半数は獲得できません。ですので少数野党同士で結託し、「民主・自民。公明」の3党連合に対抗しないと勝ち目がありません。
つまり民主・自民・公明の「消費税増税・原発推進」なのか、小沢新党+野党連合「反消費税・脱原発」なのかの「体制選択選挙」にしなければ勝目はありません。
もし各野党がバラバラに、身勝手に選挙区に候補者を乱立させるようなことがあれば、全選挙区で与党(民主・自民・公明)が勝利し、やりたい放題がまかり通る事態になります。それは政党として無責任であり、結果として「国民に体制選択の機会を提供しなかった」ことになります。今までの共産党のように綺麗事だけを言って小選挙区に独自の候補者をたてれば、結果的に民主・自民・公明の候補者を利することになるのです。
国民はバカではありません。政権を奪取する意欲のない政党には投票はしないでしょう。国政選挙のたびに総投票数は減るでしょう。共産党も優雅独尊的な態度を今こそあらためるべきでしょう。
「小異を捨てて大同につく」ということにならなければ、野田内閣や自民党・公明の「増税連合」「原発推進連合」には、未来永劫勝てません。そうなればどんどん消費税は上がる一方で、国民負担ばかり増加し、消費は冷え込み空前の大不況がやってくるでしょう。消費税が今の時期上がれば、車や家電製品や住宅を購入する人はいませんよ。安物しか皆買いませんから。野田内閣はそれを望んでいるし、自民党や公明党は加担したのですから、国民各位はその事実を「絶対に忘れず」、国政選挙では、消費税増税に賛同した政党と候補者には絶対に投票しないようにしましょう。
今や国政では泡沫政党にすぎない共産党や社民党にも「党の歴史やプライド」もあるでしょう。でもそんなことは国民各位には全く関係もないし、関心などありません。民主主義的に手続き(国政選挙)で政権を奪取するためには、野党が共同戦線を構築するしか方法はありません。
かつてのイタリアの「オリーブの木」のように「反消費税」「脱原発」の2大政策で連合し、民主・自民・公明に対抗していただきたい。そして国民に選択肢を与えていただきたい。
個人ブログには、2010年9月の当時の民主党代表選挙の地方遊説で、高知市へやってこられた小沢一郎氏の様子をレポートしています。
2010年9月に高知にやってきた小沢一郎氏。案外小沢一郎さんに国民各位は期待をしています。(民主党党首選挙の時ですね。最初の遊説先が何故か高知でした。当時の民主党高知の代表は武内則男参議院議員。今回小沢新党には参加はしていないようですが、結党以来の小沢グループに所属していましたから。武内さんもたぶん今後は小沢新党に参加するでしょう。
来年参議院選挙があります。このまま「消費税増税」「原発再稼働」の野田政権と一連託生は考えられないと思います。
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5月末に申し込みをして、ようやくこの日を迎えました。6月24日に満年齢で93歳になる父の運転免許の更新です。会場の中央自動車学校へ付き添って行きました。
午後1時40分から高齢者講習(対象者75才以上)でした。まず講習予備検査代金の650円と、高齢者講習の費用5350円の合計6000円を受付で支払いました。
今日の受講生は5人。皆昭和生まれで父より若い。75歳から82~3歳までの人たちです。私も受講講師の許可を得て、父に付き添い見学をしました。なかなかできる体験ではないので、興味はありました。
まずは講習予備検査(認知機能検査)がありました。これはペーパーテスト。今日は何月何日か、自分の名前が書けるのか。時計を見て、何時何分か。それを絵にして針の位置を正確に表現できるのかというテストです。
結果は「記憶力・判断力が低くなっています。」との判定。車の運転での影響では、「信号無視や一時停止違反、進路変更の合図が遅れる傾向になる。」とのことです。
もし運転をしていて違反行為をした場合は、臨時適性検査(専門医による診断)の要請を公安委員会からするそうです。検査の結果「認知症」という判定が出れば、運転免許の取り消し、停止ということもあるそうです。
続いて運転シュミレーターや各種測定機器を使用しての「運転適性検査」をしました。画面に向かって、赤信号ならブレーキを踏む。青信号なら進む。黄色信号ならアクセルを離す。という動作を繰り返しての判定。
続いてカーブを曲がりながら信号に対する操作を行う測定もしました。動体視力や視野の広さの検査も測定機器を使用して行いました。総合評価は「全般的な機能は低下している。十分な車間距離をとり、スピードを控えた運転をしなければなりません、いつもゆとりをもって安全運転に徹してください」とのことでした。
父は全般的に車を運転する能力が落ちていることがわかりました。「超安全運転」をしないといけません。でも基本は車の運転は今後はしないようにします。たまに安全な場所での運転をする程度にします。
車の運転は前方を見ながら、サイドミラーで後方を注視し、左折。右折の繰り返しです。同時並行した確認作業を次々とこなしていけないといけないのです。
それでも「高齢者講習修了書」を父はいただきました。後日枝川の高知県運転免許センターへ持参すれば、運転免許書は交付されます。3年間の有効期限です。
また自動車学校側から「脳と運転の研究にご協力をお願いします。」というチラシをいただきました。これは高知工科大学と高知検診クリニックが共同して、父のような超高齢者の運転者の調査への協力依頼がありました。これは枠があれば是非調査していただきます。
それにしても、高齢者講習会は、みっちりした内容でした。超高齢者の父にすればなかなか過酷な内容でした。でも最後まで諦めず頑張っていました。受講してよかったと思います。でもそれぐらいにしないと高齢者運転手の事故防止にはなりません。大変有意義な高齢者講習であると感心しました。
講習された講師の方は「またお元気で3年後来てください!」と言われました。それを励みにしていこうと思います。関係者の皆様ありがとうございました。
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今朝の日本経済新聞1面コラム欄春秋は、昭和の世代の「時代遅れ」「レトロ」さを揶揄することにより、小沢一郎氏を「矮小化する」内容に終始しています。
「結論が「上へ下への大騒ぎのあげく、小沢さんと行動をともにしたのは50に満たなかった。あわてて離党を撤回した衆院議員もいて、何ともしまらない。
どうやら昭和時代の悪いところばかり再現したような政変だから、昭和オヤジも昭和を知らぬ若い人もげんなりなのだ。小沢新党の、世論の期待の低さをみるまでもない。」(日本経済新聞 7月4日「春秋」より引用)
日本経済新聞のベテラン編集委員が執筆したコラムであると思います。おそらくご自身も昭和生まれ。私ら世代か少し上の世代でしょうね。でもそれほど若い世代に「媚びへつらう」こともないだろうにと思いますね。
衆議院議員の定数は480人のうち37人が離党したことは、決して「小さな出来事」ではありません。その数だけでも衆議院では、民主党・自民党に次ぐ、「第3勢力」になっています。
6月26日採決された「消費税増税法案」には、民主党から57人の造反者が現れ、57人が反対票を投じました。そのうちの37人が離党し、新党をこしらえるということなのです。
小沢一郎氏は、過去にも新生党を結党。それが接着剤になり、細川連立政権を成立させました。その後新進党をこしらえ、解党後は自由党を設立。自民・自由連立に参加。その後自由党から保守党が別れていきました。やがて民主党と合併し、2009年に民主党は総選挙で政権政党になりました。そしてその民主党からの離別となりました。
自民党の幹事長に47歳の時になっていましたから、自民党総裁にはなれたとは思います。結局自民党からも、今回の民主党の時と同じように「追い出された」のではないかと思います。
政権政党自民党の幹事長から、少数野党の党首となり、10数年は野党で政治活動をされてきました。2009年の政権交代は、小沢一郎氏がいなければ不可能であったでしょう。2005年に「偽メール事件」で当時の前原民主党党首の不手際と軽率さで失墜した民主党の党勢を盛り返したのも小沢一郎氏のご功労でした。
さて今回の離党劇がどうなるのか不明です。このところ小沢一郎氏はニコニコ動画等で、情報発信をしてきました。そのことにより新たな支持層を獲得できたのかは不明です。
既成のマスメディアは、小沢一郎氏の虚像をしきりに広報していますから、今回の騒動も「誇張して」報道されていることであろうと思います。
既成マスコミの報道どうり、小沢一郎氏は「単なる我がままな壊し屋」であるのか、はたまた「政治改革の推進者」となるのか。今回は割合早くに結論が出ることでしょう。
また小沢一郎氏にしても70歳という年齢。乾坤一擲の「最後の勝負」となると思います。結果はどうであれ、当分は小沢一郎氏に注目です。
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政権政党民主党が、野党の自民党・公明党と連携して「消費税増税法案」を提出するにあたり、民主党内の「小沢グループ」が反対票を投じ、民主党は分裂状態に。そして50人の衆議院・参議院議員が民主党を離党しました。
民主党・自民党につぐ第3政党。「大事件」の話であるにに、テレビ・新聞などの「談合記者クラブ」政治メディアは扱いはどうしたことでしょう。「消費税反対」「脱原発」が主要な根幹政策であるようです。
マスコミの反応が冷たいのは、小沢一郎氏の新党は今回で4回目であるからです。新生党、新進党、自由党、そして今回です。連携する先も決まらず、人も集まらず、政治資金もないのではないか。
「新鮮味がない」「連携先がない」「小沢さんは国民には人気がない」「国民は期待していない」などと懸命に「矮小化」しようとしています。
そんなTVの「評論家」や「タレント」ごときが国政問題を「訳知り」に全国放送の昼間のTV枠(TBS系の「ひるおび」というバラエティ番組)言いまくることはいかがなものか。なにか「作為」を感じますね。
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サッカーの大きな大会である「ユーロ2012」が終わりますと、今度はイギリスでロンドン五輪が始まります。あいついで今年は大きな世界大会が欧州で開催されます。
今欧州は経済危機が叫ばれており、ユーロも破綻するのではないかと言われています。
しかし人間が躍動するサッカーも五輪種目も不思議な力があると思います。選りすぐれたアスリートたちが、懸命にプレーする姿を見つめると感動します。エネルギーをいただくことが出来ますから。
ですので2つ大きな世界大会を開催できる欧州は簡単には、経済は破綻しません。大丈夫だと思います。
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両国ともサッカー大国。2006年はイタリアが。2010年はスペインがW杯を制覇しています。国内に世界最高と言われるプロサッカーリーグがあり、世界中から優れた選手がやってきて、両国の選手とも「国内組」といえど揉まれています。
特にイタリア。2010年のW杯は一次リーグで敗退。それからの再建途上。守備的なイタリアではなく、連動して攻撃的名チームに変身しました。その原動力はドイツを撃破した2つのゴールを上げたFMの悪童バロテッリでした。
バロテッリが活躍すればイタリアの優勝。彼が抑えこまれたらスペインの優勝です。大一番です。どちらが勝っても納得するし、世界のサッカー・ファンの注目の1戦です。
両国ともユーロ経済のなかでは「危ない」とされている国。債権国のドイツをイタリアは撃破しましたから。サッカーをやっているうりは大丈夫ですよ。
スペインの強さが一際でした。速いパス回しと、縦へのパス。連動。度の動きもイタリアを上回った。期待されていたイタリアの悪童 バロテッリも完全に抑えられました。スペインは守備が固いのです。今回のユーロ2012も失点はリーグ戦を引き分けたイタリアの1点だけでしたから。
連動する動きに衰えがなく、前半で2-0となった時「勝負あったと」思いました。後半イタリアは選手交代で少し盛り返しましたが、3人めの請いたい選手が怪我をして万事休す。4-0で大敗しました。
スペインは、2008年ユーロ。2010年W杯、2012年ユーロと制覇しました。2014年のW杯でスペインを倒す国が出てくるのか楽しみです。
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福井県大飯原発の3号機・4号機が、関西地区の「夏の電力不足解消」という名目でまもなく再稼動します。
上の画像にありますように「若狭湾の活断層と原発群」は本当に驚きました。かくいう私自身、福井県にこれほど原発があり、しかも活断層が近くにあり、場合によっては原子炉の真下にある可能性もあります。知りませんでしたから。
関西地域はこの原発での電力を半分近く依存しているようです。それでは再稼動しないと停電になります。という文言には弱いはず。
しかしここでもう1度「安全はすべてに優先する。」という標語を考えてみよう。事態は変わるはずです。
皆で夏の暑さを「共有」すればいいんですよ。12月まで夏が続くことはありえませんから。それをする前に再稼動。なんだか釈然としないのは私だけでしょうか?
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しかし「続く」時は続くもの。金曜日はYASU海の駅クラブの理事会。土曜日は夜須のハーバーへ行きました。そして日曜日は「ヤッシー10周年の集い」に参加。3日間続けて香南市夜須へ行きましたから。その週の2日間は「自主防災会の会合)が連続。地域活動や対外活動を控えているのに連続する偶然があるものですね。
それだけ夜須とは縁がありました。親戚も取引先があるわけではありませんが、27年前から夜須でヨットを始め、週に1度は夜須へ言ってましたから。1350回以上は夜須へ行っています。
堤防から50メートル先は海であった夜須海岸。広大な面積が埋め立てられ、盛り土されて出来上がったヤ・シィパーク全体が大きな堤防の機能も果たしています。芝生の広場に、アスレチック施設や、ボードウォーク。椰子の木やアカシヤ。夏場は海水浴も楽しめます。
さてNTT東局から送迎バスに乗りこみ会場のリゾートホテル海辺の果樹園へ着いたら午後6時過ぎでした。120人の招待客が来ています。多くの知り合いの人がいました。
祝賀会の前に司会進行をされている㈱ヤッシイのスタッフ職員の露木理惠さんからヤッシーの歴史についてパワーポイントで説明をしていただきました。私が夜須海岸へ現れてヨットをし始めた27年前からの歴史をなぞっていただきました。25年前は高知青年会議所の事業で「海洋連続セミナー」を開催し、その1つの事業でアメリカ西海岸を安岡正博さんの案内で見学したことがヤシィ・パークの原点です。
丸岡克典(株)ヤッシー社長が、歓迎の挨拶をしました。丸岡さんはこう言われました・
「ヤッシィに自慢できることがいくつかあります。
1)昔高知駅前に植えてあったワシントン椰子。移植された当時は12㍍でした。それが今は根付き17メートルになっています。
2)高知県下唯一の石積み護岸堤防が東西にあります。これはヤッシー。パークの景観設計をしていただいた稲田潤一さんの設計です。
3)全長530㍍のボード・ウォーク(木の道)です。アメリカ西海岸の視察したビーチ全てにありました。
4)そして施設は[バリヤ・フリー」です。
5)下水道が夜須町時代から完備していましたので、水質が保全されています。これは奥田幸二郎元夜須町長のおかげです。
7)ヤッシー。パークには電柱がありません。これも景観設計です。
8)そして道の駅夜須。やすらぎ市。各種テナントの売上は年間3・5億円年間36万人以上の人達にご来場いただいいます。この先20周年、30周年ができますようにスタッフ一同がんばりますのでよろしお願いします。
来賓は尾﨑 正直高知県知事。清藤真司前県会議員(元夜須町長)でした。
スピーチは知事。「県立手結緑地公園を管理いただいてお世話になっています。歴史をたどるといろんな人たちの善意が積み重なって今日があります。明日に向かって皆さんともに盛り立てましょう。」
乾杯の音頭は、前㈱ヤッシーの社長であり、元夜須町長の清藤真司さんでした。
「県と香南市が協力してして津波対策をしています。またヤッシィは。香南市が51%の株を所有する筆頭株主です。でもうまく行きました。
8月19日にヤッシー・パークで事業を実施する高知青年会議所(JC)のメンバーも来ていました。
アトラクションで葛岡陸男さんが、ヤッシーの歌を披露されていました。
後は高知流の宴会。わいわいとやっていました。
宴もたけなわでしたが、永野正典さんの中締めがあり、祝賀会は無事に終了しました。
大変良かった祝賀会でした。わたしは夜須と関わって27年になります。親戚がいたわけでもなく、取引先があったわけではありませんが、ヨットを通じた無理のない「フレンドリーな」関係を構築できて何よりでした。これからも夜須では楽しんでセーリングをさせていただきます。
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2年前の総選挙も夏の暑い盛りでした。高知の市民が当時の民主党幹事長の小沢一郎氏を中央公園で熱狂的に歓迎していました。
その昔の93年だか4年だか、細川連立政権が出来たのも真夏のことでした。今年もそういうめぐり合わせでしょうかね。
増税関連法案がまともに国会で審議されるのか。民主党と自民党は「野合」するのでしょうか?どうなんでしょうか?民主党の小沢グループはどうするのでしょうか?新党ができるのでしょうか?わかりませんbね。
でもなにかが起きる予感がします。
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